「これが私なの」アフリカ布の服を着た日、初めて胸を張れた。「他人軸」の人生だった女性がケニアで服づくりをするまで

就活で60社に落ち、30歳まで職を転々とした。夫の仕事で移り住んだケニアで出会った「アフリカ布」が、コンプレックスを抱えていた河野理恵さんの人生を変えた。
河野理恵さん(左)
河野理恵さん(左)
RAHA KENYA

「どうしてケニアに来たの?」

そう訊かれるたびに、河野理恵さんの胸は苦しくなった。「ただ夫に付いてきただけ」。それ以外、何も答えられなかったから。

新卒の就活で60社に落ち、挫折。これといった目標も見つけられず、介護職や社会人学生、派遣の事務職など、30歳まで職を転々とした。

2018年に起業家の夫の仕事で移り住んだアフリカ・ケニアでは、事業に奔走する夫の帰りを待つだけの日々。誇れるスキルも経験もない。異国の地で一層「私は何もできない」という無力感に苛まれ、ついに引きこもりがちになった。

そんな彼女がある日、鮮やかな色づかいと大胆なモチーフが特徴の「アフリカ布」に出会い、魅せられる。そして、ケニアで立ち上げたファッションブランドが「RAHA KENYA(ラハ・ケニア)」。洋服や小物をアフリカ布で作り、日本の客にオンラインで販売している。

「『あなたはできる』と言い続けるブランドでありたい」

アフリカ布とケニアの人々が、他人の目ばかり気にして生きていた自分を解放してくれたように、誰かの一歩を後押しする「一着」を届ける。

河野理恵さん
河野理恵さん
RAHA KENYA

アフリカ布をまとったら「これが私」と初めて胸を張れた

ケニアの首都・ナイロビの街で、河野さんの目はいつも女性たちに惹きつけられた。

赤やブルー、オレンジーー。色とりどりで個性的な柄の衣服をまとう女性たち。その姿は自信とエネルギーに満ち溢れていて、とても眩しく感じた。

だからこそ、引きこもりがちな毎日から抜け出そうと決めたとき、河野さんの心にふと「彼女たちのように服を着こなしてみたい」という思いが湧き上がってきた。

日常的にオーダーメードの洋服を仕立てる文化があるケニア。路上にはミシン一台で客引きをする仕立て屋が溢れている。

現地の人の見よう見まねで、何千もの布が並ぶ布市場で一枚を選び、街の仕立て屋に持っていった。

できあがったのは、紺をベースとした柄に鮮やかなオレンジのアクセントが映えるトップスとパンツのセットアップ。袖を通したときの味わったことのない解放感は今も忘れられない。

「これが私なの」と初めて胸を張れたような、そんな感覚。

30歳にして初めて自分の個性に向き合えた気がした。

アフリカ布の洋服をまとうケニアの女性たち
アフリカ布の洋服をまとうケニアの女性たち
RAHA KENYA

自分の外にある「正解」ばかりを探してきた人生だった

河野さんは、人一倍気遣いができる反面、いつしか「自分軸ではなく他人軸」で生きるのが癖になっていた。

「自分の気持ちより、真っ先に相手がどうしてほしいか考えてしまう。人生の選択も世間や身近な人にどう思われるかを基準に選んできました。自分の外にある『正解』を探して生きているうちに、気づいたら自分を潰していた。今思えば、就活がうまくいかなかったのもきっとそのせいだったと思います」

そんな生き方は、服選びにも表れていた。周囲からの反応が気になって、個性的なデザインや色を選ぶのも躊躇ってしまう。結局、手に取るのは「無難な」服ばかりだった。

アフリカ布
アフリカ布
RAHA KENYA

しかし、アフリカ布との出会いで、河野さんの中で“何か”が少しずつ変わり始める。

「なぜ私がこれほどまでアフリカ布に惹かれたのかというと、多分、正解探しをしなくて良かったからだと思うんです。布市場には選びきれないほどの種類の布が並んでいて、もはや正解も何もない。自分が良いと思えば、それが正解。そう思ったら、選ぶことに躊躇わなくなって、『私はこれが好き』と素直に言えるようになっていました」

気付けば、日常生活でも、周りに流されず自分の意見を口に出せるようになっていた。

そして、次第にこう考えるようになる。

「アフリカ布には個性を引き出す力がある。私みたいに周りの目ばかり気にして、自分が何者か分からなくなっている人に届けられないか」。

それがラハ・ケニアの原点だった。

河野理恵さん(左)
河野理恵さん(左)
RAHA KENYA

英語もろくに話せない。「これ作れる?」市場で仕立て職人を探し回った日々

試しに日本の知り合いに向けてアフリカ布でオーダーメードの服を作ってみると、多くの人から「商品にしてほしい」という声をもらった。そこで、2018年12月からラハ・ケニアとして本格的に製品作りを手がけるようになる。

