新型コロナ対応で全国一斉休校を要請。「孤独」な安倍政権に、危機管理は望めない。

安倍政権の「終わりの始まり」。現代アメリカを代表するノンフィクション作家のレベッカ・ソルニットが論じる"孤独なトランプ論"は、安倍首相にも突き刺さる。
KIMIMASA MAYAMA via Getty Images

安倍首相は新型コロナ・ウイルスを巡って、トップダウンで全国一斉休校の「要請」をした。なんとなく大きな決断をしたように見えるが、なぜ学校だけなのかという論理的な説明はおそらくできない。

これまで「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」がギリギリの中で発信してきたー非常に真っ当なー見解との整合性もできないまま終わるだろう。

積み上がったデータに基づくならば、特に注意が必要なのは高齢者、基礎疾患を抱えた人々、成人である。学校の休校を要請する前に、やるべきことはなかったか。

全国一斉に子供が休めば、まだ新型コロナウイルスの発症者が具体的に出ていない地域でも社会活動は停滞する。

平成の長期不況を思い出せばいい。経済の死は、人の死に直結し、しわよせはまず、社会的弱者に押し寄せる。場当たり的な対策のツケは、弱い立場の人々が払うことになる。

論理的ではない説明を繰り返す政権

これまで私もメディアなどで語ってきたが、検査体制云々以前に、日本は感染症対策で遅れを取った国だ。アメリカのCDC(疾病管理予防センター)のような権限や財力を持った組織は存在しない。国立感染症研究所の予算は安倍政権になってからも減り続けてきた。

「危機管理」を標榜しながら、専門家による助言体制の構築も遅れをとっていた。

肝心のアベノミクスは第1の矢に大規模な金融緩和を掲げたまでは良かったが、歩調を合わせるような財政出動は叶わず、2度にわたる消費増税で本来得られるべき効果を得られないままになっている。

なぜ金融緩和を進めながら、増税するのか。アクセルとブレーキを同時に踏み込むような政策への、論理的な説明はここでもついていない。

「桜を見る会」の説明も、検事長の定年延長も同じだ。場当たり的な言葉を並べた結果、論理的には破綻している。説得すべき「他者」は不在であり、政権は政権にしか理解できない言葉を使い続けている。

そうであるにも関わらず、政権が延命しているのは、端的に言って「他に具体的な選択肢」がないという消極的な理由と、国政選挙で勝ってきたということでしかない。

国政選挙の勝利の大きな要因は、自民・公明の選挙協力というイデオロギーよりも、小選挙区比例代表並立制という制度によって結びつきを強め、相互にメリットを得るシステムによってもたらされたものだ。

敵失による「勝利」は「民意を得た」という言葉のもと、場当たり的な説明と論理を肯定してきた。彼らは民主党政権に比べればマシであり、民主党政権に比べれば危機管理に優れていると喧伝してきたが、それは本当だったのか。

トランプと安倍政権の「孤独」

さて、冒頭の安倍首相の決断を見た私が、真っ先に想起したのは、現代アメリカを代表するノンフィクション作家である、レベッカ・ソルニットだった。

新刊『それを、真の名で呼ぶならば−危機の時代と言葉の力』(岩波書店)に、「ドナルド・トランプの孤独」というエッセイが収録されている。

そこで彼女は明らかにトランプーあるいはトランプ的な気質を持つ人々―を念頭に置いて、こう書く。

「自分の権力を使って対話を沈黙させ、軌道から外れて次第に劣化していく自我や意義の虚空のなかで生きる人もいる。それは、太鼓持ちとルームサービスだけが存在する孤島で正気を失っていくようなものであり、その人がそう言えばどの方向でも北をさす従順な羅針盤を持つようなものだ。

(中略)絶対の権力、しばしばそれを持つ者の自覚を堕落させるか、あるいは自覚を現象させる。自己愛者、社会病質者、エゴマニアには、「他者」が存在しないのだ」

トランプは側近に周りを囲まれている。その姿だけみれば、彼は「孤独」ではないだろう。だが、それは同調する「他人」に囲まれているだけで、自分とは異質の、あるいは対話を必要とする「他者」に囲まれていることを意味しない。

タイトルにある「真の名」とは、ものごとを名付ける力である。ものごとに真の名前をつけることで、私たちは「どんな蛮行や腐敗があるのか」または、「何が重要で可能であるのか」を知ることができる。

孤独な安倍政権の終わりの始まり

安倍晋三政権は孤独な政権である。おそらく、彼らにこれ以上の危機管理は望めない。

ソルニットは、もう一つの代表作『災害ユートピア』の冒頭でエマージェンシー(緊急事態)という言葉の語源を語っている。エマージ(現れ出る)から生じ、その反対語のマージはラテン語のメルゲレ(液体に沈められた、浸された)から派生しているという。

「緊急事態は普通の状態からの分離であり、新しい空気の中への突然の進入を意味し、そこではわたしたちは危急の事態に際して上手く対処することが求められる」

いまは緊急事態だが、誰が何をしたかを忘れてはいけない。ここで、孤独な政権に見切りをつけることもできる。

「今の時代にパラダイスがあるとすれば、そこへの扉は地獄の中にある」

危機はいつでも、変化の始まりなのだ。

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