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2019年07月03日 07時30分 JST | 更新 2019年07月03日 08時18分 JST

“名前”に悩み、周囲の視線に怯える「赤面症」だった私がキャスターになるまで

名前は、人生において与えられる“最初のアイデンティティ”。しかし、私はかつて、それを好きになれていなかった。

「キャスターなんだから、人前は得意でしょう...?むしろ、絶対出たがりだよね?なんか常に楽しそうだし、悩みなんてなく生きてきたタイプに見える」

これは先日、会社の同僚から投げ掛けられた言葉だ。

ハフポスト日本版に転職してきて5ヶ月が経った。新しい職場環境に飛び込むことに不安はあったが、周囲のサポートもあり、徐々に慣れてきた。

前職が放送局のアナウンサーだった私は、確かに人と話したり、また話を聞いたりするのが好きだ。人前が得意だと思われるのも当たり前かもしれない。それが、「仕事」だったのだから。

転職を経た今も、記事を書く傍ら、引き続きテレビ番組でキャスターを務めたり、ラジオのパーソナリティやコメンテーターとして出演する機会がある。

上記のような言葉を、私はこれまでも幾度となく言われてきた。同僚もおそらく何気なく発したのだろう。だとすると、そのような印象を抱かれるのは、むしろ歓迎だ。

ただ、その度に私は毎回心の中で思う。

「かつては、全く違った」と。

HARUKA OGASAWARA
赤ん坊の頃の私。『遥(はるか)』という名前の由来は、低体重児状態で生まれた私を見た両親が、「小さく生まれたが、将来は遥か遠く世界にも羽ばたけるようなスケールの大きな人生を歩んでほしい」と願ったところからきたという。

親から貰った“名前“で、”イジリ”に悩んだ幼少期

私には、人前に出るのがとても怖かった時期があった。

一人っ子として生まれた私は、幼少期から両親に大切に育ててもらった。

幼稚園に入園すると、たくさんの友達ができた。当時の記憶はあまり鮮明ではないが、毎年恒例のお遊戯会では主役ではなかったものの、積極的に楽しんでいた。

友達と公園で遊んでいると必ず泥だらけになって帰ってきたし、当時はよく人前で大好きだったディズニーの歌に合わせて、歌ったり踊ったりしていた。

だが、そんな楽しい日々は長くは続かなかった。

小学校に入学してから、状況が全く変わってしまったのだ。

はじめて、「いじめ」を受けたのである。小学校低学年の頃だった。

いじめを受けた原因は、“遥(はるか)”という名前にあった。

理由は、遥という名前が“女っぽい”から。

今の時代なら、こんな風に思われることはないかもしれない。

性別に関係なく、様々な名前が付けられる世の中だ。

しかし私が生まれた30年前は、男性に対して、遥(はるか)という名前をつけるのは珍しかった。遥(はるか)は、“女の子の名前”として考えられていたのだろう。

小学校では、「女みたいな名前!」「はるかちゃん!」などと、ひたすらからかわれたり、時には自分が履いていた上履きを、女子の下駄箱に入れられたこともあった。

それでも、無視や仲間外れにあったようなことはなかったので、厳密に言えば「いじめ」というより、冗談の混じった“イジリ”のようなものだったのだろうと、今は思う。

学校の外でも、名前で嫌な気持ちになった事はあった。

病院に行った時。看護師さんに「はるかちゃん」と名前を呼ばれ、「はい」と返事をする。すると看護師さんは「あ、男の子だったんだ、ごめんね」と必ず謝る。

あの瞬間が本当に嫌だった。何か悪いことをしたのだろうか?

