『マンデラ 自由への長い道』―"強い気持ち"が改革には必要 宿輪純一のシネマ経済学(42)

2013年12月に“95歳”で逝去した元南アフリカ大統領ネルソン・マンデラが書いた「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝」を実写化した伝記ドラマ。南アフリカの有名な人種隔離政策「アパルトヘイト(Apartheid:アフリカーンス語で分離・隔離)」に挑む政治闘士から南アフリカ共和国の大統領となった彼が歩んだ正に波瀾万丈の人生を、重く映画化。

『マンデラ 自由への長い道』(2013年イギリス・南アフリカ共和国/Mandela: Long Walk to Freedom )

2013年12月に“95歳”で逝去した元南アフリカ大統領ネルソン・マンデラが書いた「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝」を実写化した伝記ドラマ。南アフリカの有名な人種隔離政策「アパルトヘイト(Apartheid:アフリカーンス語で分離・隔離)」に挑む政治闘士から南アフリカ共和国の大統領となった彼が歩んだ正に波瀾万丈の人生を、重く映画化。

今年は大統領就任20周年でもある。他にもドキュメンタリー『ネルソン・マンデラ釈放の真実』(2013年)も上映されている。マンデラを描いた映画は他にも、マンデラと看守との交流を描いた『マンデラの名もなき看守』(2007年)、モーガン・フリーマンがマンデラを演じた、ラグビー・ワールド・カップに向けた団結の努力を描く『インビクタス/負けざる者たち』(2009年)などもある。

本作の主題歌は、実際にマンデラと親交の深かったU2のボノが作品のために書き下ろしたもの。(U2のボノはポーランドのワレサをテーマに曲を作っている)

人種隔離政策アパルトヘイトによって、アメリカ以上に、白人が絶対的優位に立ち、黒人たちがひどく迫害されていた、南アフリカ共和国。弁護士として働いていたネルソン・マンデラは、許されない差別や偏見が当然となっている環境に強い疑問と怒りを感じていた。彼自身、反アパルトヘイトの政治活動に身を投じていくが、当局から目を付けられるようになる。ついには国家反逆罪で逮捕され“終身刑”という重い判決が下り投獄される。

1964年から終身犯として実際に約27年もの期間にわたり牢獄に入った。このような酷い過酷な仕打ちを受けてもマンデラのアパルトヘイト撤廃への“強い気持ち”が揺るがなかった。さらに、マンデラがすごいのは、このような酷い仕打ちを受けても、報復や復讐という気持ちは持たず、和解・協調という気持ちを持ち続けたこと。出獄したときにも、嫌なことをしてきた関係者を「許す」とコメントして世界を驚かせた。

また、彼は向学心旺盛で、夜学などでも勉強し、勉強を継続していた。獄中でも“強い気持ち”をベースとして、通信教育で勉強を継続し、獄中で勉強会も行っていた。

このような揺るがない“強い気持ち”があってこそ「改革」を進めることができる。物事を変えることは、大変なのである。それを実現できるのは“強い気持ち”が必要不可欠である。現在の日本経済も劣化が止まらない。色々なところで危機的状況の可能性が議論されている。改革しなければならないということは、流石にほとんどの方は分かっている。しかし、実行するのは大変なのである。現在の日本で“強い気持ち”は感じられない。まずは「なぜ改革が必要なのか」を隠さずにきちんと説明することが、逆に改革に向かう“強い気持ち”をもたらすことになるのではないだろうか。

個人的な話で恐縮ですが、筆者に対しては一部に誤解もある。大学院も、留学も一切行っていない。普通に大学を卒業し、現場で勤労してきた。会社でも特に選抜されなかった。仕事は実務のみである。実際に仕事も大変であったが、経済学博士号を一生の目標と定め、強い気持ちを持って働きながら20年近くコツコツ経済学の勉強を続け、やっと拝受することができた。

マンデラの終身刑を受けてからの勉強と努力は本当にすごいと思う。これも“強い気持ち”によるものであろう。彼の人生そのものがお手本である。

「宿輪ゼミ」

経済学博士・エコノミスト・慶應義塾大学経済学部非常勤講師・映画評論家の宿輪先生が2006年4月から行っているボランティア公開講義。その始まりは東京大学大学院の学生さんがもっと講義を聞きたいとして始めたもの。どなたでも参加でき、分かり易い講義は好評。「日本経済新聞」や「アエラ」の記事にも。この2014年4月2日の第155回のゼミで"9年目"に突入しました。

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