電通を辞めて、ひとりになったカウボーイより

一人になった今、自分にそれができるかどうか、煉獄に立たされたような、焼かれる思いでいる。

ハフポストから与えられたテーマが「#だからひとりが好き」というものである。

私が住む関西では5年ほど前より「商店街ポスター展」という、遊びのような仕事のような、地域貢献プロジェクトが行われていて、仕掛け人は日下慶太という、僕の電通時代の同期の男である。ものすごく変人で、ものすごく頭のいい男だ。

大阪の新世界市場、文の里商店街でブレイクして、兵庫県の伊丹西台、さらに関西を飛び出して、あちこちで同様の取り組みが行われた。話題が話題を呼んで、各地でその模倣のようなことも散見された。

これは大型店舗に押されたり、店主の高齢化などによってかつての賑わいを失いつつある、いわゆる「地元の商店街」を、広告クリエーティブの力技で盛り立てようというのが当初の趣意だった。

仕組みはこうだ。商店街の商店一つひとつに対して、電通関西のクリエーティブの若手が2名一組で担当する。広告はデザインを担当するアートディレクターと、言葉を担当するコピーライターが一対になって企画制作するのが基本だ。

店主からお店の歴史や、商売への考えやその楽しさ、難しさなどを聞き取り、そこからヒントを探して、広告案を企画する。そして、ここが最も重要で、おもしろさの秘訣となっていた部分だが、「完成するまで店主には見せない」のだ。

途中段階で、「クライアント」の許可や承諾を得ないというところがミソなのである。その代わり、通常電通に頼んだら最低でも数十万円はかかるであろうポスターを、商店会が最低限の必要経費を賄うだけで制作することができるわけだ。

当然、店主から気に入られなかったり、不快ととられたポスターも、少数だがあったようだ。

僕は文の里商店街ポスター展の、一般投票による「総選挙」という企画で、グランプリを受賞した。大嶋漬物店という、その夏閉店してしまう漬物屋さんのポスターだった。

広告賞にありがちな、人間関係や力関係や師弟関係からくる「順番」や「事情」みたいなものに影響を受けず、単純におもしろいものに投票して決まるという賞をもらったのは、どんな賞をもらうよりもうれしかった記憶がある。

僕の経歴の受賞歴欄に「文の里商店街ポスター総選挙グランプリ受賞」と書いても、一般の人も広告業界の人も「はぁ?」だろうけど、僕にとっては誇らしい経験なのであった。

僕が電通を辞めてからも、ポスター展は別の場所、別の団体で続いているのだが、注目を受けるようになって、「うちでもやってほしい」という依頼が来るようになった。中には「だけど企画段階でチェックをさせてくれ」というフツーの広告作業のような要請もあるという。

「完成まで見せない」のが、このプロジェクトのおもしろさの核なのにもかかわらず、だ。

僕が電通を辞めた理由のひとつもそこにあり、「その仕事の構造が、『患者の指示に従って治療を行なう医師』のようなものだから」だ(拙著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版)より)。

......てなことを言うと必ず「広告は芸術ではないのだから、ゲージュツやりたきゃ一人でやれ」という、聞き慣れた批判がやってくる。それはもう広告会社の中では自戒として毎度言われていることだから、もういいよ。

事実、広告効果が失われていて、それでいて広告というものは最終責任は広告主にあるから、電通だろうが博報堂だろうが、もうどうにもしようがない。作る側も見る側も、みんなが不幸だ。

一人でやれって話になって、実際に一人でやると、エライ苦労するハメになる。これは一人になった私が誰よりもわかっているつもりだから、「ざまーみろ」な話である。はい、自分の様を見てきました。

しかし、あらゆる無形のものというのは、一人の頭の中からしか出てこないものだ。

頭の中はクラウドのように共有できないから、音楽だって文章だって映像だって、アイデアの段階では一人の人間しか携わることはできない。相談を受けたり、補助することはできても、ゴルフのフォアサムみたいに、一曲を四小節ずつ交代で書くとか、絵描きが絵の経験のない人にひと筆ごとにお伺いを立てて描くとかは賢明な方法ではない。

何年もかかった末に今月出る『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』という本は、私ひとりがカナダに渡り、ひと夏牧場に住み込みで働きながら取材して、執筆したものだ。もちろん、取材対象や、そこに行きつくまでの協力や、本になるまでの出版社やデザイン会社や印刷所、取次、書店などの方々の手があってこそだが、企画の部分においては私ひとりであった。

