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2019年07月11日 12時04分 JST | 更新 2019年07月11日 12時12分 JST

冨田真由さんが記者会見「こんな目に合う人がいなくなってほしい」 小金井ストーカー事件への対応で都などを提訴

「見回りを手配するので大丈夫」━━警察はライブ2日前に冨田真由さんにそう伝えたものの、実際には調査も見回りもなかった。

小金井市でストーカーの男から刃物で襲われ重傷を負った冨田真由さんが、母親と共に7月10日、警視庁を管轄する東京都と元所属事務所などに約7600万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。

「再三、危険性を伝えていたにもかかわらず、警視庁が必要な警備を怠った」と主張している。

冨田さんはこの日、事件後に初めて記者会見に立った。

直前で会見への出席を決意「自分の言葉で語りたい」

Huffpost japan/Shino Tanaka
会見に臨んだ冨田真由さん

冨田さんは会見で報道陣を見つめ、「当時、テレビやネットのニュースで私の事件を知り、心配し、心から生きることを願ってくださった方々に感謝を伝えたいと思います。心強い言葉やあたたかい支援に、とても救われていました。本当にありがとうございました」と語った。

その後、代理人弁護士が「裁判を起こすか苦悩していた中、警察の対応のずさんさが明らかにされることで、ストーカーに対する見方や対応がさらに変わってほしい」と冨田さんのコメントを代読。

当初、母親と代理人弁護士のみの予定だったが、「自分の言葉で語らないと、正しく伝わらないかもしれない」と感じ、直前に会見の出席を決意したという。

実名を出すことについても「こうして出ることでストーカー事件の対応が変わり、こんな目に合う人がいなくなってほしい」という強い希望があった。

ともに会見に出席した冨田さんの母親は、時折、冨田さんの肩に手を置きながら心配する様子で、訴訟に至るまでの経緯を声を震わせて次のように語った。

「事件から3年が経ちますが、一日も忘れたことはありません。警察とのやり取りの中で、3年間警察はこちらからの質問に一切答えてくれませんでした」

「警察からの回答は『裁判になれば明らかにします』というそっけないものでした。当時の話を聞くには裁判をするしかないという決断に至りました。何もできないのであれば、『大丈夫』などと言う言葉ではなく、危険を回避する方法や身の置き方を指示してほしかった。後悔してもしきれない」

ポイントはストーカー規制法ではない。桶川ストーカー殺人事件でも同様の訴訟

ストーカーなどの被害に対する警察の対応について、民事訴訟で争われた事例は、過去にもある。

冨田さんの代理人弁護士は、今回の訴訟について「桶川ストーカー殺人事件に類似している」という。 

時事通信社
埼玉県上尾市の大学生、猪野詩織さんが刺殺されたJR桶川駅前で現場検証する捜査員=1999年10月26日、埼玉県桶川市

桶川ストーカー殺人事件では、元交際相手から多数の中傷ビラを自宅付近にまかれるなどの嫌がらせを受けていた女子大学生が、埼玉県警上尾署に名誉棄損で告訴していたにもかかわらず、署に不適切な捜査や対応をされた。

その後、被害者の女性は桶川駅前で刺殺された。この事件でも、警察の対応に対し国家賠償請求訴訟が起こされている。

この判決では、捜査怠慢と殺害の関連性は否定されたが、名誉棄損に関しては警察の捜査怠慢について賠償責任が認められている。

 警察署「見回りを手配するから大丈夫」と伝えながら、実際は見回りもせず

音楽活動をしていた冨田さんは2016年、東京都小金井市で、執拗にストーカー行為をしていた“ファン”の男に襲われ重傷を負った。

冨田さんは、現在も刺し傷の後遺症に苦しみ、事件の恐怖が頭を離れずPTSDの治療を続けている。事件からの3年間で、入退院を繰り返し、入院日数は160日間にのぼっている。

刑事事件としては2017年、冨田さんをナイフで刺し、殺そうとしたとした岩埼友宏受刑者(30)に対し、殺人未遂と銃刀法違反の罪で懲役14年6カ月とした判決が確定した。

この事件が起きるまで、冨田さんと母親は繰り返し警察署に相談をしていた。

その経緯を、冨田さんの代理人弁護士による説明と訴状、刑事事件の判決などから振り返る。

 

■警視庁のコメント

時事通信社
警視庁

 警視庁の島貫匡・訟務課長は、訴訟について「訴状が送達されていないのでコメントできません」としている。

■冨田真由さんの手記全文

まずは、当時、テレビやネットのニュースで私の事件を知り、心配し、心から生きることを願ってくださった方々に感謝を伝えたいと思います。心強い言葉やあたたかい支援に、とても救われていました。本当にありがとうございました。

