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2019年09月14日 15時21分 JST | 更新 2019年09月14日 15時23分 JST

「虐待を食い止めるためにはDVこそが問われるべき」弁護側が懲役5年が相当とした理由【目黒5歳児虐待死裁判・弁論】

弁護人は虐待とDVの関連性を提示し「相継ぐ児童虐待を早期に発見し、二度と再びこのような悲劇を生まないために、 私たちはどのような努力をなすべきでしょうか」と裁判長を見つめた。

東京都目黒区のアパートで2018年3月、当時5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんが亡くなった。 

父親の雄大被告(34)とともに結愛ちゃんを虐待して死なせたとして、9月9日、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の公判が結審した。

Huffpost japan/Shino Tanaka
東京地方裁判所

検察側は「命を守るという親として最低限度の行動すら起こさなかった」として懲役11年を求刑した。

検察側の論告が終了すると、裁判長の合図で弁護人が証言台に立った。

弁護人は、懲役5年が相当であるとし、次のようにその理由を説明していった。 

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船戸優里被告に質問する弁護人

まず弁論をしていくにあたって、この法廷で明らかにされた二つの虐待についてぜひ思いをいたしていただきたいと思います。

みなさん、大変過酷な事実を目にされたと思います。

一つは、結愛さんに対する、熾烈で凄烈な虐待です。

そしてもう一つは、優里さんが与えられた雄大さんからの虐待、それに対しても、真摯に目を向けていただきたい。

「妻へのDVと子への虐待は表裏一体」

本件は、結愛さんへの虐待と優里さんへの虐待、この二つの虐待が、同一人物によって、一つの部屋の中で行われていたということです。

結愛さんと優里さんは、雄大の虐待の被害者として、時に被害を最小限にとどめるべく、助け合っていました。

確かに、優里さんは、日に日にやせ衰えていく結愛さんの死を止めることができませんでした。

なぜ、救うことができなかったのでしょうか。

検事が今、論告で指摘された見方、それは一つの見方なのかもしれませんが、でも、優里さん自身が被害者であったということに目を向ければ、また全く違った様相が見えてきます。

皆さんには、(証人として出廷した)精神科医が示したDVのサイクル、これを思い出していただきたい。

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DVのサイクル

DVは継続して行われるけれども、サイクルがあるんです。ストレス蓄積期、暴力爆発期、そしてハネムーン期です。

これを香川時代に当てはめてみると、連日長時間の説教により、優里さんが洗脳されたような状態になるのは、結婚したばかりの平成28年(2016年)9月、10月をストレス蓄積期と言えるでしょう。

そして(同年)11月、結愛さんを蹴るという大きな暴行を経て、雄大さんの暴力爆発期が来ます。

続けて平成28年(2016年)12月末、これは第一次の一時保護になった事件。それから平成29年(2017年)3月、第二次の一時保護となった事件です。

続けて、同年8、9月、家庭に帰ってからも2度のあざが見つかっています。1年弱の間に、児童相談所に発見されただけでも、確かにこのアザが頻繁に現れる、これは暴力爆発期と称される期間でしょう。

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船戸結愛ちゃんが香川で過ごしていた際の虐待の経緯。香川県の資料などから作成

その後、東京への引っ越しを控え、雄大さんが優しくなる期間があります。

平成29年(2017年)11月から、1月23日の間。これは、まさにハネムーン期です。

このハネムーン期を経ることによって、優里さんは大きな勘違いをします。

「雄大は治った。優しくなる。東京に行けば、機嫌が良くなる。幸せになれる」

結愛さんへの暴行も、決して再開しないと確信し、親子3人上京します。

しかし残念ながら、東京で待っていたのは、結愛さんへの食事制限、過酷な日課の強制。これはストレス蓄積期と言ってもいいと思います。

そして雄大さんによる結愛さんへの苛烈な暴行。平成30年(2018年)2月20日前後以降を、暴力爆発期と称するならば、これを全く知らずして上京してしまった優里さんは、このDVによるハネムーン期であったことを知らず、勘違いしてしまったゆえの結果です。

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結愛ちゃんが亡くなって両親が逮捕・起訴されるまでの経緯

結愛さんへの虐待と、優里さんへの心理的DVとは、まさに表裏一体、車の両輪として発生していました。

結愛さんが一人、最悪の結果となってしまったのは、本当に弁護人をしても、母である優里さんをしても、何度謝っても取り返しのつかないという言葉では尽くせないほどの最悪の結果でありましたけれども、この背景があったことをぜひベースにおいて、この事案を見ていただきたいと思います。

