貧血対策が足りない! 「鉄不足大国ニッポン」の実態

食事の工夫や、低用量ピルの服用など、まだまだ教育が行き渡っていないのではないか。
新潮社フォーサイト

「貧血」が社会の関心を集めている。

新聞記事データベースの『日経テレコン』を用いて2018年に主要全国紙5紙に掲載された「貧血」という単語を含む記事を調べたところ、その数は386件だった。2016年の257件、2017年の255件から大幅に増えていた。

もっとも多くの記事を掲載していたのは『読売新聞』で126件。以下、『産経新聞』89件、『毎日新聞』79件、『朝日新聞』69件、『日本経済新聞』23件と続く。

『読売』が多いのは、高校駅伝の一部の強豪校で、貧血ではないのに鉄剤の注射を打っていたことを問題視したからだ。昨年12月19日の社説「鉄剤注射 選手寿命を縮める有害行為」では、「指導者が自分の名声のために、選手を犠牲にしているのではないか」と糾弾し、「貧血は食事や経口薬で治療が可能で、鉄剤注射は重度の貧血に限られる」と論じた。

このような批判を受け、日本陸上競技連盟は、貧血治療名目の鉄剤注射の使用を原則的に禁止した。5月30日には「不適切な鉄剤注射の防止に関するガイドライン」を公開し、今年の全国高校駅伝大会から出場選手に血液検査の結果提出を義務化し、虚偽申告や鉄剤注射の不正使用には罰則を科すこととした。

私は、一連の記事を読んで暗澹たる気持ちとなった。世界の潮流とは正反対の対応だからだ。世界では、鉄不足だが貧血ではない人にどう対応するかについて、議論が盛り上がっている。鉄剤を補充することを勧めるのが趨勢だ。

もちろん、過剰な鉄投与は避けなければならない。ただ、内科医としての個人的な経験から言うと、鉄剤の注射を毎週行ったくらいで、肝障害などの副作用が出るとは考えにくい。点滴をオーダーするのは医師だから、定期的に採血をするだろうし、過剰点滴で副作用が生じれば、自らの責任が問われる。いくらコーチから依頼されても、慎重に対応するはずだ。『読売』が問題とするような「鉄剤の注射のしすぎで肝障害が生じた高校生」は本当に実在するのだろうか。

本稿では、我々と筑波大学の共同研究の結果を中心に、アスリートの貧血および鉄不足研究の最先端をご紹介したい。

ちなみに本稿は、剣道専門誌『剣道時代』8月号で発表したものを一般向けに理解しやすく加筆修正したものであることをお断りしておく。

世界屈指の「貧血大国」日本

貧血とは、血液中のヘモグロビン濃度が低いことだ。ヘモグロビンは赤血球に含まれる鉄化合物で、酸素と結合し全身に運ぶ。

ヘモグロビンの正常値は男性13.5~17.5 g/dL、女性11.5~15.0 g/dLと男性の方がやや高い。貧血は男性にも起こるが、月経で出血する女性に生じやすい。

日本は世界屈指の貧血大国だ。虎の門病院の久住英二医師(現ナビタスクリニック理事長)らの研究では、我が国の女性の17%が貧血だった。これは米国の6%、欧州の2~5%と比べて遙かに高い。

これには幾つかの理由が考えられる。最大の理由は、日本人女性は「痩せている方が美しい」と考え、ダイエットに励む若年女性が多いことだ。2017年の厚生労働省の国民健康・栄養調査によれば、20代の女性の摂取エネルギーは1694キロカロリーで、1946年の都市部住民の1696キロカロリーより少ない。

食べなければ痩せる。日本人女性におけるBody Mass Index (BMI)が18.5以下の痩せの割合は12%。15~30歳に限れば20%だ。先進国は通常3~6%程度で、食糧難に悩むアフリカ諸国と変わらない。

状況は悪化の一途を辿っている。日本人女性は戦後一貫して痩せ続けている。これは日本人女性の美感に根ざしており、一朝一夕で出来上がったものではない。事態の改善は容易ではない。

ダイエットの合併症の1つ

アスリートもダイエットに励む。これは世界共通の傾向だ。

アイススケートのような審美的な競技では痩せていた方が美しいとされるし、柔道やウェイトリフティングなどの体重別競技は痩せていた方が有利だからだ。

2016年に米ノーステキサス大学の医師が発表した研究では、半数以上のアスリートが体重を減らしたいと回答し、75%がダイエットしていた。

彼女たちは過剰なダイエットを行い、時に心身を病む。無月経、骨粗鬆症、摂食障害などがその代表だ。

2015年にドイツのチーマン医師らが発表した報告によれば、摂食障害の頻度はアイススケートなど審美的な競技で17%、球技で2%、アスリート以外で2%だった。2004年のノルウェイの報告では審美的競技は42%、持久走24%、球技16%だった。

