特集
2019年09月04日 11時27分 JST

ゲイのイスラム教指導者の物語「イスラム教はこの10年で、性的少数者に少しだけオープンになった」

イスラムとはアラビア語で「平和」。全てのイスラム教徒がそれを実感できるように、私は動き続ける。

世界経済フォーラム、Reuters/Charles Platiau
カミングアウトしたときは、家族からも殺害の脅迫を受けたというルドビック=モハメド・ザヘド師。だが、世界は変化しつつあるという。

エクアドルで同性婚が合法化され、ボツワナで同性間の性交渉が非犯罪化されるなど、世界各国はよりインクルーシブな社会に向けて前進しています。一方、LGBTIコミュニティーは今でも多くの課題に直面しているという現実もあります。

2019年のプライド・マンス(プライド月間)、私たちは10年前に欧州初のインクルーシブなモスクを設立した、アルジェリア出身でゲイのイマーム(イスラム教指導者)、ルドビック=モハメド・ザヘド師から話を聞きました。ザヘド師は彼や多くの若いLGBTIのイスラム教徒が直面している課題について、そして社会をよりインクルーシブにしていくための方法について語ってくれました。

イスラム教徒として、ゲイであることをカミングアウトするという体験はどのようなものだったのでしょうか?

自分が抑えようとしていた気持ち、感じていた気持ちが同性愛だということが分かったのは17歳の時でした。内戦時、私はアルジェリアにいましたが、性的少数者のことは公の場でも、私の家族の間でも話題になることはありませんでした。1995年には性的少数者という自分のアイデンティティーについて、それまでよりはオープンに表現することができるようになったのですが、その途端、自分の同性愛と精神的な拠り所を結び付ける術がなくなってしまいました。

それまで私が目にしてきたイスラム教の言説は独裁的、同性愛嫌悪、女性差別、反ユダヤ的といったものばかりで、私が持っていた同性愛に関する認識も宗教的で、かなり同性愛嫌悪的なものだったのです。

宗教やイスラム教に限った問題ではなく、差別や偏見、無知から来る問題

それが自分の中で一つになったのは大学生の時。精神性よりは自分の性的志向に従って生きようと決断したのです。そこにたどりつくまで7年間かかりました。そして自分が誰なのか、なぜ最初の頃、自分の精神性と文化を突然拒否してしまったのか、読書をしたり深く考えたりしていくうちに、その二つを結び付ける方法があるのではないかと思ったのです。それで瞑想と仏教を通じて、あらためて自分の精神面を掘り下げてみることにしました。

チベットに行った時のことですが、そこでも同性愛に対する偏見があるということが分かりました。そこでようやく、この問題は宗教やイスラム教に限った問題ではなく、差別や偏見、無知から来る問題なんだと思うようになったのです。経済的に、あるいは精神的に動揺していると人間は誰かを差別したり、互いに喧嘩したりし始めるのですが、そのときに最初に攻撃されるのがマイノリティーの人たちです。これは多くの国で、様々な歴史的な時代や状況で起きていることです。

世界経済フォーラム、Reuters/Pascal Rossignol
2018年のプライド・パレードに参加した、パリのアンヌ・イダルゴ市長(中央)

最初にカミングアウトしたときのご家族の反応はどんなでした?ゲイであることを公言しているアルジェリア人男性としてどのような体験をしましたか?

実のところ、最初は何もなかったのです。家族とはこういったことは一切話していなかったので。この問題は禁断かつタブーで、「そんな風にしていると死ぬことになる。誰かに殺されてしまうよ」と言われたりしました。脅迫は数多くありましたが、もちろん実行されることはありませんでした。今、ここにこうしていられる訳ですから。

一番努力したのは父親だと思います。父は家父長制社会で育ち、男らしさをそのまま体現している男の中の男というようなタイプでした。21歳のときにカミングアウトしたとき、兄や叔父が私を脅している状況で一緒に住むことは難しいと話したのです。「ありのままの僕を受けいれてくれないのなら家を出るよ。もう荷物はまとめてあって準備もできているんだ。でも父さんがどう思っているのか教えて。こんな状態を続けていくなんて無理だ」と。この時に父は感情的になり、「彼は彼なりの選択をしたんだ。私たちとしては受け入れることはできないかもしれないけど、息子とその判断を尊重するべきだ」と言ったのです。そして父は私を見ながら「大変な一生になるだろう。泣き言をいうなよ」と話しました。私は、もう選択は下したということ、そして自分にとっては選択以前の問題だと答えたのです。

それ以降の10年は家族とこの件について話をしていません。実に妙な感じです。兄弟や姉妹は家族との関係について話したりしていたのですが、私が30代の頃に母が「あなたは人と関わり合いを持たないようにしすぎ。自分の人生について私たちにもっと話してほしいの」と言うので、私はフィアンセを家族に紹介し、家族は私の結婚式に出席してくれ、私たちはラマダンの最中でさえ先方の家を訪問するようになりました。その後離婚して、離婚なんて誰にでも起こりうることなのですが、母は「残念だわ。あなたの夫、大好きだったのに」と言いました。他の人と同じなのです、うまくいかないこともあるのは。私たちの関係のことを通じて母は同性愛について多くのことを学んだと思います。

私は西側の国に引っ越すことができたので運が良かった。アルジェリアではこうはいかなかったし、違った運命をたどっていたでしょう。あの国には自由というものがないのです。私の家族の将来もこのために大きく変化したと思います。両親はオープンな人間ですが、両親も親戚の多くとは付き合いを絶つことになってしまいました。私を殺すと脅した叔父は、母をも脅していたのです。言うまでもなく母はそれっきり叔父と口をきいていません。母もこのために犠牲となったのです。

このインクルーシブなモスクは開設されてから10年近くになります。どのようなきっかけで始められたのですか?

