結婚1年で訪れた離婚危機。5日間のプチ別居の効能は。 夫婦にとって良い距離を考えた

初めての別居生活の間に、夫はとてつもなく高い“スルースキル”を身につけたらしい。
菅原恵利さん・菅原拓也さん
写真提供:菅原恵利
菅原恵利さん・菅原拓也さん

バンライフをはじめて約1年。ついこの間まで私たち夫婦は、離婚危機だった。

この1年近く、リモートワークの仕事もプライベート空間も全て、車の中で共にしてきた。出会った翌月に婚約、新婚すぐにバンライフをはじめた私たちは、別々の場所で働く一般的な共働き夫婦よりも、多くの時間をぎゅーっと凝縮して一緒に過ごしてきたと思う。

そうすると、必然的に夫婦喧嘩の頻度も増える。最近では、激しい言い争いがほぼ毎日。月に1回ほど、私が車から降りて電車で逃亡するくらい、怒りがピークに達していた。

「軽自動車の狭い空間にずっと一緒にいたら、そりゃそうでしょ」という読者の皆さんの呆れた声が聞こえてきそうだ。

しばらく距離を置いた方がいい?

菅原恵利さん・菅原拓也さん
写真提供:菅原恵利
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2020年、年が明けてすぐ、私たち夫婦は懲りもせず、”私が逃亡するレベル”の喧嘩をしていた。

喧嘩をしたら、その場でとことん話し合ってすぐに解決したい派の夫。一方私は、一旦頭を冷やして冷静になってから話をしたい派。この違いが、さらにバトルを燃え上がらせる原因になっていた。

私は強制的に夫と距離を置くために、“車出”(私たちに家はないので、家を出る代わりに、住んでいる車を出ることになるから“車出”)。「もう一緒に旅できません」という私に、夫は必死で謝る。そして、仕方なく私は車に戻る。その繰り返しだった。

でも、それでは何も解決しないまま。ケンカの原因も、解決方法も見つからないまま、旅をしながらのバンライフを続けていた。

ところが、今回の喧嘩はいつもと違った。

たまたま私たちと同じようにバンライフをしている、矢井田夫婦と1ヶ月間、能登半島にあるシェアハウスの駐車場を借りながら生活を共にしている時期に起きたケンカで、彼らが間に入ってくれたのだ。

矢井田夫婦は私の話、夫の話、どちらも聞いて、「どちらにせよ、しばらく距離を置いた方がいい」と提案してくれた。「距離を置く=離婚」という考えの持ち主である夫はこれまで、”距離を置く”を実践できずにいた。しかし、第三者からの意見が初めて入ることによって、夫はしぶしぶ距離を置くことを承諾したのだ。

こうして、私が1人で旅をしながらバンライフ、夫はシェアハウスに寝泊まりする生活が始まった。

5日間のプチ別居がもたらしたもの

菅原恵利さん
写真提供:菅原恵利
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結論から言えば、私たち夫婦の別行動は5日間で終了した。

たった5日と思われるかもしれない。

だが、夫とは出会ってすぐに一緒に旅に出て生活を共にしていたので、離れるのは初めてのこと。大きな意味があったと思っている。

なぜなら、プチ別居をして以来、夫婦喧嘩がパタッとなくなったからだ。

あんなにバチバチと、魂が削れるかと思うほどのバトルを毎日繰り広げてきたことがまるで幻だったかのように。(今のところ)

その背景には、ADHD(注意欠如多動性障害)である私のことを、夫がきちんと理解してくれたことがある。

私がADHDという発達障害だと診断されたのは、幼少期のこと。

そのこと自体は、夫には伝えていた。しかし、それ以外にも、私は生理前になるとPMS(※編集部注 月経前症候群:生理がはじまる3~10日ぐらい前から起こる不快な症状のこと。身体的なものから精神的症状までさまざまな症状が現れる)がやってくる。私の場合は、さらにPMDD(※編集部注 月経前不快気分障害:月経前症候群と似ているが、精神的な症状が強く現れる。情動不安定になることが特徴で、日常生活に大きく影響を与える)という、非常にやっかいな症状が出てしまう。

「ADHDだの、PMDDだの、いろいろな症状名を振りかざして言い訳にするな。気の持ちようだ。もっと直す努力をしろ」。

そう言われたら、どうしよう…、そう思うと怖かった。

だから、自分のこんな状況を理解してと、それまで夫にお願いしたことがなかったのだ。

ADHDでつらかった子ども時代

小学2年生のころのことだ。

私は理由もわからず、毎日のように廊下に立たされていた。

正直に言うと、当時の私は周りの友達や、先生が話している会話の内容をほとんど理解できていなかった。

たぶん、前日に先生は「明日の持ち物はこれです」と言ったのだろう。でも私はそれが理解できず、持って行けないことも多かったから、「忘れものばかりの問題児」だと思われていた。先生の質問にも答えられなくて、よく“げんこつ”をされた。

勉強もついていけなかった。周りからどんどん置いていかれて、特に国語の時間は地獄だった。「。」、つまりくてん区切りで交代して、教科書に書かれた物語を読むのだけれど、私は何をどうすればいいのかわからない…。私の番が来ると、読むはずの私は黙ったままだから教室がシーンとしてしまう。あまりにも長い間、何も言わずにいると、先生が私の番の部分を読み上げてくれて、私はそれを後から繰り返すしかできなかった。心臓が飛び出ると思うくらいにドキドキして、顔は真っ赤っか。本当に恥ずかしかった記憶と感覚が今でも残っている。