ダイエットの合併症の1つが貧血だ。貧血はアスリートの競技パフォーマンスを低下させる。この点に関しては議論の余地がなく、複数の「ランダム化コントロール試験」で実証されている。

例えば、2009年に米国陸軍環境医学研究所のマクラング医師たちが発表した、女性兵士を対象とした研究だ。軍事訓練中の女性兵士は貧血になりやすい。マクラング医師たちは、219人の女性兵士を訓練中に毎日100mgの鉄剤(鉄剤2錠分)を与える群とプラセボを与える群にランダムに割り付け、2マイル走などで運動能力を評価した。

訓練開始前に貧血であった女性兵士では、鉄剤の投与により2マイル走のタイムは19分41秒から18分1秒と実に100秒も短縮していた。持久走において、その効果は劇的だ。

この研究では鉄剤投与が女性兵士の気分に与える影響も検討しているが、その結果は興味深い。貧血の有無にかかわらず、活力などのメンタルスコアが改善していた。

貧血になりやすいアスリート

実はアスリートは、ダイエットをしていなくても貧血になりやすい。

それは筋肉細胞がミオグロビンという形で鉄を利用するからだ。運動時に筋肉で消費された酸素は、ヘモグロビンからミオグロビンに受け渡されて補充される。アスリートは筋肉量が多い分だけ、普通の人より鉄の需要が多い。

また、アスリートはトレーニング時に汗から鉄を消失したり、消化管から微量の出血が起こるため、鉄を喪失しやすい。

剣道、陸上競技などの踏み込みが強い競技では、踵で赤血球が壊され、尿から排出される。激しい運動をしたあとに血尿が出たというのは、ほとんどがこのパターンだ。かつて長距離を行軍した軍人に多く見られたため、行軍血色素尿症と呼ばれている。

さらに、人体で炎症が生じるとヘプシジンというタンパク質が作られる。これは体内での鉄の有効利用を阻害し、鉄が十分にあっても赤血球で上手く利用できず、貧血になりやすくなる。アスリートは練習によりヘプシジンが作られ、貧血に陥りやすい。

この結果、アスリートは貧血になりやすい。男性アスリートも時に貧血になる。帝京大学ラグビー部では、かつて貧血の部員が少なくなかった。管理栄養士の虎石真弥さんが主導し、貧血対策を行った。その後、帝京大学ラグビー部が常勝軍団へ成長したのはご存知の通りだ。

元陸上競技選手の菅野優太氏は、高校時代に重症貧血で緊急入院したことがある。主治医から「このまま放置すると死ぬ」と言われたそうだ。当時のヘモグロビン値は5.5 g/dLだ。彼は「貧血を治療し、ヘモグロビンは14.0にあがりました。100メートル走の記録は10秒79から10秒66(注:高校2年生のとき)に伸びた」という。その後、さらに競技成績は向上し、100メートル走の日本代表に選出されている。

帝京大学ラグビー部と菅野選手、いずれも過激なダイエットはしていない。アスリートが貧血に陥りやすいことがわかる。

では、我が国の対策はどうなっているだろう。昨年3月、順天堂大学の医師たちが1977~2011年のユニバーシアード大会に出場したアスリートの貧血の頻度を調査した結果を発表した。1977~81年には女性アスリートの48%が貧血だったが、2003年大会では8.5%まで低下していた。我が国でもアスリートの貧血対策が着実に進んでいることがわかる。これは関係者の営々たる努力の成果だろう。『読売』や日本陸連は、このあたりどの程度まで議論したのだろうか。

筑波大学剣道部との共同研究

順天堂大学の研究は意義深い。ただ、ユニバーシアード大会出場選手というトップアスリートを対象としたもので、どこまで一般化できるかはわからない。

今年2月、筆者が主宰するNPO法人「医療ガバナンス研究所」は、筑波大学剣道部の鍋山隆弘准教授と共同で、同大学の剣道部の部員の貧血の実態調査を行った。

この調査は臨床研究として行われ、研究計画はNPO法人医療ガバナンス研究所の倫理審査委員会で審査され、承認された。本調査への参加は剣道部員の自由意志に委ねられ、参加に際しては書面にて同意を取得した。検査費用はNPO法人医療ガバナンス研究所が負担した。

