「外国人は予想外…」台風19号で被災した長野へ留学生とボランティアに行き感じたこと【ルポ】

支援を必要とする日本人のために、外国人留学生が「支援する側」になることは、在日外国人と日本人との距離をぐっと縮める絶好の機会になりえるのではないか。
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アフリカなどで難民支援に従事していた私は、勝手に、「先進国=支援する側」で「途上国=支援を受ける側」というイメージを抱いていた。しかし、2016年に日本に戻り、そのイメージは180度変わった。

私の住む新潟県南魚沼市には約60ヵ国からの留学生が通う国際大学がある。主にアジアやアフリカからのエリート達で、貧困や戦争を間近で体験してきた彼らは、相互扶助精神に溢れている。例えば、内戦から逃れてきたシリア人が除雪ボランティアをしたり、内戦を経験したナイジェリア人が昨年の西日本豪雨で被災した広島へ新潟から自腹で行って1週間ボランティアしたりした

普段、「支援を受ける側」と思われがちな彼らが、支援を必要とする日本人のために「支援をする側」になることは、在日外国人と日本人との距離をぐっと縮める絶好の機会になりえる。

2019年11月初旬、友人のFacebookの投稿で、南魚沼市社会福祉協議会が台風19号で被災した長野市への日帰りボランティアを募集していることを知った。

定員20名。交通費無料。16歳以上なら誰でも参加可能。私は、募集要項を英訳し、市内の外国籍住民と日本人が英語で情報共有するSNSグループに投稿した。

予想通り、すぐに国際大の学生数人が返答をくれたが、問題は、集合場所が国際大から約10キロ離れた社会福祉協議会だったことだ。ほとんどの学生は車がなく、集合時間が午前6時のため、公共交通機関も使えない。同協議会の担当者、若月翔太さんへ電話で問い合わせてみると、国際大の学生が参加してくれるなら、大学をバスの発着地点にしてくれるという。私がSNSグループに再投稿すると、たった1日で11人の参加希望があり、定員に達したため、募集を締め切らなければならなかった。

全員20〜30代で、モンゴル、ベトナム、ウズベキスタン、ラオス、ミャンマー、フィリピン、チェコ、インドネシア出身の男女11人。半数が日本政府による途上国支援の一環で実施される人材育成事業で来日している各国の政府職員たちだ。日本語を挨拶レベル以上に話せる人はゼロだ。

超多国籍チームを乗せたバスが長野へ出発

11月16日午前5時30分、国際大学正門前を、超多国籍チームを乗せたマイクロバスが出発。午前6時に、協議会前に到着し、若月さんからヘルメット、手袋、ゴーグル、ゼッケンなどを受け取り、他の日本人参加者が乗り込み、バスはほぼ満席になった。

5万6000人が住む南魚沼市の外国籍住民の割合はわずか1.7パーセント。そんな超マイノリティが、この災害ボランティアの参加者の半分以上を占めることになったのだ。

その中の1人、ベトナム人女性のタン・タムさんは、教育省の職員。「ベトナムでは都市と山間部の間の経済格差がものすごく、私たちは友人らと時々山間部の貧しい村を訪ね、食料や勉強道具を配っています。ベトナムでも洪水で家が流されたりすることがあるので、今回の台風で多くの被害が出たのをテレビで見て何かできないかと思っていました。こういう活動に参加して、少しでも日本社会に溶け込んでいけたら嬉しい」と意気込みを語った。

フィリピンの国税庁の女性職員のジョーイ・ヤホンさんは「フィリピンでも台風の災害が頻繁にあるから、何かできることがあればやってみたいと思った」と語る。

午前9時、長野市穂保の災害ボランティアセンターに到着。大きな広場にテントが設営され、バスが数台駐車し、スコップやバケツなどの道具がずらりと並んでいる。「大阪」「石川」「富山」などと書かれたゼッケンを着た人たちが数百人いる。ほとんどが男性で、年配者が多い。20代30代の女性に限れば、私たちのメンバー以外ではほとんど見当たらない。

