全盲の白鳥さんと一緒に美術館賞をしてみたら、たくさんの会話が生まれました

視覚障害者と晴眼者が共に芸術を鑑賞することのゴールとは、作品を通して各々の人生を共有することではないだろうか。
(左から)佐久間裕美子さん、白鳥建二さん、著者の川内有緒さん。
(左から)佐久間裕美子さん、白鳥建二さん、著者の川内有緒さん。
武田裕介

全盲にもかかわらず、年に何十回も美術館に通う人がいる。白鳥建二さん、50歳。

「生まれつき弱視で、絵本などを見た記憶もない」と語る白鳥さんが、20代半ばで初めて美術館を訪れた理由は、好きな人とデートがしたいというもの。その楽しい時間がきっかけとなり、美術館へのアタックが始まった。「自分は全盲だけど、作品を鑑賞したい。誰かにアテンドしてもらいながら、作品の印象などを言葉で教えて欲しい」と粘り強く美術館に電話をかけ続けた──。(詳しくは前編のこちらのインタビューへ)

そんな白鳥さんが特に深い縁で結ばれているのが、水戸芸術館現代美術ギャラリー(以下、水戸芸術館)である。この美術館では、10年以上にもわたり、白鳥さんたち視覚障害者が鑑賞の中心的役割を担う作品鑑賞ツアー『セッション!』が行われている。

どうやって見るのかと問われれば、「言葉」を使って見るという手法だ。

“見えない人”が問いを投げかけ、“見える人”は作品をじっくり観察し、言葉で再構築していく。そうして障害がある人もない人も一緒になって作品の輪郭を探っていくのだ。

とはいえ、その実際のプロセスを想像するのは難しい。そこで今回は、同館で開催中の『大竹伸朗 ビル景 1978-2019』を白鳥さんと一緒に鑑賞し、その体験をレポートしてみたい。

さて、私たちは何を見て、いったいなにを発見し、なにを語るのだろうか?

いよいよ鑑賞スタート
いよいよ鑑賞スタート
武田裕介

ビルの渦に囲まれて

『大竹伸朗 ビル景 1978-2019』は、約40年にわたり描きためられた600点以上の作品を集めた展覧会である。描き出されるのは、香港、ロンドン、東京といった様々な都市がミックスされた架空の風景だ。

どうせならバックグラウンドが異なるメンバーが集まるほうが面白いだろうと、ニューヨーク在住ライターの佐久間裕美子さん(著作に『ヒップな生活革命』ほか)を誘った。佐久間さんは「昔から大竹伸朗さんの作品のファンだった」と言い、軽いフットワークで水戸までやってきた。

当日、白鳥さんと佐久間さんを初めて引き合わせ、水戸芸術館スタッフの佐藤麻衣子さん(教育プログラム担当)を交えた4人で鑑賞をスタートした。

白鳥さんは、佐久間さんの右腕に軽く触れながら、半歩後ろを歩く。こうすることで、彼は腕から伝わる感覚を通じ、進むべき方角や段差の有無を察知することができる。

佐久間さんは、「私、けっこうボキャブラリー少ないんだけど、大丈夫かな?」とやや不安そうな表情を見せた。「大丈夫!」と私は太鼓判を押した。最初は誰もが「ちゃんと説明ができるのか」という懸念を覚えるものだが、そこはあまり気にする必要がない。白鳥さんの場合、求めているのは作品の解説や情報ではなく、作品の前で湧き上がる感情やリアクションそのものだからだ(もちろん視覚障害者といっても多様で、中には作品の解説や描写を正確に知りたいという人もいる)。

展示室に入ると、私たちは作品が持つ重力のようなものに圧倒され始めた。厚塗りの絵の具やコラージュが多用され、ビルのある風景は、夢のなかのようにデフォルメされながら、山脈のように延々と連なる。

点数が多いので、私たちは気になるものをピックアップして見ることにした。

「何か気になる作品を選んでください」と白鳥さんが言う。

佐久間さんは周囲をぐるりと見回し、「ビルの風景が多いんだねー」とふわっとした口調で言う。

「いや、全部がビルなんだよ。展示タイトルも『ビル景』でしょ」(川内)

「あ、ほんとだ。全部なのね、びっくり!一番大切なところを見過ごしてた!」

そんな佐久間さんの口調でその場は大爆笑に包まれ、どこか重苦しかった空気が一気に吹っ飛んだ。

黒人なのか、白人なのか!?

