香港全土に広がる抗議の波。 壁一面のポストイットに込められた市民の怒りと祈り

「自由」を「夢」に例え、ポストイットに抗議の声を乗せる若者たちがいた。

香港から中国本土に刑事事件の容疑者を引き渡せるようにする「逃亡犯条例」の改正案の撤回を求めるデモが続いている。

かつてイギリスの植民地だった香港が、中国に返還され20年あまりーー。

「一国二制度」と呼ばれるシステム下で高い自治性を維持してきた香港が今、大きく揺れている。

毎週毎週、デモが繰り返される現場をこの目で見るために7月末、私は香港を訪れた。

中心地での激しいデモを目の当たりにしたのち、郊外に移動した私は、そこで市民が貼ったポストイットに一面を覆われた壁に出会った。ポストイットには、法案成立後の社会を危惧する市民の悲痛な叫びがつづられていた。

市民の怒りは、香港中に広がっていた

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7月28日の大規模デモを追った翌朝、私は中心街、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)からMTR(香港の地下鉄)で30分ほどの距離にある大埔墟(Tai Po Market)駅に向かった。香港に住む友人から、「ぜひ最初に見せたいものがある」と言われ、待ち合わせ場所に指定された場所だ。周辺は住宅エリアで、地元の人々が大勢駅の構内を行き交う中で、観光客らしき人の姿はほとんど見かけなかった。

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大埔墟駅の改札を出ると、無数のポストイットやビラが貼られた地下道が目に飛び込んできた。ここ大埔墟には、香港で最大規模の「レノンウォール」がある。香港中心地から離れた郊外に存在するこの巨大な「レノンウォール」の存在は、抗議の波が中心地から郊外へと国内全土へと広がっていることを感じさせる。

プラハにある「レノンウォール」
プラハにある「レノンウォール」
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ジョン レノンの死を悼んだ若者が壁に込めた思いを引き継いで…。

「レノンウォール」とは、かつて冷戦期の80年にチェコの首都、プラハでジョンレノンの死を悼んだ若者が、哀悼のメッセージを記した壁に由来する。自由や平和といったメッセージが込められたその壁は、その後、共産主義体制に対する抗議を示すシンボル的存在となった。その壁は、当時「自由」が制限されていた社会に生きる若者にとって、自分たちを抑圧する権力に対する怒りや自由への渇望を表現する数少ない場であった。

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200メートルほど続く地下道の壁を埋め尽くすポストイットやポスターには、逃亡犯条例を撤回しない政府や警察に対する強い怒りが現れている。

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公共標識の周りには、「案内板には(ポストイットを)張り付けないで」と記された注意書きがあった。大勢の人でごった返していたデモ集会の場で、通行人のための通行路が確保されていたように、ポストイットでの抗議の場でも、駅の利用者への配慮が垣間見える。

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壁の近くには、有志によって用意されたポストイットやペンが置かれた机が設置されていて、行き交う通行人がペンを取りそれぞれの思いを綴っていた。小学生くらいの年頃に見える少年が「香港加油」(香港頑張れ!)と書いていた光景がとても印象的だった。

彼らが求めるのは、条例施行の「延期」ではなく、「撤回」だということが書かれたビラ
彼らが求めるのは、条例施行の「延期」ではなく、「撤回」だということが書かれたビラ
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もしかすると日本国内でニュースを見ている人の中には、政府の審議延期の決定や、林鄭月娥(キャリーラム)行政長官の会見での「法案は死んだ」発言を受け、「市民の粘り強いデモが実を結んだ」と成果を感じている人もいるかもしれない。

しかし、現地では市民の怒りは増すばかりだ。

彼らの多くは、ほとぼりが冷めた頃に法案が復活することを強く懸念していて、法案の完全撤回を求めている。法案の審議延期発表や、行政長官の発言後も抗議活動が続くのはそのためである。

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自由を求める市民の声を象徴する「レノンウォール」。香港では今、各地に広がっている。市民は、壁を見ることで、「自分は一人ではない、大勢の仲間がいる」という感情を抱く。そうした思いはある種の「希望」となり、人々が行動を続ける一つの大きな動機となっているのではないか。

「レノンウォール」は、恒久的なものではなく、いつの日か風とともに消えていくであろう。もし、近いうちに香港に行く予定がある方には、ぜひ「レノンウォール」を見て、香港市民の怒りに触れ、日本で当たり前のように私たちが持つ「自由」について考えるきっかけを持って頂ければと思う。

