横山禎徳氏(後編)~部分の専門家では通用しない。分野の相互連鎖時代に相応しい思考訓練を~

今の日本に求められるのは、課題解決に加えて他に先駆けて課題を設定していく能力であり、課題設定と課題解決のための思考能力の養成です。それらの能力発揮がこれまでの日本人が苦手としたものであり、これらの能力を備えた人材を育成することこそが日本にとって最も必要になります。

今の日本に求められるのは、課題解決に加えて他に先駆けて課題を設定していく能力であり、課題設定と課題解決のための思考能力の養成です。それらの能力発揮がこれまでの日本人が苦手としたものであり、これらの能力を備えた人材を育成することこそが日本にとって最も必要になります。

多面的に考え、的確に組み立て、速やかに実施するための強靭な思考能力はどうすれば身につけられるのか。前回に引き続き横山禎徳氏(東京大学EMP特任教授)にお話をお聞きしました。

横山 禎徳(よこやま よしのり) 氏

東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(東大EMP)特任教授

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■日本は何位から世界第2位の経済大国になったのか

ーー前回は課題設定の大切さについてお話をお聞きしましたが、今回は課題を解決するための思考能力についてお話しいただけますでしょうか。

横山:課題が設定できれば、問題の半分は解けたようなものと言いました。日本は長く「追いつけ追い越せ」で来たために、自ら課題を設定することなしにやってこられたわけですが、それでは、日本がその結果として世界第2位の経済大国になったのがいつか知っていますか?また、何位から世界第2位になったと思いますか?

ーー1970年ぐらいでしょうか?順位は30位ですか?

横山:日本が世界第2位の経済大国になったのは1967年で、世界から20世紀の奇跡と呼ばれました。これほどの高成長を西洋以外の国がやると誰も思っていなかったし、また、現在の中国もやっていない、すごいことをやってのけたのです。

それでは、何位から2位になったかというと、江戸時代の日本は小国ではなく、世界第4位か第5位の経済大国でした。GDPやGNPといった指標は戦後に生まれたものですが、産業革命以前、GDPは主要産業である農業の生産規模に比例していました。農業の一人当たりの生産性というのは世界でそれほど大きな差はありませんでした。従って、農業の生産規模は人口に比例します。

では、日本の人口がどのくらいだったかというと、たとえば18世紀初頭の江戸の人口は100万人と、ロンドンやパリに比べてもはるかに大きな都市でした。そこからも分かるように、日本は人口も多く、水の供給や下水処理といった設備面でもかなりの先進国だったと言っていいのです。

実際、ペリーが黒船で来航した時も日本の人口は3200万人を超えていると言われ、3000万人のアメリカよりも多かったほどです。これだけの人口がいれば農業の生産力とGDPが比例していた時代なら、日本がGDPで世界第4、5位というのも納得がいくでしょう。変化が起きたのは18世紀半ばに始まった産業革命以降です。

産業革命によって、イギリスは国土も小さく、人口も少ないにもかかわらず、世界で主要な地位を占めるようになり、これに続いて19世紀初頭にフランスやドイツといった国々も産業革命に入り、国力を伸ばすことになりました。江戸時代というと鎖国のイメージが強いですが、実は江戸幕府も長崎の出島のオランダ人から入手していた定期的報告を通じてこうした世界の事情は実によく知っており、日本を植民地化しないためにも日本の開国の必要性は十分に理解していたようです。

■なぜ富岡工場が世界遺産に選ばれたのか

ーー日本が富国強兵を掲げて産業の近代化を推し進めるのは明治維新以降ですね。

横山:日本も明治維新後、19世紀末に産業革命に入るわけですが、そこで出てくる疑問は外国から機械を購入するための外貨を日本はどうやって稼いでいたか、ということです。たとえば日立製作所は日立鉱山に電力を供給するための水力発電所の設備の修理からスタートして、自前で設備をつくるようになるわけですが、こうした設備や工作機械をどうやって購入したか分かりますか?

そのような疑問を持ち、考えることが思考訓練になります。6月に富岡製糸場が世界遺産に選ばれたことは知っていますよね?

