あの人のことば
2019年08月04日 11時06分 JST

フランス生活を終えた金原ひとみ「日本人に必要なのは“共感のスイッチを切る”能力」

細身の黒いワンピース、耳や唇を飾るたくさんのピアスーー。応接間にいたのは、どこか近寄りがたくて、芯が強そうなイメージ通りの「金原ひとみ」だった。

KOOMI KIM/金 玖美

金原ひとみ――。衝撃的なデビュー作『蛇にピアス』で、20歳で芥川賞を受賞し、純文学界に旋風を巻き起こした。

作家としてのキャリアを着実に積み上げつつ、結婚、出産、原発事故後の岡山避難、そしてフランス移住生活を経験した。そんな金原が送り出す最新作『アタラクシア』(集英社)は、現代を生きる20代〜30代の男女が織りなす群像劇だ。

心の平穏を求める彼らは、うまくいかない人間関係の中で、ときに不倫に走り、わかり合えなさに救われる。そこで描かれる世界観は、昨今の「世間」の風潮や、日本社会で常識的に「良い」とされることと真逆だ。あえて、物議をかもすテーマを放り込む意味はどこにあるのか。

東京暮らしを再開した金原が口をひらく。

KOOMI KIM/金 玖美

「わかり合えない」ことを伝えるために小説を書いている

細身の黒いワンピース、耳や唇を飾るたくさんのピアスーー。応接間にいたのは、どこか近寄りがたくて、芯が強そうなイメージ通りの「金原ひとみ」だった。もっとも、イメージはインタビューがはじまってすぐに打ち消されることになる。

彼女は終始、よく笑い、時に真剣に質問に答えた。

――この小説には、不倫中の女性や夫からのDVに耐える女性が登場します。どこかスキャンダラスで、今の日本社会なら叩かれそうな人たちばかりですよね。

叩かれそうな人たちばかりですけど、小説は単純に「ダメかどうか」を論じるツールではないので、ワイドショーや週刊誌なんかとは全く違う方向から不倫、DV、盗作といったモチーフに向き合えますよね。

不倫に批判的な人であっても、ストーリーや登場人物たちの過去を通じて物語に入ればまた見え方が変わってくるのではないかと思いました。なので、冒頭も主人公で翻訳家の由依に、どんなバックグラウンドがあるのかはあえて明かさない。物語が進むうちにどうも既婚者らしいということがわかるようにしています。

今の日本社会で「不倫」はSNS でもバッシングの対象で、有名人ならなおのことで、例えば男女関係があったかなかったかまで聞かれることもありますよね。

恋愛はとても個人的なことなので、まるで成人した子供にウンコをしたかどうか聞く親のような、距離感の測り間違いを感じます。

――この小説で描いているのは「わかり合えなさ」、つまり家族であっても、女性同士であっても人間がすべてをわかり合うのが難しいということだと思いました。

私は小説を書くときに、ちゃんと人に伝わるだろうと思って書いています。でもそれは、人と人とはどんなに近くにいても、どんなに話し合っても、どうしてもわかりあえない、ということが伝わるだろう、ということでもあります。

最近のSNSでは「わかる、わかる」という共感の嵐が巻き起こっていますよね。でも、それは「わかる」の階層が随分引き下げられたところにある「わかる」でしかありません。

今回の小説はそれぞれに全く違う原理、主義主張、性癖を持っている人たちが一緒に生活したり、社会で共生したりしている。それをシチュエーションとしてわかりやすい形で表現したいと思っていました。

――物語の中でフランスの話や震災の話が出てきますね。震災、原発事故後に移住したパリの経験も取り入れているように思えました。

フランスはいろんな人が入り混じって生活しています。私だけでなく、多くの人がマイノリティーです。その中で変化したこともありました。フランスに行って、最初は言葉も通じないし、手続きも進まないし、腹が立つことばかりでイライラしていたんです。

でもあるとき、ふとスイッチが切れて、何も感じなくなったんですね。開き直りというか、完璧に感情が切れてしまって……。「いちいち怒ってしまったら、死んでしまう!」という感じです。その時から完全に心の中が無風になりました。

フランス生活で、フランス人ならこう思うだろうなと、物事を対比して見ることができるようにもなりました。自分の意志だけではどうにもならない状況で感じた苦悩は、主人公・由依のキャラクターに反映されています。

