子どもがいても、いなくても……。全ての人の人生が喜びにあふれるものになるように

子どもがいる、いないをテーマの本をどんな思いで書いたのか。子どもがいる人生の未来、いない人生の未来には一体何があるのか。著者の窪美澄さんに聞きに行きました。

「未婚、子なしがコンプレックスなんです」。

そんな記事を書いたのが7月のこと。

そのなかで、独身で子どもがいない人の記事をたくさん作ると宣言したものの、どうすればいいのか、どんな記事ができるのか考えあぐねていたところ、1冊の本を見つけました。

それが小説『いるいないみらい』(KADOKAWA)でした。

帯文にはこんな言葉が書かれていました。

「いつかは欲しい、でもそれがいつなのか、わからない。

子どもがいても、いなくても……毎日を懸命に生きるすべての人へ」

子どもがいる、いないをテーマにしているこの本をどんな思いで書いたのか。子どもがいる人生の未来、いない人生の未来には一体何があるのか。著者の窪美澄さんに聞きに行きました。

窪美澄さん
撮影:米田志津美
窪美澄さん

時には本を閉じたくなるほど、生々しい声

――今回、子どもが「いる、いない」家族のカタチをテーマにした理由をまずは教えてください。

デビュー作『ふがいない僕は空を見た』は助産院が舞台ですし、私はこれまで妊娠、出産、子育てがテーマの小説を多く書いてきました。

というのも作家としてのスタート地点となった「女による女のためのR-18文学賞」に「性」をテーマに応募する際にも、恋愛中のふわふわしたものではなくて、恋愛のその先にあるものを書かないと、当時44歳だった自分のオリジナリティが出せないと考えていましたし、その頃すでに中学3年生になる息子がいたということもあって、私にとって「子どものいる生活」が普通だったからです。

ですから、KADOKAWAから出版した前作『水やりはいつも深夜だけど』は同じ街に住む、同じくらいの年齢の子どもがいる家族を描いた連作短編でした。その『水やりはいつも深夜だけど』の前の物語、つまり、子どもはいなくて、子どもを産むか産まないかを迷っている人たちの物語を書いてみたらどうかという担当編集者からの提案もあり、私自身も書きたいという思いがあったので、今回、このテーマを選んだのです。

ただその根底には、これまで私の書いてきた作品から、自分が「子どもがいることを良しとしている人間」だと思われていないかという不安がありました。「子どもがいることが良し」という価値観を、作品を通じて世の中にアピールしすぎていないだろうかということも考えていたので。

――確かにこの本の中からは「子どもがいるのが良し」という空気はまったく感じませんでした。

タイトルは「いるいないみらい」ですが、これは「いるかもしれない、いないかもしれない未来」という意味が込められています。だから「いるから正しい未来が待っているよ」とも「いないから明るくない未来が待っている」とも言いたくなかったんです。そこが作品としての弱さなのかもしれませんが……。

――私は、そこに救われたというのが正直な感想でした。というのも私は「いなくても大丈夫だよ、幸せだよ」と言われると、それはそれで「そんな簡単な話じゃないんです!」とひねくれた考えを持ってしまうんです。でも読んでいくなかで「いるかもしれない、いないかもしれない未来」を孕んだ時間を経て、今の「いない私」という現在があると、視点が少し変わりました。

そうですよね。子どもがいない人も、生き方、家庭環境、経済状況、パートナーとの関係などそれぞれバックボーンが違うので、簡単に「こうですよ」というようなことはできません。「これが正解」というものを提示する小説がおもしろいとも思えないですしね。

――救われる一方で、子どもがいる、いないをめぐる生々しい声に時々苦しくなって、思わず本を閉じそうになるようなシーンも出てきました。そして、私は自分が女なので女性の「産む、産まない」という部分に関心が行きがちなのですが、この本の中では男性の葛藤も出てきます。

取材をしたのは「無花果のレジデンス」というお話に出てくる男性不妊についてだけですね。

例えば、「1DKとメロンパン」に出てくる主人公の女性は、妹が妊娠していて、実母や夫から子どもを巡る様々な言葉をぶつけられます。でも私自身は親が離婚していて、12歳から母親とは暮らしていません。さらにいえば、男兄弟はいますが、姉妹もいない。だから、本の中に出てくるやりとりはあくまでも私の想像です。もちろん、友人から聞いた話、どこかで読んだことなどが映し出されているかもしれませんが。