滞在したホステルの入り口に貼られていた逃亡犯条例に反対するポスターとデモの日程表。
滞在したホステルの入り口に貼られていた逃亡犯条例に反対するポスターとデモの日程表。
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香港を飛び出したい気持ちと、香港人であるというアイデンティティ。2つの感情を交錯させる若者。

「来月からワーキングホリデーのビザを使って、スウェーデンに行くの。できれば、現地で生活の基盤を築いて香港には戻りたくない」

今回、現地を案内してくれた友人のYuiは、会って早々そう繰り出した。Yuiとは、留学先のスウェーデンの大学で知り合った。今回、香港に行くとメッセージを送ると快くガイドを引き受けてくれた。

2014年の雨傘運動が失敗し、中国政府が香港への介入を強め、自由が蝕まれていく中で、Yuiのように海外へ移住を希望する香港人が増えている。同様の現象は、香港返還前の天安門事件の際にも起きており、当時は約数十万人が国外へ向かったという。

香港中文大学香港アジア太平洋研究所が昨年12月に、18歳以上の香港市民を対象に行った調査によると、回答者の約3分の1が「機会があれば国外へ移住を望む、または移住を計画している」と回答。その主な理由としてあげられたのが、「政治の質」「住宅問題」や「社会的分裂」であった。 香港脱出を望む傾向は、特に若者の間で高い。

According to the latest University of Hong Kong survey in 2017

自らを「香港人」と考える人の割合は近年増加傾向にある。上記のグラフは、香港返還後20年で、「中国人」にアイデンティティを見出す人の割合の移り変わりを示している。30歳以上では大きな変化はないが、黄緑で示された29歳以下の若者の間では、その変化は顕著だ。

返還時の1997年、約18%を占めていた自らを「中国人」と考える人の割合は、2017年には3.1%まで低下した。一国二制度の下、自由を享受してきた若者の多くが、他の層より敏感に、高まる”中国化”に嫌悪感を抱いている実情がグラフから浮かび上がる。

若者の多くが香港脱出を望む一方、「香港人」としてのアイデンティティを強く持っているというというアンビバレントな点が、彼らが抗議活動へ繰り出す一つの原動力となっているのではないか。

友人のYuiは、香港の危機的現状を危惧し、7月中旬のフライトをキャンセルし、8月末に出発日を延期したという。彼らの多くは、現状に失望している一方、未来のため、子供たちのために、声をあげないで傍観者でいることは無責任であると考えている。彼らは、中国共産党の操り人形となりつつある政府、住宅問題などに対し十分な対策を講じない政府に失望し嫌悪感を抱いているのであって、決して香港が嫌いなわけではない。

「デモに行った」の代わりに「夢を見た」で意思疎通。

「7月21日、夢の中で会いましょう!!」
「7月21日、夢の中で会いましょう!!」
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彼らが絶望の中にも希望を見出そうとしている、と感じたことがあった。

カフェやレストランなど公共の場で、デモについて友人と話すときの「隠語」だ。

「デモ」を想起させる単語を直接口にすることは避けるとYuiは言う。代わりに使うのが「夢」という単語である。「デモに行った」と言う代わりに、「夢を見た」と言う具合である。

「自由」を求める彼らの行動が「夢」という言葉で語られている現状に、逆に「自由」が締め付けられつつある社会の息苦しさを感じた。

わざわざそうした言い方をするのは、もし周囲に逃亡犯条例に賛成する人がいた場合に言い争いになるのを避けるためだと言う。市民の大多数が法案に反対している一方、親中派と呼ばれる人々を中心に法案に賛成を示す人々も少なからず存在する。

「レノンウォール」に貼られていた、法案反対の無抵抗の若者を殴った法案に賛成する一般市民の男性に関する情報。※写真の一部にボカシをかけています
「レノンウォール」に貼られていた、法案反対の無抵抗の若者を殴った法案に賛成する一般市民の男性に関する情報。※写真の一部にボカシをかけています
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香港が中国へと返還された90年代、香港経済は中国経済全体の約2割を占めてたが、近年その数値は3%を切るまでに低下している。国経済の急速な発展は、香港経済の中国本土への依存度を高めた。

