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“おひとりさま”を許してもらえる日本が好き。 「ひとり」になるために嘘を重ねた日々からの気づき

誰かといるときよりも、自分らしくいられるなら「おひとりさま」でいいじゃないか。
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なぜ私はこんなにもおひとりさまが好きなのか?

いらっしゃいませ! おひとりさまですか?

レストランに入ると、一番先にかけてもらう言葉。満面の笑みで、大きな声で、そして一人でいることに「さま」までつけてもらえて。一人の時間が何よりも大事な私にとって、日本はまぎれもなく天国だ。

30年ほど昔。母親の世代なら、女一人でレストランに行く。さらには旅行に行くなんてとんでもないこと、だったそうだ。女の一人旅は「ワケあり」。だから女ひとりの客はお断りする旅館は少なくなかったらしい。

そんな日本の風習は、私が旅を始める頃にはすっかり変わっていた。国内のリゾートホテルでもハイシーズンじゃなければ「おひとりさま」プランが用意されている。旅だけじゃない、ラーメン屋のカウンターだって仕切りがついて一人でラーメンを食べられるし、一人専門焼肉屋やカラオケ屋まである。まさにおひとりさまの時代。

ひとりでレストランに行き、映画を見て、夏フェスに参戦し、世界中を旅する私にとって追い風が吹いているような気がする。でもそもそも、なぜ私はこんなにもおひとりさまが好きなんだろう?

1)思い立ったが吉日にできる

誰かと一緒にどこかへ行く。となると、まずは◯日空いてる? と予定を確認して、その後◯◯に一緒にいかない? とその日の目的を伝える必要がある。日程調整がうまくいかないことも多々ある。大人になると仕事や家庭やいろんな理由があって、みんなで同じ時間を空けることは難しい。と、分かっていても、お誘いを断られるとやっぱり落ち込む。

ひとりなら、誰にお伺いをたてる必要もない。自分が行きたいなら、すぐに行けばいい。誰かと予定を合わせ、目的を共有する必要なんてまったくないのだ。

2)好きなことを好きなだけ

私は友だちと買い物に行くのが苦手だ。お互い見たい店は違うし、欲しいものも違う。明らかに一緒にいる人の趣向に合わない(でも私は行きたい)店にいると、早く見終えなきゃ! と内心焦りまくっている。「ごめんね、つまらないよね。すぐ終わるからねー」って。

あとは、写真。心動かされるシーンは人によって違う。私はなんてことのない町並みを写真に収めるのが好き。でも隣の人はそんな日常風景には興味がなくて、絶景を撮影したいと思う。一緒に歩くとき、写真を撮る私は足を止める。ファインダーをのぞいてシャッターを切るまでの間、もう一方の人は立ち止まり撮影が終わるのを待っている。そこでも私は「ごめんね、すぐ終わるからねー」と内心焦っている。

一人なら。どこに行ってそこでどれだけの時間を過ごそうが、謝る相手はいない。そして好きなタイミングで立ち止まってもいいのだ。

誰かに気を使うことなく、自分の勝手だけで動きたい。誰にも迷惑をかけたくない。だから私はひとりを選んでいる。

「ひとりでいることを選んだ」のは私

日本で散々「ひとりでいることの自由」を謳歌した私は、30歳になり初めて海外で暮らすことに決めた。もちろんひとりで。

最初に住んだ台北で経験したこと。

私は毎晩のように同じ食堂でご飯を食べた。何度も通ううちに、お店の人と仲良くなる。すると、店主さんはこう言った。

「まだ友だちができないんだね。私の知り合いを紹介するからね」

いやいや違うんだ、店主さん。留学先の学校で、友だちはたくさんできたよ。でも一緒に授業を受け、協力して課題を終わらせて。そこからさらに、クラスメイトとご飯をともにする気は起きなかった。だって中国語をずっと話すの、疲れるんだもん。毎日同じ食堂でご飯をひとり食べることは、私が自分で選んだことだった。