「女の子だと思っていたら、男の子だったの!?」と言わんばかりに、周りも一斉に驚きの表情を浮かべ、自分に視線が向けられる。お決まりのリアクションだ。

こうした経験から、私は人から視線が集まると緊張して怖くなり、人と話していると必ず赤面してしまうようになってしまった。

それはまさに、赤面症(あがり症とも言われる)の症状だった。

当時習っていたピアノの発表会。自分の名前が呼ばれた後、大勢の人の前に出るとたちまち恐怖を感じ、頭が真っ白になった。そのあとの演奏が散々なものだったのは、言うまでもない。

名前は、人生において与えられる“最初のアイデンティティ”だと私は思っている。

親が付けてくれた“遥”という名前。本当は好きだったはずなのに、私はそれを幼少期の出来事がきっかけで嫌いになり、一時期は親をも憎んだ。

「どうして僕に、遥(はるか)なんて名前を付けたの?」と、私は親に言ったことがある。

この時、心の中で泣いていたのは、むしろ親の方だったのではないか。

「もう少ししたら、からかわれなくなるから。大丈夫」と両親は私を何度も諭したが、当時は素直に聞き入れる事ができなかった。

名前に対する“イジリ”は小学校低学年が終わる頃まで続いたが、高学年に入ると自然と無くなった。

その後、大学生活の終わりまでの学生生活はとても充実したものだったが、一方で、“名前コンプレックス”が原因で生じた赤面症はなかなか治らず、長年悩まされた。

HARUKA OGASAWARA
2014年10月から2018年12月まで、仙台の民放放送局でアナウンサーをしていた。

ある言葉が、赤面症だった私をアナウンサーにした。

では、そんな私が人前やカメラの前で伝える仕事に就くことをなぜ決めたのか?

それは、学生の頃に模擬面接官から掛けられた“ある言葉”がきっかけだった。

就職活動で、あるマスコミ業界向けのセミナーを受講した。5人が1組になって模擬面接を受ける。

その5人の内訳は、高校時代に夏の甲子園に出場した者、あるスポーツのU-18の日本代表、音楽大学のピアノ科出身で海外のコンクールに出場した者、学生ながら芸能プロダクションに所属する者、そして私だ。

運が悪すぎではないか。まず、話のスケールの大きさについていけない。いつもの通り緊張し、相手が自分をどう見ているかが気になってすぐに赤面してしまった。

完全に「場違いだ」と思った。このあとの展開は大方想像がつく。いますぐ帰りたかった。

当時私が自慢できることと言えば、彼らに比べれば様々なアルバイトを経験してきたことくらいだった。

4人の“規格外の”スピーチが終わると、ついに自分の番だ。

「小笠原遥です。えーっと私は...」

全く大した話は出来ていなかったので、ここは省略しよう。

スピーチの内容についての模擬面接官からのフィードバックは散々だった。

しかし、最後に面接官がこう言った。

そもそも君のアピールポイントは、“遥(はるか)”という名前じゃないの?

なんで、その由来とかを話さないの?男で遥(はるか)ってそうそうはいない。

親に感謝だね。一度聞いたら、絶対印象に残るもん。もしも取材されたら、相手は絶対に覚えてくれると思う。

そういうのって、案外大切なんだよ?それに就活だからといって、学生時代の事を無理に話さなきゃいけない訳じゃない。

もし、持って生まれた名前にせっかく注目が集まるなら、それについて堂々と話せる自分であればいい。

おまけに声が特徴的。これはおまけだけど。アナウンサーとかに向いているかもね。

この言葉を聞いた帰り道、なんだか心が軽くなったような気がした。

「恥ずかしい」なんて思わなくていいんだ。生まれ持ったものを大切にすればいい。

結果的には、この時の模擬面接官のアドバイスが私の進路を決めることになり、それから約1年半後、私はアナウンサーになった。

コンプレックスと向き合うために大切なことは、自分にしかないものをまず素直に受け入れ、そして肯定してあげることなのではないか?

私の場合、そうすることで“名前コンプレックス”は自然と消えていた。

 そして今なら、自分の親に胸を張って堂々と言える。

「遥(はるか)という名前をつけてくれて、ありがとう」と。

HARUKA OGASAWARA
docomo dTVチャンネル『News X』に出演した私(2019年5月23日)

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。

それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。

ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。

現在、ハフポスト日本版では「コンプレックス」にまつわるアンケートを実施中です。ご協力お願いします。