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弱冠30歳で家電ブランドを立ちあげた中澤優子さん「戦略を考えるよりも大事だったのは...」

アップ・キューは、2015年6月に立ち上がったばかりのスタートアップ企業。その代表を務める中澤優子さんは、創業からたった2ヶ月でオリジナル製品を流通にのせた。
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モノづくりの世界、そして家電業界に激震が走った。弱冠30歳の女性がオリジナル電化製品を企画。たった2ヶ月で流通に乗せた。その数...なんと全17種24製品。ラインナップはスマホ、Bluetoothイヤホン、4Kディスプレイなど。同プロジェクトを実現させた「中澤優子」とは何者?そして背景にある「覚悟」とは?

2ヶ月で自社家電を販売にまで導いた「中澤優子」とは?

UPQ(アップ・キュー)は、2015年6月に立ち上がったばかりのスタートアップだ。驚くべきことに同年8月に製品発表会を実施。スマホ、Bluetoothイヤホン、4Kディスプレイなど全17種24製品の販売をたった2ヶ月でスタートさせ、業界内外に衝撃を与えた。

ただ、意外と知られていないのが、代表である中澤優子さんがどういった人物なのか?ということ。じつは彼女、もともとは2007年にカシオに新卒入社し、商品企画を担当。カシオを退社した後、カフェオーナーへ...という異色の経歴の持ち主(現在もそのカフェ経営は続けており、土日やランチタイムには、行列ができるほどの人気店となっている)。

いったい彼女はどのような人生を歩んできたのか?なぜ、自ら電化製品をつくり、販売しようと考えたのか?その背景には「命を懸けて、やりたいことに情熱を傾ける」という人並み外れた覚悟があった。

たった2ヶ月で商品化できたカラクリ

― はじめに、会社設立2ヶ月で24製品を開発して販売と、このスピード感と製品群に多くの人が驚いたと思います。一体どんなカラクリがあるのでしょう?

本来、メーカーに必要だった倉庫・工場を自社で所有せず、企画から開発、製造・販売まで完結できるようにした、ここが大きいと思います。

どれくらい売れたか? 仕入れればいいか? 先に決めてから、その分をつくって納める、というやり方。実際、自社で倉庫や工場を持たず、製造は海外の工場に委託し、販売はまずはDMM.make STOREに納めるという方法です。もし1年前だったらできていなかったこと。「今だからできる」というタイミングもあったと思います。

何より、同じように製品化・販売まで先駆けて行なっていたCerevoの存在が大きいですね。代表である岩佐さんにもご協力いただいていて、委託先となる中国工場における質、必要なライン、製造にかかる期間の精査、そしてユーザーサポート面など、Cerevoのノウハウがなければ実現しませんでした。

― それにしても2ヶ月は圧倒的なスピードです。そもそも「やってみよう」なんて誰も考えない気も...。

突拍子のない課題があると、どうにかクリアしたいって思って解決策を探す、そしてどうにかする。やったことないことをクリアするために、知恵を絞ってまずは行動するのが好きなんです、ルーチンワークがすごく嫌いで(笑)中国や海外の工場とも仕様やロット、製造期間などなど英語での折衝が必要で、そんなことやったことなかったですが...なんとかなりました。

たとえば、「1日で海外に会社をつくってこい」と言われたら、やったことなくても、どうにかしてやろう、と思ってしまうタイプなんでよね。「よくもまあ、いつも過酷な環境に身を置くねー」って言われるのですが、好きなんですよね(笑)

― ちなみに、カラーが「エメラルド」で統一されていますが、その理由とは?

理由の1つとして、実はコレ、2015年夏の流行色だから、という理由で選びました。2ヶ月でつくれるということは「今、この色が流行っているから取り入れよう」ということができる。そのくらい短いスパン、スキームで電化製品をつくっているという表明でもあります。メーカーにいた人間からすると、かなり衝撃的なことなんですよね。セカンドシーズンも発表時期に合わせ、流行に追いつく形でカラーを決めようかなと思っています。

電化製品にかぎらず、アパレルでも「来年はこれが流行る」という予測をもとに、1年前以上も前に商品企画するわけですが、フタを開けてみたら流行らず、大ゴケすることもある。短期間で企画・販売できれば、こういったリスクは無くなりますよね。

エクセルさえ知らない「どこにでもいる女子大生」だった

― 中澤さん、個人のことについても伺わせてください。もともとカシオで働いていたそうですが、なぜ電化製品に興味を持ったのでしょう?