結愛ちゃんが亡くなった要因は心身への暴力によるストレスと食事制限

具体的に、東京に移って以降の、本件に至る経緯について述べたいと思います。

結愛さんの死亡に至る機序、それは、証拠において明らかにされています。

虐待による身体的、精神的ストレス、低栄養による体重減少、これらが相まって免疫力低下、そして肺炎、敗血症という結果を生じています。

ですが、本件において事案を解明するにあたっては、この原因となった、暴行、説教、食事制限、いわゆる虐待による身体的・精神的ストレスこの二つと、体重減少、この二つに優里さんがどれだけ関わっていたのかということが一番問題になります。

セットで「バカ嫁、バカ娘」と扱われ、「エスカレートしないよう黙り続けた 」

まず、優里さんは、暴行に関与していないということを、第一に述べたいと思います。

上京後の暴行を直接、優里さんが目撃したのは、2月2日の件だけでした。そのことに関しては、この法廷で優里さんが詳細に語っています。

確かに、この事実を語ったのは、この法廷が初めてでした。取り調べの時にも、彼女はこの事実を思い出すことができなかった。

この法廷の期日が決まってから、優里さんは必死に自らの記憶を喚起するべく、事実に向き合おうとしました。

そして記録を読み、この暴行と、分断されていた記憶とを照らし合わせて「これは2月2日のころだった」という結論に至りました。

まず2月2日頃、雄大被告の結愛さんの顔を手の甲で叩く暴行。これについてです。

雄大が優しかったのは、上京したその日と翌日まででした。

優里さんは、上京の疲れから、外出したがりませんでした。雄大は折角上京したのに家に居たがる優里さんを責めます。

それを皮切りに、雄大は結愛さんが太ったこと、生活態度がダレている、一からやり直しだ、と優里さんと結愛さんを責めます。

優里さ んへの説教から結愛さんへの説教に移る、これはいつものやり方です。 雄大にとって、優里さんと結愛さんはいつもセットで、バカ嫁とバカ娘だったのです。

そして遂に、2月2日頃、雄大は結愛さんを暴行します。

雄大が便座の蓋を降ろしてそこに座り、目の前に立たせた結愛さんの目のあたりを、手の甲で払うように2回叩きました。優里さんは、この光景をはっきり思い出します。

優里さんはこれをリビングにいて、後ろの方でその音を聞き、そして目にします。(結愛さんが)「痛い」と。

これほどひどい暴行を見るのは、平成28年(2016年)11月、香川で蹴った時以来です。

でも優里さんは声を掛けなかった。

なぜならやっと終わった暴行や説教がエスカレートしないように、その日はそのまま結愛さんを寝かせてくれるだろうとじっとしていました。

翌朝、結愛さんの目のあたりは大きなアザができていました。

優里さんはびっくりして、ここ までやってしまったのか、と雄大に抗議しようとします。でも抗議したら、またケンカになり、説教になる。

ですから言えた言葉は「すごいことになってるね」だけです。

恐怖が先に来て、それ以上言えない。それに雄大は、「ボクサーみたいだ」と言ったのです。

これを聞き、優里さんの心は バリバリと音を立てて崩れた感じになり、心に大きな傷を受けます。

「もうお願いだからしないで」と懇願するしかありません。その時は雄大はわかったと言ってくれました。

このあと、優里さんは、もうついていけない、離婚してくれと懇願します。

優里さんは何度も離婚を求めています。でもそのたびに否定されました。

この時は、結愛は自分が連れて行く、息子は置いていくからと、頼みます。雄大は息子は可愛がっていたからです。

でもこれに対しても、雄大は息子に向かって「かわいそうに、 お母さんに捨てられるんだ」と声をかけます。

やっと切り出せた離婚話が、結局は「私はダメな母親なんだ」と自責の念しか残しませんでした。その後、結愛さんに決定的にダメージが与えられます。

これを機に、結愛さんは優里さんから取り上げられてしまったのです。

雄大は3日、連れて行くはずだった豆まきにも連れていけません。

4日、テレビ電話で話すはずだった香川のおばあちゃんとの話もできません。

そして9日、品川児相の訪問にも隠さざるを得えない。