カウボーイについてのノンフィクション原稿なんて、どこの誰に見せても、「売れない」「誰が興味あるねん」と言われる。

電通時代の同僚に田中友規という男がいて、趣味を越えたようなレベルで料理研究をしている。

「Picklestone」という新しい漬物瓶を開発して、クラウドファンディングを通じて人気商品となりつつあるようだが、彼は特にシンガポール料理が好きで研鑽を積んでいる。

彼と会った時には、自費出版を薦められた。曰く、

「僕もいつかシンガポール料理のレシピ本を出せたらいいけど、今の出版社は『現在流行っているモノかヒト』や『すでにブレイクしているモノの二番煎じ』以外はこちらを向いてくれない。無名の僕らが何をプレゼンしても難しい。『これは世に出す意味がある』と、ショータ君が心底思うのだったら、自費出版というのを視野に入れてもアリだと思うよ」。

私は、その時は頬を張られたような気がした。確かに一理ある......。

しかし、それはしなかった。

出版にもいろいろな会社、いろいろな人がいるはずだと思ったからだ。

私はまた一人になって考えた。すると、新聞の記事で「ひとり出版社」の特集があり、旅と思索社という会社を見つけた。私が書いたものは、まさに「旅と思索」の原稿だから、この社名が気に入ってしまった。その廣岡社長に手紙を書いて会いに行った。

カウボーイの原稿をお預けして、お話を伺ったところ、「思索という少々恥ずかしいような言葉を社名に付けたのは、かつて勤め人をしていた頃の戒めとして、一つひとつの仕事にちゃんと立ち止まって考えて、本というかたちにしていこうと思ったからなんですよ」とおっしゃった。右から来た仕事を左に流すのではなく、世間にとって意味のある本作りに自分が関わりたいという理想だった。

おそらく出版界の人は誰しもそう思っている。だから甘っちょろい話なのだろうけど、正論というのは甘っちょろい響きがありつつも、現実には追い求めるのが難しいから、みんな苦笑して見て見ぬふりをするものだ。

僕はここから本を出してほしいと思い、彼はこの原稿は出版に値すると思ってくれた。

一度決まれば、もうわけのわからん役員からハナシを引っくり返されることもなく、誰の決済のハンコもいらなかった。なにせ、ひとり出版社とひとりの著者が合意したことなのだから。

私自身、勢いのように電通を辞めてしまった甘っちょろい人間で、一人でいることの苦渋をもう一度舐めさせられるだろう。本なんてそういうもんじゃないから。

今、出版社のウェブサイトを見れば、どこも「持ち込みの原稿は受け付けておりません」と書いてある。自分はベストセラー作家になれると信じて疑わない人間が多いのだ。

実際、出版社の知人たちに言わせると、突然原稿を送りつけてきて、翌日「読みました? 読みました?」と電話してきては、まだですと答えると「もういい! 原稿を返してください」とキレるような失礼な人間や、いきなり「○○と言います。私のことは検索して調べてください」などとぬかす愚か者ばかりなのだそうだ。

だから、版元からすれば無名の人の書いた原稿など、ほぼ迷惑なのだ。

私は駆け出しの作家として、版元に迷惑をかけたくないとは思っているが、「カウボーイの本? 誰が興味あるねん」と自分でも少しだけ思っている。

それなのになぜ書いたのかというと、20年以上カウボーイを追ってきた人間として、「カウボーイを理解せずに、北米の歴史、文化、人間を語ることなどできない」と結論するからだ。ブーツやジーンズといったファッション以外に、職業人としての、誇りある人間としての現代のカウボーイとはなんなのかが書かれた書物が、日本に一冊もないからだ。

大見栄を切ってしまった。しかし、広告のプロでも、どこの世界のプロでも、おカネをいただくからには、それ以上の価値を提供したい、と考えているものだ。少なくとも僕が知る電通の人間の多くは、そういう人たちだった。そして、実際にそれができない人はどこかで淘汰されてしまうのだろう。

一人になった今、自分にそれができるかどうか、煉獄に立たされたような、焼かれる思いでいる。だけど、「#だからひとりが好き」というテーマに沿って最後に言うならば、これで部長が役員に呼び出されるわけでもなければ、私のせいで誰かがクビになるわけでもないじゃん。

ひとりが好きなわけではないが、仕方ないのである。



ハフポスト日本版は、自立した個人の生きかたを特集する企画『#だからひとりが好き』を始めました。

学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり...。繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮もあります。

企画ではみんなと過ごすことと同様に、ひとりで過ごす大切さ(と楽しさ)を伝えていきます。

読者との双方向コミュニケーションを通して「ひとりを肯定する社会」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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