男性の葛藤を盛り込んだのは恣意的で、子どもがいる、いないということに関して、男女の「公平さ」を出したいと思いました。女性だけが子どもがいない人生をつらく感じているかを測る装置はありません。子供がいないこと、子供がいなくなるということに、男女ともに同じように苦しみを抱え、痛みを感じているということを描きたい。自分が書く小説の中では、男性と女性はフェアであるよう常に心がけています。

――本の中に「私は子どもが大嫌い」というお話があって、実際、主人公は「やっぱり私は子どもが大嫌い!!!」というシーンが出てきます。このセリフはどこかタブー視されている部分がある言葉だと思うのですが。

たくさん出てくる登場人物の中で、彼女が私とは一番真逆な存在です。確かに禁忌とされがちですが、あのセリフは登場人物の口を借りて一度言ってみたいという思いがあったんです。

私が普段見ている世の中は優しさで溢れているなと感じる瞬間があって、例えばベビーカーを押しながら電車に乗ろうとしている人がいたら、そっと手を貸す人がいるといったような……。でも社会というのはその人のフォーカスの当て方によって見え方が変わるもの。だから普段の私には見えていない社会を書こうと考えたのが、あの話です。

実際世の中には、子どもが嫌いで、車内で聞こえる子どもの泣き声をうるさいと感じている人もいると思います。でもそれは言えないというか、言ってはいけないという空気もありますよね。それはそれで、とても窮屈でしょう?

子どもが嫌いな理由は、人それぞれ。例えば、何か事情があって、子どもの泣き声のような大きな声や音を聞くとパニックに陥ってしまうとか、過去のトラウマが蘇ってきて苦しい思いをしてしまうといった人もいるかもしれない。そういう声は寛容しないというのも、優しくないなと感じます。子どもが大嫌いという声の存在を受け止めることも寛容なのではないでしょうか。

それに、本の中でも書きましたが、嫌いとまではいかなくても友人からLINEで送られてくる子どもの写真を見ても、正直興味を持てないこととかあるじゃないですか? 私も友達からたくさん子どもの写真がどんどん送られてくると、何て反応したらいいのか困ることもある。そんな時は無表情で「可愛いー」ってスタンプ押している。そういうことは、誰でもあると思うんです。

窪美澄さん
撮影:米田志津美
窪美澄さん

子どもがいる人VSいない人の対立を作らないで

――例えば、子どもがいる人は会社を早く帰らなくちゃいけなくて、そのフォローを子どもがいない人がしなくてはならないというような、いる人といない人の対立みたいなこともよく言われます。

たしかに、そういう内容の記事などを目にすることがありますが、「女性と女性を戦わせないで」と思います。私自身は子どもがいる人間と子どもがいない人間の対立を作るようなことは書かないようにしています。

というのも、私は独身、既婚、子どもがいる、いないに関係なく、いろいろな人を巻き込んで子育てをしてきました。そうせざるをえなかったからです。例えば、作家になる前、ライターの仕事をしていた頃に、大阪への日帰り取材を前に子どもが熱を出したことがあったんです。その後離婚することになる夫も仕事をしているし、シッターさんも見つからず、藁をも掴む思いで、子どもがいない女性に頼りました。既婚、未婚、子どもがいる、いないで対立するんじゃなくて、私の子育ては、誰かの手を借りないとできなかったし、みんながなんとかしてくれた経験がありますから。

――本来であれば、子育て中の人のフォローで誰かの負担が大きくなっている状況を改善しなくちゃいけない役目は企業にあるのであって、対立にフォーカスを当てるべきではないし、編集者としてそういう対立を作るようなことはしたくないなと個人的には考えています。ただ、そう頭ではわかっていても、なんともモヤモヤした思いは残ってしまうというのも正直なところです。

子どもがいるから上とか、勝ち組とか、そういうことではないですよね。

街中などで子どもを抱っこしていたり、ベビーカーを押していたりする夫婦を見ると、なんだかキラキラしているように感じるかもしれません。でも現実には、やらなくちゃいけないことはたくさんあるし、オムツを替えたり、離乳食を口元に持っていったら投げ捨てられたり、SNSとかでは見せないところに、大変なものがたくさん詰まっているんですよ。

それだけが理由じゃないけれど、冒頭にもお話しした通り、私は「子どもがいることがいい、幸せ」とも「いないからダメ、不幸」とも思いません。こんなことを言うと「あなたは子どもがいるから」と言う言葉がすぐ返ってきますけど。