10年前、私たちはフランスに「フランス同性愛イスラム教徒の協会」を設立しました。性的少数者として精神的なことを話し、集団で礼拝する形が必要だという声を上げたのです。このインクルーシブなモスクを設立した理由の主な一つは、大規模な団体に参加している人々の多くはこれまでずっと宗教の場でひどい扱いを受け、それがトラウマになっていて宗教活動に関わりたくないということだったのです。

このモスクは欧州初のインクルーシブなモスクになりました。こういったコミュニティーは今では世界のどこにでもあります。西ヨーロッパ、米国、インドネシア、南アフリカ、チュニジアにも。各地に広がりましたが、最初に始まったのは主に米国とカナダです。

みんなで集まって精神的なことを話せるこの手の場所を創った第二の理由ですが、キリスト教系LGBT協会の関係者が私を探し出してコンタクトしてきたのがきっかけでした。彼らの協会に加わったトランスジェンダーでイスラム教徒の若い女性がいたのですが、その人が最近亡くなったあと、行き場がなくなっていて、彼女がトランスジェンダーだったため、主流派のイマームで伝統的な死後の祈祷を営んでもいいという人が見つからなかったのです。

その協会の関係者に、あなたは神学と宗教を学んでいるし、イマームじゃないですかと言われたんです。アルジェリアではイマームになる勉強をしたのですが、イマームの役目を務めるよう要請されたのはアルジェリアを去ってからこれが初めてでした。それはまだ自分の中で折り合いをつけることができていない私のアイデンティティーの一部分でしたが、それは途方もない責任です。そのときに分かったのです。これは何とかしなければならないと。私はシスジェンダーの男性ですので、モスクに行っても誰も何も言いませんが、トランスジェンダーの人々にこの特権はない。モスクはインクルーシブでもないし、安全でもない。これがインクルーシブなモスクを設立した背景です。このコミュニティーは今もパリにあり、ここマルセイユにはLGBTIのための祈祷室と非常用シェルターが併設されたカレム・インスティテュートがあります。私たちにスペースを貸したくないという人が多いので、続けていくのも拡張するのも難しい。私たちはイスラム教徒でもあれば、ゲイでもあります。これはもう無理と感じたりもしますが、希望は持っています。

このインクルーシブなモスクを設立する際にまず遭遇した障害というのはどういったものでしたか?あなたの周りにいる、LGBTではないイスラム教徒の反応はどうでしたか?

実際のところ障害はさほどありませんでした。この取り組みに対しては非常にポジティブな反応がありました。初期に加盟してくれたのはとてもポジティブでモチベーションも高い人たちでした。パリに住んでいるすべての人々のため、私たちは平等の権利と結婚の権利を求める抗議行動に参加しました。参加者は非常に政治的な意識が高い人たちで、進歩的イスラム教にとって非常に豊かな時期でした。多くの人々から励ましの声をいただき、脅しも多少ありましたが、何も起きていません。それを続けてきました。

イスラムという言葉とはアラビア語で「平和」という意味で、これまでイスラム主義として表現されてきたものは、それを体現していないということがみんな分かってきたのです。参加者の大半は若者。何もしないで事態が変わることはないということを分かっている世代です。

昨年、ドイツのテレビチャンネル、ドイチェ・ヴェレでエジプトのアル=アズハル大学との討論を行いましたが、その時に私たちは本物のイスラム教徒ではないと言われました。進歩的なベルリンのイブン・ルシュド・ゲーテ・モスクのイマームも私と一緒に参加してくれました。彼らは私たちと討論をして満足はしていなかったようですが、話ができただけよかったです。対話は開かれていますが、10年前はそうではなかった。彼らだってこのムーブメントは止まらない、そして私たちと話さざるをえないということは分かっています。

このムーブメントに参加する人は増えていますか?参加状況は過去10年でどのように変化しているのでしょうか?そして将来に向けてはどのような計画がありますか?

参加者の大半である若者は、行動しなければ変わらないということを分かっている世代で、もっとインクルーシブな社会を創る方法を学びたいと考えています。私としては、若いイマームの育成やもっと進歩的なイスラム教について教えて、推し進めていきたい。こういったコミュニティーの形成に興味を持っている人には、どんどんやってみてと言いたいです。ゲイのアルジェリア人で、イスラム教徒、アラブ人でHIV陽性で未熟な若者だった私が25年前にできたのであれば、誰でもできると思うのです。現実と向き合うのを恐れている場合ではなく、やらなければならないのです。

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(この記事は2019年08月19日世界経済フォーラム「ゲイのイスラム教指導者の物語「イスラム教は対話にオープンになった - 10年前とは違って」より転載しました。)

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