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2020年04月10日 17時49分 JST | 更新 2020年06月20日 13時33分 JST

“多文化共生”は日本人のためでもある。在日クルド人研究をする私の話

「なんでクルド人なの?」そう訊かれると何故か上手く答えられなかった私は、心の一番奥の引き出しを開けてみた。

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私は日本で暮らす「在日クルド人」の研究をしている大学院生です。

故郷での迫害から逃れてきた“難民”であるクルド人。

なぜクオテーションマーク付きの“難民”なのか?それは、クルド人は国際的には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が認定したマンデート難民である一方、日本で難民として認定された事例はまだないから。

 

こんなこと話しはじめると、そもそもなぜ「クルド人」を研究するのかと不思議がられることがよくあります。

遠く離れた中東からやってきた外国人になぜこだわるのか?

たしかに、日本の入国管理政策、とりわけ難民認定制度へのマクロな問題意識はいつも心のどこかにあります。

一方で、もやもやもありました。なぜ赤の他人のことをこんなにも知りたいと思うのだろう?

こころのおく~~のほうの引き出しをあけてみると、そこには「社会を変えたい」という真っ当な理由だけではなく、パーソナルでエゴな理由もあることが分かってきました。

ずっとあけてこなかったその引き出しの中を少しお見せして、クルド人を研究する理由をお伝えできればと思います。

その理由は、パーソナル(個人的)であると同時にユニバーサル(普遍的)でもあります。

ですので、みなさんにも、ビビッと共感してもらえるところがあるのではないか。そんな期待も込めてみます。

 

「国を持たない世界最大の民族」クルド人との出会い

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伝統的祭日・ネヴルーズを祝うクルド人(トルコ)。

そもそも、在日クルド人ってどんなひと?と思われる方もいるでしょう。「パーソナルな理由」をお話しする前に、少し説明させてください。

在日クルド人は、全国で約2000人いると推定されている外国人コミュニティです。そのうち過半数が埼玉県川口市・蕨市周辺に集住してます。

正確な統計が存在しないのは、そもそもクルド人には独自の国家がないため、日本の行政において「クルド人」として把握することが難しいからです。

それでは、クルド人とはいったい誰のこと?彼らが居住するクルディスタンとはどこなのでしょう。

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クルド人が多く住む地域(全人口がクルド系住民からのみ構成されているわけではない)。

クルド人は中東に暮らす民族のこと。トルコ、イラク、イラン、シリアに跨るその居住地域は「クルディスタン」と呼ばれ、その面積はフランス一国にも匹敵します。第一次世界大戦後にクルディスタンが分割されて以来、各国で迫害されてきた苦難の歴史を持っています。クルド人が「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれる所以はまさにここにあります。

在日クルド人の多くは、トルコでの迫害から逃れてきた難民です。全人口の約2割をクルド人が占めると言われている同国。1923年の建国以降、トルコではクルド語教育や放送の禁止などが禁じられ、同化政策が推進されてきました。1984年からは分離・独立を求めるクルディスタン労働者党(PKK)が政府に対し武力闘争をはじめ、現在に至るまで対立しています。

トルコを含め、それぞれの国家で弾圧されてきたクルド人は、故郷を追われ、ヨーロッパ諸国を中心として世界中に離散しているのです。日本にいるクルド人は、このような経緯で避難を強いられたクルド人ディアスポラの一部、ということです。

しかし、残念ながら日本に来ても難民として認定されることはありません。日本の難民認定率は0.4%(2018年)と非常に低いためです。その上、日本政府はトルコ政府との関係悪化を恐れ、トルコ国籍のクルド人に難民認定を下すことはできないのです。

難民申請が却下されたクルド人は、いったいどうなるのでしょう。

その多くは、「仮放免」という措置のもと日本に留まることになります。仮放免とは、入管の収容施設に収容されるべき外国人を「一時的に入管から釈放しますよ」という例外的な制度。その他、6カ月間の特定活動ビザや、日本人と結婚するなどして在留特別許可を得ているクルド人もいますが、いずれも日本での安定した生活を保障する在留資格とはいえません。

仮放免の間、就労や国民健康保険への加入は、法的に禁止されています。基本的な権利がないなかで、長い人で20年以上にわたり日本で暮らしているのです。

 

在日クルド人が暮らす埼玉県川口市は、私の家から電車で10分ほど離れたところにあります。

大学3年生の夏、私は親戚伝いで在日クルド人の存在を初めて知りました。

近所に難民がいる。もしかしたらすれ違ったこともあるかもしれない──。その事実はかなり衝撃的でした。

それから今まで2年間、クルド人向けの日本語教室に参加したり、ケバブ屋さんめぐりをしたり、時には在留資格認定を求める裁判の傍聴席に座ったりしながら、まがりなりにも在日クルド人を理解しようとしてきたつもりです。

学部で卒論を書いて、研究は終わりにしよう。そう計画していたのに、気付いたら修士課程にまで進んでいました。



研究を続ける理由を机に向かって真摯に考えた時、「入国管理政策への問題意識」という答えは、自分に対する強弁のように思えてしまいました。美名のもと、最も大切な自分の感情に蓋をしている気がしてなりません。

私が研究を続ける本当の理由。それは「クルド人のため」というよりむしろ、「自分のため」だったのかもしれません。

私がそう思う理由を語るには、小学生まで時間を遡らなければなりません。

 