詳細な解析結果は、後日、関連する学会および学術誌にて発表したいが、本稿ではその概要をご紹介しよう。

この調査には56人の部員が参加した。男性39人、女性17人だ。

血液検査で男女とも貧血と診断された部員はいなかった。ヘモグロビン値の中央値は男性15.1 g/dL(範囲14.7~16.1)、女性13.4 g/dL(範囲12.7~14.9)だった。

男性部員1人、女性部員3人が過去に貧血と診断され、男性部員6人、女性部員5人が鉄剤を服用した経験があることは示唆に富む。彼らは貧血に陥りやすい体質だが、上手くコントロールしていることになる。このあたり、順天堂大学の先行研究とも一致する。

貧血部員はいなかったが……

筑波大学の剣道部員には貧血の部員はいなかったが、全く問題がないというわけではなかった。それは女性部員の7人、実に41%が鉄不足(低フェリチン血症)と診断されたからだ。ちなみに男性部員には鉄不足はいなかった。

これは過小評価の可能性が高い。それは、血液検査を実施したのが2月だったからだ。アスリートの貧血は夏場に悪化することが多い。気温があがり、またシーズンの佳境で疲労が蓄積するため、食欲が低下するからだ。

2018年に豪州のキャンベラ大学の医師たちが発表した研究によると、7人制ラグビーの選手では、シーズン前と比較して、シーズン佳境には血液中のフェリチン濃度は平均して20%低下していた。23%の女性選手が鉄欠乏と診断され、鉄剤を処方されていた。もちろん、プレシーズンの時期に鉄欠乏と診断された選手はいない。比較的意識が高いと考えられる筑波大学剣道部でさえ、女性部員の41%がシーズンオフの2月に鉄欠乏と診断されたこととは対照的だ。

フェリチンとは体内の貯蔵鉄のことで、肝臓や脾臓に多くが分布する。レバーに鉄が多いのは、フェリチンのためだ。フェリチンは一部が血液中に溶け出し、臨床現場では血中のフェリチン濃度を測定し、体内の貯蔵鉄のマーカーとしている。

フェリチンとは銀行に預けているお金のようなものだ。血液や筋肉などで必要な分以外を蓄える。人体は出産や怪我などによる出血に対応するため、体内に大目に鉄を「貯金」しているのだ。

貧血は鉄不足が進行して、貯蔵鉄が枯渇しなければ発症しない。筋肉などと比べて、赤血球は極めて重要な臓器だ。人体は鉄が不足しても、赤血球は守ろうとする。貧血は鉄不足のなれの果てだ。

鉄不足は貧血以外にも影響する。貯蔵鉄が不足すると、筋肉でも鉄が足りなくなり、運動のパフォーマンスが低下する。アスリートの競技成績向上を考えれば、貧血になったから鉄を補充するのでは手遅れだ。フェリチンでモニターしなければならない。

アスリートに対する鉄補充についても多くの研究がなされている。中には有効という報告もある。例えば、2014年に豪キャンベラ大学の研究者らが発表した論文によれば、6週間の間に3回、陸上選手に鉄剤を注射したところ、3000メートル走ではタイムは改善しなかったが、400メートル走では0.8秒短縮し、これは統計的に有意だった。

このような背景を考慮すると、貧血がない女子高校生に鉄を補充していた高校駅伝の指導者を一概には非難できない。鉄の経口投与はしばしば吐き気を引き起こす。一部の選手が注射していたのも頷ける話だ。

女性剣道部員も痩せすぎ?

今回の調査は、私にとって驚きの連続だった。特に驚いたのは、筑波大学の剣道部員ではBMIとフェリチン値が相関しなかったことだ。女性部員に限れば、BMIが高い人の方がフェリチン値は低い(図1・記事冒頭)。これは一般人と正反対だ。

一般人はBMIが高い、つまり太った人ほど、貧血の人は少ない。太った人ほど食事量が多く、鉄分の摂取も増えるからだ。

ところが、筑波大学剣道部では、この傾向が明らかでなく、女性部員では逆だった。なぜ、このようなことが起こるのだろうか。

それは筑波大学の剣道部員が筋肉質だからだ。前述したように筋肉細胞はミオグロビンの形で鉄を利用する。筋肉量が多いアスリートほど、鉄の必要量は増加する。充分量の鉄を摂取しなければ、筋肉と赤血球が鉄を取り合い、血液中のフェリチン値は低くなるというわけだ。

