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2020年08月19日 11時30分 JST | 更新 2020年08月19日 12時45分 JST

「日本で唯一の婦人保護長期入所施設」かにた婦人の村を訪ねて。92歳の奉仕女・天羽道子さんは語る

ここは行き場のない女性たちのシェルターとして半世紀以上の歴史を持つ。住んでいる女性の多くが軽度の知的障害など障害を持ち、また性被害や虐待の当事者でもある。

千葉県の館山駅から車で10分ほど。地図で見ると、マスコットキャラクター「チーバくん」のちょうど足の甲あたりに、その村はある。              

 東京都内から出かけると、乗り継ぎがうまくいっても電車で約3時間半。隣県なのに、新幹線で大阪に行くのと同じぐらいかかる。チーバくんって思ったより背が高いんだな……などと思いながら、館山駅に降り立った。潮の香りがして、どことなく南国っぽい。高知にいたことのある友人が、「鹿児島や高知、和歌山それに千葉の房総半島、太平洋側の港町は黒潮海流でつながっているから」と言っていたのを思い出す。

 

タクシーで向かう途中に、高い波が見えた。少し海岸を走ってから坂を上がる。海が見える小高い山の中腹にあるのが、「かにた婦人の村」。ここは行き場のない女性たちのシェルターとして半世紀以上の歴史を持つ。住んでいる女性の多くが軽度の知的障害など障害を持ち、また性被害や虐待の当事者でもある。

 

到着したのが約束の時間より40分も前だったので、私と編集者のSさんは村の中にある慰霊碑まで坂を上がってみることにした。村全体が山の中にあるので、移動はすべて坂道の上り下りになる。取材は2月だったが、慰霊碑に着くまでの5分ほどで軽く汗をかいた。

榊原すずみ/ハフポスト

慰霊碑に刻まれた文字は「噫(ああ)従軍慰安婦」。碑が建立されたのは1985年で、日本で慰安婦問題が大きく報じられ始めるより前である。入所した一人の女性が、自分が日本人慰安婦だったことを告白し、仲間たちの慰霊を願ったことがきっかけだったという。

 

「かにた婦人の村」を取材したNHKの記事には、除幕式で彼女が「みんなここに帰っておいでよ」と泣いたことが記されている。慰霊碑の横には椰子の木が立ち、やはり南国っぽいと感じた。海が見える山の中腹。ここはまるで、自然が作ったシェルターみたいだ。

 

どこでも受け入れが難しかった方の施設

榊原すずみ/ハフポスト
奉仕女・天羽道子さん

「日本で唯一の婦人保護長期入所施設」かにた婦人の村を運営するのは、社会福祉法人べテスダ奉仕女母の家(以下、母の家)。プロテスタント系の団体だ。

 

92歳の天羽道子さんは「奉仕女」として村の運営に携わり、長い歳月を女性たちとともにこの村で過ごしている。今でも村の中の坂道を行き来し、入所者の暮らしを見守る毎日。メガネの奥の瞳は、柔和でありながら少しのことには動じない意志を感じる。

 

これまでもたびたび取材に応じてきて、そのたびに終わりにしようと思うのだけど……と言いながら話をしてくれた。何度も話していることだからなのか、彼女の話は数字の記憶が明確だった。

 

母の家が団体として設立したのは1954年。その2年後、1956年に売春防止法ができた(1958年から全面実施)。

 

かにた婦人の村の前身であるいずみ寮が東京で創設されたのが1958年。母の家は貧困から売春する女性の救済を主に活動を始め、いずみ寮にも当初、性搾取の対象となった女性たちが多く入所した。

 

「館山でかにた婦人の村が始まったのは1965年4月1日。当時は東京に婦人のための施設が7寮ありました。いずみ寮の頃から私どもの施設には、そのどこでも受け入れが難しかった方が来られました。知的障害や精神障害、その他、入所者同志の人間関係を構築するのが難しいなどいろいろな難しい問題を抱えていらっしゃる方です。

 

一般の婦人保護施設は、できるだけ早く心身の傷や疲れを癒し、新しい出発のためにできるだけ早く社会復帰、自立を目指すことが目標なのですが、いずみ寮の場合、それは難しいこと。