 

被害にあってから今日まで、事件のことを考えなかった日はありません。少しでも現状を打破できたらとの思いで治療を受けていますが、なかなか変わることはできず、常に事件のことが心と体にまとわりついて離れないような感覚です。

 

戻れないとわかっていても、事件の前のような気持ちで過ごせることを望んでしまうこともあります。それでも、なんとなく自分の心をごまかして、平気なフリをして今を生きています。

裁判を起こそうと決めたのは、事件から3年が経つ少し前のことでした。

 

私と私の家族は、事件当初から警察に対してあることをお願いし続けてきました。それは、私が被害にあう前に相談をしていた(警視庁武蔵野署の)生活安全課の担当者から直接話を聞きたいということです。

 

初めて警察署に相談をしたのは、大学の先生にかけていただいた電話ででした。執拗なつきまといをされたこと、SNSで生死に関わるようなコメントが多く書かれていることから、その日のうちに相談したい旨を伝えました。

しかし、「今の時間は対応していない」とのことで、別日に約束をし、伺うことになりました。

警察に相談する、という行動は私にとっての最終手段でした。

 

当時所属していた事務所から、「もし警察に相談すると、警察から被告岩崎に連絡が入って、被告岩崎がかえって興奮してしまうかもしれないから、その覚悟をして相談したほうがいい」と言われ、警察に相談するのに二の足を踏んでしまい、どうしようと思っている間に時間が過ぎてしまったからです。

 

すでに追い詰められていた心に、その言葉はさらに重たくのしかかってきました。

どうしたら良いのかわからず大学の先生に相談したところ、一緒に警察署に行くことを承諾してくれました。

 

また、信じてもらうために、SNSを印刷したもの71枚、携帯電話でスクリーンショットしたもの70枚を持っていき、犯人の情報とともに証拠として残していただきました。その資料を相談担当者と一緒に見ながら、「怖い、殺しにくるかもしれない」と伝えました。

 

その際に、SNS等はブロックすること、また、友人にも被害があるのなら友人にもブロックするよう伝えてほしいと言われました。

私はすでにブロックしていたため、自分の行動は間違っていなかったのだとホッとしました。警察署からの帰り道、「これだけ話せばちゃんと対応してもらえる」と大学の先生と話したことを覚えています。

 

相談に行った日から事件の2日前までも、警察とは電話で話をしていました。その際にライブがあることを伝えると、中止をするようになどの言葉はなく、むしろ応援をするように「110番があればすぐに会場に駆けつけられるようにしておきます。

 

あと、ライブ当日は会場周辺の見回りをするよう近くの交番に手配しておくので大丈夫ですよ。じゃあ頑張って」と声をかけられました。

警察からの大丈夫という言葉は、不安な気持ちを打ち消してくれるような力強さがあり、犯人に襲われたあと、病院で意識を取り戻したときも、警察がすぐに駆けつけてくれ命を救ってくれたのだと思っていました。

 

それから少しづつ、警察が本当は何の対応もしていなかったことを知っていきました。

 

病院での聴取の際は、自分たちの中ですでに出来上がっているストーリーに、私の言ったちょうどいい言葉を当てはめ、警察にとって都合の良い聴取を作ろうとしていました。(原文ママ)

警察に当時の対応を聞くと、「然るべき部署が対応します、上の者が対応します」と言葉を濁すばかりで、事件が起きてからの3年間、事実を知る機会は一度も設けていただけませんでした。

 

私と家族は事件当初から、担当者に直接話を聞きたいと、それだけを何度もお願いし続けてきました。警察からの答えは、「裁判になったら明らかにする」というものでした。

 

裁判でなければ明らかにできないと言われても、裁判を起こすことが正解なのだろうかとずっと悩んできました。ずっとお願いしてきたことの答えが必ず聞けるとは限らないし、ただでさえギリギリな心をこれ以上にすり減らす覚悟を決めなければ、裁判は乗り越えられないと考えていたからです。

 

事件後、同じようにストーカー被害にあっているという女性から手紙をいただきました。ニュースなどでもストーカーに関する事件を多く目にするようになりました。

 

自分が被害にあっていた当時は見えていなかったのですが、ストーカー被害で悩んでいる人が思っているよりも多いことを知りました。

 

裁判を起こすか苦悩していた中、警察の対応のずさんさが明らかにされることで、ストーカーに対する見方や対応がさらに変わってほしい。同じような被害で苦しんでいる人たちが、少しでも早く穏やかな日々を送れたらいいなと願っている自分がいました。

 

この裁判が、今後起きるかもしれない事件をひとつでも多く防ぐきっかけになることを、ひとりでも多くの人が救われるきっかけになることを信じて、戦っていきたいと思います。

冨田真由