雄大を庇っていたのではありません。

今度こそ雄大が逮捕される、そしたら結愛も自分も一生雄大に恨まれる、その報復を恐れたのです。

もう少ししたら仕事が決まる、そしたら雄大は毎日家を空ける。もう少ししたら小学校、そしたら雄大は手を出せない、結愛もお腹一杯ご飯を食べられる、もう少しの辛抱。

それまで何とか機嫌よく過ごしてくれたら、と優里さんは必死に雄大のご機嫌を取ったのです。

20日には小学校の行事がありました。

これには結愛さんを連れていく必要があった。でも連れて行けない。なぜなら、消えかかっていたアザが消えなかった。

優里さんはやむなくひとりで行きました。雄大もこの日は学校に行かせなければと思っていたはずで、雄大の暴行は、かろうじて20日までは抑えられていました。

この頃までが、DVのサイクルのストレスの蓄積期でした。

雄大の暴行がエスカレート

優里さんたちを迎えた時にはハネムーン期であったサイクルは、ストレスを蓄積し、激しい暴力を産む暴力爆発期に入っていきます。

雄大の暴行がいつからエスカレートしたのか。それは私たちには分かりません。雄大の裁判で明らかになることを望みます。

ただ証拠上みられるその暴行は、2月25日前後に受傷したであろう顔面の暴行、2月20日前後にあったであろう全身への暴行。この複数回の暴行があったことは否定できません。

そして、この暴行が、結愛さんの多大な身体的なストレスとなっていたことは明ら かです。しかし、これについては、優里さんは一切知らなかったことなのです。

優里さんは、暴行を見ていません。

それは「優里と息子は結愛を寝かせてから、30分後くらいに帰ってきた」と述べていることから明らかです。

結愛さんへ多大なストレスを与えていたこの暴行。優里さんは全く知らず、刑事から聞かされ、大きな衝撃を受けました。

確かに雄大は、優里さんに、パソコンでの求職活動を邪魔することを理由に、息子と優里さんの外出を強要します。

そして毎日、日中、雄大と結愛さんは二人きりになっていたのです。

検事は、確かに二人きりにしたことも優里さんの責任だと言いましたが、しかし、優里さんにしてみたら、とにかく雄大の機嫌を損ねてはならない、あともう少しの辛抱だと待ち続けていたのです。

なぜ暴行に気が付かなかったのか

優里さんは、3月1日、お風呂に入れるまで結愛さんの体の傷に気が付きませんでした。

確かに異変はありました。

その一つは、25日前後、結愛さんが食べたくないと言ったことです。これに、雄大は「いいじゃないか、ダイエットになる」で言ったのです。

これは言葉の暴力です。

この時の心境を、優里さんは、心がガラスが割れた音がしたように砕けた、と表現しています。

優里さんは、この雄大の心無い発言で、心に大きなダメージを受けました。

二つ目は、結愛さんの顔のアザが2月20日頃には消えかかったのに、24~25日頃には、黒く濃くなっていることでした。

優里さんは、これに気が付き不思議に思います。これが、顔面を 手拳で殴打した時にできたアザだろうと思います。

でも、彼女は、2月2日に雄大が手の甲でたたいたときのアザがあったため、新たな暴行によるアザだとは認識できませんでした。

確かに、よくよく見ればわかるはずです。

でも、この頃、優里さんは、結愛さんの顔を正視できなくなっていたのです。

さらに、優里さんは、27日、結愛さんが吐いたと聞かされます。この時は、顔へのアザを見ているのですから、脳への衝撃で吐くということがあるかもしれないと、これに不安を持ち、この時も2日の顔への暴行の衝撃の影響かもしれないと思っても、新たに暴行されたとは思いをいたしていません。

優里さんが結愛さんの全身を見たのは、3月1日です。

優里さんは結愛さんの世話をすることを禁じられていましたから、お風呂も、自分一人で入っていました。

優里さんがお風呂についてしていたことは、お湯をためるだけでした。

着替えも湯上りの手伝いもさせてもらえません。

結愛さんの生活は雄大が決め、お風呂は夕方そして夕食、7時には寝る、という生活リズムのなかで、優里さんは結愛さんのお風呂に関しては3月1日まで一切関与していないのです。