 

社会の中で自立していくことの困難な方たち。ならば安心して心身を癒しつつ、そこで何か生産できるものを作りながらお互いに助け合って生活できるコロニーのような場を作りたい。創設者の深津文雄牧師にはそういう夢があって、当時の有力者や厚生省に掛け合い、多くの方に呼びかけて、ようやく7年後の1965年に、このかにた婦人の村は創設されました」(天羽さん)

 

初年度には18都道府県から100名定員のなか、87人が入所したという。現在は20代から80代まで、60人ほどが生活をしている。

 

12の作業場を自ら選んで、生き生きと

 村の中には6つの寮や教会があり、作業場も点在。以前は豚や牛、ニワトリを飼い、自分たちで酪農を営んでいたが、入所者の高齢化に伴い現在は、畑と果樹の農園作業、毎朝食べるパン作りが主だ。

 

入所者はシーツなどのリネン類の洗濯を自分たちで行い、食器を作る陶器工場もある。編み物などの手芸品、編み物で作る布団カバーやクッションをバザーで販売し、運営資金に当てている。

 

天羽さんは言う。

 

「創設者のことば、『このままでただ生きていればいいということではなく、生き生きと生きていくことでなければならない』と。

 

開所後しばらくすると、彼女たちの方から何かしたいとい声が出始めました。そこで。村の中の木ぎれや石ころを片付けたり、草取りをしたり、炊事を手伝ったり。そんなことから始めていきました。

 

その後12の作業班ができて、農園でお野菜を作ったり酪農をしたり。自分たちの生活を作り出すような創造的な仕事をするようになりました。入所する方には、どこの作業場に入りたいか、自分で選んでもらって。

 

もちろん中には健康状態や気持ちの問題ですぐには作業できないという方もいますけれど、自分で選んでそこで楽しくする中で、自信を持てたり、自分も大丈夫という気持ちを持てたり、自己肯定感を持てるようになるのです」

 

自分たちの生活を自分たちで創造する生活について一つずつ丁寧に語る天羽さんの口調から、村での生活を愛しく思っていることが感じられた。

 

榊原すずみ/ハフポスト

 

進む、入所者の高齢化

天羽さんの言う通り、婦人保護施設は基本的に一時保護を前提とした「措置施設」であり、「終生施設」ではない。ただし、かにた婦人の村は「日本で唯一の婦人保護長期入所施設」と言われ、数十年を村で過ごす人も多い実状となっていた。

 

2000年当初10年ほど厚労省から新規入所のストップがかけられたことがあるが、これも「長期よりも終生施設に近い実状となっていて、介護などの必要のある入所者がいるのであれば、婦人保護ではなく、高齢者福祉の方で行うべきでは」と意見が出たためという。

 

「入所者が高齢者になった場合は高齢者福祉に、自立できる場合は自立に向かわせる運営計画をきちんと立てるように、それがきちっとできるまでは新規の入所者を止めますと言われて。止められたときも2、3人の入所希望者がいたのですけれど、その方たちは入れませんでした。

 

2012年に厚労省から長期入所の新たな運営要領ができて、それからは入所を希望する方がいるなら止めないということになりました。(2012年以降)新たに15人ほどが入所されて、今は20代の方もいます」(天羽さん)

 

この日は入所者の方と会うことはできなかった。一度訪れたぐらいで当事者と会わせてもらうわけにもいかないとも思った。

 

DVのシェルター施設は、住所を非公表にしていることも多いが…

 私がこの日、一番聞きたかったのは、かにた婦人の村が場所を公表していることだ。一般的にDVのシェルター施設は、住所を非公表にしていることも多い。なぜなら、保護した女性に危害を加えられる可能性があるからだ。自然に守られたようなこの立地だからこそなのだろうか。

 

天羽さんは言う。

 

「もちろん、入所者の中にはここへ入ったことを知られてはいけない方もいらっしゃいます。家族から性虐待を受けていたり、覚醒剤を打たれて売春を強要されていたり。親に知られてはいけないということで何とか隠して、(回復する時間を過ごして)社会に出られるようにしてね……」

