専業主夫への差別・批判、そして孤独。母親たちは何ができるか

主婦の生活も孤独だが、主夫は性差別や批判にも直面する。

夫が娘を連れて、地元のダンススタジオに行った時のこと。

娘は初めてのレッスンに胸を踊らせていた。でも、そこで夫を待ち受けていたのは、親同士のフレンドリーな会話ではなく、「孤独」と「無力」の感情だった。

父親であるにも関わらず、彼は子どもたちの更衣室には入れず、まだ親の助けが必要な娘がトイレに行く際には、「男性だから」という理由で同行することができなかった。その結果、ダンス教室は日時を再調整する羽目になった。

子供の髪を結う父親 イメージ写真
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私は働いており、5人の子どもの母親であり、そして素晴らしい専業主夫の妻だ。夫は2011年1月に専業主夫になり、それに伴い機械工の仕事を離職した。私が3人目の出産を終えて職場復帰したあとだ。

近年、育児において女性が担う役割は、家の中でも外でも著しく変わりつつある。女性にとっての「成功」の定義も、家庭から職場での業績まで、個人にとっての目標が何であれ、見直され始めている。母親たちが勇ましい社会で前進し生き抜く為に、多くの支援や考慮がある。しかし、父親たちの役割は同じように理解されず、称賛もされない。

現状を正直に言ってしまえば、私たちの住むこの社会は「進歩的で寛容で、従来の性に基づく役割を乗り越え、もしくは無視する事ができとしているが、それは全くの嘘である。

主夫の孤独。性差別と批判

私たちは、専業主夫はすでに受け入れられており、それぞれに父親同士で「パパ友」の関係を築いているとさえ思っている。しかし、それは軽率な考え方ではないだろうか。実際の彼らは厳しい状況に直面しており、父母が平等に育児をできる社会が実現したと喜ぶことはまだできない。特に母親たちはこの先入観に疑問を抱くべきだろう。

私の夫の生活は実際、友情とも「パパ友」捜しとも無縁だ。仲の良いパパ友がいたり、ヨガを楽しむママたちのお茶会に混じって一緒にお喋りをすることもない。むしろ、彼の生活は孤立し、誤解もされている。主婦の生活も孤独なものだが、男性がその役を担うに当たって、彼らが経験する孤独は何倍もに膨れ、性差別や批判に溢れている。

父親が子供たちと公園で遊ぶ様子 イメージ写真
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父親が子供たちと公園で遊ぶ様子 イメージ写真

社会は未だに男性は本質的に女性より危険で、不適切な振る舞いをすると考える傾向にある。子供に対しての行動に関しては特に、だ。夫はこの理由で、子供の友達が家に来て遊んだ後、彼らを家まで送るのを避けている。学校でのボランティア活動も、7年もしているにも関わらず、未だに奇異の目で見られるのもそのせいだ。これが女性ならば「デキるママ」と称賛されるだろうに。これは全くもってフェアではない。

「パパ友」のグループが出来ることも極めて稀だ。子どもたちのアクティビティはたいていの場合、「子どもとママ」向けに組まれているし、Facebookでのグループも「〇〇地域のママ」になっていることが殆ど。「両親」ではなく「ママ」のグループなのだ。夫はこのような集まりに参加する度に、その日限りの代理親のように、仲間外れされたように感ている。母親たちは彼に話しかけようとはせず、寧ろ避けるようにしているのだ。

家に他の子を招こうとした時も、その日、子供達を見るのが夫だけだと分かると、親たちは子どもたちを行かせたがらない。ひどい疑念だ。

子供を抱っこしながら買い物をする父親 イメージ写真
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子供を抱っこしながら買い物をする父親 イメージ写真

夫の選択をバカにする同僚から、親族の大っぴらな批判まで、主夫であることに関して色々な意見を聞いてきた。「チュチュをつけて人形遊びを楽しんでろ」「なんで妻にこき使われてるんだ?」「なんでキミが『彼女の』仕事をするの?」「結婚の主導権を握ってるのは誰なの?」「恥ずかしくないのか?」

夫は素晴らしい主夫でパートナーである以外にも、多くのことに取り組み自分の価値を見出そうとしている。ホッケーのコーチはもちろん、ボーイ(ガール)スカウトのリーダー、積極的な地域ボランティアであり、最近では農業好きコミュニティでも活躍しているようだ。

主夫になってからの8年、多くの友達が彼の元を去った。彼は孤独で、他の大人との関係を求めている。現実には、「パパ友グループ」なんてそもそも存在しないのだ。

夫は自信に満ちた強い人なので、こういった困難の多くを上手くうけ流せている。しかし、これが社会のいう「進歩」なのだろうか?

母親たちができること

主夫が直面する固有の性差別を変えていかなければ、本当の意味での育児の変革は生まれません。主夫にとっての成功は同様なパパ友を作ることではなく、性別に関係なく「専業主夫・主婦」というライフスタイルが受け入れられ、息苦しい思いをしないで済むことだ。そして母親たちもそれを助けることができる。

すぐに出来る簡単なこともある。 公園や下校時によく見かける父親たちに、是非話しかけてみて欲しい。ちょっぴり勇気を出して、自分の先入観に疑問を持って、必要であれば自分の行いも見直してみて欲しい。なぜ母親が他の子のプール前の着替えを助けるのは問題なくて、父親がそれをするのはダメなんだろう?ジェンダーを超えた多様な役割があり、大人になったら生き方を自由に選べるということを、是非子供たちに話してあげて欲しい。

「君はこの役職の第一候補だったけど、小さな子供がいる君にはスケジュール的に難しいでしょう」「奥さんに予約を取るため電話するよう伝えて」などの、繰り返されるステレオタイプを耳にしたら、ぜひ声を挙げて、そのような偏見の横行を止めて欲しい。個人の細やかな行動が大きな変化を作り出すものだから。

もう少し大きな規模で話してみると、包括的な育児環境を創ることは、社会そのものをより良い方向に持っていくことを意味する。 例えば、子供の着替えを手伝う為に更衣室へ親が入る際、男女が平等にアクセスできるようにすること。職場では既に行われているように、組織的な隔たりを無くし、枠組みから漏れてしまうような人たちの雇用にも貢献している。これと同じように、従来の「主婦」の概念を超えて役割を担う「主夫」たちにも、平等に機会があるべきではないだろうか。

誰しもが愛情深く、優れた、立派に子育てを担う親になり得るのだ。

ハフポスト・カナダ版の記事を翻訳、編集、加筆しました