優里さんは、結愛さんの全身を見る機会を奪われていたのです。

なぜ顔面のアザ、全身の怪我を見ていられなくなっていったのか

優里さんはすでに、結愛さんをハグできなくなっていました。平成29年(2017年)の夏以降、結愛さんをハグできなくなりました。

ハネムーン期に、実家にいた1カ月間で、普通の母子の関係が回復しました。

でも上京後のストレス期を経て、(2018年2月)20日以降の暴力の爆発期には、優里さんは、結愛さんの顔面を正視できなくなっていたのです。

3月1日、湯上りに結愛さんの全身を見た時も同じです。

優里さんは、結愛さんがやせ細り、 全身にアザを有していることを、見ないようにして、タオルでくるんでしまいました。

これは、「否認」というみたくないものを避けるという心理状態です。

以上のように暴行はすべて雄大の責任、優里さんは、20日以降の暴行については、知りませんでしたし、気付けませんでした。

暴行からのストレスについては一切、優里さんは関与していません。

説教と過酷な生活ルールを軽減させ、負担がかからないよう努力をした

結愛さんへの長時間の説教によるストレスに優里さんは関与していたのか。

過酷な生活のルールを課していたのも雄大です。優里さんは関与していません。

優里さんは、このルールを軽減させ、できるだけ結愛さんに負担がかからないように努力していました。

優里さん自身が雄大の過酷な説教を受けていました。

優里さんは、説教されるたびに、なぜ自分が怒られたか、二度と同じことをしないようにするためにはどうしたらいいかを振り返り、雄大に、「怒ってくれてありがとう」の感謝のLINEやメモを送っています。

優里さんは、結愛さんにどうしたら雄大の説教が早く終わるか、を教えます。

自分が雄大にそうしてきたように、どうして怒られたかについて書き、それから、もう二度としないことを書き、最後にありがとうと言って、雄大を納得させることです。

これを結愛さんと一緒に文章を作り、文章に赤を入れて、これは結愛さんへストレスをかけていたのではありません。雄大の怒りを早く抑えるため、早くこの説教から解放させるために一生懸命考えたのです。

弁護人は、法廷のモニターに結愛ちゃんが書いたメモを示した。

これは、先程来から検事が引用しているメモです。この経緯を考えると、全く違う状況が見えてくると思います。

【結愛ちゃんが書いたとみられるノートのメモ】

ママ もうパパとママにいわれなくても

しっかりとじぶんから きょうよりかもっと あしたはできるようにするから

もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします

ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして

きのうぜんぜんできなかったことこれまでまいにちやってきたことをなおす

これまでどんだけあほみたいにあそんだか 

あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったいやらないからね 

ぜったいぜったいおやくそく

あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて やるんじゃなくて 

もうあしたは ぜったいやるんだとおもって 

いっしょうけんめいやって パパとママにみせるぞ

えいえいおーう

おやくそくだから、ぜったいにおねがい

まさにこの「きのう」から始まる文章の部分です。5行目から。

結愛ちゃんは「これまでどんだけあほみたいにあそんだか」では怒られた原因を認め、「もうあしたわぜったいやるんだ ぞとおもっていっしょうけんめいやって…えいえいおーう」とこれからの改善策を自ら提示します。

きのうパパにおこられたこと

ゆあが おにさんもおふろもいやっていったから

パパがべんきょうおしえてくれたのに パパにおれいをいわなかった

おふろのなかでおおきいこえだしたから 

とけいができるはずなのに とけいごまかそうとしたから

べらんだでたたされた

そして、感謝の気持ちを表さなかったことで「きのうパパにおこられたこと おべんきょうおしえてもらったのにおれいをいわなかったこと」と、このことがまた説教の原因となり怒られた、ということが記載されています。

要するに、ありがとう、勉強を教えてくれてありがとうと言わなかったことが、怒られた原因になっていると。

これは、これまで雄大から説教として優里さんがされていたことと同じなのです。

だから、優里さんは結愛さんを雄大の説教から解放させるために、文章に赤を入れたのです。

雄大が納得する行為をアドバイスする。これは結愛さんを助ける行為であって、ストレスを掛けるためではありませんでした。

雄大は結愛さんが勉強してないと機嫌が悪くなります。

だったら結愛さんの好きなことをしてもらおう。 「ママにてがみ いまおもっていることやこれからどうしたいかをかく」と励ましです。

これは2月5日頃に書いたものです。まだ、優里さんは気力を持っていました。

優里さんと結愛さんは香川にいる時には、手紙を交換していました。

手紙を書く。5歳の少女が、お母さんに手紙を書く。その事によって、優里さんと結愛さんはつながり、そしてこの時期は、勉強したふりをして時間を稼げると思うから、優里さんは結愛さんに「手紙書いてね」と。

