夫亡き後、第2の人生を謳歌するのが幸せなのか? それとも…。トシコ、その愛

我が母・トシコは、24歳で知り合い、結婚したマサルを、愛し続けたまま死んでいく。

育児や夫婦関係に関するコラムを偉そうに書いているが、いつも、ある夫婦の存在が僕の頭のなかにある。それは、オヤジとオフクロだ。多くの人が「親」という名の夫婦に育てられるわけで、自身が結婚するまで「一番よく知る夫婦」は親だろう。それだけに多分に影響を受けるもので、僕の場合はまた強烈だった。

村橋ゴローさんのご両親
村橋ゴローさんのご両親
写真提供:村橋ゴロー

息子の久しぶりの帰還よりも、相撲が大事!

オヤジの名前はマサル、オフクロはトシコ。ともに昭和11年生まれで、オヤジは13年前に69歳で死んだ。残されたトシコは、現在82歳になる。とにかくこのふたりは、仲がよかった。僕ら子どもの前でも四六時中イチャイチャしてたし、平日休日かまわず映画などのデートに出かけ、夜は夜で2人揃ってスナックに足しげく通っていた。

その昔、僕がまだ独身だったころ、連絡を入れることなく、ふらりと実家に寄ったときのことだった。玄関も施錠されてなかったので、ピンポンもせず実家のなかへ。リビングに行くも誰もいない。すると寝室のほうから、中高年の男女がキャッキャはしゃぐ声が聞こえてきた。嫌な予感しかしない。そちらのほうをこっそり覗いてみると、2組の敷布団を土俵に見立て、両親が相撲を取って遊んでいたのだ。

当時ふたりは、すでに65歳! しかもマサルはわざと負け、倒れ込みながら「うわ、強いな~。ただいまの決まり手ははたきこみ、はたきこみでトシコ山の勝ち~」とご機嫌MAXの様子。

まったくこちらの存在に気づいてないため、そもそも息子としてこの乱痴気をやめさせたい一心で「俺だよ!」と大きな声で言うも、マサルは「おう」と一瞬振り返っただけ。続けて「よし、トシコ! もう一番だ!」、「は~い!」。

トシコに至っては、まったくオレに気づいてない! 大事な息子の久しぶりのご帰還だというのに……。

最愛の夫を亡くし、トシコは言った

それから4年後、マサルが死んだ。くも膜下出血で倒れ、1か月間意識が戻らないまま逝った。

その知らせを聞き病院に駆けつけると、トシコは我を忘れて泣いていた。そりゃ45年近く連れ添った最愛の人を失くした直後なのだから、当然だ。病室に集まった僕ら3人の兄弟は、かける言葉も思いつかずその姿を見つめるしかなかった。しばらくして落ち着いたのか、とりあえずの涙が枯れ果てたのか、トシコが静かになった。頃合いをみて、僕は声をかけた。

「こんなときのためにさ、兄弟が3人もいるんじゃん」

だから頑張っていこう、と言う意味をこめて言った。「そうね、私たち遺されたみんなで頑張らないとね」的な返事が当然返ってくると思いきや、トシコは真っ赤に泣き腫らした目で僕を見ると、こう叫んだのだった。

「いやよ! アタシ、あんたら子どもよりマサルさんがいい!!」

腹を痛めて産んだ我が子より、私は夫を愛してるのーー。

いい悪いは別にして、いったい何人の人がそう言い切れるのだろう? だからトシコは3人の子の母親というより、マサルの妻として生きてきたのだろう。そのマサルに愛された証として、僕ら3人がいるに過ぎないのかもしれない。

村橋ゴローさんのご両親
村橋ゴローさんのご両親
写真提供:村橋ゴロー

夫が亡くなってからが、第2の人生?

顔を寄せる大きな背中と胸を失ったトシコは、しばらくして、いくつものパートを掛け持ちし働くようになった。まるで忙しさで、マサルの不在を埋めているかのようだった。

それでも彼女は彼女なりの方法で、何とか普通の生活を取り戻していったのだった。それからしばらくして、趣味で社交ダンス教室に通うようになった。そんなさなか、トシコからある衝撃的な告白を受けた。

「ねえちょっと、聞いてよ。ダンス教室でさ、お母さんプロポーズされちゃったの」

「え!? 相手は?」

「78歳の方なんだけど……」

当時トシコは77歳。

「おお、いいじゃんいいじゃん! 付き合っちゃいなよ!」

半分冗談だったけど、オヤジが死んで8年も経つのに、未だ「マサルさん、マサルさん」と事あるごとにいうオフクロが、見るに忍びなかったからだ。すると、

「何言ってるの!丁重にお断りしたわよ。そんな目で見られていたなんて、イヤになっちゃう!!」

と言い出したのだ。

「そんな目」って、おい…。

さらに続けて

「アタシにはマサルさんがいるのに!!」

いや、オフクロ、いないから! まぁ、いたとしても、遥か遠いお空の上だから!

時を同じくして、こんなこともあった。オフクロが1人で暮らすアパートに寄り一緒にテレビを観ていると、当時ブレイクしたての斎藤工の姿がテレビに映った。すると、

「お母さん、この人好きなんだー。だって唇がいいじゃない。ちょっとぼてっとして艶っぽいのよー。この人の唇……マサルさん、そっくり」

いや、似てねーし、知らん知らん知らん!! 息子として、母親のこの発言には正直引いたが、反面、切なくもあった。死んでかれこれ10年弱も経つというのにトシコは有名人の顔に、マサルの面影を探しているのだから。

村橋ゴローさんの結婚式の際のご両親。この2年後、お父様が亡くなった
村橋ゴローさんの結婚式の際のご両親。この2年後、お父様が亡くなった
写真提供:村橋ゴロー

幸せなのは、どっちなのだろうか

女性の方が平均寿命は長い。そのせいか、ご主人を亡くした中高年女性が、元気を取り戻して第二の人生を謳歌している、という話をよく聞く。

「『風呂、メシ』しか言わず、やさしい言葉のひとつもかけてくれない。やっと逝ってくれてよかった、これからは私の人生を取り戻す」とばかりに、趣味や新たな恋に励む、女性たち。

片や、40数年連れ添った夫に愛され、夫亡き後も愛し続けるトシコ。きっと明日も明後日もずっと、亡霊を愛したまま生きていくのだろう。

夫を亡くした後の人生、いったい、どちらが幸せなのか、それはわからない。ただひとついえることは、我が母・トシコは24歳で知り合い、結婚したマサルを、愛し続けたまま死んでいくということだけだ。トシコ、その愛――。

(編集:榊原すずみ @_suzumi_s

■村橋ゴローの育児連載

親も、子どもも、ひとりの人間。

100人いたら100通りの子育てがあり、正解はありません。

初めての子育てで不安。子どもの教育はどうしよう。

つい眉間にしわを寄せながら、慌ただしく世話してしまう。

そんな声もよく聞こえてきます。

親が安心して子育てできて、子どもの時間を大切にする地域や社会にーー。

ハッシュタグ #子どものじかん で、みなさんの声を聞かせてください。

注目記事