ラハ・ケニアでは、東アフリカを中心に親しまれてきた「キテンゲ」と呼ばれるアフリカ布を調達。デザインは河野さんを中心としたケニア在住の日本人スタッフで担当し、製作は仕立て職人に依頼している。調達から製作までのすべてをケニアで行う。

見ているだけで元気が湧いてくるようなカラフルな色使いとデザインはもちろん、着やすさを重視して腰回りをギャザーにしたり、ポケットは必ずつける仕様にしたりと、細やかな気配りも欠かさない。若い女性を中心に、SNSでファンを広げてきた。

しかし、ここまでの道のりは決して容易いものではなかった。

英語もろくに話せなければ、ケニアでの人脈はゼロ。何から始めていいかも分からず、まずは製作してくれる人を探すため、地元の仕立て職人が集まる市場に足を運ぶことにした。

腕の良さそうな職人を見つけては、完成品のイメージを片手に“Can you make this?(これ作れますか?)” と尋ねて回った。

仕立て職人が店を出す青空市場
仕立て職人が店を出す青空市場
RAHA KENYA

製品作りが始まっても、日本でならば難なく進むはずことが、ケニアでは苦労の連続だった。

期日通りに納品されないのは日常茶飯事。仕上がりが、日本の客が求める水準より低く、初めの頃は膨大な検品落ちが発生した。

サンプル品とはまったく違うデザインのものが納品されたこともある。指摘すると「そっちの方がクールだと思ったから」という答えが返ってきて、文化の違いに衝撃を受けた。

「日本の価値観ばかりを押し付けちゃいけない。現地には現地のやり方があるのだから、その視点にも立とう」

日本の客が求めるクオリティを粘り強く説明しつつ、納期はあらかじめ早めに設定しておくなど、現地のやり方と折り合いをつけるようにした。

この冬で、立ち上げから3年を迎えようとしているラハ・ケニア。まだまだ試行錯誤の連続で、日々思わぬ壁にぶち当たる。それでも河野さんの表情は爽やかだ。

「日本の知り合いには『大変じゃない?』ってよく聞かれます。でもね、大変なことも『どうこのゲームをクリアしようか』みたいな感じで、意外と楽しんでしまっている自分がいるんです」

仕立て職人のウェイリアムさん(左)と河野理恵さん(右)
仕立て職人のウェイリアムさん(左)と河野理恵さん(右)
RAHA KENYA

「SDGsには縁も関心もないと思っていた。でも実は、もう関わっていたんだ…」

“Are you happy?(あなた今、幸せ?)”

河野さんはケニアで、こんな質問を頻繁に投げかけられるという。最初は戸惑った河野さんだが、ケニア人の友人の一言にはっとした。

「あなたが幸せじゃないと、周りも幸せじゃない。だから、とにかく今を楽しみなさい」。

他人の幸せばかりを優先してきた河野さんが、ケニアの人々から教わった「人生のヒント」だ。

しかし、日本で語られるアフリカやケニアのイメージは「貧困」や「治安が悪い」などネガティブなものも多い。

「ブランドを通して、ケニアの人々の豊かさも知ってもらいたい」

そんな思いから、河野さんはラハ・ケニアのSNSで、商品と一緒にケニアの仕立て職人や製品作りの過程を投稿するようになった。

すると、「誰がどうやって商品を作っているのかが見えて嬉しい」という反応と共に、「サステナブルですね」と声をかけてもらうことが増えてくる。

「サステナブル…?」。最初はピンとこなかったが、改めて意識してみると、ラハ・ケニアが、ケニアの人々や地域に少なからず良い影響を与えていることに気がついた。

創業時から最も信頼を置いている仕立て職人のウィリアムさんは、水道すら通っていないスラム街の出身だ。出会ったときから「僕の夢はスラムの人たちに雇用を作ること」と語っていた彼が、ラハ・ケニアからの受注が増えた結果、今や自分のオフィスを構え、人を雇うほどになっていた。

「国際協力やSDGsには縁も関心もないと思っていた。でも実は、もう関わっていたんだ…」

そんな気付きから、徐々にファッションを取り巻く環境や人権の問題にも目を向けるようになった。

仕立て職人のウェイリアムさん
仕立て職人のウェイリアムさん
RAHA KENYA

「理想は素材調達から廃棄までちゃんと語れるブランドになること」と河野さん。

ケニアで売られているアフリカ布「キテンゲ」の多くは中国からの輸入品のため、サプライチェーンを追うのは容易ではない。そこで、河野さんはいま、ケニアで1からキテンゲを製作することも計画しているという。

廃棄問題にも取り組もうと、10月には検品落ちの商品や端切れ布を割安で販売するポップアップストアを開催した。

「ラハ・ケニアは決してサステナブルを目的にするブランドではありません。でも、目の前に課題がある以上、ブランドとして一つ一つできることをしていきたい」

ラハ(RAHA)とはスワヒリ語で「幸せ」を意味する。ケニアの地が河野さんに教えてくれた「幸せ」は今、日本のお客さん、そしてケニアの地域や人々を巻き込んで、一回りも二回りも大きな円を描こうとしている。

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