「ほんのジョーク」「酒のせい」ーー軽くみられるセクハラを否定しよう。訴え続ける男性に話を聞いた

男性が同調して笑うのではなく、一声「おかしい」と言える小さな行動が、世界を変える一歩になるという。日常に潜むセクハラや性暴力を可視化する海外の動画を、日本語に翻訳して発信を続ける村中千廣さんに話を聞いた。

日常で起こりうる女性差別を可視化した海外の動画が、日本語に翻訳されて話題を呼んでいる。

翻訳しているのは、中東のレバノンに住む日本人男性の村中千廣さん(26)だ。

日常で起きる偏見や差別について考える海外の動画を翻訳し日本語で発信を続ける村中千廣さん
日常で起きる偏見や差別について考える海外の動画を翻訳し日本語で発信を続ける村中千廣さん
本人提供

高校生のころから海外に居住する村中さんは現在、日本赤十字社に籍を置き難民の支援に携わっている。その傍ら、語学力を活かして性差別などに関する世界中の啓発動画を日本語に訳し、SNSで紹介している。

たびたびその投稿は話題を呼ぶ。なぜ、この活動を続けているのか、村中さんに話を聞いてみた。

「ほんのジョーク」のつもりで女性の尊厳を削る日常のハラスメント

8月に翻訳し話題になった投稿は、オーストラリアのビクトリア州が公式サイトで差別や暴力について考えてほしいと呼び掛けた動画だ。男性が日常の中でまるで冗談のように軽く、女性に対して尊厳を傷つける発言をする場面で始まる。

男性が店員の女性に「カワイ子ちゃん」と言葉を投げ、「おいお前ら、彼女いくらだと思う?」と笑う。

妻や彼女の「料理下手」いわゆる「メシマズ」をことさらにからかう。

電車の中で、女性を舐め回すように見つめる。

友人の前でパートナーの女性を卑下し「おれが話しているときに発言するな」と威圧する。

発言する男性は、「ほんのジョークだよ」と笑う。

だが、女性側にしてみればこの日常のハラスメントが女性としての尊厳が削られていくように感じるのだ。

周囲の男性たちは、その発言に居心地の悪さを感じながらも、「酒が入っていたし」「長年の友人だし」と、注意すべきか心の中で葛藤する。だが、最後にはその言動を阻止しようと行動に移す。

同調して笑うのではなく、一声「笑えない」「おかしい」と言える小さな行動が、性差別を容認する社会を変える一歩になることを、動画では示している。

ジェンダーギャップ指数で毎年G7最下位を記録する日本でも、これは他人事ではない。

女性に対するからかいやセクシュアルハラスメントは根強く残り、その被害を言い出せない風潮も、いまだに社会にはびこっている。

村中さんも、日々過ごす中で誰かを嘲るような言動を目にした時、あいまいにごまかすことなく意見を言うように心がけているという。

ただ、その一言をためらう人も多いことについて「男性側が意識を持たないと、女性差別は是正されないということに気が付いてほしい。動画によって『女性の問題は、男性が生み出している問題でもあるんだよ』ということを伝えられるのではと思いました」と話した。

性差別や女性蔑視の問題に目が向くきっかけは、性暴力の被害者に直面したこと

村中さんが性差別について考えるきっかけは、学生時代に交際していた女性が知人からレイプされたと被害を告げたことだった。

彼女は親にも被害を打ち明けることができなかったという。

彼女と過ごした期間について「被害を受けた後に、立ち直っていくプロセスには一貫性があるわけではないという理解に欠けていた」と村中さんは振り返る。

彼女のためと考え、病院でのカウンセリングを勧めたり、専門的なサポートを提案してみたりしたが、彼女はそれを拒んでいた。

村中さんはその姿が「どうしてこうしないのか」と、もどかしく疑問に感じることがあった。

1年半の期間を経て互いに別の道を歩むことになったが、村中さんの中で「なぜ理解を示せなかったのか。彼女目線で考える努力ができたのではないか」という考えが頭をもたげるようになったという。

