手抜き料理だなんて、誰が決めるの? 見えない家事の負担を減らす2つの提案

無理して作り続けていると、いつか限界がきてしまう。だから、頑張りすぎないほうがいい。手抜き・ズボラでいいのだ。
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最初に結論から書いてしまうが、自炊は手抜き・ズボラ上等だ。頑張って働いて、自分や家族のご飯も用意している時点で自分を褒めたほうがいい。

元気が残っている日は食材から作ればいいし、献立を考えるエネルギーが残っていない日は日本の食品メーカー各社が総力を上げて開発しているお惣菜や冷食に頼ればいいのだ。手抜きしてしまった……と自責の念にかられる必要はない。今日がたまたまそういう日だっただけで、自分がご機嫌に生きる方がよっぽど大事だと思う。

最高においしければ、それでいい

初心者や料理が苦手な方に料理を教えていると「今まで料理を難しく考えすぎていた。こんなシンプルなやり方で十分おいしいんですね」と言われることが多々ある。

食材自体がおいしいのだから、少ない調味料と手間でおいしい料理はできる。新鮮な食材が手に入りづらいのであれば、良い調味料を使うとおいしくなる。有機野菜じゃなくても、ライフやSEIYUなど一般のスーパーで売られている普通の野菜だって、高価なブランドのものではなくても、キッコーマンやミツカンなどの身近なメーカーの調味料だって普通においしい。びっくりするほどのおいしさはないかもしれないけれど、毎日の食卓には十分だ。

私が勝手に「料理前料理」と名付けている食べ方がある。素材と料理のあいだにあるような、素材にちょっと手を加えた食べ方だ。

例えば真っ赤に熟した新鮮なトマトが手に入って、それをトマトソースにしてしまうのはもったいないと思う。食べる前に冷やして、ぱらっと塩をかけて食べたい。

立派な株の舞茸が売っていたら、バラバラにして料理するよりまるごとフライパンで焼いてごま油と醤油をじゅんと垂らしてステーキのように食べたい。よその人に食べてもらうような料理ではないかもしれないけれど、まるごと味わう豪快さが楽しいし、ダイレクトな素材のおいしさが身体に染みる。

このような食べ方を「手抜き」と言われることに私は違和感がある。食材そのもののおいしさを食べることの、何が手抜きで・ズボラなのだろう?

だって・それで・最高に・おいしいじゃない!と言いたい。

コンビニを最大限に利用したっていい

人間は生きている以上、何かしらを食べ続けなければ生きていけない。自炊に限らず、中食や外食も含めて毎日何を食べるか考えるのは見えない家事になっていると思う。そのときに食べたいものと、自分の身体のことを考えた栄養バランスと、お財布事情と常に相談しながら毎日献立を考え続けるのは、なかなか大変なことだ。自炊するしかなかった時代から、外食や中食の選択肢が増えたゆえの悩みでもあると思う。とある本で、野生動物は食べ物が手に入らなくて飢えの苦しみはあるが何を食べるかで悩むことはないとあってハッとした。

そんな見えない家事の負担を軽減するために、2つの提案をしてみたい。

まずは先述した冷凍食品やお惣菜を頼ることだ。例えばセブンイレブンのプライベートブランドから発売している「金のハンバーグ」なんて笑ってしまうほどおいしいし、冷凍餃子はちょっとおかずが足りない時に助けてくれる。海外と比べても日本ほど安くておいしい惣菜・冷食が手に入る国はなかなかない。いざという時に頼れる相棒が心強いのは日本で暮らす特権とさえ思う。

また、素材で言えばカット野菜や豚バラ肉や一口大にカットされた鶏肉も切る工程が減る分調理時間を短くしてくれる。そのまま食べられる練り物類もお腹がすいたらパクッと食べたり、料理に使えばいい出汁がでる。そういう素材はどんどん使うことをおすすめしたい。

料理の選択肢はたくさんある

もう一つは料理のハードルをぐぐっと下げること。たくさんの食材や調味料がなくても、ごくシンプルに野菜や肉を焼いて塩や醤油で味をつければ十分おいしい。途中、ちょっと酢をかけてさっぱりさせたり、七味で辛さを加えたりすれば最後まで飽きずにたべられる。自炊を続けていくなら、料理しすぎないのも大事なのだ。

日々の生活は変化があって当然で、それによって食卓の献立も変わる。ぜんぶ自分で作って誇らしい日、冷凍食品に助けられた日、買ってきたお惣菜と自分で作った味噌汁を合わせた日、気分転換に外食やテイクアウトをした日。そうやって日々を送るのが、生活なのだ。それは生きることに全然手を抜いていない。

疲れていてなにもしたくないのに無理して作り続けていると、いつか限界がきてしまう。本当は料理が好きだったのに、パートナーや子供のために頑張って料理し、自分の心と体の声を聞かずにいたら、いつのまにか料理が嫌になってしまった…なんていう状況はできるだけ避けたい。これだけ手頃でゆたかな選択肢があるのだから、使わない手はないのだ。

料理の話題から話がそれるが、「自分がご機嫌でいること、少しでも心に余裕を持っておくこと」が、自分にとっても周りにとってもいい影響を与えると思う。自分がご機嫌なら、しんどそうな人がいたら声をかけたり、多少嫌なことがあってもしょうがないなと思えたりする。イライラしながら頑張って作るよりも、冷凍食品・お惣菜・外食に頼ってしまったほうが家族にとってもいい。料理を作った人が疲れていて、なんかピリついた食卓のいや〜な空気感、わかる人多いのではないだろうか。料理を担う人の機嫌が食卓に与える影響はかなり大きい。だから頑張りすぎないほうがいい。

いい・悪いではない、楽しい食卓を

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SNSで度々話題になる「手抜き料理の認識の差」は、実際に作る人が多くなったら解決するのではないかと本気で思っている。ポテサラや唐揚げを手抜きだと思うのは、そう思っている本人が作ったことがないからなのではないだろうか。単品として見ればただじゃがいもを潰した料理と鶏肉を揚げただけの料理だ。けれど、じゃがいもを茹でるためにお湯を沸かしたり、丸ごと茹でるなら20分程度の時間を頭に入れながら、きゅうりの塩もみやさらし玉ねぎをつくらないといけない。冷やしてから食べたいならなおさら食卓に並べるまでの時間を考慮して作らなければならない。

揚げ物は熱い油を使う時点で怖さがあるし、油はねを掃除したり、残った油は捨てるのかまた使うのか考えなければならない。

一度でもやってみたら、こりゃ大変だね!となると思う。でも家で作るポテサラや唐揚げはおいしい。外には外の、うちにはうちの良さがある。どちらら良い・悪いではなく、どちらも選べることがゆたかなのだ。だから、性別年齢関係なく料理する人を増やしたい。そうしたら、今よりもっと楽しい食卓が私たちを待っているはずだから。

(編集:榊原すずみ

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