――「未婚、子なしコンプレックス」の私からすると、そう言いたくなる人の気持ちもわからなくもないのですが、はっきりとそんなことを言う人もいるんですね。

言われますよ。「子どもがいて、小説も書いていいよね」と言われることもあります。でもその人は私の苦労を知らない。離婚をして、お金がなくてライターと作家を兼務するために、時間の細切れ睡眠生活をしていて、息子のお弁当を作るために朦朧としながらカツを揚げていた私を知らないし、それを説明しても仕方がありません。だから「そうだね」って笑って聞いていますが。

ただ、本当に産みたいと思っている人は、体が、心が産みたいと思うのであれば、たとえパートナーなしでも産むことを考えてみてもいいのではないかと私は思いますよ。

――現在の日本で、1人で産むのは大きな苦労が伴いますし、覚悟が必要です。

たしかに難しいんだけれど、本当に本当に欲しいのなら、やってみたらどうでしょうか。藁をも掴む思いで産んでみるのも一つの選択です。もし未婚のまま、パートナーなしで子どもを持つとしたら、榊原さんならどうしますか?

――そうですね……。どうするでしょう。ただ、周りには同じくらいの年齢で、「もうタイムリミットかもしれないけれど、もしかしたら」と考えている人、いろいろな事情から産めない人、産む決断ができない人がいるます。彼女たちの協力が得られたとしたら、パートナーがいなくても、なんとか育てられるかもしれない?とも思います。

おそらく今後は、子育ても、介護も血縁に頼らないで、ネットワークの中で協力してやっていくことが重要になってくるのではないかと思っています。

私自身、26歳になる息子は独立して、今は一人暮らしです。別居婚をしている友人とか、年下の友人とか、体調が悪くなったら私が彼女たちのところに行くなど、相互に助け合うシステムを構築していこうと心に決めています。

――最後の質問になりますが、子どもをめぐる葛藤を抱えるたくさんの登場人物が描かれる『いるいないみらい』の中に、私のような「40代、未婚、子どもなし、子どもは欲しい」女性は出てきませんでした。そういうキャラ設定を入れなかったのは、何か理由があるのでしょうか?

先ほども申し上げた通り、この作品は前作『水やりはいつも深夜だけど』の前の物語という考え方をしているので、登場人物の年齢は少し若い設定になっているんです。

そして、そのような状況の女性の話を書くとしたら、多分短編小説では収まらないのではないかと思います。現実的に年齢というリミットがある中で、産む、産まないをどこで、どのように決断するのか、何に迷うのか…。そういったことを突き詰めていくと長編小説ができるでしょう。ご自身で書いてみるというのはどうですか?

――いえいえ、私は作家の素養はありません。ぜひいつか今回の作品よりも年代が上の人を主人公にした『いるいないみらい」を書いてください。

では、その時はぜひ榊原さんに取材させてくださいね。

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『いるいないみらい』の中の「金木犀のベランダ」という話の中に節子さん、という女性が出てきます。この話の主人公夫婦が営むパン屋の近所で一人暮らしをするご老人という設定の、この節子さんが、養子縁組を言い出した夫に戸惑う女性にこんなことを言うシーンがあります。

「昔はね、ふたつも選べなかった。仕事と結婚、ふたつ手に入れる難しいことだったの。今の人は結婚も、仕事も、子どもも、手に入れることができる。本当にいい時代になった。長生きして、それを見届けられて良かったと思う」

この言葉を読んだ時、結婚も仕事も子どもも手に入れられる時代だからこそ、全て手に入れなくちゃダメというのではなく、みんなが選びたいものを自由に選んで、その未来に喜びを得られる社会であって欲しいという、著者である窪美澄さんの思いが詰まっているような気がしました。

『いるいないみらい』

著者:窪 美澄 発行:KADOKAWA 定価: 1,512円(本体1,400円+税)

窪美澄

東京都生まれ。2009年「ミクマリ」で第8回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞しデビュー。11年、受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』で第24回山本周五郎賞を受賞、本屋大賞第2位。12年『晴天の迷いクジラ』で第3回山田風太郎賞を受賞。その他の著書に『水やりはいつも深夜だけど』『やめるときも、すこやかなるときも』『じっと手を見る』『トリニティ』などがある。