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2019年04月09日 14時25分 JST | 更新 2019年04月09日 14時25分 JST

新元号決めた「有識者懇談会」のメンバーを「女性」と分類したテレビ番組が物議。その根底にある“当たり前”の意識とは?

筆者は、このバイアスを変える一番現実的な方法は「女性のフルタイム従事者を増やすこと」であると考えている。

時事通信フォト
「元号に関する懇談会」に臨む有識者。番組内で「女性」と分類された宮崎緑さんと林真理子さんの姿が。

4月1日に放送された日本テレビ系ニュースサイトの「News24」で、新元号決定に至る過程を説明する際、池上彰氏が「有識者懇談会」に出席した女性有識者を「女性」と分類して紹介した。これに批判が殺到している。

 

平成の改元時、有識者メンバーに選ばれた女性は一人だった

 

新元号について有識者の意見を聞く「元号に関する懇談会」のメンバーは9人。男性7人、女性2人である。

番組側はせめて「男性が7人、女性が2人では、男女のバランスが悪いですね」と解説すればよかったものの、男性は「学識経験者」「法曹界」「経済界」「教育界」「マスコミ界」と所属する業界で分類した一方で、女性は「女性」とカテゴライズ。

メンバーの選考にあたっては、おのおの領域での実績および社会的評価と安倍政権との親和性を基準にしたのだろうが、直木賞作家の林真理子氏は文学界であり、大学教授である宮崎緑氏は、ノーベル賞受賞の山中教授と同様の学識経験者に分類されるべきであろう。にも関わらず、番組は2人の女性を、「女性」という分類にしたのである。

日本テレビは、「昔なら女性はほとんどいなかったのに、今回は二人もいます。まさに安倍政権の女性が輝く社会です」と“よいしょ”したかったのかもしれない。

今回と同様に、平成に改元する際にも、1989年1月7日に「元号に関する有識者懇談会」が開催されている。決まり文句の「国民の声を新元号に反映させる」との観点から、各界の代表者から8人が選定された。内訳はマスコミ界3人、教育界2人、学識経験者(文化勲章受章者)2人、女性は縫田曄子・元国立婦人教育会館館長の1人。全員が60歳以上だった。今回は、女性は2人になったので進歩なのだろう。まあ、30年で一人増えただけ、だが。

年齢はついて言えば、今回は山中教授が50代半ば、残りの8人は70代と60代が4人ずつである。国民の声の代表は高齢者であることは変わっていないようだ。

ハフポストの読者の多くは、言うまでもなくこの分類に違和感を感ずるであろう。しかし、天下の日本テレビで、解説が良識的な池上氏であっても、これをノーチェックでオンエアしてしまうところに、日本社会において「女は女」という考えがいかに染みついているかがわかる。

番組側は別段悪意があって、ああいう分類をしたわけではないだろう。制作者にとって「女は女」と括るのが当たり前だっただけである。当然、この「女は女」という括りには、女性を下に見る考えが根底にある。つまり、男性優位で、男の社会に女がいると言う認識だ。この端的な例は、「おなごのくせに」が依然支配的で女性市議がいたことがない鹿児島県垂水市であろう。

 

「当たり前」と考えること自体が、バイアスである

 

男性優位の社会の中で「当たり前」だと思われていることは、ほかにもたくさんある。例えば、変わりつつあるとはいえ、依然として仕事は男の世界であり、そこで働く女性は男性のように働くことを暗に求められている。致し方ないが、女性もそれに適応しようとしている。郷に入っては郷にしたがえ、要は、意識に登らない当たり前、多数派の通念である。 

昨今、若者の低賃金化を結婚や出産と結びつける議論が多いようにも感じる。アンケートなどで抽出された「この給料では結婚できない」という男性、「ある一定の所得がない相手でないと結婚できない」という女性の意見を引き合いに出し、「賃金を上げれば、きっと結婚して、少子化に歯止めがかかるかもしれない「だから若者の賃金を上げるべき」などと議論されているのだ。