でも「まま」20から始まる文章は、必ずしも優里さん宛ての返信ではありません。

これは、20日過ぎに、雄大に言われて結愛さんが書かされた可能性があります。

雄大は、自分が結愛さんに対して怒ったことを優里さんにも謝罪することを求めます。そのために書かれたものではないかと思われます。

実際、優里さんは自分でできることをしています。結愛さんにストレスがかからないように工夫しています。

「あさおきてからすること」「めざましどけいをならさないように」とありますけども、優里さんは目覚ましは鳴らしません。

鉛筆を置く音もうるさいといわれるから、ハンカチの上に鉛筆を置くようにし、朝起きる時間も雄大の指示した4時ではなく、雄大に内緒で7時半に変更します。

雄大が起きるまでは寝かせてあげようと、雄大の過酷なルールを少しでも軽減しようと努力していたのです。

夫であり父であった雄大被告の歪んだ女性像の押し付け「女の食事は男の半分でいい」 

上京後、結愛さんの体重が減少し続けました。これは明らかに、雄大による食事管理と体重管理の結果です。

まず皆さんに思い出してほしいのは、雄大の歪んだ女性像です。

雄大は、太った女性は醜い、女性の食事量は男性の半分でいい、と優里さんに刷り込みます。

これはまだ息子が優里さんのお腹にいるころに始まり、以降、優里さんは雄大の前では食事ができなくなり、一緒に食事するときも、キャベツだけ食べ、ごはんは半分残し、しかも(自身が食べるはずの分を雄大被告に向かって)お願いですから食べてくださいと言わされていました。

これもDVです。

女性の価値を体形で決め、思う通りの女性像を押し付ける、精神的DVです。

雄大は、この女性像を、なんと5歳の結愛さんにも押し付けます。

雄大の結愛さんへの虐待は、児童虐待であると同時に、少女である結愛さんに対し、女性としての将来像を「モデル」として決めつ け、このための体形をつくるための努力を強いていることです。

これは、雄大の結愛さんを説教するチャートに明らかに如実に表れています。

この証拠を示します。

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法廷で示された父親の船戸雄大被告が結愛ちゃんに説教をする際に使っていたチャート図より再現。「モデル」と書かれた部分は何重にも丸が付き、強調されていた。

真ん中にあるのがごはん。そして矢印の先に「ちょっと」、その先にあるのは「うんどう」。

「ごはん」を「ちょっと」にして「うんどう」する。そうすると「ほそい」。細くなると最後、何重にもぐるぐると書いてあったのは、「モデル」です。

雄大は、結愛さんに女性の身体、将来像を「モデル」として定義して刷り込みます。

結愛さんと優里さんは、雄大の歪んだ女性像の被害者です。

このことは当然、結愛さんの食事量にも影響を与えます。

食事と体重の管理 

上京直後から、雄大は結愛さんが「太ってきた」と怒り、優里さんと結愛さん二人を一緒に責めました。

そして、15.5キロになるまでは、白米を禁止します。

優里さんは、雄大に指示され、スープ、野菜などの低カロリーのものしか与えることはできません。しかも、盛り付けは雄大、おかわりなしです。

2月5日に取り上げられた以降は、食事も自分がやる、お前は息子の世話をしろ、息子が邪魔するから外に連れ出せと言われ、結愛さんの昼と夕飯は雄大が用意するようになります。

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雄大がまだ寝ている朝ごはんだけは、優里さんが食事を与えることができました。

優里さん はたくさん食べたことがばれないように、ノートに記載された体重を見ながら、隠れて食事を与えていました。

袋を破る音で雄大を起こさないように、あらかじめ袋を破っておき、雄大の寝室から一番遠い場所で唯一鍵のかかるトイレでこっそり食べさせました。

体重減少に危機感を持つことができなかった 

でも2月20日以降、結愛さんの体重は、13キロ台に減少していきます。これを優里さんは目で見ています。

でも優里さんはこの体重の減少に危機感を持つことができません。

前日と比べて、何グラム減ったのか増えたのか、それしか関心がない。

100グラム減ったら結愛の好きなチョコレートをあげられる、そのことしか意識が行かなくなっています。

これは、精神的・心理的視野狭窄です。全体像を見ることができなくなっているのです。

ノートの記載から、24日以降激減します。27日頃、このことに雄大の方が先に「ヤバい」と気が付きます。

雄大は自ら暴行していたのですから、結愛さんの状況をよりよく理解していたのです。

一方、優里さんは、結愛さんが食べたくないと言ったことに、雄大から「ダイエットになるからいいじゃないか」と言われ、またしても、心がずたずたに壊れました。すでに心が壊れ、現実的判断ができなくなっていました。