不倫の話でも、例えば政治家でもスキャダルでむしろ好感度が上がっていたりもしました。「あんな真面目そうな顔してやるじゃん」くらいの反応でしたね。

娘の学校でも子連れ再婚や養子を迎えている家族もいましたし、家族の形も自由度が高い。風通しがよくて、各々が理想の家庭像を持ってそれをナチュラルに具現化しているような印象を持ちました。

――以前の作品にあった、どうにもならない「生きづらさ」を描くということから、フランスの経験を経て、それぞれの価値観を描き分けるという方向に変化もしているように思いました。

年齢もあるのかもしれませんけど、昔は人の言うことにいちいち反応したり、腹を立てたりしたんです。それが気にならなくなってきましたね。呆れるくらい色んな人がいて色んな価値観があって、色んなことを言う人がいる。その自然の摂理を受け入れた、という感じです。 生きづらさはフランス生活のおかげもあってだいぶ緩和されましたね。

KOOMI KIM/金 玖美

「わからないものは、わからない」でいい。共感する必要はない

登場人物たちはお互いがどこかで接点を持ち、章ごとに語り手は変わる。主人公の由依は仕事仲間であり、編集者の真奈美視点の章でこんなことを言う。家族観、モラルをめぐり2人で議論を交わすシーンでのことだ。

「結局モラルを人の心の中に求めるのは不可能だから、モラルを外部化しようって流れの方が主流だと思うよ。(中略)他人に対する優しい気持ちも大切にしたいって気持ちも、モラルからじゃなくて抗えない感情から生じるものであって欲しい、私はモラルから引き起こされる愛情なんて欲しくない」

他人の行動にモラルを求める真奈美に対して、由依はどこまでも抗い、自分の生き方を選ぶ。

――ご自身で共感できる登場人物はいますか。

由依と真奈美の2人は共感できる部分が多いです。真逆に見える2人に自分を投影しています。由依は私の願望も入ったキャラクターで、本来ならこうやって生きたいと思える人物です。他人から全く影響を受けないタイプですね。

彼女の考え方、生き方は多くの人から叩かれるでしょう。小説の中でも、いろんな人に嫌われていますし、友人である真奈美からもちょいちょい叩かれる。だからこそ、人に大事にされなくても、大事な人がいなくても普通に生きていけるほうがいいと言える強さがある。この強さは自分がもっとも欲しているものかもしれません。

でも、私にも真奈美のようにモラルから離れられない、情にほだされる面がある。モラルを巡る2人の議論は自分自身の中にあるかけあいでもあります。

――モラルを押し付けられることも、押し付けることも嫌だという由依の主張は小説の中でとても強い印象を残す一言です。

フランスだと、本当に隣の人が何を考えているか全く分からないんです。文化、宗教、人種もいろいろで、みんなが違うんです。それぞれがそれなりの強度のある価値観を違う文脈、背景で培ってきている。

そんな社会では、これが正しいモラルで、唯一の正解ですなんてことはない。お互いの気持ちを読み合うとか、がんばって想像するということはせずに、最低限、共存するためのルールを守って生活をしているんですね。自分のモラルを他人に押し付けないんです。

隣に住んでいる人や、電車で隣り合わせた人が何を考えているか全く分からない土地というのは、とても解放感のあるものでした。

逆に日本だと過剰に感情を読みあったり、共感を求めますよね。SNSでも、「わかるわかる」っていう共感を極度に求めているように見えます。

日本社会で育っていると、隣人にどんな背景があるのか想像してしまう。考えればそれなりにお互いの気持ちはわかるものだと思って生活していますよね。だから感情を過剰に読み合って、読めない人は「空気が読めない」とディスられる。

日本はこれからもっと多様化の時代に向かっていくでしょう。その時に必要なのは、共感のスイッチを切る能力かもしれません。わからないものは、わからないでよくて、共感する必要はないと思います。自分と違う人を許容する力がなければ新しい発見もありえません。

他人に共感を求める人や、情や人間関係に縛られる人はこれからの社会でとても生きづらくなっていくと思います。共感はいらない、自分はこうであると言えないと、人の言葉に影響を受け続け、飲み込まれてしまう。

――共感を求めない由依と対照的な人物として、家庭に多くの問題を抱えていて、逃げ場を失っている英美がいます。彼女は常に誰かのために自分を押し殺している。常に怒り、生きづらそうです。

英美はまさに、日本的な生きづらさを体現している人物です。浮気で帰ってこない夫、同居している母親とも、息子ともうまくいかない。閉鎖的な環境で苛立っています。由依ともっとも遠いところにいる人物ですが、読者には彼女の気持ちがわかるという声も多いですね。