日本が開国した時、すでに生糸が主要な輸出品になっていましたが、当時は工業化されておらず、品質が一定していませんでした。そのため横浜の貿易商に安く買いたたかれていたのを何とかしなければということで計画されたのが官営の富岡製糸場です。

1872年、富岡製糸場はヨーロッパにおける生糸取引の中心であるフランスのリヨンから技術者を招いて設立され、当時としては世界最大級の規模を誇っていましたが、その役目は日本製生糸の品質を農産品から工業製品としての品質へ安定、向上させるという目的のほかに、各府県から派遣された伝習女工に技術を教え、その技術を日本全国に広めるという役目も持っていました。

こうした努力が実を結んだ結果、日本の生糸の品質保証ができるようになり、それによって得た外貨で機械設備などを購入、日本の近代化が進むことになりました。世界遺産に選ばれたことで富岡製糸場の建物が注目されていますが、日本の近代化にどのような役割を果たしたのか、というところにこそ富岡製糸場の本当の意味があるのです。

単にニュースを見るだけではなく、富岡製糸場がなぜ選ばれたのか、その意味は...、と好奇心を持って深く、深く考えていくといろいろなことが見えてくるのです。それは単に本を読むのではなく、疑問を持ち、現地に行ける場合は行って、自分の体で確かめながら考える。私は「シルク・ダラー」が外貨獲得に貢献したことを知り、だいぶ以前に個人的な興味で富岡製糸場を実際に見に行きましたが、本だけではなく、多面的な経験を積みながら考えるのが厚みのある思考訓練であり、そこで身につくのが知識であり教養なのです。

ーー思考訓練を通して身につくのが本当の知識や教養なのですね。

横山:分からないと知りたくなる。本を読むだけではなく、考え、実際にその場に行ってみることが大切です。「百聞は一見に如かず」ではなく「一万聞は一見に如かず」です。最近ではグーグルで調べればすべてわかるという若者がいます。しかし、グーグルで検索できることは、その人が何を知らないのかを知っていることだけなのです。

「自分は何を知らないのか」を知らなければ検索のしようもありません。また、昔、あったもの、今、世の中にあるものしか調べることはできません。その先を考えるきっかけにしかなりません。よく「サイエンスの話は何の足しになるのか?」という疑問を口にする人がいます。

「すみません、私は文系でして~」という言い訳をする人もよく見かけますが、原子力関連科学、生命科学、情報科学など今の時代の科学は素人の経験則が効かない時代であり、サイエンス・リテラシーが、いろいろな分野での賢い判断と意思決定に必要になっています。

■グローバリゼーションとインターナショナリゼーションは何が違うのか

横山:その背景にあるのが、グローバリゼーションです。昔は、インターナショナリゼーションと言っていましたが、違いがわかりますか?

ーーインターナショナリゼーションは国際化ですよね。

横山:EMPはすでに12期目になりましたが、いまだにこの問いに明確に答えられる人は多くありません。

国際化は国際部にまかせておけばいいが、グローバリゼーションはそうはいかない。なぜなら、その本質は地域や分野の「相互連鎖」であり、そこに好きも嫌いもない。否応なしに影響を受けるのです。地域の相互連鎖というのは、「日本が世界に染み出していく、世界が日本に染み込んでくる」ことであり、アメリカでサブプライムローン問題が起きれば、日本もヨーロッパもその影響をまともに受けることになります。

もはや国内と海外を分けて考えることができなくなっていますが、それと並行して起きているのが「分野の相互連鎖」の急速な進展です。産業や学問も含めてすべての分野において、世の中の事象が相互連鎖して、これまでとは比較にならないほど複雑になっています。

そんな時代にも相変わらず「理系」「文系」という縦割り的な発想をして、「自分はこの分野の専門家なので、ほかの分野、ましてサイエンス分野のことは分からない」などと伝統的な分野に閉じこもっているわけにいかないのが今という時代なのです。

ーー具体的にどういった問題があるのでしょうか?