私、これでも文系なんですよ。大学は経済学部でした。多くの人がそうだと思うのですが、やりたいことが自分でもわからなくて...いわゆるどこにでもいる大学生。高校時代の友達は、けっこう「教師になりたい」とか「医者になりたい」とか、みんな進路を決めていて。私は何がしたいかわからないから、とりあえず経済学部を選んだという感じでした。

― それが、なぜカシオに入社することになったのでしょうか?

大学2年生の時、やりたいことを探そうと就活してみたんですよね。3年生のふりして、銀行・商社・メーカー・サービス...とにかくいろんな業界をあたってみました。商社ってなに?メーカーとどう違うの?という状態からのスタート。そこからあらためて自分のコトを振り返ることができました。

昔からすごい機械音痴で、パソコンが起動しなかったらドンドン!って叩いたり、いきなり電源を切っちゃったり。それこそ学生時代はエクセルもパワポもそれが何なのかさえ知らなかったです。

でも、ケータイだけは中学生の頃から親しんでいた。そのうち、デザインや新機種が気になり始めて、ついにはケータイショップでアルバイトするくらいケータイに入れ込んじゃったんです。販売してみて知ったのですが、月に1台も売れない機種があるんですよ。これは誰が企画してるんだろう?もっとこうすればいいのに...って。そんな思いが蘇ってきて「じゃあ、自分がケータイをつくる人になろう」とメーカーに絞って新卒の選考を受けるようになりました。

カシオが教えてくれた「モノづくりへの情熱」と「仲間の大切さ」

― たくさんのメーカーがあるなか、なぜカシオだったのでしょうか?

カシオはいい意味で変な会社だったんですよね(笑)

右も左もわからない新卒の女子が「ケータイをつくりたい」って言ったら、普通だったら「法人ビジネスだし、複雑な機器だし、文系の新人にはムリだよ」って言われるのに、カシオでは「やってみたらいいよ」って言ってくれたのです。就活で最後に受けたのがカシオだったのですが、どうせまた文系新人には難しいっていわれて追い返されると、諦めも半分あったので、金融系に進もうかなと思ってたくらいで。就活モードもオフになってる時期で、茶髪で面接に行っちゃって...それでも入社させてくれるって、「就活マニュアル本」なんだったんだ、って感じですよね(笑)

入社して、カシオの開発思想、プロダクトには熱狂的なファンがいること、G-shock同様のタフネス携帯の開発秘話...わくわくするようなモノづくりの話をしてくれる先輩たちがたくさんいて、本当にステキな仲間たちに出会えました。

ただ、入社した2007年は、ちょうどiPhoneが発売されるかどうかの時期。業界がガラっと変わる時期でした。カシオでも、自分たちなりの色を出そうとがんばったのですが、環境要因も含め、単純に「いいものをつくりたい」という思いだけではどうしようもならないことも。全然お金が足りないとか、時間がないとか。

30年、40年前って、どのようなメーカーでも、みんながむしゃらに新商品開発して、研究して、世に出したいってキラキラした眼で働いていたと思うんです。そういう空気を私自身は経験ができず...経験してきた人たちでさえ眼の輝きを失っているように見えて。

結局、事業もうまくいかず、携帯電話における開発部門が解散してしまった。なんとかしたかったけど、力が及ばず...すごく悔しくて。「次も一緒にやりましょう」と言っていた大切な仲間...仲間といっても40代、50代の大先輩達なんですけど、完全に離散という形になりました。当時は、凄く優秀なエンジニアも退職を余儀なくされて、アルバイトしかやれることないみたいな人もいる状況で。みんなそれですごく落ち込んじゃって...。