でも小さな食堂の店主は私が「ひとりでいることを選んだ」なんて、考えもしなかったらしい。

店主さんに私は答える。

「大丈夫だよ。ひとりでいいの」

店主さんはこう返す。

「本当に?さみしくないの?」

台北で3年少し住んだあと、私はベトナムのハノイに引っ越した。ここでは台北以上に一人でいることの肩身が狭い。

私は今シェアハウスに住んでいて、その家の1階はラウンジになっている。出かける時は必ずラウンジを横切らなくてはいけない…。

そのラウンジを横切るとき、誰かは必ず聞いてくる。

「どこへ行くのー?」

「あ、うん。カフェにコーヒーを飲みに」

「誰と行くのー?」

「ひとりだよ。本を読もうと思って」

「えっ…」

一瞬、場が凍る。そして私はフリーズした住民たちを背に、逃げるようにうちを出ていく。このやり取りを何回繰り返しただろうか。ひとりで出かけると言うと、本気で心配される。大丈夫?本当に大丈夫?って。

もちろん大丈夫だよ。私はひとりでいたいから、ひとりで出かけるのだ。

そんな私の本心をベトナムの友人たちは理解できない。毎回憐れみの言葉をかけられるのがいやになってきて、私は嘘を付くようになった。

「友だちとカフェで待ち合わせているの」

って。この世で一番つまらない類の嘘を。

でもこの嘘の威力は絶大。ラウンジでおしゃべりするみんなの時間を凍らせることはなくなった。みんな笑顔で「楽しんでね!」と送り出してくれる。

そう、もちろん。映画を見る、レストランへ行く、旅に出る、ひとりで家を出ていく時は、必ずこう言う。

「現地で友だちと合流するの」

って。つまらない嘘を重ねている、今も。

ベトナムには「おひとりさま」は存在しない。いつも誰かといる。みんな誰かといて、それですごく楽しそうなのだ。

ひとりでいることを許し合える国、日本

日本以外の国で、おひとりさまが浸透しない理由はさまざまだと思う。台湾の人、ベトナムの人それぞれに聞いてみた。

・日本のように空気を読む文化がないから、誰かといても気を使う必要がない

・休みを取りやすいから、旅行の日程をみんなで合わせやすい

・とにかく、ひとりは寂しい!

沢山の人の意見を聞き、なるほどな、と思った。海外と比べると「和」を大事に考えそれを尊重したいと思う日本。だからこそ、時には「和」から離れ、「個」の時間を求めるようになったのかもしれない。

海外から日本へ帰ってくると、私は羽が生えたかのように、カラダとココロが軽くなる。フラッとファミレスにはいっても、映画のチケットを買うときでも

「いらっしゃいませ!おひとりさまですね」

と、どこでも歓迎されるから。ひとりでいることに何のうしろめたさも感じない。「誰かと一緒に行く」なんて、つまらない嘘を吐く必要もない。

何をしてもいい、どこへ行ってもいい、何を感じてもいい。日本国外で過ごす時間がどれだけ長くなろうが、やっぱり私は誰に気をつかう必要がない「おひとりさま」が大好きだ。

ひとりでいることを許し合える。

そして誰かといるときは、そこで生まれる「和」を大切にできる。

日本はよく「個」を大事にできない、なんて聞くけど、海外とは違った形で「個」でいることを尊重し合える国なのではないか。

寂しさは、寂しそうと思われることで生まれてくる。これが海外に住んで、私が骨身にしみるほど感じたこと。ひとりは、寂しいことではない。誰かといるときよりも、自分らしくいられるなら「おひとりさま」でいいじゃないか。

この前、Twitterでこんな風につぶやいてみた。

このツイート。3,500人以上の人が反応してくれた!

そうそう。みんながひとりなら、ひとりでいることはちっとも寂しくない。日本という帰る場所があって、私は幸せだなとしみじみ思いながら、ベトナムのカフェでひとり原稿を書いている。