女性への性暴力について考えていたとき、プラン・インターナショナルが始めた国際キャンペーン「Because I am a Girl」の活動をするクラブが学内にあることを知った。

これが、実際に村中さんが女性差別問題に取り組むきっかけになったという。

「Because I am a Girl」は、日本語訳すると「女の子だから」という意味になる。

これは2004年にドイツ人ジャーナリストが、現地取材のためにネパールの村を訪ねた際、制服を着て学校に通える男の子と対照的に、少女たちは暖かい服も学習の機会もなくやせ細っていた光景を目にした出来事が、発端になっている。

ジャーナリストの問いかけに、少女の母親は「Because She is a Girl.だって、あの子は女の子だから。)」とにべもなく答える。

この言葉をきっかけに、世界中の女性たちが「女の子だから」と奪われた機会について考え、解決していく活動が始まった。

「Because I am a Girl」キャンペーン
「Because I am a Girl」キャンペーン
プラン・インターナショナル公式サイトより

それが「Because I am a girl」だ。

村中さんは大学のクラブに足を運び、ファンドレイジングなどに関わるようになった。

医学部受験における女性受験者への減点問題などが話題になってしまう日本に比べると、欧米諸国の方が男女平等が進んでいるように見られるが、村中さんはどちらにも通底する課題があると考えている。

それは「男性側の意識改革とコミットメント」だ。

村中さんは「欧米社会にいると、日本国外の様子を美化して伝えてしまいがちですが、大学の『Because I am a girl』の活動に足を踏み入れた時、数十席あるうち男性は私だけでした。民族や人種の多様性、男女平等が広く尊重されている国として比較的認識されているカナダでも、特に男性の性差別意識については改革の余地があるんだと感じたのです」と話す。

日常の振る舞いを客観的に見ることで「小さな変化」があればいい。アレルギーのような反応も理解への第一歩

村中さんが翻訳を続ける性差別に対する啓発動画は、性犯罪防止を訴えるものや性的同意を解説するものだけではなく、日常の「からかい」のなかにある性差別について扱っているものも多い。

村中さんはそうしたコンテンツを「直接的なメッセージではなく、実際に女性に対する暴言や卑下するような振る舞いの例を見せることでその問題を気が付かせてくれる」と評している。

軽く「からかう」ように人を傷つけるやりとりを客観的に見られるようにしてあり、その光景は「日本でも職場や社会の中で起こりうるものだと思うのです」と語る。

村中さんは、動画の翻訳で大きな社会変化を期待しているのではなく、動画を目にした人の心情にちょっとした変化の兆しがあればと考えているという。

「社会に大きな変化がもたらされるのは、最後に起きる偶然の産物だと思う。私個人が社会の変化を望んでいるかどうかは、さほど重要じゃない。日本の性犯罪率を何%に押さえるとか、そういう結果を考えているのではなく、身の回りの人との関係をまず一度考えてもらいたいなと願っています」

翻訳した動画には、1万を超えるリツイートや「いいね」が付くことも。

反応について村中さんは「強く共感を覚える動画だったので、字幕を付けて色んな人に見てもらいたいと思って始めたのがきっかけ。多くのリツイートは、同じく共感を覚える人たちの数を物語っていると思います。そこに希望が持てる」と前向きに捉えている。

一方で、投稿に対しアレルギーのような反応を見せ、攻撃的なコメントが投げられることも少なくない。

村中さんがTwitterに投稿した翻訳動画に集まったコメントの一部のスクリーンショット
村中さんがTwitterに投稿した翻訳動画に集まったコメントの一部のスクリーンショット
村中さんのTwitter(@chivillain)より

村中さんは「性教育を含む、教育全体の不備だと思います。日本では性というトピックをタブー視している半面で、男性向けポルノ業界が世界的に見ても大きな市場であるというコントラストが要因にあるのではないでしょうか」と指摘する。