 

入所者の情報を伏せていることもあってか、幸いなことに、これまで入所者の関係者が施設に侵入したり、押しかけてきたりしたことはないと言う。

 

村の入り口に門があるわけではなく、塀で囲われているわけでもない。それは、精神障害のある入所者の人たちを「閉じ込める」わけではないという意味もある。

 

「門も塀もないので、3〜40年前は海水浴に来た人が迷い込んだりということはありました。昔は地域の子どもたちから『あそこにはバカがいる』というようなことを言われたり、散歩中にモデルガンの弾を当てられたり。

 

でもそのうちにそういうことはなくなりましたし、だんだんと地域の方もここにいらっしゃる人は優しい人たちと知ってくださるようになって。というのは、(入所者は)お年寄りが歩いていると、『お大事に』『大丈夫ですか』と率直に声かけして。

 

ここで暮らす女性たちにとって赤ちゃんはかわいくてしょうがないものですから、子どもを連れた人にも声をかけたりするんです。そういうことがあると地域の方たちも見る目が変わってこられるし、かえってお宅になっている果物をくださったりなんかして。今は、この施設の存在を認めてくださっているかなと」

 

入所者同士でトラブルが起こることも

 もう一つ聞きたかったことがある。世の中からいわゆる「弱者」とされてしまう人たちが身を寄せ合って暮らしているといえば美談のようだが、人と人が生活をともにすれば、必ず不和は生まれる。傷つけられてきた人同士が、傷つけ合ってしまうこともある。

 

天羽さんは、長い時間の中で、そのようなぶつかりをどう見てきたのだろう。

 

「時間が必要、ということですよね。

 

ついこの間も、ある寮の中で40年以上ここで暮らしている方と若い方が言い合いになることがありました。最初の原因はストーブをもう消した方がいいとか、最低の『小』でいいんじゃないとか、そういう小さなことだったんですけど、そのうちにお互い『前からこの人には目の敵にされているんだ』『あんただってそうでしょ』って話になってね。

 

そのうちに一人が『自分は子どものときから虐められ通してきた。だから、人に対してそんな優しい言い方ができない』って(自分の言い方が優しくなかったことを)話し始めて。そんな話をしているうちに、みんなの気持ちがだんだん柔らかくなって、仲直りして、帰って行きました。

 

それまでの自分の人生で持たされてきた重たいものが、この村へ来たからすぐに改善するわけではないのです。 

 

過去を捨て切れるわけではないし、一生背負っていくのかなという人もいます。傷や疎外感が深くて、少し良くなっては難しくなるという繰り返しだったり、本当に難しいと思います。

 

しかし、みんながそういう難しさを持ちながら、一方で自然の大きな懐に抱かれるようにして、お互いに許し合い認め合って、共に生きる思いが育てられればと思いますし、みんなもそう願っているでしょう。ここで本当に思うことは、信じ合うということ。職員同士が信じ合い、入ってこられた方たちを信じること。

 

信じるということは、信じ得ぬ者を信じること。愛するということは愛し得ぬ者を愛することです」

 

ハフポスト日本版が考える対話とは、メディアの役割とは

 ハフポスト日本版の編集者Sさんから、「かにた婦人の村」を取材してみませんかと依頼があったのが今年の1月末。私は二つ返事で了承した。昨年末に、性被害当事者でありDVサバイバーである友人と話したとき、彼女がその村にいつか行ってみたいと話していたことを思い出したからだ。女性たちのシェルターの歴史を知りたいと思った。

 

取材日が2月中旬になることが決まったあと、ハフポスト日本版で物議を醸す記事が掲載された。個人的な印象でいえば、差別の問題に理解の足りない人に発言の場を与えた記事だと感じた。賛否両論があったが、一部の記者は記事を擁護するツイートばかりをリツイートした。取材予定日の1週間ほど前だった。

 

私はこの流れを見て、Sさんに連絡をした。

 

