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2019年06月24日 11時35分 JST | 更新 2019年07月03日 12時12分 JST

「働く女性の不妊治療」の話。仕事と妊活を両立する難しさを知っているからこそ、支援したい

「どうしたらピンチをチャンスに変えられるか」を伝えるために、実名を出して妊活を発信し続けた。

ここ数年、雑誌やインターネットなどメディアで取り上げられることが激増した妊活や不妊治療の話題。
そろそろ二人目が欲しい! というワーママや、結婚はしているけどまだ子どもは…… という女性にとってもかなり関心の高いトピックではないでしょうか。
ライフキャリア・シナジーLab代表の小山佐知子さんは、女性活躍の視点で働き方改革の企業支援や、不妊による離職防止のためのコンサルティング、講演や執筆などを手がけています。
仕事と妊活を両立する難しさを知る当事者として、また女性を支援するメンターとしてのお話を伺いました。

部署で初の女性管理職に選ばれた28歳。キャリアを重ねたい気持ちと「早く子どもを産んだほうがいいのかな?」という気持ちの狭間で揺れ動いていた頃

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ライフキャリア・シナジーLab代表・小山佐知子さん

編集部:本日はよろしくお願いします。まず、小山さんご自身の妊活について、赤ちゃんを授かるまで、どのような治療を受け、どのくらい年月がかかったのか、というところからお話を伺いたいのですが。

小山佐知子さん(以下、敬称略。小山):私が妊活を始めたのは2010年頃、29歳の時です。

新卒で人材系の企業に就職し、管理職として働いていたころでした。当時は結婚3年目でいわゆるDINKSの生活を送っていたのですが、夫が11歳年上ということもあり、そろそろ子どもを産んだほうがいいのかな、でももう少しこの仕事がしたいなという気持ちの間で揺れていましたね。

妊活のスタートは市販の排卵検査薬を使った「タイミング法」から。婦人科健診で医師から「30歳前後で特に問題がないなら、タイミングを気にしていればまず1年以内に妊娠できますよ」と言われたこともあり、気楽に捉えていましたね。

私たち夫婦は健康そのものでしたから、まず不安はありませんでした

ところが、半年以上経っても妊娠の気配がなかったので少し不安を感じるようになりました。そこで、自宅近くにある産婦人科に行き簡単な検査をしたのですが、何の問題もないと言われて

しかし問題ない、大丈夫と言われても、結局1年で妊娠することはなく。そこで不妊治療をメインに行う婦人科クリニックに行き3ヶ月ほど検査をしました。そこで男性不妊の可能性を指摘されたんです。精子の運動率が低く“卵子と出会えていないようだ”と。人工授精の提案をもらったのですが、さまざまな戸惑いもあり、まずはサプリメントと漢方で体質改善を試すことにしました。

一般に、婦人科には男性不妊の専門医がいないことも多く、私たちが通ったクリニックでも男性不妊の詳しい検査や治療はできなかったため、夫は自ら男性不妊を扱う泌尿器科に通い精密検査をし、そこでの結果を婦人科に連携してもらいました。最近は男女一緒に受診できる不妊外来も多いのですが、当時はそうしたクリニックの数も少なかったですし、「そこまでしなくていいだろう」という気持ちもありました。

病院選びの難しさ…… 実績や口コミは大事な情報源。でも自分たちの価値観や仕事の両立もしっかり考えて。

編集部:なるほど、泌尿器科なんですね。男性側も検査が必要というのは分かりますが、とはいえいざ男性側に原因が分かっても婦人科に通うのって抵抗もありそうですもんね。

小山:私たちはその後、夫婦一緒に治療ができるリプロダクションに転院しました。夫はそこで精索静脈瘤の手術をし、精子の運動率が少しだけ改善してから人工授精を7回行いました。

でもやはり結果は出ず、医師からは体外受精へのステップアップを提案されました。今思えばこのあたりが一番精神的に追い詰められていましたね。「もう後がない」という気持ちと「あぁ、私たちって本当に不妊だったんだ」というショックと。

編集部:ご夫婦それぞれがもともと健康体だからこそ受け入れ難いですよね。

小山:そうなんです。だから「今すぐ体外受精します!」とは言えなくて。 逆に半年ほど妊活をお休みすることにしたんです。

仮に私の年齢が35歳以上であればステップアップは“待ったなし”だったと思いますが、当時は32歳。病院に常駐する不妊カウンセラーからも「休んでみるのも手かもしれませんね」と背中を押されて。

不妊治療は自分のことにもかかわらずスケジュールが読めず、待ち時間も多い日は5時間以上と過酷なので、何より仕事との両立には本当に苦労しました。

夫との会話も治療のことばっかりで喧嘩も多発…… ピリピリしながら過ごす生活が2年続いていたので、思い切って「お休み宣言」をしました。

旅行に行ってリフレッシュしたり、おだやかな日々を過ごしたりするうち自然と前向きな感情が戻ってきました。そして、「次に体外受精をしてダメなら二人だけの人生を歩もう」と前向きに考えることができたんです。

7ヶ月後に妊活を再開、顕微受精を前提に別の高度生殖医療クリニックに転院しました。幸い採卵は一度で済み、2度目の移植で妊娠することができました。

転院してからわずか4ヶ月での出来事でした。そして、2014年8月に無事息子を出産しました。

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(右から)ライフキャリア・シナジーLab代表・小山佐知子さんと息子さん

編集部:ということは約4年間、妊活してきたということですね。 

小山:正直長すぎました。妊娠したときは「最初からここに来ておけばよかった!」と思いましたね。あ、もちろんこれは結果が出たからということではなく。このクリニックは男性不妊の治療実績も豊富で、夫婦一緒に受診することでそれぞれのデータをしっかりと共有した上で無駄のない治療計画を提案してくれましたそれに何より、仕事との両立への理解があるのがありがたかったです