このころは、DVの特徴的症状である、自分のことではなく人ごとのように感じる「解離」が起きていた可能性があります。

痩せていることを見ることができない心理状態に入る

優里さんは、雄大から結愛さんの面倒を見ることを禁じられ、ハグすることも、 近くによることもできなかったのです。

でも3月1日、結愛さんの吐いたものが髪の毛についてしまい、これは洗ってあげようと、お風呂に入れることを雄大から許可されます。

極端に痩せていることに初めて気が付きます。

でも優里さんは直視できず、急いで、タオルでくるみます。

これは先述のように、「否認」の心理状態であり、本当に自分の子がこんな状態になってしまっているということを初めて目にして、「見てはいけないものだ」と隠してしまう。そういう心理状態でした。

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young girl sitting down alone in the dark.

結愛さんの体重減少に関し、優里さんの関与は著しく低いと言わざるを得ません。

結局、以上のことを総合すれば、結愛さんに身体的・精神的ストレス、低栄養状態、この大きな2つの要因に関して、優里さん自身の関与は著しく低い。

強い支配下の中で、行動の自由はあったのか

それでは、様態が悪化しているにもかかわらず、病院に連れて行かなかったことについて、 優里さんは、どの程度非難されるべきでしょうか。

確かに、誰もが「病院に連れていくことはできなかったのか」と考えます。

優里さんは、雄大のDVによって、精神的に雄大に支配され、これに逆らうことはとても困難になっていました。逆らった後が怖い、 その恐怖で、優里さんは一歩踏み出せません。

離婚もしかり、逃げることしかり、強い支配の中では優里さんに行動の自由はありません。

雄大が連れて行こうと言わない限り、連れていけないのです。

一方、優里さんはこの頃、息子を病院に連れて行っています。それは、検事が非難する通り確かに差別的です。

でも優里さんは、雄大の機嫌を損ねないよう、最大限の努力をしています。なぜなら、雄大は自分の息子をとても大事にし、息子をぞんざいにすると機嫌が悪くなるからです。息子が少しでも調子が悪いと病院に行けと言います。

ですから、優里さんも、息子を傷つけないよう、全神経を使っていたのです。優里さんは、この頃、心が壊れた状態で、雄大の言うことに抵抗し、逆らう気力は減退していました。

病院になぜ連れて行かなかったのか

優里さんが病院に連れて行かなかったのは、結愛さんの顔にアザがあり、雄大がアザが消えたら、と言ったからです。

検事は「自分の逮捕を免れるためだった」と指摘しています。でも、優里さんはこの法廷で、「自分は逮捕されてもいい。自分が逮捕されれば、この事態を変えられるんじゃないか」と自分の逮捕に関しては、決して恐れていません。

優里さんが恐れたのは、雄大の逮捕でした。

優里さんも結愛さんも雄大に生涯恨まれるに違いない、逮捕されてもいずれは出てくる、その時の報復を恐れたのです。

優里さんは、 雄大の性格やその広い世界を知っているがゆえに、執念深く、どんな手を使っても追ってくるに違いないと思っていました。

逃げることができないと思っていました。

の点について、優里さんは3月8日の調書では、病院に連れて行かなかったのは、雄大さんとともに自分が逮捕されることを逃れるためと言っています。

我が子を自分の責任で死に至らしめたということで、彼女は事態をまだちゃんと見ることができていませんでした。

供述内容を示され「雄大が言っているならば」ということで、洗脳状態から脱却できず、雄大の供述調書に迎合した可能性は多分にあると思います。

児相の訪問を断った優里被告

最後に、児相に助けを求めなかったことに対する責任についてです。

優里さんは、香川児相に結愛さんが保護されたことに感謝しています。

でも、残念ながら児相との信頼関係はできませんでした。

優里さんは、(香川県にいたころ)医療センターに通っており、医療センターのような病院には東京でも紹介してほしいと頼んでいました。

ただ2月に入り、ようやく医療センターが優里さんに連絡を取り始めたころには、DVは暴力爆発期ともいえる過酷な状態になってしまい、この頃には、事態を解決する気力を失っていました。

