鈴木宗男氏への回答「政治家だからこそ、弱者への心配りを」

鈴木宗男様 3月20日付のムネオ日記を拝読いたしました。同時に、とても残念な気持ちになりました。政治家というのは、弱者に対して心を寄り添わせることが必要なのではなかったでしょうか。そして、私は貴殿に対してそれができる政治家であると信じてきました。

鈴木宗男様

3月20日付のムネオ日記を拝読いたしました。同時に、とても残念な気持ちになりました。政治家というのは、弱者に対して心を寄り添わせることが必要なのではなかったでしょうか。そして、私は貴殿に対してそれができる政治家であると信じてきました。

◆ 母親は「なんの懸念も心配もせず」わが子を預けたのか。

乙武氏と駒崎氏に言いたい。「あなた方は見ず知らずの人に自分の子供をなんの懸念も心配もせず預けますか」と。

お答えします。私自身は、見ず知らずの方に自分の子供は預けません。また、おそらくは多くの方もそうすることに抵抗を覚えるでしょう。しかし、私がこの問いに対してNOと答えられるのも、「夫婦ともに健在である」「近所に頼める間柄の知人がいる」「経済的に困窮しているわけではない」などの条件を幸運にもクリアしているからです。

ですが、世の中には様々な環境で生きておられる方々がいます。当然、「ひとり親で」「近所に知人などもおらず」「経済的に困窮している」方もいらっしゃるでしょう。もし私がそうした状況下だったら、それでも子どもを見ず知らずの方に預けることなく、日々を生き抜いていくことができるのか、正直、自信がありません。

また、貴殿は「あなた方は見ず知らずの人に自分の子供をなんの懸念も心配もせず預けますか」と問われていますが、事件の被害者となった母親は「なんの懸念も心配もせず」わが子を預けたとお考えなのでしょうか。もし、そうだとしたら、その浅慮に驚き、あきれます。

子どものことが愛おしく、一時も離れていたくはないけれど、それでも生きていくためにやむなく子どもを預け、仕事に出かけなければならない親がどれほど多くいるか、貴殿はご存じでしょうか。そうした人々の声を、じかに聞いたことがあるでしょうか。彼女たちの苦しみに思いを巡らせたことがあるでしょうか。

子供は宝であり、かけがえのない存在である。にもかかわらず2歳としかももう一人8ヶ月の子供を3日間も預けるなら身元やベビーシッターとしての信用等、念には念を入れて預けるのが普通で、どの親でも考えるのが当たり前でないか。

ムネオ先生、おっしゃる通りです。「一般的には」誰もがそう考えるでしょう。ですが、政治家というのは、その「当たり前」をすべての国民に押しつけ、それができなかった者を断罪することが仕事でしょうか。むしろ、「当たり前」に生きることのできない人々の事情に思いを寄せ、彼らの苦しみに耳を傾け、そこに救いの手を差し伸べることが責務なのではないでしょうか。少なくとも、鈴木宗男という政治家は、これまでそうしてきたのではなかったでしょうか。

◆ 政治家だからこそ、弱者への心配りを。

乙武氏と駒崎氏に言いたい。ツイッターとかではなく、顔を合わせて平場で話をしようではないか。無責任な評論家的な話は懲り懲りである。

お言葉を返すようですが、駒崎弘樹氏はNPO「フローレンス」代表理事として、長年、病児保育の問題に取り組んでこられた第一人者です。また、僭越ながら私自身も3年前より、認証保育園と認可保育園という2園の経営に携わっております。そうした意味で、ふたりとも、日々、育児と仕事を両立している保護者のみなさまの努力と苦労を間近で見てきている立場から発言しております。決して「無責任な評論家」として論じているわけではないこと、ご理解ください。

長年、国政の場でご活躍されてきた氏に対し、親子ほど年の離れた私のような若輩者が物申したことでご気分を害したのであれば、お詫びいたします。ですが、弱者への心配りを忘れない政治活動を行ってきた氏だからこそ、今回の事件を「無責任な母親の愚行」で片づけてほしくなかったのです。「今回の事件は、あくまで氷山の一角であり」「同様の困難を抱えるひとり親は数多くいる」という認識に基づき、ぜひ政策面でのバックアップをお願いできれば、これほど心強いことはありません。

ご検討、ご尽力のほど、何卒よろしくお願い致します。

乙武洋匡

(2014年3月21日「乙武洋匡オフィシャルサイト OTO ZONE」より転載)

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