女性たちを保護するシェルターは「かにた婦人の村」以外にもあるが、多くが場所を公表していない。それは、保護した女性に危害を加えられる可能性があり、危険だからだ。シェルターでなくても、DVや性被害など「女性問題」と言われる社会課題を取り扱う団体には嫌がらせが行われることがあり、運営には細心の注意が払われる。

 

女性差別に限らず差別問題を語る上で欠かせないのは、過去の歴史を知ることだと思っている。どのように過酷な差別があり、それが現在にも引き継がれているか。差別を語り継ぐことすら困難だった中で、いかに声を上げてきた人がいるか。

 

しきりにないことにされてきた差別の歴史を知識として共有し、視点を合わせることこそ必要ではないのだろうか。前提として見ているものが違うのだから。ハフポスト日本版が考える対話とは、メディアの役割とは何なのだろうか。不思議でならなかった。そして、そのような媒体に「かにた婦人の村」の記事を載せることを不安に思った。

 

しかし取材日は1週間後に迫っており、取材相手の天羽道子さんが92歳というご高齢であることを考えても、リスケジュールの負担はかけられない。取材は予定通り行うけれど、掲載日については相談させてほしいとSさんに伝えて、了承してもらった。

 

信じるということは、信じ得ぬ者を信じること

 そのような経緯があったから、館山に向かう私の気持ちは重たかった。かにた婦人の村は、障害者差別や女性差別の歴史を象徴する場所でもある。差別の問題を訴えれば、必ず口を塞ぎに来る人がいる。

 

都心から遠く離れて、海と山に囲まれて暮らす彼女たちの存在をネットに「晒して」いいのだろうか。これまでも村のことを報じた記事はあり、ネット上でも公開されているが、それらがたまたま良い読者に恵まれただけかもしれない。ハフポスト日本版で報じられた場合はどうなのか。その気持ちが拭えなかった。

 

「信じるということは、信じ得ぬ者を信じること。愛するということは愛し得ぬ者を愛することです」

 

ゆっくりゆっくりと語る天羽さんから、差別や偏見をただ怖れる自分の心を見透かされたような気もした。信じられない相手を信じることは、今の私にはまだできない。どのような境地に立てばそれができるのだろう。天羽さんの言うように時間の問題、なのだろうか。膝の上できちんと組まれた天羽さんの手から、彼女がここで過ごしてきた半世紀以上の時間を思った。

 

「声なき声」とされてきた人たちが安全に言葉を発するための場作りについて、メディアが取るべき責任とは。迷惑をかけずに報じることができると考えることこそが、思い上がりだろうか。

 

先が見えない、施設の老朽化の問題

榊原すずみ/ハフポスト

インタビューの終わりに、ご高齢の天羽さんがお元気だという話になったとき、天羽さんはまたゆっくりとこう語った。

 

「困難な人、ハンセン病の問題とか、偏見や差別を受けている人の問題とか、そういうことを聞くと気が気ではなくて。

 

NHKのニュースぐらい見ますけれど、政権とか、あいちトリエンナーレの問題とか気になって、気になることがあるというのは、自分を生かしていくことかなと思います。

 

関心が何もなくなってしまったら、どうなっていくのかしらって。そのときはそのときで(誰かに)お任せしなくちゃいけないでしょうけど(笑)」

 

山の中にあるかにた婦人の村は、6つの寮のすべてが崖下に立っている。また施設の老朽化も進んでいる。ここ何年も建て替えが検討されているが、建て替え費用のうち4分の1(約3億)は自分たちで用立てる必要があり、募金を募らなければ賄えない。

 

帰りにバスを待つ間、またここがチーバくんの足の甲にあたるところだと思い出した。ドラクエだったら、小さな灯台がありそうな位置。隔絶されているけれど、ほんの少し社会とつながった、静かな場所。

 

この場所が彼女たちを守っていることはおそらく間違いない。けれどそれに甘んじて、社会が彼女たちを見なくていいことにしてしまっているのも、おそらくは間違いないのだと思う。

 

【かにた婦人の村では寄付を受け付けています】

寄付の入金先は

郵便振替00130-2-20569

名義=かにた後援会

です。

よろしくお願いいたします。

 (編集:榊原すずみ