2月9日、品川児相を帰したことも事実です。

優里さんは必ずしも拒否的な態度をとっていません。話せば答え、会話を続けています。

皆さんの疑問は、この時に送った雄大へのLINEだと思います。

DVの特徴として、加害者に迎合し、同一化して何とか自分を保とうとします。

特に長期的支配を受けている人が陥りますが、優里さんはすでに雄大に2年近く支配されていました。自分が悪い、と言っていれば、雄大は機嫌がよくなります。

DV心理の特徴の、迎合の特徴が表れているのです。よくその点をご理解いただきたいのです。

優里さんが病院に連れて行けず、児相に助けを求めることができなかったの は、すべて雄大のDVによって雄大に支配されていたがためです。

これについても非難さ れるべきはより雄大であって、DVの被害者でもある優里さんが過大に非難されることがあってはならないのです。

「病院に連れて行かず、死という重大な結果を招いたその責任は決して軽くない」

優里さんが病院に連れて行かず、死という重大な結果を発生させてしまったことについては、その責任は決して軽いものではありません。

これについては相応の責任を負うべきです。

しかし一点、理解していただきたいことは、結愛さんと優里さんの関係は、結愛さんの亡くなる直前においても維持され、仲の良い娘と母だったということです。

優里さんは必死に結愛さんの命を護ろうと自己にできることをしていました。

ストレスの 原因となる雄大には外に出てもらい、優里さんは看病に専念するために息子も外に出てもらい、飴をなめさせ、冷たく感じる手足をタオルでくるみ、必死に看病しています。

結愛さんは優里さんに添い寝をされ、優里さんの願いを込めた楽しい話を聞かされながら、息を引き取りました。

優里さんと結愛さんは、ともに雄大の虐待の被害者でした。

二人一緒に雄大に説教され、雄大は時に結愛さんの前で、優里さんを叩きました。

結愛さんはこれを覚えていて、自分が保護された時に、「ママもたたかれる」と児相に訴えています。

結愛さんは、児相で、パパは怒るから嫌いと話し、なぜそれを母に言わないかと聞かれると、ママを困らせるから、とママをかばいます。

そしてママは大好きと答えてもいます。

結愛さんは、お腹がすいても、優里さんが一生懸命、雄大の目を盗んで結愛さんのために、大好きなものを持ってきてくれるのを知 っていたのです。

結愛さんは、優里さんが食べてないことに気が付き「ママおなかすかないの」ときいています。

二人は、DV被害者と児童虐待の被害者として助け合っていたのだと言わざるを得ません。

雄大の過酷な虐待の中で、優里さんが母としての愛情を持ち続け、結愛さんもママが大好きであり続け、その大好きな母が傍にいて、必死に祈り続けていたことは、結愛さんの苦痛をいくばくかは軽減したに違いありません。

「命をもってしても償いきれない」

この法廷の尋問についてです。

優里さんは、結愛さん亡き後、謝るだけでは済まされない、自分の命をもってしても償いきれないと、大きな苦痛の中にいます。

優里さんは、すべては自分が悪い、そのすべての責任は自分にあると認めています。

その責任は、自分が結愛さんにしてやれなかったこと、この法廷で問われている責任にとどまらず、結愛さんが生まれた時点で、母としての覚悟や知識が足りなかったことにまでさかのぼっています。

優里さんは、雄大に支配されていたことはなんの言い訳にもならない、それを言うこと自体が苦痛であると、詳細な事実を語ることができませんでした。

今回ようやく弁護人らの説得を受けて語れたものの、自己の責任の大きさに、どうしていいかわからない、自分のなすべきことが何なのか、結愛のもとに行きたいとも言いだしながら、もがき苦しんでいるんです。

結愛さんの命を救えたにもかかわらず救えなかったことに、結愛さんの母である優里さんは自分を怒り、赦せないと自身をさいなめています。

雄大被告と離婚、結愛ちゃんの弟の単独親権者に

優里さんは、この4月、ようやく雄大の抵抗にあいながらも、雄大と離婚でき、息子の単独親権者となりました。

これからは息子の母として、強く生きて行かなければなりません。

現在養護施設にいる息子に、誕生日プレゼントを届け、児相の担当者の面会を得ながら、今後どうするべきかを話し合っています。

優里さんは、この法廷で、どうすればよかったと思うか、という問いに、両親に相談するべきだったと答え、いろんな人に「助けて」ともっと言えばよかったと言っています。

もともと優里さんは几帳面でまじめな人です。

両親や、関係機関の多くの人の助けを借りながら、きっと息子さんを立派に育ててくれることが期待できます。

優里被告の両親の支え

最後に、両親の支えについても述べたいと思います。

この法廷で、優里さんの父親は、結愛さんへの思いを語りながら、今回のことは、娘・優里さんの困難に気が付いてやれなかった自分たち両親の責任でもあると述べました。

して、お父さんからも、その責任を深く、自分が生を受けたからこんなことが起きた、優里も結愛も自分が生まれたからできた子、と自らの責任として述べられています。

娘の親として、かわいい孫の死の責任を共に背負う覚悟を、かように表現できる深い愛情をもつ家族を持ちながら、なぜこのような悲劇が起きたのか、弁護人としても言葉を失います。