私は、今回の調査を通じて、アスリートが特殊な集団であることを痛感した。一般人と同じ基準を用いて議論してはならない。

この視点にたてば、女性部員のBMIの解釈には注意を要する。図2は部員のBMIの分布を示したヒストグラムだ。

新潮社フォーサイト

健常人の場合、BMIの正常値は18.5以上25未満だ。18.5未満を低体重、25以上を肥満と診断する。この基準を用いれば、筑波大学剣道部には低体重の部員はいないが、15人(38%)の男性部員、6人(35%)の女性部員が肥満と診断される。もちろん、そんなことはないだろう。一般人を対象とした基準をアスリートに用いたため、肥満を過剰診断している。

アスリートにとって至適なBMIとは幾らだろうか。ウェブを調べると一流アスリートのBMIが公開されている。競技によって異なるが、平均して25前後が多く、筑波大学剣道部の部員の分布とも一致する。ただ、BMIの高い選手も多く、柔道のテディ・リネール選手に至っては33.8だ。通常の基準を用いれば、2度(重度)肥満だが、彼はそうではない。

筑波大学剣道部員のBMIについて議論する際、独自の基準が必要だ。アスリートは筋肉が多い分だけ、通常の人よりも重くなる。つまり正常値が高い方向にシフトする。このように考えれば、BMI21以下は低体重と考えても良さそうだ。男性部員3人(8%)、女性部員2人(12%)が該当する。一般人より頻度は低いものの、無視できる数字ではない。

痩せている部員が多いのは、充分な栄養を摂取していないからだ。今回の調査結果から食物摂取頻度調査法を用いて、剣道部員の1日の摂取カロリーを推計したところ、男子部員は2344 kcal, 女子部員は1734 kcalだった。この方法を用いた場合、摂取カロリーを過小に評価する傾向があるが、陸上短距離で男性2600~3300 kcal、女性2300~2800 kcal、自転車で男性3900~4600 kcal、女性 2900~3400 kcalの摂取が推奨されていることを考えれば、男女とも充分な栄養を摂取していないと言っていい。

おそらく、これは筑波大学剣道部に限った話ではない。鍋山先生の教え子で、筆者の知人でもある中島郁子・新潟医療福祉大学助教は「昔と比べると、日本代表クラスの女性剣士の体型は随分とスリムになってきている」という。今回の調査結果は、彼女の実感とも合う。

妊娠にも悪影響の「鉄不足」

鉄不足は貧血や運動能力以外に対する影響も研究されている。もっとも進んでいるのは心不全の治療だ。心臓は体内でもっとも大切な筋肉組織だ。鉄不足は、どのような影響を与えているのだろうか。

ポーランドの医師たちは、鉄不足の心不全患者に鉄の補充の有効性を検証したメタ解析の結果を報告した。メタ解析とは複数の臨床試験の結果をまとめたもので、もっとも信頼度が高いとされている。

この研究では、心不全患者に鉄を補充することで、心不全の重症度、歩行能力、QOL(生活の質)などを改善し、死亡および心疾患の悪化を56%も低下させていた。

鉄不足の影響はこれだけではない。妊娠・出産にも影響する。これは多くの女性アスリートに影響する問題だ。

米ハーバード大学の医師たちが、妊娠中の貧血に関する40報以上の論文を分析したところ、妊娠初期~中期に貧血だった妊婦は低体重児を産むリスクが1.29倍、早産のリスクが1.21倍も高まっていた。いずれも発達障害など長期的な合併症をもたらす。妊娠を希望する女性なら、誰もが避けたい。

貧血の治療は鉄の補充だが、妊娠後に貧血と診断され、鉄剤を内服し始めても、ヘモグロビンの値が正常化するには6~8週を要する。しかも、この時期は悪阻に悩まされる。治療はうまくいかない。パートナーができて、妊娠を考えるならば、鉄不足に留意しなければならない。

まずは食事を中心に摂取

鉄摂取の中心は食事だ。どのような食品に鉄が豊富に含まれているか知らなければならない。

結論から言うと、鉄は赤身の肉や魚に多い。焼き肉をして、肉が茶色になるのは鉄が錆びるからだ。カツオのタタキや鯨肉が茶色であるのも同じ理由だ。

もっとも多いのは鯨肉だ。鯨が筋肉内に大量のミオグロビンを含有するからだ。このため、鯨は大量の酸素を筋肉内に留めおくことができ、1時間以上もの長期間の潜水が可能となる。

