うまくいかない時でも違う自分がいる

上手くいかないときは、境界線を引いて、役割を演じてみるのも一つの方法です。

どうも!飯野哲夫です。

今日もよろしくお願いします。

あなたって、何人いますか?

...

1人ですよね。

2人いたら便利だなぁ、と誰もが想像したことがありますよね。

では、これはどうでしょうか。

あなたの役割って、いくつありますか?

(手で書いてみるといいですよ)

...

わかりにくいですかね。

たとえば、こういうことです。

・子である(親がいれば)

・親である(子がいれば)

・夫(妻) (結婚していれば)

・〇〇会社社員、経営者、〇〇学校生etc.

・部長、先生、大工(役職など1つ上とかぶるかも)

・市民、〇〇県人、日本人

・部活、サークル、クラブの一員(体育会系?文化系?趣味?)

1つしかないということはないと思います。

もし、1に近い数字だと、「大変ですね、ツラいですよね」

なんてことになってしまいますよ。

...

ちょっと脅しっぽかったですね。

飯野であればこんな感じです。

子である

兄である

おじである

飯野家の一員

30代の男世代

高崎市民である

グンマーである

日本人である

日本産業カウンセラー協会員

日本ゲシュタルト療法学会員

ブロガー

立正大学卒業生

前橋育英高等学校卒業生

中尾中学校卒業生

新高尾小学校卒業生

こうすれば、たくさんありますよね。

所属していなくても、「〇〇好き」でもいいですよ。

サッカー観戦好き

プールで泳ぐの好き

etc.

こうして書いて見たものを眺めてみてください。

すると、あることが起きます。

1つに注目してみてください。

あの人どうしてるかな?

あれ用意しなきゃ。

あんなこと(思い出)があったなぁ。

今年の母校は~だな。

あなたは、いまの状態を離れて、懐かしくなったり、悲しくなったり、

誇らしくなったり、怒りを感じたり、心配になったりとイロイロな事を感じたでしょう。

では、いつもの、普段のあなたはどんな自分、どんな役割を意識していますか。

仕事(学校)、家庭、趣味etc.

はじめにチョット脅かしたんですけど、1つだったらキツイと思うんです。

いじめられて、学校へ行きたくない。

家にいても、親が学校へ行けと言う

先生も友達も学校へ行けと言う。

学校なんてなくなればいいのに。

仕事で失敗した。

上司や同僚に謝った。

明日先方に謝罪に行く。

会社に行きたくない。

家に帰っても、仕事が気になって家族の相手なんてしていられない。

イヤな学校や仕事の役割を、ずーっと続けています。

悩んでいるとき、ツラいときってこんな状態ではありませんか?

...

1つの自分の役割に入り込み過ぎると、苦しいです。

イヤだと思ってるそれ(学校、仕事)に同化してしまっています。

ツラいことイヤなことは、1日中考えていなければならないのでしょうか?

ずーっとこだわることで、自分に苦しさを証明していませんか?

責任感のある、しっかりした人ほど、問題にこだわり続けるような気がします。

ですが、苦しむことと、責任を果たすことはイコールではありません。

違う役割になって、気分転換したほうが上手くいくものですよ。

料理したり、運動したり、

関係のないことをしているときに問題のヒントが浮かんだりすること、

経験ありませんか?

仕事では仕事の役割、家庭では家庭の役割、集まりでは集まりの役割。

上手くいっているときは、自然に行ったり来たりしています。

上手くいかないときは、境界線を引いて、役割を演じてみるのも一つの方法ですよ。

起きたときは夫。

食卓では父

出勤したら仕事人

お昼ではランチ評論家

午後はふたたび仕事人

帰宅の電車で吊り広告を眺めて、時事評論家

扉を開けたら家庭人

子どもと風呂に入って父

友達から連絡があったら同級生グループ

パソコンをひらいて趣味人

夜はふたたび夫(笑)

普通の一日にたくさんのあなたがいますよ。

ときには、目指せアカデミー賞でもいいんじゃないですか?

(2017年01月18日「ボトルボイス」より転載)

注目記事