いくつかの大型作品を経て、アメリカン・コミックスやチラシなどがコラージュ(バラバラの素材を切り貼りする技法)された小作品のセクションにたどり着いた。どの作品も、一見しただけではテーマもモチーフも漠としている。

「コラージュだね」

「うん」

大竹伸朗さんは、小学生の頃から「コラージュ」が好きで、小学校の頃には、学級新聞を作るために配られた模造紙に「デカいポパイ」を描いて、切り抜いた。その時に感じた開放感が出発点となり、その後も色々なものを「切ったり貼ったり」してきたそうだ。コラージュは極めて感覚的な作業なので、その意図を見出すことは簡単ではない。

私たちは、作品の輪郭を探るようにゆっくり話を始めた。

《8月、荷李活道》 1980年 ©Shinro Ohtake,Courtesy of Take Ninagawa,Tokyo
《8月、荷李活道》 1980年 ©Shinro Ohtake,Courtesy of Take Ninagawa,Tokyo
武田裕介

佐久間「スーツを着ている男の人がいて、顔をハンカチで拭いているみたい。右手でお盆を持ってるの。背景にはたくさんテープが貼ってあって」

川内「いろんなものが何層も重なり合っている感じ。だからかもしれないけど、街を描いたものに感じるね。ざわざわした街。ニューヨークじゃない?ノイズが多くて、色とか音とか、街のざわつきが表現されているような」

佐久間「うん、そうだね。ニューヨークかもしれない。色々重なっている感じがニューヨークっぽいね」

20年以上もニューヨークに住む人が「ニューヨーク」というのだから、もう間違いないだろうと確信したその直後、作品タイトルを見た佐久間さんが、「あれ、どうも香港が描いてあるみたいだよ」と言いだした。

「香港? あれ、そうなの?」と白鳥さんは面白がる。

「この男性のせいでニューヨークに見えちゃったのかも。ほら、スーツを着ていて、ウォール街にいるビジネスマンみたいじゃない」

そう私が言うと、佐藤さんが口を挟んだ。

「ちょっと待って、これって子どもがアイスクリーム食べてるんじゃないの?」

その一言で、私たちの会話は一気に混乱の渦の中に入り込んだ。

川内「ん、子ども? どう見てもスーツのおじさんだよ。ほら、よく見て、これ、帽子じゃない?」

佐藤「いや、ちょっと離れて見てみて。ほら、やっぱり子どもだよ。それに黒人じゃなくて、白人だよ」

佐久間「え、白人に見える!? 黒人だよー。っていうか、アイスクリームってなんのこと? 私にはどう見てもハンカチで顔を拭いているようにしか見えないけど。あれ……? でも、確かに遠くから見ると子どもに見えてきた。いや、20歳くらいかな。でも私の中でやっぱり黒人にしか見えないな」

その後も、その一人の男性をめぐって侃侃諤諤の議論が続いた。

同じ絵をしっかりと観察しているにも関わらず、その見え方はまるで異なり、また他の人の見解を聞いているうちに、自分の中の確証もグラグラと揺らいでしまう。私たちの「見る」という行為は、それほどまでにあてにならないものらしい。

そんな時白鳥さんは、「へえ! 面白いね! ハハハ」と笑い声をあげながら、私たちの混乱ぶりをエンジョイしていた。

数えきれないほど水戸芸術館を訪れてきた白鳥さんは、私たちが何も言わなくても、いまどの展示室のどの辺りにいるかが感覚で分かるという。

現代美術の面白さとは

話はいったん逸れるが、白鳥さんが年間を通じて好んで鑑賞する作品ジャンルが、現代美術である。その面白さに開眼したのが、この水戸芸術館現代美術ギャラリーだったそうだ。

1998年に初めて水戸芸術館を訪問する前、白鳥さんが主に見てきたのは印象派などの名画だった。しかし、水戸芸術館を訪問した時に開催されていたのは、『水戸アニュアル’97 しなやかな共生』という現代美術展。6組の作家が出展していたが、なかでも特に印象に残ったのはキューバ出身の現代美術家、フェリックス・ゴンザレス=トレスの作品だった。

