ともにHIV感染した男女が結婚。「新しい人生」に幸せをかみしめる日々

HIVに感染した男女が恋に落ちた。2人は結婚し、幸せな日々を送るが、かつて夫は恋愛できないほどショックを受け、妻は死ぬことばかり考えていた。
取材に応じる夫婦=東京
取材に応じる夫婦=東京
Kazuhiro Sekine

エイズは、発症の原因となるウイルス(HIV)を薬で抑え込むことができる時代になった。

適切な治療によって長生きもでき、ほかの人に感染することもない。セックスや妊娠、出産も可能だ。

HIV陽性者(感染した人)たちは互いに情報交換したり、励ましあったり、時には恋に落ちることもある。

北関東に暮らす夫妻(いずれも40代)もそんな出会いの末に結婚した。一時は結婚もあきらめた2人。その人生を紹介する。

■夫

HIVの感染が判明したのは10年前。エイズの発症とともにわかりました。その半年ぐらい前から37~38度の熱が出るようになっておさまらず、貧血やめまい、立ちくらみ、頭痛、のどにカンジダなどの症状も現れました。

自宅近くの町医者に見てもらっても原因はよく分からず、風邪の薬をもらったんですが、一向によくならない。心の病気なのかなと思って心療内科を受診しましたが、らちがあきませんでした。

今度は大学病院の心療内科を受診したら「心の問題ではなく、体の調子が悪い」と言われて。内科で診てもらい、念のためHIVの検査を受けたら、感染していることがわかりました。

結果を聞いたときは、この世の終わりのような気分でした。私自身、HIVやエイズには偏見があって、完全に死のイメージですよね。あとは性感染症なので恥ずかしさもあって。

感染の原因は心当たりがあります。この2、3年前、バーで知り合った女性と性交渉したことです。

そのあとから女性は体調を崩したようで会えなくなったんですが、電話で「髄膜炎になった」と言っていました。これもHIVの感染で起きる症状の1つなんですよね。

彼女に対して怒りなどの感情はなかったです。そんなことより自分のことで精一杯で。

当時は30代半ばで、それまでは結婚なんて考えもしなかったんですが、急に寂しくなって。「結婚したかったなあ」とか思うようになりました。つらかったです。

入院生活が始まったんですが、肺炎の予防薬を服用しつつ、HIVの薬をどれにするのか決めるのに検査をしました。

ふくらむ恋愛への思い

入院は3カ月続きました。勤め先の会社に何て言おうか、困りました。当時は出世もしたかったので、本当のことを言ってもいいことはないと思い、ガンだって嘘ついちゃったんです。リンパ腫だって。

今でも職場の人にばれてはいないのですが、ガンだということで逆に無理はさせられないということになり、結局は出世はできなかったんですが。

母親には感染したことを伝えました。そしたら「あんたがかわいそうだ」って言われて。そう言われると余計つらくなりますね。

入院中、パソコンを病室に持ち込んで、インターネットでHIVやエイズのことを調べまくりました。その中で、陽性者を支援する団体を見つけたんです。それが「ぷれいす東京」でした。

このとき、僕が一番聞きたかったのは、医師の専門的な病状説明より、同じ陽性者の話だったんです。退院後、ぷれいす東京に連絡をとって通うようになりました。

薬の服用が始まって治療が落ち着いてくると、「恋愛したいなあ」と思うようになりました。感染直後はショックでインポテンツになっていましたが、それも改善して。

僕の恋愛対象は異性愛者の女性なので、ぷれいす東京に頼んで異性愛者交流会という集まりをつくってもらったんです。そこで同じ歳の女性の陽性者と出会いました。それが今の妻です。

5年前に結婚し、子どもも欲しいと思ったので妊活をしました。感染していても子どもをつくるカップルは普通にいます。僕らも自然妊娠を目指しました。結局、今も子どもは授かってないんですが。

