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2020年07月14日 11時49分 JST | 更新 2020年07月14日 11時49分 JST

保育所、高齢者施設の虐待…。限界状態がもたらす残忍さ

「保育士や介護士の対応が残忍であること、それはわたしたち自身の日常でも起こっていることだ」。

Getty Images/EyeEm
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高福祉、高負担と呼ばれる福祉国家デンマークでも、福祉への公的投資が無限にできるわけではない。児童・高齢者福祉の予算は、多くの市でここ何年にも渡って削減されてきた。政府も、財政を圧迫する福祉への公的投資について、何度も削減の方針を立ててきた。その限界が、ついに表面化してきたのだろうか。あるいは、それだけでは説明できない何かがあるのだろうか。

 

2019年春、コペンハーゲンの保育所に隠しカメラが入った。カメラには、入所して間もない14か月の女の子が、不安のために泣き叫んでいる様子が収められた。女の子のそばにいた保育士は、「面倒を見るのはあんただけじゃないんだよ、なんて自分勝手な子!」と罵倒したり、その女の子を抱き上げ、無理やり移動させて、泣いているその子を無視しつづけた。ドキュメンタリーとして放映されたその映像は、すぐにネットメディアでも広まった。コペンハーゲン市では、その後、どの保育所が悪質なのかという情報が出回るなど、多くの人々の関心を呼んだ。

 

この事件は全国の保護者に衝撃を与えた。デンマークでは保育士の配置基準は市によって異なり、ここ10年ほど悪化しているという。今回の事件も、保育士不足がそもそもの原因だろうと言われた。そして、保護者からは法律で保育士の配置基準を定めるべきだという声が上がり、それは国会前でのデモへと発展していった。昨年夏の国政選挙でも、保育士の配置基準について、多くの政党が公約として掲げ注目を集めた。

 

そして先日、今度は第二の都市、オーフス市の高齢者施設で、認知症の女性が、精神的、身体的に職員から虐待を受けている様子が隠しカメラで撮影され、公開された。体調不良から、頻繁な排泄介助が必要な女性に対し、職員はその状況を認識しながらも、何時間もおむつ交換をしなかったり、女性に身体的な負荷をかけて対処しようとした。女性が痛みを訴えている声とともに、衝撃的な映像が市の反対を押し切って、ある新聞社のサイトで公開された。

 

この女性の動画を公開した親族は、インタビューの中で、自分たちの祖母への対応改善を何度も施設や市に依頼し協議してきたが、対応が不十分であったためにこのような方法を選んだと語り、身内がこんな介護を受けていることは、とうてい受け入れられないと語った。政府の高齢者担当大臣や、関係諸団体は動画の公開後、即座に対応を協議すると語った。

 

上記の保育士も介護士も、即解雇となった。

 

さて、ここまで読んで、あなたはどのような感想をもたれただろうか。デンマークもやっぱり良いことばかりじゃないんだな、とか、こういう北欧の闇は見えないように隠されているだけで、実際には多いんだなと思われただろうか。このような出来事について書くのは、あえてデンマークの汚点を晒して、良いことばかりが語られるこの国を、ここぞとばかりに批判したいからではない。むしろ、そこだけに注目が集まってしまう可能性を考えると、このような事件について書くのをためらってしまうのも事実だ。でも、日本でも、いや世界中どこでだって起こりうる、このような悲しい出来事に対し、ある国の人々がどのように考え、語っているのかを伝えることも、もしかするとありかもしれないと思い、今回その中からひとつを選んで書いてみることにした。だから、この記事を最後まで読んでいただけたら嬉しい。

 

高齢女性への虐待について、様々な記事を読んでいたところ、ある心理カウンセラーの記事が目に留まった。この女性、ドーテ・ビアクモーセ(Dorthe Birkmose)氏の意見は、もしかしたら、専門家の間では特に目新しいものではないかもしれない。でも、こういった悲しい事件が起こると、いつも、わたしは何かもやもやとして言語化できないものがあるのだけど、それを彼女が専門家としてとても興味深く説明していると感じたので、ここで紹介したいと思う。

 

ビアクモーセ氏によると、今回のような虐待をメディアが暴露することは、ここ20年ほど続いているのだそうだ。

 