それは展示室の中央に、銀色の包み紙のキャンディがビシッと真四角に敷き詰められているというコンセプチャルな内容である。

「このキャンディは食べられるんですよ、と聞いたので、拾って口に入れてみました。すごく甘くて、いかにも外国のキャンディという味がしました。その意味は分からなかったけれど、作品が向こうから語りかけてくる、その感じが面白いと感じました」

それ以降、白鳥さんは東京都現代美術館や森美術館など、現代美術を専門的に展示する美術館を数多く訪れている。

それはツインタワーなのか?

話を再び『ビル景』に戻そう。

次に私たちの注意を引いたのは、ビルと飛行機が描かれた小作品だった。

《エリック・サティ、香港》 1979年©Shinro Ohtake,Courtesy of Take Ninagawa,Tokyo
《エリック・サティ、香港》 1979年©Shinro Ohtake,Courtesy of Take Ninagawa,Tokyo
川内有緒さん

「これこそ、ニューヨークかもしれない……」

私は反射的に口に出した。その作品は、まるで二つの高いビルに飛行機が突入していくような構図だった。

「え、もしかして、ツインタワー?」と佐久間さんも虚を突かれたような声を出した。

その瞬間、私たちの脳裏に浮かんだのは、同時多発テロ「9.11」だ。

佐久間さんがすぐに作品タイトルを確認すると、《エリック・サティ、香港》(1979)とある。なあんだ、香港か!

「昔の香港はビルの間に飛行機が突っ込んでいくみたいだったって聞くよね」「たしかにー」「そうだ、香港だよ」と口々に言い合った。

私たちが、反射的に「9.11」を思い浮かべたのはたぶん偶然ではない。あの2001年9月の事件当日、私たちは、二人とも現場から遠くない場所に住んでいた。鑑賞者は、様々な経験や思い出と共に作品を見ているんだ、と改めて感じさせる瞬間だった。

佐久間さんは、「香港には何度も行ったことがあるよ。好きな街だな。どうしてか分からないけど、昔から私は都会に惹かれてしまうんだ」と話した。

またいくつかの展示室をめぐった。

すると、再びビルと飛行機をモチーフとする作品が現れた。黒くのっぺりとした空を背景に、白い線で描かれたビルが二棟。真上を飛行機が飛んでいる。

《ビルと飛行機、N.Y.1》《ビルと飛行機、N.Y. 2》 2001年©Shinro Ohtake,Courtesy of Take Ninagawa,Tokyo
《ビルと飛行機、N.Y.1》《ビルと飛行機、N.Y. 2》 2001年©Shinro Ohtake,Courtesy of Take Ninagawa,Tokyo
武田裕介

確認すると、タイトルは《ビルと飛行機 、N.Y.》。制作されたのは、2001年12月だった。

「ニューヨークだね」「そうだね」「2001年か」「うん」と言ったあと、しばし押し黙った。そして、ごく自然に、お互いに9.11の当日をどう過ごしたかを語り始めた。

「ちょうど新婚旅行から戻ってきた日だった」(佐久間)、「 朝っぱらから恋人と大げんかをしている真っ最中だった」(川内)。

気がつけばあれから18年、「あの日」について私たちが語りあったのは、この時が初めてだった。《ビルと飛行機、N.Y.》が本 当に9.11と関係あるのかは不明だ。作品はただ静かに佇みながら、見るものに問いかける。

ーあなたは、この世界をどう見ていますか─

なにかを感じとり、意味を探すのは鑑賞者のほうで、そこには、自分の価値観や経験が色濃く投射される。アートを見る面白さとは、まさにそこにある。多様な解釈を許す寛容さが、時代と人を鏡のように映し出すのである。

その後も、いくつかの作品を鑑賞しながら、私たちは、たびたび「これって、なんだろう」と言葉に詰まった。

白鳥さんはゆっくりと次の言葉を待っている。

その言葉にならない「間」すらも、彼は好きだと語る。思わず漏れ出す「ああ...…」というため息のなかにも様々な思いがあり、その即興の言葉のライブを彼は楽しんでいる。人と人が出会うことでしか生まれない、その音色を。

作品を鑑賞する白鳥さんたち
作品を鑑賞する白鳥さんたち
武田裕介

何が見えましたか?

