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2019年06月21日 09時39分 JST | 更新 2019年06月21日 14時19分 JST

八村塁は、いつだってスターだった。バスケを始めた中学から、NBA選手になった今この瞬間までも。

そのルーツや軌跡を、恩師の坂本穣治コーチの言葉を交えながら振り返る。

八村塁選手が、アメリカのプロバスケリーグNBAからドラフト指名を受けた。日本出身選手史上初めて、ドラフト指名からNBAでプレーすることになる。

世界最高峰のリーグが認めるスターに成長した八村選手。バスケを始めた中学からきょうこの瞬間まで、数々の偉業を塗り替え、輝きを放ってきた。

そのルーツや軌跡を、恩師の言葉を交えながら振り返る。 

時事通信社

 

中学校の恩師が後押し「NBA並だ」

八村選手は1998年生まれで、富山県の出身。ベナン人の父と、日本人の母との間に生まれた。

小学生の時は野球少年だった八村選手は、地元・奥田中に進学した後、野球を続けず、友人・コーチの誘いもありバスケットボールを始めた。

初心者でバスケ技術はおぼつかなかったが、持ち前の運動能力の高さと体格を生かして、2年生になると、徐々に試合への出場機会を与えられた。 

八村選手が3年の時、奥田中としても初となる全国大会に出場。決勝戦で強豪の西福岡中学に敗れたが、チームトップの20得点をあげた。

八村選手がアメリカやNBAを意識したのは、恩師の坂本穣治コーチの影響だった。坂本コーチは言う。

「練習中に片手でバスケットボールを掴んで、野球ボールみたいに持ち上げた時、『NBA並だ』と伝えたんです。そしたら、私の言葉を真に受けて、興味を示したみたいです」

「進路については、スカウトに来た高校の指導者と私と親御さんで話しました。NBAは大袈裟なので、『アメリカに行かせてやりたい』という話をしました。どの学校も『アメリカに行けるように努力します』と応じてくれたので、最終的に進路が決まった時には『NBAが近づいたな』みたいな話を塁にしたように記憶しています」

アメリカ、そしてNBAという目標を提げて、宮城県の名門、明成高校へと進学する。

Moses Kinnah via Getty Images

「バスケは、すっごいすっごい楽しいです」

夏のインターハイでは、1年生ながらスタメン起用され、197センチの高身長を生かしてゴール下で存在感を発揮。準決勝で破れて優勝は逃したが、堂々の3位に輝いた。

その年の頂点を決める、冬のウィンターカップ。筆者が、初めて八村選手を生で見た瞬間だった。「ものすごい選手が現れた」と心の興奮を抑えきれなかった。

福岡大付属大濠高校との決勝では、1年生とは思えない類稀なポストプレーで得点を量産。先輩に助けられながら、1人で32点を叩き出し、優勝の立役者となり、大会ベスト5に選出された。

ここから、八村伝説が始まった。

再び大濠高校との対戦となった、2年生の冬のウィンターカップ。同点で迎えた残り50秒。相手のレイアップシュートを豪快にブロックした後のオフェンスで、味方が外したシュートをタップで押し込むと、ゴールを叩いて感情を爆発させた。このゴールが決勝点となり、2連覇を成し遂げた。

「バスケはすっごい楽しいです」

インタビューでそう振り返った。

時事通信社
ダンクシュートを決める明成の八村塁=2014年12月29日、東京体育館

そして3年生。

夏のインターハイは圧倒的な実力で優勝。その後に臨んだ、3連覇がかかったウィンターカップ。国体で破れ、その年唯一の敗北を喫した土浦日大に、30点以上の活躍で雪辱を果たした。

田臥選手が率いる能代工業高校、日本代表比江島慎選手が率いた洛南高校に続いて、史上3校目となるウィンターカップ3連覇を成し遂げ、高校バスケ会の歴史に名を残した。 

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土浦日大に勝って3連覇を果たし、喜ぶ明成の八村塁(中央)ら=2015年12月29日、東京体育館

3年連続でベスト5にも選ばれ、試合後の勝利者インタビューでは、満面の笑みでこう語った。

「みなさん。バスケは、すっごいすっごい楽しいです。バスケは最高です」

最後の大会を3連覇で飾り、八村選手は中学校の恩師の言葉通り、アメリカへと旅立った。

「日本選手通用しない」を覆した

日本選手はバスケでは通用しないーー。その言葉を飲み込まざるを得ない状況が、長年続いてきた。

今は違う。八村選手は、強豪大学で出場機会を勝ち取り、エースにまで成長し、それが単なる思い込みであったことを示してくれた。

体格では不利と言われてきた日本選手が、本場アメリカの舞台で、インサイドプレーで圧倒する。身長2メートル、体重100キロを超えるような強者がひしめき合うゴール下のポジションで、当たり負けしなかった。

1年目は出場機会が限られていたが、2年目はシックスマンとしてチームに貢献するようになった。

そして3年生。八村選手は、エースになった。

強豪チームが招待される2018年11月のトーナメントでは、大学界のトップ選手ザイオン・ウィリアムソン要する名門デューク大学を破って優勝。チームの得点王だった八村選手は、MVPに輝いた。NBAスカウトが注目する大会での活躍で、八村選手のドラフト指名は現実味を帯びていった。

Darryl Oumi via Getty Images
MVPに輝いた八村選手

全米一を決めるNCAAトーナメントではベスト8で惜敗したが、20得点以上を出す試合もあり、存在感を見せつけた。 

アメリカでも高い評価を受け、全米コーチ協会や、スポーツ専門誌が選ぶ全米「ベスト5」に三度選出に加えて、全米大学男子バスケのポジション別のMVPにも選出。アメリカでも世代トップクラス選手に仲間入りした。

USA TODAY USPW / Reuters

崖っぷちの日本代表を救った

日本代表としての活躍も光る。各世代のアンダーカテゴリーで代表入りし、2014年に高校2年で参加した17歳以下の世界選手権では、その名を世界にとどろかせた。 

チームは1勝6敗の14位に終わったが、八村選手は奮起し、強豪国相手に毎試合平均20点以上を奪った。大会全体でも得点王となり、国際大会の舞台で活躍できることを証明し、海外のバスケ関係者からも注目される存在となった。

高校3年で、A代表候補に初選出。

その後はアメリカに渡り代表招集を断っていたが、2018年にワールドカップ予選に合わせて、緊急帰国。

初戦から4連敗を喫し、1次予選突破すら絶望的な状況だった日本の救世主として、八村選手は最後の望みを託された。

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アジア地区1次予選・日本- オーストラリア。第1クオーター、ドリブルでカットインする日本代表の八村塁(右、米ゴンザガ大)=2018年6月29日、千葉ポートアリーナ

次の相手は、現役NBA選手を複数擁する世界屈指の強豪オーストラリア。勝ち目は薄かったが、八村選手が24点を叩き出し、誰もが予想していなかった劇的なジャイアントキリングを演じた。 

ここから日本の快進撃が始まった。4連敗からの8連勝でワールドカップ出場を勝ち取り、その後、念願だった東京オリンピックへの出場も決まった。

八村選手が、日本の望みを現実に変えた。

ワールドカップは9月に中国で開催され、日本は予選リーグでアメリカと戦う。

NBA選手として、そして日本代表としてどこまで活躍を見せてくれるのか。想像をはるかに超えて成長した八村選手に、恩師の坂本コーチも「NBAを楽しんでこい」とエールを送った。