ダンスが私の「居場所」だった

友達とも、うまくやっていけなかった。私は「普通」にしているつもりなのに、「空気が読めない」「わがまま」「気持ち悪い」と言われ、クラス中から無視されていた。

「この子は何もできない」と心配していた母は、「他に何か才能があるかもしれない」と、まずはスイミングスクールに通わせてくれた。でも、毎回プールでまるで溺れているかのように泳ぐ私を見て、ますます心配した。

そして、次にチャレンジしだのがダンスだった。勉強にはついていけない、友だちとも上手に付き合えず、水泳もダメだった私だが、どういうわけかダンスは上達した。

「先生のマネをしてね!」という言葉はなんとなくわかったので、先生のマネをして動いているだけで、まわりが褒めてくれた。

相変わらず学業では力を発揮できず、クラス中の無視は続いていたけど、ダンスをしている時間だけが私を救ってくれた。「私の居場所はここにある」と信じて、ますますダンスに打ち込んだ。

そして努力の甲斐もあって、子役の登竜門と呼ばれるミュージカル「アニー」のオーディションに合格。周りの目はガラッと180度変わり、誰も私をバカにする人がいなくなった。

ADHDの人は注意力がなかったり、衝動的だったりして、日常生活に支障をきたし、生きづらさを抱えている場合が多いけれど、その代わりにクリエイティブな才能を発揮することもあるという研究があるそうだ。

周りと足並みを合わせて上手に生きていけないけど、その代わりに、自分にはキラリと光る何かがあると信じて、チャレンジし続ける人生にしたい。

そんな風に思っていた子供の頃のことを、夫と離れ、一人バンライフを送りながら思い出していた。

プチ別居で、夫に現れた変化

菅原恵利さん・菅原拓也さん
写真提供:菅原恵利
菅原恵利さん・菅原拓也さん

そんな幼少期からの私の思いを知らない夫は、「ADHDは治るもの」だと認識していたという。

今までの人間関係で誰かと言い争った経験が少ない夫からしたら、どうして私とこんなに喧嘩するのか不思議でしかたなかったようだ。挙げ句の果てには、自分の接し方ひとつで私を変えることができると思っていたそうだ。

私がADHDに悩んだ幼少期を思い出していた頃、一人シェアハウスで暮らしていた夫は、「ADHDのことを理解しなきゃいけない」と、初めて自らパソコンを叩き、さまざまなADHDに関する記事を読んだのだという。

「それで、何がわかった?」と質問すると、「とにかく、普通の人と違うってこと…」と返ってきた。そして夫はこう続けた。「ADHDの特性を直そうとしちゃダメだし、一緒にいる以上、俺からの問いかけ・コミュニケーションを変えていかないといけないと、思った」と。

「食い違いがあったとき、私が冷静になるための時間を作ってもらえるようになった」ことが一番大きな変化だった。

今まで喧嘩が続いていたときは「今はお互い冷静じゃないから、少し時間を置いて話したい」と夫に言っても「今解決するべきだ」と逃がしてもらえず、その結果、私はひどい言葉を投げつけてしまった。

それが、今回距離を置いてみたことで「私が冷静になるまで待つこと」がスムーズな解決になると理解してもらえた。旅先で喧嘩になりそうになったときも「今はカッとなってるから、一旦冷静になるまで放っておいてほしい。一人でカフェに行ってゆっくりしたい。話せる状態になったら連絡する。」などと、「頭を冷やすために時間をつくる提案」を夫が受け入れてくれるようになった。

別居解消したての頃は「とにかく距離を置かせて」と説明してもすんなり行かせてもらえなかったけど、回を重ねるごとに「わかった」と一言で、放ってくれるようになってきた。距離を置いてみると意外と、「時間が必要だったのは、俺の方だったのかもしれない。その場で解決することを強制してたのは、恵利を失うかもしれないっていう恐怖心からだった。冷静にならなくちゃいけないのは、俺のほうだ」と、夫も納得してくれた。

お互いに「その場で解決する派」のご夫婦もいるかもしれないけど、距離感を保つことはきっとどんな夫婦にも必要なことで、「距離を置くこと」が必要なのは「ADHDだから」は関係ないと思う。ただ、今回それを夫に理解してもらえたのは、私が少しカッとなりやすいという特性であるADHDであることがきっかけだった。

コミュニケーションを間違うことがあっても

初めての別居生活からしばらく経って、私にPMDDがやってきた。

「私、これから少しの間PMDDという状態になるので、ちょっとイライラするかもしれません。そしたら、ごめんね。」と事前告知をしてみた。

すると夫は、当の本人が「今のは衝動的すぎたかな…」と感じるような私の言動にも、まったくイライラしなくなった。

「私がちょっと言いすぎても、怒らなくなったよね、ありがとう」と言うと「確かに最初は、堪えるのが大変だった。もともと俺は、”気になることはその場で解決したい”って性格だったけど、今は”真に受けず、受け流す”ほうがラク。また恵利がぷーぷー言ってんな、くらいに思ってるよ」。

そう言った。どうやら、私と離れている5日間の間に、夫はとてつもなく高い”スルースキル”を身につけたらしい。

この先も私たちはまた、夫婦のコミュニケーションを間違えることもあるかもしれない。離婚危機だって、あるだろう。そんなときは、またお互いの距離感を大切に、仲良くやっていきたい。今回の別居が、そう教えてくれた。

(編集:榊原すずみ