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レディオヘッドが生んだ20世紀最後の名盤『KID A』。なぜ時間とともに評価されたのか?

既成の枠にとらわれない表現は、しばしば人々の理解を超え、違和感として受け止められることがある。『KID A』はどんな道を辿ったのか。

イギリスのロックバンド「Radiohead(レディオヘッド)」が2000年に発表したアルバム『KID A』誕生の背景に迫った書籍『レディオヘッド/キッドA』の日本語訳が発売された。

20世紀最後の名盤にして問題作とも評されるアルバムが社会に与えた影響を、政治・経済・メディアなどの側面から多角的に捉えた一冊だ。

ロックにとどまらず、今なお現行音楽シーンに多大な影響を与えている『KID A』は、なぜ批判され、時間とともに評価されたのか。訳者の島田陽子氏と、担当編集者であるP-VINE大久保潤氏に話を聞いた。(記事・星久美子/編集・石戸諭)

レディオヘッドはイギリスの5人組バンドだ。1985年に結成し1992年にデビュー。ファースト・アルバム『Pablo Honey(パブロ・ハニー)』のシングル曲『Creep』が世界的にヒットすると、1997年に発表したアルバム『OKコンピューター』でグラミー賞を受賞し、人気を不動のものとする。

フジ・ロック・フェスティバルやサマーソニックなど、日本を代表するロックフェスにもたびたび出演している。とりわけ2003年のヘッドライナーを務めたSUMMER SONICのステージは、伝説のライブとして今も語り継がれている。『KID A』の収録曲は現在のライブでも度々演奏され、ファンも多い。

編集者の大久保さんは、邦訳刊行の理由をこのように語る。

「原書は2011年に出版されたものです。なぜこのタイミングだったかというと、一つはボーカルのトム・ヨークが映画『サスペリア』のサントラを手がけたのをはじめ、メンバーの活動が活発になってきたこと。

もう一つは、レディオヘッド自身はコンスタントに活動しているわけではないのですが、音楽記事を見ていていると彼らに言及していることが多い。特に『KID A』は、2000年以降の音楽シーンに大きな影響を与えた作品です。今改めて彼らについて捉え直す必要があるのではと思い、出版に至りました」

KID A』が世界に与えた衝撃

『KID A』はレディオヘッド4枚目のアルバムとして2000年10月2日にリリースされた。英ロックバンドの地位を確立させた彼らが満を辞して発表した一枚は、リスナーの期待を大きく裏切るものだった。

前作までのギターサウンドは影を潜め、実験音楽のような電子音とリズム、メランコリックで難解な歌詞――。たちまちメディアや音楽評論家の間で論争が巻き起こる。これは“ロック”ではない、と。

当時のレビューからもメディアの酷評ぶりがよくわかる。

「これほど完璧に、これほど優しく、とっとと失せやがれ、と告げたアルバムは、最近の記憶では皆無」(ヴィレッジ・ヴォイス)

訳者の島田さんはリリース当時の衝撃を振り返る。島田さん自身、以前から海外公演にも足を運ぶほどのレディオヘッドファンでもある。

「『OKコンピューター』の次がこれだったのが衝撃でしたよね。前作はギターロックとして聴きやすかったけれど、私自身、『KID A』は初めから受け入れられる作品ではなかった」

政治、音楽業界に対する反抗

「『KID A』では政治に対するメッセージ性を強めています。そして彼らがいる音楽業界に対する反抗でもあった」と大久保さんは語る。

当時のブレア政権は“ブリット・ポップ”と呼ばれたポピュラー音楽、映画やファッションなどカルチャーの輸出を国家ブランド戦略として位置付ける「クール・ブリタニア」を提唱した。ブレアはオアシスのノエル・ギャラガーを始め、若手アーティストを首相官邸に招くなどして親交を深めていく。

しかし、レディオヘッドは彼らとは距離を起き、政治に対しても批判的な姿勢をとった。グローバリゼーションを否定するメッセージを込め、ライブツアーの会場からはスポンサーのロゴや広告が一切排除された。

同時に彼らは、音楽業界のメインストリームにも反逆を企てる。

CD発売と同時に大量の広告を投下する従来の宣伝方式を嫌った彼らは、『KID A』では一切公式シングルを出さないことに決めた。ミュージックビデオの代わりとして、10秒から40秒程度の短い(そして難解な)アニメクリップをウェブサイトに公開すると、ファンを媒介にして瞬く間に世界中に広がった。