保育士や介護士の対応が残忍であること、それはわたしたち自身の日常でも起こっていることだ、とビアクモーセ氏は指摘する。残忍さというのは、自己防衛のため、置かれた状況の中でサバイバルするためのメカニズムなのだそうだ。例えば、人手不足から、必要なケアをしようともがくものの、どうしても対応できないとき、わたしたちは不安やストレスを感じたり、衝動的に行動してしまう。そして、相手に理不尽な対応をしたり、または相手の欲求を無視したりすることで、自己防衛しようとするのだそうだ。

 

「多くの親御さんたちは、そういう状況をよく知っているはずです」と彼女は言う。そう、例えば朝晩の忙しい時間帯に、子どもに無理やり、自分の言うことを聞かせないといけないような状況で、わたしたち親は、厳しく子どもを叱りつけたり、大きな声をあげて、有無を言わせずこちらの意図通りに行動させようとすることがある。後で罪悪感でいっぱいになるけれど、状況的に、そうせざるを得ないと判断して、小さな子どもに声をあげることがある。ほとんどの親はそういう修羅場をくぐっている。

 

ビアクモーセ氏はさらに続けてこう言った。

 

「どれだけ優秀な職員であろうと、どれだけケアをしっかりしたいと頑張っていようと、人手が足りない、自分だけではカバーしきれないという状況になったとき、その場では、だれかを後回しにしなければいけなくなります。そのような状況が続けば、職員はストレスから無力感が高まってきます。そして、現状から目を背けようとして、相手に酷い言葉をかけたり、無視したりといった残忍性が高まっていくのです。これは、そのような状況に置かれる人の防衛反応なのです。そのような状況で、今回隠しカメラが入った、ということなのです。

わたしの経験から言えることは、これほどの残忍な対応をするようになるまでには、相当な時間がかかっているはずです。疲れていて、イライラして、そして、もうどうでも良いと思わざるを得なくなってくる。そうして、少しずつ残忍性が高まってくるのです。子どもや高齢者を笑いものにし、無視しはじめる。そして、彼らに厳しく対応することで、一瞬ですがストレスを感じている状況が楽になります。残忍な対応をすることで、どうしようもない状況を切り抜けられたという感覚になります。そうやって、残忍性は続いていくのです。」

 

ビアクモーセ氏は、この高齢者施設で起きた様子を見て、介護職員たちの口調から、ここまでの虐待に至るまで、かなりの時間を経ているはずだと言い、どうしてこの職員たちの置かれた状況について、これまでだれも手を差し伸べてこなかったのか、社会で議論してこなかったのかという視点が必要だと語る。

 

人は過剰なストレスに晒された時、他者に対して残忍になる。これは心理学的に見ても明らかなのだそうだ。さらに、保育や介護の現場では、人手不足を解消するだけでこの問題が自動的に解消するのではない、とビアクモーセ氏は付け加える。なぜなら、相手は人間だから。衝突が起こることは、時に避けられないから。

 

職員を解雇するだけでは、問題は解決しないとビアクモーセ氏は語る。そもそも、既にその職員自身が問題をかかえており、助けを必要としている状況なのだと。解雇するだけでは、また同じような状況が別の場所でひっそりと行われるだけだと。

 

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高齢者担当大臣は、今回の事件を受けて、高齢者部門への予算を引き上げ、介護士の教育を徹底していきたいと語っている。教育で、虐待が防ぎきれるのだろうか。もしかすると、ビアクモーセ氏の語るように、職員自身がSOSを出しやすい状況を作っていくことを、もっと議論しなくてはいけないのかもしれない。

 

日本でも、3歳の女の子を放置して虐待死させたというニュースがあったと聞いた。わたしは怖くてそのニュースを読むことができない。でももしかすると、ビアクモーセ氏の言葉が、その事件や、他の様々な虐待事件の何かを理解するきっかけになるかもしれないとも思う。

亡くなられた小さな命のご冥福を心からお祈りします。

 

参考資料

Psykolog om plejehjemssag: Den forråelse, vi ser i de skjulte optagelser, er helt naturlig

 

(2020年07月11日のさわひろあやさんnote掲載記事「限界状態がもたらす残忍さ」より転載)