ADHDの私でも輝ける場所がある。それがバンライフとの出会いだった

勉強もできない。運動もできない。友達もできない。とにかくいじめられっこだった小学生時代…。そんなADHDの私が見つけた、自分に合ったライフスタイル。
菅原恵利さん
筆者提供
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発達障害なんて、恥ずかしいから人に言っちゃダメ

小学生のころ、私はとにかく、いじめられっ子だった。

周りの友達とは上手く会話できないし、学校の勉強にもついていけない。正直、小学3年生になるまで先生が何を話しているのか分からなくって、忘れ物ばかりしていて、毎日のように訳もわからず怒られ、ゲンコツをくらう。それがいつも、本当に怖くて、怯えるように学校に行っていたのを今でも覚えている。

どんな風に勉強についていけなかったのか、以前のブログでも書いた通り。そういう、自分が起こしてしまう数々のミスに罪悪感を持っていた私は、ADHD(注意欠如多動性障害)という発達障害だと診断されていた。

多動的・衝動的な部分が強い多動性・衝動性型と、うっかりミスが多い不注意型という傾向があるのだけど、私の場合はどちらも該当する混合型だ。

親には「発達障害なんて、恥ずかしいから絶対に人に言っちゃダメ」と教えられて育ったので、特に周りに理解してもらおうなんて思わず、ただただ、もがいて生きていた。

自分には、自分にしか作れない居場所がある

菅原恵利さん
筆者提供
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小学3年生以降、少しずつ会話内容は分かってきたものの、周りとうまくやっていけず、コミュニケーションもあまりできなかった。誰かが話している途中でお構いなしに、会話に割って入ったり、友達が好きなものを「私は嫌い」とハッキリ言ってしまったり、その他にも私自身では気づかないような、クラスのみんなに嫌われるようなことを、たくさんたくさんやってきたのだろう。「あの子は空気が読めない」「わがままだ」というレッテルを貼られ、クラス中から無視されていた。

勉強もできない。運動もできない。友達もできない。

そんな私だったけど、自分を表現する何かにおいては、才能を発揮することがあった。

例えば、ダンス、似顔絵を描くこと、歌を歌うこと。どんなに私をいじめている「いじめっ子」でも、私が特技を披露する場があった時には、拍子抜けしたような顔で私を見てくるのだ。

みんなと一緒に足並みを揃えてできないことは多いけど、きっと自分には、自分にしか作れない居場所があるはずだ、と信じて生きてきた。

そして、大人になった今。ライターという、文章で自分を表現する職業につくことができた。2カ月前からキャンプやバンライフ(車中泊や車旅などで、バンのあるライフスタイルを満喫すること)をしている様子を自分で動画編集してYouTubeに投稿し始めたら、登録者が4万人になった。

今でも、集中力・協調性などの部分で「周りよりも上手にできない」と思うことが多いけど、クリエイティブな部分で短所を補って、なんとか生きている。

人が話をしている時に、注意がほかにいってしまう

大人になっていく過程で、「空気が読めない」と言われてしまうことに関しては、全力で直そうと努力してきた。やっぱりある程度、人との調和が取れるようにならないと社会では生きていけないし、なにより仕事にも支障が出てしまう。

今でさえ、誰かが話をしている時に、ほかのところに注意が向いてしまって、頭の中だけ別の世界に飛んでいってしまうことがある。それでも「話を聞いてない」と思われてしまうのを避けるため、気が散ってしまっても、どうにか修正するように気を付けている。あとは、誰かが話していても、スマホを手にしたくなったり、他のことを始めたくなったりしてしまうのだけど、「今、他のことをしたら失礼だよな…」となんとか思いとどまって、我慢するようにしている。

ADHDの特徴として、書類整理やタスク管理、期日を守ることが苦手な人が多いらしい。私もまさにそう。クリエイティブな部分が認められて仕事をもらえたけど、そこから派生して、人をまとめるリーダーとしての役割や、企画書の作成、自分のタスク以外のチーム全体の管理となると、白目をむきそうになるほど憂鬱になってしまう。普通の人からしてみれば「こんなことで落胆すんなよ!」とイラつかれるだろうけど、私の脳みそは、こういったことで、いちいちパンクしてしまうのだ。