気付いたら「まわりに合わせる」ことが性格になっていた

小学3年生の時、自分は「まわりと違う」のだということを漠然と理解しました。

その理由は、それほど珍しいことではありません。「仲間はずれ」にあったのです。

面と向かってその理由を言われたことも、わざわざ訊いたこともありません。きっと幼いころから発症していたアトピー性皮膚炎が原因だったのでしょう。

かゆみに気を取られ、集中力も落ち着きもなかった私は、クラスメイトの目にはまぬけに映っていただろうし、なによりも、腫れた肌がまわりとの違いをはっきりと示していました。ある日渡された「絶交」の文字が書かれた手紙は、静かに現実を突きつけてくれました。

白い肌=美だということは、よくわかっていました。

体育の前に日焼け止めを塗りたくるクラスメイト。雑誌のメイク特集で使われる「陶器肌」という言葉。まわりと比べれば、自分がいわゆる「美」の基準から離れていることもよく分かっていました。

中高では、できるだけ目立たない生き方を学びました。

恋愛の相談役、仲間割れの仲介、連れションあたりはお手の物。目立つことも疎外されることもないような「いいヤツ」ポジションを獲得していきました。好かず嫌われずな生活はそれはそれで楽でした。おかげで人には恵まれたし、こんな八方美人な自分を理解してくれる友人もできました。

 

しかし、自分を隠していても満足できる人生はそう長くは続きません。

大学に入り、イギリスに1年間留学に行ったのを機に少しずつ歯車が狂い始めました。

日焼けしようと必死なイギリス人のルームメイトに向かって、「白くてきれいなのになんでわざわざ?」と訊くと、半ギレで「『白』じゃない、小麦色だ」と返されたり。アトピーで色素沈着した私の黒い肌を「イイじゃん」と褒めたり。

それまで、「美白」や「陶器肌」が美しい女性だと思ってきたからこそ、予想外のコメントに唖然としてしまいました。

社会的に築かれた「美白至上主義」は日本から一歩出れば真逆なのだ。

そのことは私を安心させてくれました。それと同時に、同調することが性格にすらなっていた私は、一つの事実と向き合わざるを得なくなりました。

「私は自分らしさを押し殺して生きていた」ということです。

 

日本での生きづらさが私たちの共通項だった

できるだけ引き出しの奥の奥にしまっておきたかった歴史を、ずいぶんごっそりと掘り起こしてしまった気がします。

こんな幼少期の思い出話が、クルド人とどう繋がるというのか...。

クルド人とは、まさにイギリスからの帰国後に出会いました。ちょうど日本での生活に窮屈感を抱きはじめた時でした。

「まわりと違っていい」ということを受け入れるときに、共感してくれる誰かを必要としていたのでしょう。

それがクルド人でした。

そこには、なんというか、親近感のようなものが芽生えました。不思議なことです。

私とクルド人は(言うまでもなく)まったく違います。

日本生まれ日本育ちの私は、マジョリティの恩恵を享受しています。言葉や文化が就職に不利になるということもないでしょう。保険が効くから、月に1回は歯医者さんで検診を受けます。さらには、このように国内に自分のことばを発信する機会すらいただいています。

でも、私たちにはひとつだけ共通項がありました。それは日本社会での生きづらさでした。

クルド人も私と同じように、日本の文化になじめず苦労してきたのです。

たとえば、2019年4月、小学校でクルド人へのいじめが話題になりましたメディアで取り上げられている事例は氷山の一角に過ぎません。

現地で話を聞いていると、いじめを体験している子どもたちの多さに驚かされます。その理由は、「クルド人だから」というより、「毛がくるくるしているから」や「喋り方が少し違うから」といった「外国人だから」ということのほうが大きいでしょう。

文化的な違いはもちろん、クルド人の場合、制度的な生きづらさが直近の課題です。

定期的な入管への出頭の度、収容や強制送還を恐れながら生きる仮放免のクルド人がたくさんいます。

そして、生まれ育ったはずの日本で働けるかも分からないクルド人の若者たちは、どのような未来を夢見れば良いのでしょう。

このようなケースからわかるように、私の悩みなど、クルド人の生きづらさに比べたら些細なものです。

それでも、生きづらさという共通項は、明らかに研究の大きな原動力となっていたのです。

 

多文化共生って「外国人×日本人」だけの話じゃない

ムスタファ(仮名)は私の友人です。2016年から2年半、入管施設に収容されていました。

私は彼に「日本のこときらい?」と聞いたことがあります。

彼は「大好きだ」と答えました。

「人間の指は5本とも違うでしょ。親指と小指でかたちが違うのと同じように、日本人にもいろんな人がいる。入管で出会った冷たい職員のような人もいれば、あなたのような人もいるでしょ。だから日本のことを嫌いになるってことは絶対ありえない」。

Kanna Shirato
ムスタファの家でご馳走になったクルド料理とチャイ。

外国人受け入れの議論には必ず「多文化共生」というワードがセットのように付いてきます。

たしかに、クルド人と日本人の共生は、私たちが向き合い続けなければならない課題です。

でも、多文化共生って実は、外国人だけのためのものではありません。

日本人も含めた、みんなのためのものなのです。

国や自治体は「多文化」を”外国人”と”日本人”間の問題として捉えていますが、「違い」があるのは外国人だけではありません。

日本人だって、5本の指と同じように、性格もルックスも価値観も違うはずです。

私は在日クルド人という窓を通して、私を含めた日本人の生きやすい社会を実現したかった。それが私が在日クルド人の研究を続ける「パーソナルな理由」です。