イラっとしてしまう言動もあるんですけど、彼女のこれまでの生き方が現在に反映されています。また、彼女がそういう人間になった経緯というのもきちんと描きたいと思いました。

KOOMI KIM/金 玖美

寛容と不寛容が極端な形で現れる日本社会

同調圧力への抵抗は、金原の小説の大きな柱だ。パリ暮らしを挟んで、描く作品の深度はさらに深まっている。

――パリ生活を終えたのはなぜですか。

パリに行ったのも震災や原発問題で疲弊したからで、最初はとりあえず行ってみようくらいの気持ちだったんです。アパートも最初は2ヶ月とかの短期契約で始めましたし。それが気がついたら6年になっていました。帰国もタイミングですね。長女が中学進学を控えていたこともあって、帰国するなら今かなと。

――帰ってきて変化は感じますか。

震災を経て、どんなに言葉を尽くしても、どんなに話し合っても、お互いに理解し合えない人がいるということに薄々気づいた人は多かったと思うんです。

分かり合えなさは前提になりつつあるのに、どうしたら共存できるかが大事なのに、理解できない人に対してバッシングを繰り返す人たちがいる。

何かあればすぐに炎上し、排除する。前からあったいじめの構造が逆に強化されている印象を持っています。とてもアンバランスな社会ですよね。

例えば、お酒で酩酊している人は許容しているのに、薬物問題なら一発でアウトとばかりにバッシングの対象です。フランスではみんなの前で酩酊していることが問題視されます。

寛容と不寛容が極端な形で現れる社会だなと思っています。

――いじめや排除の構造、同調圧力への違和感はデビュー時から描いているテーマの一つだと思います。

私にとって、同調圧力やモラルの押し付けに対抗するためにできることは小説を書くことしかありませんでした。小説を書くことで戦えたし、書くという行為を通じて考えることもできるようになった。なぜかは分からないんですが、人と向き合っていても一人でじっとしていても、私は考えられないんです。パソコンの前に座らないと思考が働きません。

それでも、書き方は変わりました。若い頃は、飛んできたボールを跳ね返すことが原動力だった。来たボールをすぐに打ち返す。

今は投げつけられたボールをためて、ためて小説の世界を作り上げていく。今回も登場人物の多くは30代で、彼女たちの価値観を形成するに至った経緯もじっくり描くことができた。

由依にだって、簡単には人には言えない過去を抱えている。周囲にいるモラルで反論してくる真奈美、本質的に関わらない夫にもそうなった経緯がある。こうしたそれぞれの言い分の描き分けは若い頃にはできなかったですね。

――その点は自身の家族観も反映されているように読めます。

確かにそうですね。私自身は家族であってもわかりあえない部分がある、家族であっても根本的に属性が違う人もいる、と割り切っているところがあります。

私は常にネガティブなタイプなんですけど、夫はとてもポジティブで「元気がないときは水を浴びれば元気になるよ」みたいな人です。これはわかりあえないということで、憂鬱な時には、もう憂鬱だとは夫に言いません。そこに共感は求めません。逆に私の憂鬱さが理解できる、深部まで共鳴できるような人だと共倒れになってしまう、とも思います。

それもあって、由依にとって深く関わらない夫がそれなりの救いになっている部分もあると思っています。彼女はそもそも、過去が今の自分を作り上げているという常識や、本当の自分、といった概念に違和感を抱いているわけですから。

なんでもかんでも知ればいいわけではなくて、その人の余白、行間、その人をその人たらしめているものが何なのか、という疑問を味わうこと自体が人と関わる醍醐味なんじゃないでしょうか。人のことをわかった気になっている人も、自分のことをわかった気になっている人も、きっとただ単に何かを見失っているだけなんです。

当たり前だが、ひとりの人間は多面的であり、人によって見せる顔は違う。ましてや社会には、あまりにも違う人たちが生きている。「違い」を同調圧力で潰すのではなく、受け止める。そこで必要なのは共感ではなく、力だ。

わかりあえなさに耐えうる力がない時、人は単純な物語に惹きつけられていく。題材はある意味でわかりやすい恋愛、だがバッシングが横行する社会で、この小説が突きつける問いは今日的だ。

(文:石戸諭 @satoruishido/編集:毛谷村真木 @sou0126

JUN TSUBOIKE
金原ひとみ『アタラクシア』(集英社)