編集部:やはり仕事をしながらということを考えると、病院選びはなおさら大事ですよね。

小山:「不妊」と一口に言っても原因はもちろん、患者さんの年齢やライフスタイル、価値観はさまざまですから、仕事まで考えると、不妊治療のやり方は100家庭100通りあると思うんです。がゆえに病院選びは本当に難しい。結局「何を優先にするか」は各家庭で違いますから。

我が家に関しては、結果的に転院回数が多くなってしまいましたが、今思えば最初に通ったクリニックでの1年間は完全に無駄でした。効率悪い検査と通院頻度、働く女性への理解のなさはもちろん、夫婦バラバラに通院したことでカルテの連携も不十分だったと思います。でも、やっぱりこれは結果論というか…… 30代前半で特に婦人科系に不安がなければまずはあまり深く考えずに近いところに行くと思うので。

編集部:そうですね。特に不安がなければ、いきなり高度生殖医療の専門医なんて、まず選ばない気がします。

小山:とはいえ、妊活を始めたばかりのころに行った近所の産婦人科では、「次来るときはコンドームに精子を入れて持ってきて」って言われて(笑) 3日後に持っていくと、それを先生が顕微鏡で目視して「お、たくさんいる! 大丈夫そうだね」って言われてはい終わり(苦笑) 運動率などの数値データは一切取らなかったんです。私も当時は全く知識がなかったので言われるがまま納得しちゃったんです。

「妊活」という言葉がまだ一般的になる前に、実名でブログを通じて発信をスタート

編集部:私は2012年に出産したんですけど、「妊活」という言葉が広まったのはそれくらいだったなと記憶にあります。芸能人がブログで妊活します! って宣言することも多かったし、出生前診断が話題になったのもそのころでしたよね。

不妊の原因の半分が男性にあることも今はかなり浸透しましたけど、思い返せば2010年にそんな情報を目にしたことはなかったように思います。

小山:そうですね。当時は不妊治療に関する情報自体そんなになかったですからね。

「不妊の原因の半分は男性にある」ということも、WHOはかなり前から発表していましたが、医学の世界の話であって私たち患者が知るようなものではなかったですし。

私の感覚では2012年を境に「妊活」という言葉が一気に広がった気がします。たとえば、ジャーナリストの白河桃子さんが『妊活バイブル』という本を共著で出版されたのがこの年の初めで、女性ファッション誌などでも特集が組まれ始めたのもこの頃でした。その後、出産ジャーナリストの河合蘭さんが『卵子老化の真実」という本を発表し、AMH検査(卵巣の中に卵子がどれくらい残っているかを調べるための血液検査)の認知度も向上しました。

驚いたのは、男性読者がメインの『東洋経済』で2013年に不妊治療の大特集が組まれたこと。「不妊大国ニッポン」というタイトルのインパクトも去ることながら、男性不妊に焦点を当てた構成が斬新でした。ちなみに、こちらの号では男性不妊に悩むカップルとして取材された内容が掲載されました。

編集部:小山さんはまさに当事者で、情報も少ない中、妊活するのはかなりハードだったはずですよね。

小山:最初の頃は治療そのものがハードというより、妊活することで生じる不具合…… たとえば仕事にどんな支障が出るのかとか、夫婦でどう温度感を合わせたらいいのかといった未知への不安がほとんどでした。なので、妊活している人のブログを片っ端から調べて読みたんですが、余計凹んでしまって(笑) そのほとんどが匿名だったので、不妊に対する恨みつらみが圧倒的に多くて……

私が知りたかったのは「どうしたらピンチをチャンスに変えられるか」。つまり、具体的な仕事との両立方法であったり、夫との良いコミュニケーションの取り方だったりでしたから、個人のブログはあまり参考になりませんでした。 

編集部:なるほど。小山さんはあえて実名でブログを書いたのはそのためですか?

小山:はい。自分が欲しい情報がないなら自分がまず発信しようと思い、「総合職で働く女性の妊活」というテーマでブログコミュニティを立ち上げました。私の周りにも働きながら妊娠のタイミングに悩んでいる人が数人いたので、そういう人が前向きな気持ちで情報交換する場があったらいいなと思ったのがきっかけですね。

記事を書いて発信し、茶話会のような小さなイベントを立ち上げてみると「ぜひ参加したい!」とたくさんの“戦友”が集まってきてくれました。

(後編につづく)

【関連記事】

妊活という個人的かつデリケートなテーマについて、ありのままを話してくれた小山さん。
自分の身に起きたことをこんなにも客観的に、冷静に分析して伝えることができるのか、と編集部一同も食い入るように聞き入っていました。
後編は、妊活を続ける中で、どのようにキャリアと対峙していくか、また友人や身の回りの人が妊活しているときのコミュニケーションについて迫ります。

小山佐知子さんプロフィール

ワーク・ライフバランスコンサルタント
「共働き未来大学」ファウンダー/編集長
1981年北海道札幌市出身。立命館大学卒業後、大手人材広告会社に入社。学校法人向けの広告営業・編集に従事し、28歳で最年少女性管理職に。キャリアの幅を広げて忙しく働くも、30歳で「不妊治療と仕事の両立」という壁にぶつかり心身の調子を崩す。女性のキャリアや柔軟な働き方に興味を持ち、フリーライターとして企業人や経営者の取材をスタート、同時に働く女性の妊活コミュニティを立ち上げた。4年間の妊活を経て2014年、第一子を出産。会社員を経て2016年7月に独立起業。企業や自治体、大学などで講演や働き方改革コンサルティングを行っている。
HP:https://tomobataraki-mirai.jp/