そうした中で、中国政府との関係を悪化させ、経済に打撃を与えてまで、民主主義や自由といったものを守る価値はないと考える人々も一定数いる。香港社会では、そうした親中派と呼ばれる人々と法案に反対する人々の間で、分断が広がりつつある。

デモが私たち日本人に問いかけること

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先月、日本では参議院選挙が行われた。全年代平均の投票率は48.80%。史上2番目の低さだった。18歳、19歳に限って言えば、投票率はわずか31.33%と、若年層の政治への関心の低さが改めて浮き彫りになった。

日本では、「民主主義」や「自由」、「政治」について語るとどこかインテリ臭く捉えられ、そうした話題は敬遠されがちな空気が社会に漂う。私自身、友人との間でそうした話題を口にすることは少ない。しかし、自由や民主主義について語ることは馬鹿らしい、エリートぶったことなのだろうか。

私たちが日常で、何気なく使っているInstagramやFacebook、LINE。自由にやり取りができて、発信したいことを投稿できるそうした自由を、私たちは、未来永劫なくなることのない「当たり前のもの」だと捉えてはいないだろうか。

昨年、イランを旅していた時、日本のLINEにあたるTelegramが突如政府によってブロックされ使うことができなくなった。多くのイラン人は、慣れた様子でVPNアプリを経由しインターネット規制を回避していたが、この経験は、「自由」がいかに”もろく”、安定したものではないものであることを私に気付かせてくれた。

民主主義社会における「自由」とは何だろうか。

もし私たちが、一票に価値がないと考え、政治に関与する権利を放棄してしまったら、私たちの権利が権力者によって知らず知らずのうちに、奪われてしまうかもしれない。

ある日突然、政府が国家安全保障上の理由から、TwitterやLINEへのアクセスを制限した時、一票を投じる権利を放棄していた国民は、それに対し文句を言う資格はあるのだろうか。

香港の若者は、日常生活における「当たり前」の自由を守るために、街へ繰り出し抗議活動を行っている。

壁に貼られたポストイットは無力で、政府にその訴えが届くことはないかもしれない。しかし、私は、彼らのそうした行動が決して無意味だとは思わない。彼らは、民主主義というもののあり方を説き、権利や自由の尊さを、行動で世界に示している。

デモは私たちに、問いかける。「自由」って「当たり前」?

香港「レノンウォール」マップ

最後におまけとして、香港市民の強い願いや怒りが訴えられている場所を紹介したい。全ての「レノンウォール」を把握することはできていないが、私が今回訪れた「レノンウォール」を地図と共に紹介したい。

①大埔墟(Tai Po Market)駅

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大埔墟駅(Tai Po Market)のA2出口を出て、すぐ目の前に位置する地下道が「レノンウォール」となっている。香港で最大級の「レノンウォール」。

②金鐘(Admiralty)駅周辺

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金鐘(Admiralty)駅の改札を抜け、香港政府庁舎へ向かう出口を出た先にレノンウォールが広がっている。また、政府庁舎サイドへ繋がる歩道橋を渡って降りた先の政府庁舎の建物右側一階部分にも「レノンウォール」がある。

ここ政府庁舎は、2014年雨傘運動の舞台となった地で、当時も政府庁舎の外壁に巨大なレノンウォールがあった。今年1月香港を訪れた時には、そこに、かつての「レノンウォール」の面影はなかったが、現在、建物外壁は再び多くのビラやポストイットで覆い尽くされている。

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③波斯富街(Percival Street)駅の歩道橋

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路面電車の波斯富街駅に直結した歩道橋内部に「レノンウォール」がある。歩道橋内部の半透明のガラス部分は両面がほぼ全て「レノンウォール」になっている。

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波斯富街駅直結の歩道橋を覆い尽くす「レノンウォール」。

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④尖沙咀(Tsim Sha Tsui) 北京道周辺の地下道

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Canton RoadやThe Sun ArcadeからPeking Road、Nathan Roadを繋ぐ地下道が「レノンウォール」となっている。ペニンシュラ香港など高級ホテルや高級ブランド店が軒を連ねる尖沙咀で「レノンウォール」は一際、存在感を放っていた。

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「レノンウォール」周辺では、ペンを取りポストイットにメッセージを書く人々の姿を多く、見かけた。

*8月11日「Hatena Blog」に掲載したもの元に再構成しました。

(文:北島空/ 編集:南 麻理江)

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