横山:たとえば原子力発電所の安全評価の問題があります。国会事故調でたくさんの専門家の話を聞いて分かったことは、トータルで原発システムを知っている人は誰もいなかったという驚くべき事実です。原子力に関わる多様な分野で知るべきことがごまんとあるにもかかわらず、誰もが部分の専門家だったのです。

分野間の相互連鎖が急速に進んでいる時代、原子力発電所の運営には原子力という分野を総合的に知るだけでは十分ではありません。原子力関連科学、放射線医学、物性科学だけでなく、気象学や地震学、建築学や土木工学、地理学や歴史学、そして心理学などすべてが絡む世界が原子力発電所なのです。にもかかわらず、原子力エンジニアは放射線医学を知らないし、原子炉の圧力容器を設計する人は土木工学を知りません。原子力発電所が建つことになっていた土地の歴史も知らないし、関心もないのです。

土地の歴史を知ることはとても大切です。かつては自然災害の観点から危ないところにはそれをうかがわせる地名が付いていましたが、行政が安易にそういった名前を変えてしまうものだから土地の歴史が分からなくなり、家を建て、津波や地震、土砂災害といった悲劇に見舞われることになります。

たとえば地震が来たら多くの場合、引き続いて津波が来るから、地震が来たらどこに逃げればいいかをみんなが口伝伝承を通じて知っていれば建物の被害はともかく、人命は守ることができます。古くからある土地の名前の由来をよく調べれば、なぜその名前が付いたのかがわかります。歴史を知っていれば、災害の起きやすい場所も分かるので、そこには家を建てないという判断ができます。しかし、多くの現代人はこういう古い知恵を知らない。

このように知らなければならないことがいくらでもあるのです。ましてや今の時代のように分野間の相互連鎖が進めば、一つの分野のことだけを知って、「この分野の専門家です」と言っていては、今起きている課題を適切に設定し、解決することなどできないでしょう。

ーー分野の相互連鎖が起きている時代には、リーダーに求められるものも変わってくるということですね。

横山:目の前に展開する複雑な事象をつかんで課題を設定し、その課題を解決する。そのためには一つの分野の思考に固執せず、多様かつ多面的な思考プロセスを活用できる思考能力が必要であり、それを訓練しようというのがEMPの目指すところです。

■必要なのはタイムリミットがある「センス・オブ・アージェンシー」

ーー先生はご自身で講義をされるだけでなく、すべての講義を聴かれているともお聞きしました。

横山:私はすべての講義を6年間ずっと聴いています。東大の一流の先生方が教えてくださっていますが、内容が良くなければ本人に直接次回までの改良をお願いしています。特に注意しているのは「すでに分かっていることをお話しいただくのはやめてほしい」ということです。

それは本を読めばいい。時代は常に変わっているのだから最先端の状況も変わっているのであり、お話しいただく内容も変わるのが当然なのです。最初は私ともう一人の先生がすべての講義を聴いていること自体をいやがる人もいましたが、今はそういうこともなくなってきました。

ーー東大にも危機感があるということでしょうか。

横山:必要なのは「緊急意識」というか、英語で言う「センス・オブ・アージェンシー」です。「何十年以内に地震が来る」と言ってもみんなのんびりしているでしょうが、もし「1時間以内に地震が来る」と分かれば、皆さんも今すぐ確実に行動を起こすはずです。

この「いついつまでにやらないと危ない」というタイムリミットがあるのがセンス・オブ・アージェンシーです。教育のあり方についてもセンス・オブ・アージェンシーを持つ必要があると感じています。

ーーいろいろとお話をお聞きして、大切なのは課題設定能力であり、思考能力であることがよく分かりました。

横山:大切なことは、たとえば高齢化は大きな社会問題だとお題目のように言うのではなく、高齢化で何が起きているのか、従って、「このままではつじつまの合いにくい社会をどう経営したらいいのか」という課題をしっかりと考え、具体的な行動に結びつく解決策を作ることです。それが思考訓練の意味です。大切なのは知識ではなく課題設定から課題解決ができるような強靭な思考方法の訓練であり、その結果としてついてくるのが教養です。この順番を間違えないようにしなければなりません。

ーー本日は貴重なお話をありがとうございました。

(インタビュー=松尾慎司 文=桑原晃弥)

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