結婚せずに、経済的にも頼らず出産。でも子育ては二人でする。新しい家族をつくります

結婚を見据えた恋愛はしなくなりました。籍を入れて互いの将来を縛ることに、価値が見いだせなくなったのです。
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こんな原稿を書くことになるとは、1年前は思ってもみませんでした。

いま、私のおなかの中に、一人の命が育っています。不思議なもので、こう書き出すだけでもう涙が溢れてくるくらい、奇跡的で感動的な体験をさせてもらっています。私の中に来てくれてありがとう。私たちを選んでくれてありがとう。

2020年2月下旬の時点で、7ヶ月。このまま順調に行けば、夏前には我が家は2人家族になっています。

「籍を入れる」という関係は、私には選べない

なぜ「2人」なのか。それは、私が「結婚」という関係に懐疑的だからです。過去に、20代前半で結婚したことがあります。年上で、とても真面目な人で、社会的に立場のある人でした。お付き合いしてまだ浅い関係でしたが、望まれて結婚しました。

私の実家は古い農家で、母の生家も大きな農家でした。小さい頃に、お正月やお盆に母方の祖父母宅に行っても、帰りは玄関で正座をして「本日はお世話になりました。」と挨拶をするような家でした。なので私にとって結婚というのは、他の家の人間になることだという認識でした。自分が最初の結婚で家を出る際も、「あなたはもう✕✕家の人間なんだから、落合の家に戻ってくるときは“ただいま”と言ってはいけません。“ごめんください”です」と言われたのを覚えています。

それはひとつの形であって結婚のすべてじゃないとわかっていますし、親も寂しいからこそ強く言ったんだと頭ではわかっています。でも、心の中で、私はもう“この家の人間ではない”という思いが強くあります。

結婚生活は、残念ながらすぐに終わってしまいました。相手が結婚生活を継続できないほどの病気になってしまったのです。私もまだ24歳で未熟でした。今だったらもっとやってあげられたこともあったと思います。原因不明の不調をきっかけに私たちはお互いをまったく信じられなくなり、苛立つ夫は、時に私に手を上げたり、外出などの行動を制限するようになりました。

相手からの暴力もありましたが、それよりも何も出来ない自分に失望しました。なにしろ当時の私は、「家の問題は嫁の問題。夫になにか起きるのは、すべて妻である私の問題」と考えるタイプの人間でした。当時はまだ夫の不調が病気によるものというのもわかっておらず、とにかくすべて自分のせいだと思っていました。実際に病気が原因だとしても、もっと労れなかった自分の責任は確実にあると、今でも思っています。なので、夫を一方的に責める気はまったくありません。

夫があまり認知されていない病気だったとわかったのは、耐えかねた私が家を飛び出して半年以上経ってからでした。「ともに治療にあたってほしい」と彼は訴えてきましたが、精神的にもう戻ることは出来ませんでした。

それ以来、結婚を見据えた恋愛はしなくなりました。未来は何が起こるかわからない。私が病気になることもあれば、相手が私に愛情を失うこともある。なのに籍を入れて互いの将来を縛ることに、価値が見いだせなくなったのです。ストレートにいうと、相手に責任を持ちたくなかったし、責任を感じても欲しくなかった。

ハードワーカー、子宮頸がんのリスク。その果ての妊娠。

離婚後、かなり一生懸命働いてきたと思います。当時はパートでしたがその後努力して正社員になり、2018年からフリーランスとして独立して、今年から会社も経営しています。

35歳を越えた2年前くらいから、生物のさがなのか何なのか、「結婚に興味はないけれど、子供だけは、もし機会があったら産んでみたい」と思うようになりました。とはいえなにか努力をするわけでもなく、相変わらず昼も夜も仕事をして、「軌道に乗っているし、そろそろ会社にするぞ」というタイミングで恋人との間に子どもを授かりました。

正直に言うと、「青天の霹靂」でした。避妊が完璧だったとは言いませんが、かと言って確信犯的なことをしたわけでもありません。また、当時の昼夜問わない自分の働き方や連日飲みに行く暮らしぶりが身体に良いとは到底思えませんでした。さらに、36歳の時に子宮頸がんの原因となるヒトパピローマウイルスに感染していることもわかり、妊娠出産どころか「もしがん化したらどうしよう」と不安さえ感じていました。なので、「こんな私が妊娠? ホントに??」というのが率直な感想でした。

ただ、「もし本当に命を授かったなら、産みたいし、育てたい」という気持ちは最初から一貫していました。仕事は順調で、このまま一人でグイグイ進んでいけば、健康である限り豊かな暮らしと仕事を通じた充実感は保証されているようなものでした。でも、妊娠に気づいた瞬間から、私の心はもう「母親」になっていたのです。「ちゃんと大きくなって! 頑張って! ママも頑張るから! 仕事のことはなんとかなる。いや、なんとかする。絶対に大丈夫とは言えないけれど、大丈夫なようになんとかしてみせる。きっと食べていける!」と。妊娠がわかった日から、私は生きるための新しい戦いを始めたのかもしれません。