従来の配給方式に変わる新たな方法も模索していた。今でこそ一般的になった、オンラインでのサブスクリプション方式、いわゆる“サブスク”を採用するアイデアもあったという。

アップル社が「iTunes」「iPod」を発表し、音楽産業に大きな革命が起きたのは翌年の2001年。そのことからも、非常に早い段階からデジタル・メディアへのシフトを意識していたことがわかる。

違和感から共感、そして賞賛へ

既成の枠にとらわれない表現は、しばしば人々の理解を超え、違和感として受け止められることがある。しかしトム・ヨーク自身、『KID A』にリスナーの期待を覆そうという意図はなかったと説明している。

「自分たちが(音楽から)受けた影響を混ぜ合わせ、目を見開いて賛美するような理想主義に凝り固まった麻痺状態に一撃を与えようとした」

彼らの作品をいち早く賞賛したのは音楽界だった。当時活躍するミュージシャンたちがこぞって公の場で『KID A』を絶賛し、2000年のベストアルバムに挙げた。

問題作は話題を呼び、発売約1ヶ月前にはファイル共有サービス「ナップスター」に違法アップロードされ、すでに数百万回もダウンロードされていた。セールスに大打撃を受け、彼らの反抗は失敗に終わるだろう。これが大方の予想だった。

ところがリリースされるやいなや、アメリカ、イギリスほか数カ国のチャートで初登場1位を記録する。セールスは全世界で400万枚にものぼった。

やがて2000年の終わりには、評論家もほぼ満場一致で彼らのアルバムを賞賛する(発売当時酷評していたメディアさえも)。年末には数えきれないほどのメディアで「今年最も優れたアルバムに輝いた。そして、この年の第43回グラミー賞で「最優秀オルタナティブ・アルバム」を受賞する。

『KID A』は、メインストリームに対する反抗がアーティスト自身の力で可能であることを証明した。作品の根底には、過去の成功にとらわれず自分たちの音楽を表現したいという純粋な動機があった。これこそが20世紀の終わりに起こった大事件だったのだ。

ロック模索の時代、変わり続けるレディオヘッド

90年代の終わりにはブリット・ポップブームも急激に衰退していく。フレッシュなイメージで人気を博したブレア政権も、政治情勢への不安や収入格差の拡大とともに支持率が下落していった。「クール・ブリタニア」はもはや死語となり、幻想のうちに終焉を迎えた。

『KID A』が与えた衝撃は今も衰えることなく、ローリングストーンズ誌では「2000年代のアルバム・ベスト100」の1位に、TIME誌は史上「最も偉大で影響力のある」アルバム100枚のうちの1枚に選んでいる。

大久保さんは現在の音楽シーンを「ロックが模索している時代だ」と指摘する。

「最近はヒップホップの勢いが増していて、海外でもポップスのメインストリームになっています。最近『新しい』と感じるロックバンドはしばらく見ていない気がします。

『KID A』が出た後、日本でもエレクトロニカを取り入れるミュージシャンが増えました。やはりそれくらい影響力があるバンドです。彼らほどビッグなバンドがガラッと新しいことをやるって、なかなかない気がします」

レディオヘッドの活動を追い続けてきた島田さんは、「彼らは今も進化をつづけている」という。

「最近では、トムがソロで映画音楽を手がけたり、ギターのジョニー・グリーンウッドはインド音楽やクラシックなど違うジャンルの人と組んだりと、まるで細胞を増殖させていくみたいにどんどん新しい作品を作り続けています。

一方で、どう進化するか全く予測がつかない。いつ突然『すべてやりきった』と言って活動が終了してもおかしくない。不思議ですが、これも彼らの魅力なんだと思います」

レディオヘッドはこれからどこへ向かうのだろうか。現在、今年7月に開催されるフジ・ロック・フェスティバル2019にトム・ヨークのソロバンド「THOM YORKE TOMORROW’S MODERN BOXES」の出演がアナウンスされている。しかし、バンドのリリースやライブの予定は発表されていない。

同じく今年、レディオヘッドはロック音楽に優れた功績を残したアーティストに与えられる「Rock & Roll Hall of Fame(ロックの殿堂)」を授賞した。しかし3月末の授賞式は欠席すると明言している。欠席理由について、トムは米バラエティ誌のインタビューに答えている。

―I can’t. I know I can’t, because of these piano pieces that I’ve written. There’s the Paris Philharmonic, so I have to be there for that.

「無理なんだ。(授賞式には)行けないんだ。(自分が曲を書いた)フィルハーモニー・ド・パリの公演があるから、そこにいなきゃ行けない。」