攻撃的な反応で終始してしまうのも「相手の意見を受け入れ、議論をするという教育がなされておらず苦手意識が強い人が多いように思えます」といい、性差別の議論を始めるための当事者意識の欠如も問題だという。

村中さんは「女性差別の問題は、男性の介入と理解が必要不可欠。問題意識を持っていない人たちには、少なからず周囲の身近な女性と関連付けて、まずは当事者意識を培う必要があるのではないでしょうか」と語っていた。

ただ、翻訳動画に対し、攻撃的な反応が来ることは「健康的」と考えているという。

「今まで、男女格差や女性差別の問題を特に意識していなかったり、動画に共感を覚えない人のリアクションだと思いました」と語る。

普段は興味を持たないが、性差別に関する動画を偶然目にして2分ほどの動画を眺め、少なからず意見を言う。

「それは第一ステップです」と村中さんは説明する。

「その次に、周りの人と話したり、私のように意見の違う人、対立する人とやり取りしたりして、だんだんと問題について消化していく。最初に直面して『反発する』というのはプロセスの一環だと思います」

対立ではなく、議論を生み出す工夫を

現在と比べると、投稿を始めた2年前のほうが暴言を投げかけてくるリプライは多かったという。

村中さんはそういった反応を見ながら、表現を柔らかく、分かりやすいものに変えていくなどし、反対意見を出す相手の気持ちも理解しながら問題提起をするように努めた。

断定形式にせず「私はこう思う」と語りかける。
語尾は含みを持たせるような優しい言葉を意識する。

すると、アレルギーのように拒絶する反応は徐々に少なくなっていったという。

ただ、反応が少し変わっても「あまり効果は実感できていません」と村中さんは笑う。

投稿していると、たまに「勇気付けられました」「職場で今こんな風に苦しんで悩んでいました」というメッセージをもらうこともあるという。

村中さんは「社会が劇的に変えられなくても、そうした誰か1人に届けば意味がある」と、意義を語っていた。

日本社会の抑圧から逃れたかった。でも「目を背けるのは責任放棄だと気が付いた」

海外での気付きを、日本語に翻訳して発信し続けるのはなぜか。

その問いに対する村中さんの答えからは、日本社会にある差別や画一的な役割の強要から「逃げたい」と海外に飛び出したときの思いと、日本社会の一員としての責任感が表裏一体のようにあることを感じさせた。

中学校まで北海道に暮らしていたが、抑圧的な日本の社会が嫌で高校からニュージーランドへ行ったという村中さん。

小学校までは、年齢が違っても敬語はなく、フラットな関係で一緒に遊んでいたのに、中学生になったとたん周囲はいきなりよそよそしくなり、上下関係を強要され敬語を強いられる。

制服、髪型、化粧、持ち物ーー学業に全く関係ないものまで全て学校が指定する通りに義務付けられ、型にはめられる。学力テストで全国のランキングが出され、競わされる。

「先生の顔色をうかがい、喜ばせて好成績を取る。競争を煽り、上下関係を強要する仕組みにする必要がどこにあるんだろうか」と強い疑問と嫌悪感を覚えたという。

当時、村中さんはニュージーランド・南島カンタベリーにある高校の校長に「英語ができないけど入れてほしい」と直接交渉。1学年クラスを落とし、ニュージーランドで学ぶ機会を得た。

大学からはカナダに行き、その後就職してすぐにレバノンへ派遣されているため、中学以来ほぼ海外で過ごしていることになる。

しかし日本は故郷でもあり、いまも家族や友人が暮らす場所だ。もしかしたら、将来自分の子どもが日本で住むこともあるかもしれない。

高校で海外に出たときは、とにかく嫌だと感じた場所から逃れることを考えた。
だが大人になって「逃げる」のではなく、「向き合う」方向へシフトした。

「自分が日本に住んでいないからといって、日本社会の問題から目を背けてはいけないし、問題意識を持って取り組まないのは責任放棄だと感じています。周囲の支えで身につけた経験と知識で、社会に何らかの形で還元していきたい」と話していた。

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