ゴミがあふれた家、監禁された母親が住む家…。時として「なんでも起こりうる」現場=“家”の記録

「容疑者はひきこもりでした」報道の是非が問われるなか、いま一度、家について考える。

帯には“「家」という小宇宙では、なんでも起こる”とある。そう、なんでも起こるのだ。

あなたの家で起きている何気ないできごとは、果たして他の家で起きていることと本当に同じだろうか。

あるいは、とても貴く特別に思えたあのできごとは、本当に他の家のものと違うのだろうか。

あなたが目にし、耳にした、ほかの家で起きていること、それは本当にあなたの理解の範疇に収めて差し支えないようなできごとなのだろうか?

先日『緊急シンポジウム ひきこもりとメディア〜「容疑者はひきこもりでした」報道をめぐって〜』というイベントに足を運んだ。

精神科医・斎藤環氏を中心に、『一般社団法人ひきこもりUX会議』『チームぼそっと』という団体が開催したものである。

なぜ「緊急」かと言えば、2019年5月に、神奈川県で起こった通り魔殺傷事件の加害者(現場近くで自殺)について「ひきこもり」であるという報道がなされ、さらに、それを契機として6月に東京都では元農林水産事務次官 が「ひきこもり」であったとされる自身の息子を刺殺する事件があったため、「ひきこもり」報道の在り方について当事者が中心となって考える必要があったからだ。

つまり、それぞれの事件について「ひきこもり」という状態・現象が事件の原因であるような報道がなされたことの是非が問われたのである。

これらの事件が起こる前、おそらく神奈川の加害者宅の近隣では(また被害者の家でも)当たり前の日常が続いていたであろうし、練馬に住む官僚トップまで務めた人物の息子について誰が深く知っていただろうか?(あるいは殺害された息子がはまっていたというオンラインゲームの仲間たちは?)

春日武彦『病んだ家族、散乱した室内 ━援助者にとっての不全感と困惑について』(医学書院)
春日武彦『病んだ家族、散乱した室内 ━援助者にとっての不全感と困惑について』(医学書院)

今回紹介する『病んだ家族、散乱した室内 ━援助者にとっての不全感と困惑について』は、2001年に出版された本で決して新しい本ではない(「認知症」「統合失調症」に変更された用語も「痴呆」「精神分裂病」のまま記載されている)。

また「ひきこもり」について主に扱った本でもない。

精神科医である著者が、精神保健福祉センターの職員として地域などの要請に応じ訪問した、「なんでも起こりうる」様々な家についての記録と、主に援助者の心構えについて書かれた本である。

登場する「家」は千差万別だ。

精神科の病気や認知症を患った人の住む、ゴミがあふれた家。「幻覚や妄想にもとづく得体の知れない工夫」、つまり壁や窓がアルミ箔で覆われていたり、お札や嫁を罵倒する俳句が家中に貼られた家。食されないまま備蓄され続ける食糧に溢れかえる家もある。そして更には近親姦が行われている家、鎖に繋がれた老婆や監禁された母親が住む家など、実に多彩である。

私も短い期間ではあったが精神科の訪問診療に携わり、色々な患者と家族の元に足を踏み入れた経験がある。「ゴミ屋敷」と言える家に住む元大学教授だとか、娘が中心となって認知症の母親に様々な治療を試す裕福な家、統合失調症を患う60代半ばの息子の面倒をみる100歳の母親が住む家などを見てきた。

「何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある」

作家の高橋源一郎が『ぼくらの民主主義なんだぜ』で引用した、アメリカの批評家でもあり、作家でもあるスーザン・ソンタグのことばである。

とくに家について考えるとき、私はこの言葉を思い出す。

この本では、そういった多様な家に立ち入るうえで必要な「覚悟」、そして基礎的な精神科の知識について豊富な具体例を通じて、あたかも小説のような読み物として興味深く知ることができる。

著者の春日武彦は「家族」「家庭」(人間も)を「グロテスク」という。それそのものではなくそこにある欺瞞や錯覚についてそう言っており、彼はきれいごとが拭い去られた景色に向かって、あふれる好奇心を武器に踏み込んでゆく。

先述したイベントにも登壇していた、日本における「ひきこもり」の第一人者である斎藤環も、「ひきこもり」と言われる当事者への礼儀や本人の意思をなにより尊重し、最大限の敬意を払っている。

春日武彦も斎藤環も「なんでも起こる」現場において、「そこにはつねに、それ以上のことがあり」、「どんな出来事でも、ほかにも出来事がある」ことを実感として知っているからこそ、自身の経験や知識、技術のみを頼むことなく、好奇心や敬意を保ち関わっていられるのだと感じた。

本書の副題にある「援助者にとっての不全感と困惑」については、そうした好奇心や敬意を失わないでいることでしか、おそらく対処してゆけないのではないか。

私自身、多少なりとも人と関わる以上、相手への好奇心や敬意を忘れずにいたいと思うし、現在「家」にあるなにかしらの不穏さに苦しんでいるひとが居るのであれば、是非適切な支援の手、第三者の視線が介入できることを切に望むものである。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

春日武彦『病んだ家族、散乱した室内 ━援助者にとっての不全感と困惑について』(医学書院)

今週の「本屋さん」

勝亦健介(かつまた・けんすけ)さん/「メンタル系移動ブックカフェLOTUS」店主

どんな本屋さん?

飲める! 読める! 悩める! おそらく世界で初めての、メンタル系移動ブックカフェです。

東京都内一円と横浜市内で神出鬼没。目の前で挽くハンドドリップ珈琲と、お客様の体調や気分に合わせたカウンセリング・ハーブティ(Yogi Tea)を中心にお出しします。

精神保健福祉士である私が選んだ、“こころ”に関する本を読んだり買ったりもできます。

すこし前から伝説の精神科医R.D.レインを特集しているほか、まんがや寄付していただいた絵本も置いています。

福祉施設などにも出店いたしますので、ぜひお知らせください。

「メンタル系移動ブックカフェLOTUS」

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)

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