北朝鮮が短距離ミサイル発射か。アメリカや日本との関係を振り返ると…。

韓国軍は、5月4日午前9時6分~27分に、北朝鮮が「短距離の発射体」を発射したと発表した。
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長とアメリカのトランプ大統領の人形
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長とアメリカのトランプ大統領の人形
時事通信社

北朝鮮が5月4日午前9時6分~27分に、「短距離の発射体」を発射したと韓国軍合同参謀本部が伝えた。当初、「短距離ミサイル」と発表していたが、その後に飛翔体と表現を変更した。

今回の発射がミサイルだった場合、2017年11月の「火星15型」が発射されて以来、1年5カ月ぶりだという

国連の安全保障理事会は度重なるミサイルの発射や、核開発など北朝鮮の姿勢に対し、制裁を強化してきた。2018年8月にはアメリカからの提案で、人道支援に支障が起きないよう新たな制裁の指針がまとめられた。

北朝鮮はなぜ核やミサイルの開発をやめないのか。これまでの経緯を追った。

1948年、「分断国家」として北朝鮮と韓国が建国

第二次世界大戦の終戦直後の1948年。アメリカとソ連が対立するなか「分断国家」として生まれたのが北朝鮮と韓国だった。

韓国国防省によると、北朝鮮の核開発が始まったのは、1950年代という。バックアップに回ったのがソ連だった。

当時の最高指導者の金日成氏は、核開発初期の1968年、米国が世界各地で紛争を起こしているとして核科学者らに「アメリカ本土に核爆弾を落とそう」と演説

ただ、1970年代に中国やソ連の“東側諸国”がアメリカと関係を改善したことにより、北朝鮮は後ろ盾を失った。すると独自に核開発を急ぐようになった。

北朝鮮の軍事パレード
北朝鮮の軍事パレード
AFP=時事

金日成氏の後を継いだ金正日氏は、軍事を最優先させる「先軍政治」を明確に打ち出した。

また、金正恩氏もその思想を受け継ぎ、アメリカから自国を守る「正義の宝剣」として核やミサイルの開発を続けた。

朝鮮戦争は、半世紀以上も終結していない

なぜ北朝鮮は、アメリカを警戒するのか。

2019年2月の第2回米朝首脳会議の最大のポイントとして、世界から注目を浴びたのが「朝鮮戦争の終結」だった。

1950年6月25日に、北朝鮮の奇襲によって始まった韓国との「朝鮮戦争」は、北朝鮮側についた中国やソ連と、韓国側についたアメリカやイギリス、国際連合軍による戦争となった。

1953年7月27日にいったん休戦宣言が出されたものの、「終結」には至っていない。

北朝鮮は朝鮮戦争の敵国の主力であるアメリカ軍に対し、抵抗するための武器の開発を続け、外交の切り札として核やミサイルも手放さなかった。

第2回米朝首脳会議を前に、自信満々のトランプ大統領は「この戦争を終結させる用意がある」とメディアに語っていたが、交渉は決裂。

終戦宣言の見通しは途絶えた。

交渉では、アメリカ側が求める北朝鮮の非核化に対し、北朝鮮側は制裁の全面解除を求め、その大きなギャップが浮き彫りになっていた

第2回米朝首脳会談=2019年2月28日
第2回米朝首脳会談=2019年2月28日
AFP=時事

日朝関係は?日本からの「前提条件なし」で会談実現を目指していた矢先だった

日朝首脳会談は、これまで拉致問題で一定の前進があることを前提としてきたが、日本政府は「前提条件なし」として会談の実現に向けた調整を進める方針を5月2日までに固めていた

歩み寄りの姿勢を示したものの、北朝鮮が応じる見通しは不明で、会談の実現についてめどは立っていない。

会談が行われるとすれば、2002年9月17日に当時の小泉純一郎首相と金正日総書記が首脳会談で署名した「日朝平壌宣言」に基づき、国交正常化を目指す姿勢を打ち出し、話し合いを進める予定という。

日朝首脳会談を前に握手する小泉純一郎首相(左)と北朝鮮の金正日総書記(午前、北朝鮮・平壌市郊外の大同江迎賓館)= 2004年5月22日 [代表撮影]
日朝首脳会談を前に握手する小泉純一郎首相(左)と北朝鮮の金正日総書記(午前、北朝鮮・平壌市郊外の大同江迎賓館)= 2004年5月22日 [代表撮影]
時事通信社

日朝平壌宣言には、主に次の事項が盛り込まれている。

・日朝国交正常化交渉の再開

・植民地支配に対する日本側の「痛切な反省と心からのおわび」の表明

・国交正常化後の日本からの経済協力

・「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」が再発しないよう北朝鮮側が適切な措置をとる

・核問題の包括的解決のため、関連するすべての国際的合意を順守する

注目記事