なかなか人前では口にしない本音をここで言ってしまうと、「私にクリエイティブ以外のことはあんまり任せないで…頑張るけど…うん、あんまり期待しないでね…」と常々思っている。

ADHDとバンライフ、リモートワークは相性がいい

菅原恵利さん
筆者提供
菅原恵利さん

ただ、そうも言ってられないので、少し時間はかかってしまうけど、ゆっくり消化していく。

東京で一人暮らしをしながら働いていた頃は、本当にストレスが大きかった。

今そのストレスがだいぶ軽減されているのは、ADHDという特性とバンライフ、リモートワークは相性がいいからだと思う。

いましている仕事はほとんどがリモートワークで、趣味であるキャンプとバンライフを満喫している時間も長い。リモートワークは、アウトドアを楽しみながらできる。最高に開放的で、より新しいアイディアも思い浮かびやすい。

アウトドアは「自分を自由に表現すること」に通ずるのかもしれない。

最低限のマナー・ルール(アイドリングやゴミの処理)を守って、しっかりコロナ対策も行い、納税などの国民の義務を果たしていれば、自由な生き方を実現する手段として、バンライフとリモートワークの掛け合わせは、とても有効だと思う。

同じオフィスに通い続けること、同じ場所に帰ることに飽きてしまう。でも多動な私にとっては、バンライフで自分の好きな場所をオフィスにできることは、とても意義が大きい。「来週はどこにしようかな〜」と、有料車中泊スポットやキャンプ場を探している時間も楽しい。

ADHDの私とリモートワークの相性がいいな〜と思う点は、Slack(ビジネスコミュニケーションツール)などでテキスト上でのやりとりが主になることだ。もちろんオンラインや対面のミーティングもたまにあるけど、これが毎日顔をつきあわせることになると距離が近すぎてしまい、ストレスに繋がる。

私は特にADHDの特性でもある「カッとなりやすい」という部分もあるので、周りの人を困らせてしまうこともある。カッとしている自分を仕事仲間にはなるべく見せたくない。パソコン作業でうまくいかないことがあると「ああ、もうっ!」と、すぐイライラしてしまうところとか…(隣にいる夫には「すぐイライラしないの!」とよく注意されている)。

でも、Slackなら一度、感情を文字に変換するので、落ち着くことができるから、そういう事態も避けられる。

テキスト上であれば、私もひと呼吸置いて、丁寧な対応ができるようになった。だから、今のリモートワークという距離感が、ADHDの私にはちょうどいいと感じている。

まだまだADHDについて理解されていない

先日、ADHDについて語った動画をYouTubeに投稿した。「それでもいいと思います」とか「共感します」というポジティブなコメントをいただく反面、否定的な意見もたくさんあった。

「人に迷惑をかけているんだから、もっと申し訳なさそうにしろ」「できないことをヘラヘラ話していて腹が立つ」「病気でもないくせに、その考え自体が病だ」など。

そういう意見も一理あるのだろうけど、私が思ったのは、まだまだADHDについて理解されていない部分が多いんだなということ。

「誰にでもあることを大袈裟に言ってる」「症状名をつけて安心してるだけ」「ただの言い訳」と一蹴されるのは、正直悲しい。だからこそ「ADHDだから何もできない」とは言ってられないから、人一倍頑張ろうという気持ちにもなる。

私はADHDでも、自分に合った仕事と働き方、そして夢中になれるようなライフスタイルも見つけることができた。今生きづらいと感じている人でも、自分に合った生き方・働き方・居場所は、必ずあるはず。

そして「ADHDをネタにするな」というお叱りのコメント来た一方で、ADHDのお子様を持つ親御さんから「こういう大人になるように伸び伸び育てたい」「診断を受けて不安だったけど、しっかり前向きに生きる姿を見て希望を持てました」「なんだか安心しました」という声のほうが多かった。

もっとADHDや、発達障害というものが、より理解される社会になるように、「私はADHDです」という発信は続けていきたいと思う。

※ADHDとバンライフ、リモートワークの相性がいいというのは筆者の感想であり、ADHDの方すべてに当てはまるというものではありません。

(編集:榊原すずみ