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籍入れずに、子どもを育てていく。

最初に書いたように、私は「結婚」という仕組みに若干懐疑的です。ステキなご夫婦もたくさんいらっしゃいますが、どうしても気持ちの整理がつかないのです。

前夫との関係が悪化したある時、耐えかねた私は彼に隠れてアパートを借り、逃げ出すために家の中の貴重品を集めました。その中に2人共同で貯めていた預金通帳がありました。当時私たちは、地元の駅前に新しく建つタワーマンションを購入しようと貯金に励んでいました。「マンション購入」という大義名分のために、夫には随分無理な貯金を強いていたと思います。

「私、何やってたんだろう。幸せになるために頑張っていたのに、このおカネも無駄になる。あるかわからない未来のために人を縛ることに、何の意味があるんだろう。」そう思いました。

その思いは今でも変わりません。自分も相手も、できるだけ身軽に、自由意志で愛し合いたい。もし愛が冷めたら、いつでも私を置いていってほしい。義務や責任感で一緒にいられ続けるなんてまっぴらごめん。その代わり、私も愛が冷めたら躊躇わずにあなたを置いていく。愛していないからじゃない。愛しているからこそお互いに素直に、そして自由でありたい。

だから、妊娠を相手に伝えるときも、完全に本人の意志に任せようと思いました。男性からしたら「未婚の恋人の妊娠」というのは相当責任を感じることだと思います。なので、相手を追い詰めないように出来るだけ丁寧に、今の状況と、産もうと決めていること、仕事の状況的に一人で育てられること、結婚を迫る気はないこと、ただ、もし嫌でなければ子育ては一緒にしてほしいと思っているけれどそれも相手の意思を尊重したいと思っていることを伝えました。

と、文章で書くとサラッとしていますが、もしかしたら妊娠をきっかけに愛する人を失ってもおかしくない状況です。実際には何度も事前にシミュレーションして、言葉を選んで、タイミングを見計らって報告しました。それでも結局、私は言葉に詰まって号泣し、何を言っているのかわけのわからない報告になってしまったと思います。

でも、そんな私を、相手はただただ抱きしめて受け入れてくれました。そして、喜んでくれました。生きていくために一人で戦っていくはずが、二人で戦っていくことになりました。

私の結婚に対するポリシーもあって、私たちは籍を入れずに子どもを育てていきます。子供に100%の愛情を注いで、育児をサポートしたり相談したりということは一緒にやっていきますが、基本的には私の戸籍で、同居はせず、金銭的援助も受けずに子どもを育てていきます。

そう言うと、まるで相手が無責任な人に思われるかもしれませんが、それは違います。お互いにとって生活しやすい形で、一緒に向き合いたいことは向き合い、一人でやりたいことは自分でやる。あくまで私の意思を尊重し、今の形に落ち着きました。

子どもが産まれるまでのことを発信したいという思い

こんなふうに、シングルマザーというと本当に一人で頑張っていらっしゃるみなさんたちには怒られそうですし、とはいえ普通の夫婦とは異なる中途半端な私です。ではなぜ、こうして原稿を書くことで、自分の選択について言葉に残したかったのか。理由はいくつかあります。

  • 働く女性にとって妊娠・出産の影響は多大です。フリーランスや経営者ならなおさら。仕事のために子どもを諦めている人もいるでしょう。そのひとつの事例を示すことで、迷ったり苦労したりしている人の参考になればいい。

  • インターネット上では、「ひとり親の苦労」や「福祉の不全」など、ネガティブなニュースのほうがクローズアップされがちです。たしかに大変なこともありますが、それ以上に「妊娠判明後に人から受けた優しさ」の方が私は多いです。運が良いだけかもしれませんが、日本もまだ捨てたもんじゃないぞ、と伝えたい。

  • 「シングル女性」または「シングル女性の子ども」=「かわいそう」のイメージを払拭したい。私は子どもが出来たとわかった瞬間から、この子を世界一しあわせな子にすると決めています。そして私もしあわせになる。女性経営者という恵まれたポジションがあるから言えることではありますが、一律に「シングル大変!」ではなく、いろんなケースがあって、支援が必要な人には潤沢な支援を、そうでないケースには暖かな眼差しを送れる社会になってほしい。

そんな理由から、これから何度かに分けて、私の妊娠・出産について文章にしていきます。「こんな人もいるんだな」くらいの感覚で、ひとつの生き方としてあたたかく見守っていただけると幸いです。

(文・落合絵美/編集・榊原すずみ