一方、鶏肉や青魚・根魚には少ない。牛や外洋の回遊魚ほど運動しないため、酸素需要が少ないからだ。鉄が錆びないので、鶏肉や青魚・根魚は焼いても茶色にならない。

パセリや小松菜などの緑色野菜にも含まれるが、鉄の形態が異なり(無機鉄)、肉類ほどには吸収されない。

また、炭水化物には鉄分は含まれていない。このため、コンビニ弁当などの食事では補充しにくい。肉や魚、つまり高額なおかずをしっかり食べていない人は貧血になりやすい。今回の調査では部員の88%が1人暮らしだった。50%の部員が週に2回以上、コンビニ弁当を食べていた。これでは鉄は不足する。

食育は極めて重要だが、1人暮らしの大学生の食事環境を改善するのは容易ではない。食育だけでは効果は限定的だ。

現実的にはサプリメントを服用することになる。それが世界の趨勢でもある。新潟医療福祉大学の佐藤晶子氏らが、2012年のロンドン五輪に出場した552人の男女のアスリートを対象とした研究では、82%が何らかのサプリメントを服用していた。これは大学生の使用率(17%)を大幅に上回る。食育と同時に、サプリメントについても教育が必要だ。

「低用量ピル」の服用も

もう1つの方法が低用量ピルの服用だ。低用量ピルは女性ホルモン製剤で、毎日1回の服用を続けることで排卵を抑制し、子宮内膜の増殖を抑える。この結果、月経をコントロールできる。月経を起こす際にも出血量が減り、月経が緩和される。

排卵を抑制するため、避妊薬としても用いられる。きっちりと服用すれば、ほぼ100%避妊ができるとされている。コンドームより確実だ。

安全性も高い。喫煙者や肥満の人、血栓症の既往や家族歴がある人には、慎重に投与する必要があるが、多くのアスリートはまず問題とならないだろう。長期的にも安全性が確認されており、低用量ピルを長期間服用しても、中止すれば元通り排卵し、不妊のリスクはあがらない。

低用量ピルは1960年代に米国で開発された古い薬だ。製剤が改良され安全性が向上し、多くの先進国ではドラッグストアで入手できる。処方箋は不要だ。

2013年度の国連人口部の統計によると、ピルの服用率はフランス41%、ドイツ37%、イギリス28%だ。キャリアウーマンに限定すればもっと高い。ハンガリーの医学部で学ぶ吉田いづみさんは「周囲の女性はほぼ全員が服用しています」という。

我が国の状況は対照的だ。低用量ピルの服用率はわずかに1%。今回の調査でも服用していたのは、17人の女性部員のうちわずかだった。9人の女性部員が月経不順に悩んでいて、7人が月経前、9人が月経中にパフォーマンスが低下すると回答しており、14人は低用量ピルを服用すれば、月経の時期をずらすことを知っていたが、大部分は服用していなかった。

これには幾つかの理由が考えられる。まずは手間だ。低用量ピルを入手するためにはクリニックを受診しなければならず面倒だ。海外では薬局で購入できる国が多いが、日本は規制されている。当面、この問題に対応するには、気軽に相談できる主治医をもつのがいい。

2番目の理由は費用だ。低用量ピルの費用はバカにならない。月経痛が酷い場合には健康保険で支払われるが、通常は自費だ。1カ月の薬代が3000~4000円で、診察を受ければ同程度の費用がかかる。半年に1回診察を受けるとして、年間に4~6万円程度の費用を要する。周囲のサポートがなければ、学生には重すぎる負担だ。

最後は男性の無知・偏見だ。今回の調査では男性部員39人中14人が、低用量ピルのことを知らなかった。

今回の調査に参加した当研究所の山本佳奈医師は、低用量ピルを服用していることを明かしている。研修医時代、服用を忘れないように机の上に置いていたところ、同僚の男性医師から「コンドームを人目につくところに置いているようなものだ」という抗議があったという。医師でさえ、この程度の認識なのだから、社会的コンセンサスには程遠い。低用量ピルについては啓蒙活動が欠かせない。

以上、貧血・鉄不足研究の最先端をご紹介した。世界中が女性アスリートの健康を守りながら、競技成績を向上させるために地道な研究を積み重ねている。我が国の対応と対照的だ。競技者を如何に支援するか、エビデンスに基づいた議論が必要である。

2017-06-06-1496711576-8750899-img_89fe7428f51aea692d132d23887c4c0214318.jpg
上昌広特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
関連記事 (2019年7月9日フォーサイトより転載)