しかし、ちょっと待って欲しい。もちろん、賃金を上げられるのであれば、上げればよいと思う。だが、こうしたアンケートの質問は「男性は嫁を迎えて養う、女性は結婚して養ってもらえる」という前提のもとに設問が作られているのだ。

だが、これを偏見と非難してもしようがない。偏見(バイアス)を持つ側は、えてして自分にバイアスがかかっていることを自覚していない。なぜなら、「当たり前」だからである。しかし、「当たり前」と考えること自体が、間違いなくバイアスなのである。これを自覚させるのはなかなか難しい。少なくとも「バイアスはやめよう」という掛け声では変わらない。多くの人々が日々の生活での変化を自覚しなければ、強く埋め込まれたバイアスは変わらない。

筆者は、このバイアスを変える一番現実的な方法は「女性のフルタイム従事者を増やすこと」であると考えている。

企業も優秀な人材を集めたければ、女性の採用を増やさざるを得ないのが昨今の現実。グローバルな競争環境では、日本お得意の「俺は男だ」は通用しない。また、少子化によって生産年齢人口(生産活動に従事しうる年齢の人口)が減少する中で、女性の採用は必然であろう。

晩婚化や離婚率の上昇や終身雇用の不安定化などによって、経済的自活の必要性を自覚する女性が増加している。もはや「専業主婦」は憧れのライフモデルとは言えないと考える女性も多いのではないだろうか。

女性だけではない、男性も同様の考えを持つ人が増えている。つまり男性にとって「専業主婦のパートタイム」ではなく、「妻もフルタイム」で働くことが重要になってきているのだ。

 経済力の男女間での差が縮まっていけば、「養ってやる」「養ってもらう」という意識が薄れる。そうなればもはや、男側の「女は女」というバイアスは通用しなくなるであろう。いや、自然消滅するのではないであろか。

それだけではない。バイアスがなくなれば、夫よりも妻が稼ぐ可能性が十分に出てくる。「稼ぐ夫と家事をする専業主婦」「主たる生計者と、片手間に仕事をしながら主に家事を担う妻」といった形ではない、さまざまな夫婦のパターンが生まれるのではないか。当然、非婚率もあがるであろうし、子供を設けない夫婦も増えるであろう。それも多様性である。

 

「男」「女」でくくる必要がない社会を目指して

 

だからこそ筆者は、女性に出産や子育ての不安があっても、フルタイムという選択肢にこだわって欲しいと考える。

当然、それを支える仕組みを企業や政府は真剣に考えるべきであろう。企業は採用と人材のつなぎ止めに必死なので真剣に制度改革をしている。そのうち、企業都合の転勤が前提の総合職も、共働きを念頭に置く男性も増えているので優秀な人材を引き付けられなくなる可能性は十分にあることを企業は理解し始めている。

一方で政府の動きは遅い。理由は簡単で、現在の政権が、女性が一歩引いて家庭を守るのが美しい日本の家庭だと考えているからである。また、保育園の問題は、ゼロ歳児や3歳からの年少枠(費用が高いのはわかっているが)が少なすぎる。つまり、出産し復職する女性がフルタイム勤務を継続することを念頭に保育園を整備していない。これも、母親は育児に数年は専念すべきという政権のお考えであろう。

さらに筆者がすぐにでも政府に期待するは、貧困率の極めて高い働くシングルマザーの支援である。これができるかどうかが、政府の女性のフルタイム支援への真剣度合いの試金石ではないであろうか。

まずは、男と女でくくることで変化を認めず、昔と同じで大丈夫と言う自身の精神的怠惰を認識しよう。そして、男女の前に個人であるということを強く意識し、「女性が女性としかカテゴライズされない社会」を根底から変えていくことが、日本の将来につながるのはないだろうか。