鑑賞を終えたあと、佐久間さんは、「普段の自分がいかにちゃんと作品を見ていないかを思い知らされた。面白かった!」と清々しく笑い、白鳥さんも「佐久間さんのおかげで楽しかった!」と言う。私たちはビールで乾杯し、さらに語り続けた。

いまや、「盲人白鳥」の屋号で、日本各地の美術館で鑑賞ワークショップをナビゲートする白鳥さん。そんなワークショップのあと、白鳥さんは参加者からたびたび同じ質問を投げかけられる。

「どんなものが見えましたか」「ちゃんと伝わりましたか」

そう尋ねられるたびに、「うーん、ちょっと違うんだよな……」と少し複雑な気分になるという。

中途失明者と異なり、もともと視覚経験がほとんどない白鳥さんが「見る」世界は、晴眼者と同一であるはずがない。

だから視覚障害者と晴眼者が一緒になって作品を鑑賞することのゴールは、必ずしも同一の風景を見ることではなく、見えるもの、見えないもの、分かること、分からないこと、その全てをひっくるめて、生きた言葉を足がかりにして世界をまさぐり、その旅路を共有することだ。

水戸芸術館で行われている『セッション!』を担当する森山純子さん(水戸芸術館・教育プログラム担当)は、ツアーを始めた目的をこう語る。

「それは、見える人と見えない人の差異を縮めることではありませんでした。むしろ視覚障害者の方々と一緒に鑑賞することで、見える側が今まで見えていなかった多くのことに気付き、考えるきっかけを得られると感じました。作品の見方というのは、とてもパーソナルなもので、見える人同士でも必ずしも一致しません。障害の有無を越え、個々の認識の違いを対話することで共有し、他者と歩み寄る場がつくれるのではないかと思いました」

これまで体験したことのないアートの楽しみ方に、とても充実した時間を過ごすことができました
これまで体験したことのないアートの楽しみ方に、とても充実した時間を過ごすことができました
武田裕介

開かれた場所に向かって

この半年間で、私はいくつかの美術館で白鳥さんと一緒に作品鑑賞をしてきた。

おおむね楽しい時間だったが、正直に言うならば、あまり気分が良くない経験もあった。ある美術館で、他の来館者に「さっきからうるさい。静かにして!」と強い語調で注意をされてしまったのだ(誓って言うが、発していたのは囁き声だった)。

私たちは、さらに声のトーンを落とし、ヒソヒソ声で鑑賞を続けた。素晴らしい作品を前にしながら、私は少々の居心地の悪さとやるせなさを感じていた。その時の居心地の悪さは、少し機嫌の悪い赤ちゃん(娘)を連れて満員電車に乗り込んだときにも似ているが、そのモヤモヤの色合いはもっと濃いものだった。

美術館で声をだすことは許されないことなのか? 美術館はそこにいる全ての人のための場所ではないのか? こうして場を閉じていくことは、いったい誰のためになるのか。

マジョリティの権利を守るために行われる不寛容や排除のアクションは、まわりまわって社会のあちこちに「生きづらさ」を沁みわたらせるだけではないかと私は思う。自分が誰かに対して出した「迷惑をかけるな」という同調圧力は、いつかは自分自身や自分の家族や友人にはね返ってくる可能性もあるのだ。

そういった意味では、多くの美術館やNPOが地道に促進してきた「対話をしながら作品を見る」という行為や、「視覚障害者との鑑賞ツアー」はとても意義深い活動で、社会の閉じられた扉をひとつずつ開く、その道筋を作るものなのかもしれない。

ただし、白鳥さん自身が美術鑑賞を続けるモチベーションは、もっと個人的、かつシンプルだ。彼の中にある思いは、ただ美術を愛するひとりの人間として、楽しい時間を共有したいというものである。そこに参加するには、障害者への理解も飛び抜けた善意も必要としない、と彼は言う。

「ごく普通にマンションのお隣さんに挨拶するような感じで、『こんにちは』と声をかけて欲しい。ごく普通のコミュニケーションがいいんです!」

(編集:榊原すずみ @_suzumi_s

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