楽しいことを共有したいから

以前は感染をカミングアウトするなんてとんでもないと思っていたんですが、最近はしてもいいのかなと思うようになりました。

それは決して、HIVに感染したことによるつらい体験や思いを知ってほしいということではなく、楽しいことを共有したいんですね。

感染したからこそ同じ陽性者の仲間や違うセクシュアリティーの人と知り合うことができました。中でも妻と出会うことができたのは本当にドラマチックだと思っています。

感染をカミングアウトしなければ、そういう楽しいことも言えないというのがつらいですね。

■妻

HIVに感染したのは専門学校に通っていた19歳のときです。初体験の男性から移されました。行為のあと、ものすごい寝汗をかいたんですね。起きたらびしょびしょで。変だなあと思っていたら、2、3週間後には熱が出て。

ちょうどそのころ、たまたま女性誌で性病特集を読んでいたんです。そこにHIV感染も載っていて。自分の症状と似ていたんで、「もしかしたら」と思って自宅から離れた保健所で検査をしたら、やっぱり陽性でした。

男性に「あんた、HIVに感染してるでしょ」って詰め寄ったら、最初ははぐらかされたんですが、最終的には認めましたね。

恋愛は封印

今でこそコンドームが予防策になるのはよく知られていますが、当時は私もよくわからず、コンドームをつけずにセックスしてしまいました。

25年前だと今とはだいぶ状況が違っていて、治療法も今ほど進んでおらず、私は30歳までには死んじゃうと思っていました。

インターネットもなかったので情報が気軽に手に入るわけでもなく。明日死ぬとか1カ月後に死ぬとかだったら、悔いが残らないようにと必死に生きると思うんですけど、そうではなくて、10年後に死ぬかもっていう感じじゃないですか。そうすると、頑張っても報われないから適当に生きていこうと思ってしまったんですね。

だから努力もしなかったし、仕事も正社員ではなく、アルバイトを転々としていました。何でもあきらめぐせがついてしまったと言うか。

一方で、免疫が下がることが怖くて、夜は早く寝て、お酒も飲まない。やりたくないことはストレスを感じちゃうのでなるべくやらないようにする。

「いずれ死ぬなら、友だちと深い関係にならない方がいいのかな」とも考えました。

特に恋愛については、相手がかわいそうに思えて、真剣な交際は封印していました。

感染について、2人の弟には言いました。すぐ下の弟には、感染後間もなく伝えました。彼はまだ中学生だったので、かわいそうなことをしました。それでも「俺が治す薬つくってやる」って言ってくれたのが本当にうれしかったです。

両親には言えませんでしたね。今だに言っていません。

新しい人生、始まる

寿命のリミットだと思っていた30歳のころ、転機がやってきたんです。免疫力が下がってきて、薬による治療が始まったんです。そのとき初めて、薬を飲み続ければ生きられることを知って、長い苦しみから解放された感じでした。

「まだ生きられるんだから、このままじゃだめだ」。そう思い直しました。新しい人生が始まった気分でした。

生きられることを知って一番やりたかったことが恋愛です。ある男性とお付き合いしたんですが別れてしまい、その後出会ったのが夫です。

スピリチュアルなことが好きな私は、失恋するとそのときの出会いに運命を感じるんですね。夫はちょうどそんな存在で。結ばれるならきっとこの人だと思って、結婚を決めました。

夫も言ったように出会いはぷれいす東京でした。ほかの陽性者が祝福してくれましたし、何よりもうれしかったのは、私たちに続くようにして、ほかにもカップルが誕生したことですね。

子どもも欲しくて自然妊娠を目指したんですが、うまくいかず、今はあきらめています。

振り返れば相当頑張ってきたなと思います。ずっと30歳で死ぬと思っていましたし、どうやって消えようかと、そればかり考えてきました。

でも今は夫とも出会えて、薬のおかげで普通に暮らすこともでき、幸せをかみしめています。

HIV検査、保健所では無料、匿名で

HIV検査は、自治体が作った検査施設や医療機関などで受けることができる。中でも保健所では無料・匿名で受けられ、エイズやHIV検査に関する相談もできる。このほか、郵送キットによる検査も広がりつつある。インターネットなどで購入でき、血液を数滴ろ紙に採った後に返送先に送り、結果をインターネット上で確認する。

「HIV/エイズについて知っておきたい9のこと」はこちら

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