私たちは「貞心寺」という寺院の墓の清掃をすることになった。センターからスコップやブラシなどの道具を借り、寺まで歩いた。途中の光景に留学生たちは言葉を失った。浸水で、二階建ての住宅はどこも、一階部分が床をはがして家財道具などない空っぽの状態だ。

貞心寺の中の床も取り外されていた。床上60センチほどまで浸水したという。台風から1カ月以上が経過していたが、いまだに墓の多くは砂がかかったままになっていた。モンゴルの国営空港職員のエマ・バドラルさんは「触ってはいけないとか、踏んではいけない場所とかありませんか?」と細かく質問していた。

留学生たちはブラシやタオル、バケツをもって、墓の上の土をきれいに落とした。30分後、若月さんが「休憩です!」と言うと、留学生たちは「今、始めたばかりだけど?」と言う。私たち日本人が休憩していると、外国人参加者たちは、1分ほどで、再び作業に戻っていった。

山口正樹さん(右から2番目)と留学生のボランティアたち
山口正樹さん(右から2番目)と留学生のボランティアたち
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マニュアルがあれば、言葉の壁は乗り越えられる

正午。縁側に座って、それぞれ持って来た弁当を食べた。国際大近くに住む会社員の山田昭夫さんは、最初、参加者の半数が外国人と聞いて、耳を疑ったという。「だって、同じ日本人でもなかなか参加しないじゃないですか。それなのに外国人が来るなんて思いもしませんでした」と言う。

山田さんは「正直、国際大学の学生たちのイメージは、祭りで酔っぱらって暴れたり、夜中に大きな声を出して周辺を歩いたり、あまり良いものではなかった」と言う。しかし、黙々と被災者のために働く彼らの姿を見て、「今度一緒に飲みに行きたいですね!」と留学生たちに語りかけた。

午後1時、次は近くの民家に行って、片付けの手伝いをすることになった。2階建ての民家の敷地内に入ると、山口正樹さんが出迎えてくれた。家は80代の母・薫さんが1人暮らしをしており、床上1メートルまで浸水し、水に浸かった部分の壁を剥がす作業を正樹さんがしていた。私が状況を英訳すると、留学生たちは80歳の女性が1人で暮らしている場所が半壊したということに心を痛めている様子で、「早く作業させてください」と請願してきた。

留学生たちは、壁を剥がしたり、風呂場の掃除をしたり、水路内に溜まった泥を取り除く作業にとりかかった。休憩時間になると、薫さんと正樹さんが温かい甘酒や菓子を振舞ってくれた。正樹さんは外資系の企業で働いていた経験があり、英語が話せ、「どんなスポーツが好き?」などと留学生たちとの会話を楽しみ、一緒に写真を撮っていた。

薫さんは「毎日のように全国各地からのボランティアが来てくれているけど、外国人は初めて。一生懸命手伝ってくれて嬉しいです」と話した。

午後3時、若月さんから「作業終了」の号令が。留学生たちは「え?もう終わりですか?もっとさせてください」と言いながら、渋々、片付けにとりかかった。学生たちの仕事ぶりについて若月さんは、「とても丁寧に熱心に作業をしてくれて驚きました。今後も災害だけでなく除雪ボランティアなどでも一緒に何かできないか、考えていきたいです」と話した。国際大の学生に募集案内を送らなかったことについては「無意識に言語の壁が立ちはだかっていたのかもしれない」と言い、「作業自体は肉体労働で日本語能力は必要ないので、大事な注意事項などについて英語のマニュアルを作っておけば、ある程度、言語の壁も乗り越えられるのでは」と話した。

午後7時半、国際大にバスが到着し、留学生たちは「サンキュー!」と笑顔でバスを降りて行った。

未曾有の災害により、日本から多大な支援を受けている途上国の人たちが、支援を受ける側から、支援をする側になった。被災地によってはボランティア不足で困っているところもあるという。今回何百人のボランティアを見たが、外国語で話しているのは私たちだけだった。労働市場や観光地では外国語での対応が増えているが、ボランティアの現場もどんどん開いていくべきだ。助け合いの精神を共有できてこそ、本当の意味での多文化共生に繋がっていくのではないだろうか。

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