今度こそ、必ずや両親が優里さんを支え、息子さんの養育をサポートし、新しい家族を作っていけると信じます。

「児童虐待には、そのベースあるいはその前に配偶者からの DV虐待が存している」

弁護人の量刑に対する意見を述べたいと思います。

相継ぐ児童虐待、この被害を早期に発見し、二度と再び本件のような悲劇を生まないために、 私たちはどのような努力をなすべきでしょうか。

本法廷で明らかになったことは、児童虐待には、そのベースあるいはその前に、配偶者からの虐待、DVが存在していることです。

ならば、児童虐待を食い止めるためには、配偶者からの DV虐待こそが問われ、これへの取り組みがなされなければならない。

本件はまさに夫からの 優里さんに対するDVが見逃されたが故の結果なのです。

以上を踏まえれば、優里さんの本件への量刑は、一般的な量刑基準に沿って判断されるべきではありません。

本件を機に、DVと児童虐待について関連付けて審議されるよう制度改革にまでなりました。

以上、死に対する関与が低いこと、そして非難可能性も低いこと、これらはDVによってもたらされた結果であると、優里さん自身が、強く強く苦しんでいること。

そして、社会的に十分な制裁が科され、自分自身をも、常に罪を問い続けるという罰を受けています。

これらを総合し、優里さんには、懲役5年が相当であることを弁護人の意見とします。

以上、これらを斟酌してもらいたいと考えています。

優里被告最後の発言「ぼろぼろにして死なせてしまった事への罰はしっかりと受けたい」

弁論を終えると、弁護人は資料をまとめ、席へ戻った。最後に、裁判長は「では被告人は前に来てもらえますか」と優里被告を証言台に呼んだ。

「これで、本件の審理において、このあと我々は協議に入ります。これが最後の機会だから、あなた自身の口から、判決の前に、裁判所に言いたいことがあれば、言ってください。自分の気持ちでいい」

Huffpost japan/Shino Tanaka
検察官の質問に補足するように守下実裁判長が船戸優里被告に訊ねた=2019年9月6日、東京地裁

優里被告は発言を促され、次のように述べた。

「自分の命より大切だった結愛のことを、周りに何て言われようと、異常なほど結愛のことを愛していたのに、結愛の心も体も、ぼろぼろにして死なせてしまった事への罰はしっかりと受けたいと思います」

「私のせいで、結愛の肉体はもう、この世にはないんですけど、結愛の名前と、魂を生かせるのはもうあたししかいないので、あたしを通して、結愛と一緒に生き続けたいと思います。以上です。ありがとうございました」

言い終わると一礼し、手錠を掛けられて法廷を後にした。

判決は9月17日に言い渡される予定だ。

5歳児を追い込んだ虐待の背景は。公判で語られた事件の内容を詳報します

2018年、被告人らの逮捕時に自宅アパートからは結愛ちゃんが書いたとみられるノートが見つかった。

「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」 
5歳の少女の切実なSOSが届かなかった結愛ちゃん虐待死事件。

行政が虐待事案を見直すきっかけにもなり、体罰禁止や、転居をともなう児童相談所の連携強化などの法改正が進められた。

この事件の背景にある妻と夫のいびつな力関係、SOSを受けとりながらも結愛ちゃんの虐待死を止められなかった周囲の状況を、公判の詳報を通して伝えます。 

この記事にはDV(ドメスティックバイオレンス)についての記載があります。

子どもの虐待事件には、配偶者へのDVが潜んでいるケースが多数報告されています。DVは殴る蹴るの暴力のことだけではなく、生活費を与えない経済的DVや、相手を支配しようとする精神的DVなど様々です。

もしこうした苦しみや違和感を覚えている場合は、すぐに医療機関や相談機関へアクセスしてください。

DVや虐待の相談窓口一覧はこちら。