でも、どこかで「マイナス思考でもしょうがないでしょ!」みたいな気持ちも私のなかにはありました。だったら、「愚痴をいうのではなく、笑って昔話をできたり、なにか新しいことを思いついたり、みんなが集まれる場所があったらいいんだ。よし!私が秋葉原にカフェをオープンするからみんな部品とか買いにくるついでに遊びにきてよ」という想いもあって、カフェをオープンしたんです。

私がカシオで体得したのは「頑張った分だけ明日の商品は良くなる。」ということ。だからこそ睡眠時間を削ってでも頑張りたいと思ってしまうんですね。小規模でもそれができる道を探して、カフェというカタチでの新しいスタートを切ることにしました。

生きていくためなら、がむしゃらに何でも出来るはず

― ただ、カフェの開業もそんなに簡単じゃないですよね、お金もかかりますし。

じつはどこからも借り入れしてなくて。退職金があったのですが、そのお金って旅行に使っちゃえば終わっちゃうかもしれませんが、身の丈に合った資本で店を開けてみよう、と。

...わりと楽観的で、けっこう前向きにさくさくと判断をし続けるというか。カフェの開業にしても、本とかネットには「開業資金は1000万以上、準備期間は3ヶ月が必要」とか書いてあるんですよ。でも、そんなお金はないし、3ヶ月もダラダラ準備なんてやっていられない。ボトルネックを洗い出していくと役所の申請だったり、人手だったり、集客だったり。それらを精査していけば「ん?1ヶ月経たないうちにオープンできるかも」って、とりあえずやってみたらできちゃった。

いろいろと机上で考えることはできるんですよね。事業計画もそうですが、立ててみることはできるし、大事ではあるのだけど、それ通りに進むことなんてほとんどない。生きていくためなら、がむしゃらに人を呼ぶだろうし、何かやるだろうし。その時々の判断を大切にして「これがいけそう」「これにチャレンジしてみよう」を繰り返しているだけ。目利きだけで突っ走っちゃう感じかもしれません。もちろん先も見るし、戦略も大事なんですけど、「で、それっていつ現実に落ちてくるの?」っていう話は多い。近視的なやり方のほうがあっているんだと思います。

仕事とは「命をかけてやる趣味」

― 最後に、中澤さんにとっての「仕事」とは何か? 伺わせてください。

私の仕事は本気の趣味ですね。全てを懸けてやる趣味だと思います。物事をお金では見ていなくて、楽しいか、楽しくないか。「苦しい」も「楽しい」の一部として考えられることしかやりたくないです。だから、何かを天秤にかけた時、ほとんどの場合、仕事優先になりますし、没頭できるんだと思います。これは、サラリーマンのいわゆる言い訳の「仕事優先」とは覚悟が違って、生半可な状態でこの言葉は使ってはいけないと思っています。

あと「これはいいね」と言われるようなゴールに向かってチームで頑張りたい。すばらしいスキルや技術を持った人たち、職人さんがたくさんいる。それぞれのスキルを上手くガチャっと組み合わせて、私のスキルも上に被せれば、きっといいものできると毎回考えています。

― プロジェクトの推進者、スタートアップを志す者として、一番大切なことはなんでしょう?

もし、商品にして売りたい、それで生きていきたいと思うなら命を懸けることだと思います。私は全てを懸けていて。もちろん、電子工作は嗜み、休日の趣味として好きでやっている人を否定しているわけではありません。ハッカソンなどイベント的に楽しんでいる人もたくさんいるので、それを否定するつもりは全くないです。

ただ、そこを超えたいのであれば「命を懸けよう」とそれだけ。その一歩が踏み出せない人はカフェさえオープンできないし、モノをつくって売るところまで辿りつけないと思います。当然、そこがゴールじゃないし、私自身もまだまだこれから。UPQの展開を楽しみにしてほしいと思います。

― 中澤さんのスタートアップにおける「覚悟」を垣間みることができました。これからの展開、楽しみにしています。本日はありがとうございました!

[取材・文]白石勝也

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