BLOG
2019年11月21日 10時28分 JST | 更新 2019年11月21日 10時28分 JST

書評「ディープフェイクと闘う『スロージャーナリズム』の時代」 フェイクニュース対抗策の最前線を追う

「ネットに蔓延するフェイクニュースは実はそれほど大きな問題ではなく、それよりもむしろ、既存のメディアが間違った情報を垂れ流してしまっていることの方がもっと恐ろしいのではないか」。

Amazon.co.jpより
松本 一弥『ディープフェイクと闘う 「スロージャーナリズム」宣言』(朝日新聞出版)

フェイクニュースと事実を伝えるニュースを見極めるには、どうするか?

これまで、以下のような対処法が推奨されてきた。

-信頼できるニュース媒体が発信しているかどうか

-見識ある友人・知人による拡散かどうか

-大手媒体が同様のニュースを報じているかどうか

しかし、筆者はここ2年ほど、「こういうレベルでの対処方法では十分ではない」という危機感を持ってきた。

大きな理由を1つ挙げるとすれば、「フェイクの度合いが本物と見分けがつかないぐらいの水準に達しているから」だ。

また、国家レベルでディスインフォメーション(国家・企業・組織あるいは人の信用を失墜させるために、マスコミなどを利用して故意に流す虚偽の情報)の拡散が常時行われており、どこに真実・事実があるのかが分からなくなるほど、情報が錯綜しているという認識があった。

もう少ししっかりと、フェイクニュースについて考える時が来たのではないか。

そう思っていたところに刊行されたのが、本書「ディープフェイクと闘う『スロージャーナリズム』の時代」(朝日新聞出版)である。装丁家菊池信義氏の手による、題字が縦と横にぶつかり合うような表紙が目を引く。

内容に触れる前にあらかじめお断りしておくと、本書の一部は筆者も時折寄稿する論壇サイト「論座」に掲載され、著者による筆者への英国のメディア状況についてのインタビュー記事も入っている。

ここでは、この記事以外の部分を紹介したい。

その問題意識は

本書の著者は、朝日新聞夕刊企画編集長の松本一弥氏。オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長、WEBRONZA(現「論座」)編集長を経て、現職に就任。メディアの戦争責任を検証したプロジェクト「新聞と戦争」の統括デスクを務めた(のちに、朝日文庫「新聞と戦争 上下」で書籍化された)。

松本氏は、フェイクニュースやディーブフェイクに「抗い、闘うことを余儀なくされる、そんな時代がやってきた」という認識を持つ。

書籍や論文に書かれているフェイクニュース現象を紹介するだけでは不十分と考えた同氏は、米国に飛んだ。ワシントン、ボストン、ニューヨーク、シアトル、カリフォルニア、サンフランシスコ、そして沖縄を訪れて、最先端の取り組みに耳を傾け、フェイクニュースに抗う「相手の人間性の一端にじかに触れた上で感じたこと」を伝えている。ここがほかのフェイクニュース関連の本と大きく異なる点だ。

表題にある「スロージャーナリズム」とは、「報道するスピードを『減速』してゆったりした時間軸の中で深く掘り下げていく」ジャーナリズムを指す。

フェイクニュースに抗う取り組み

本書がプロローグで取り上げたのは、ディープフェイクとの闘いだ。

米カリフォルニア大学デービス校准教授のシンディ・シェン氏は、人々が何をもとにして「本物」と「フェイク」を見分けるかの様々な実験を行っている。

分かったことの1つは、情報の受け手側の経験(ネット上の技術やソーシャルメディアをいかに使いこなしているか)がネット画像の信ぴょう性判断に大きな役割を果たしていたこと。つまり、「誰がその情報を発信しているか」という要素は、「実際には判断に影響を与えない可能性が浮上した」という。

これに対して、メディアリテラシー教育を施すことが1つの解決策とはなるものの、シェン氏は「何を信用すれば分からない」という猜疑心がまん延する状況にも懸念を示す。

ところで、ディープフェイクがどのように生成されるのかを考えたことがあるだろうか。

本書は、経営コンサルタント小林啓倫氏の説明を紹介する。同氏によると、ディープフェイクを生み出す技術の1つは、「敵対的生成ネットワーク」(GAN)と呼ばれるものだ。

GANのAIは、「与えられたデータをもとに新たなコンテンツをつくり出す『ジェネレーター』役、もう1つはそのコンテンツが本物かどうかを見抜こうとする『ディスクリミネーター』役で、前者のAIは後者のAIからフィードバックされた情報をもとに自らの弱点を分析」する。このAI同士が何百回も繰り返す作業を行う中で、本物により近くなっていくという。

米国でメディアが二極化した過程を探る

フェイクニュースの事例として、よく使われるのが2016年の米大統領戦であり、ニューヨークタイムズを含む主要メディアこそが「フェイクニュースだ」として批判するトランプ米大統領の一連の発言だ。

ハーバード大学バークマンセンターのリサーチディレクター、ロバート・ファリス氏は、米国の「右派メディアが突出した二極化」を同僚らとともに徹底調査し、その結果を400ページを超える大著「Network Propaganda(ネットワーク・プロパガンダ)」にまとめた。

松本氏は、ファリス氏の研究室を訪ねる。

「哲学者のような風貌が印象的な」ファリス氏によると、米国社会が二極化していることは周知だったものの、データの分析から明確になったのが、「右派メディアと左派メディアのバランスがまったく取れておらず、右派メディアだけが非常に対称性を欠いた中、極端なまでに突出し続けた」ことだった。

左派及び右派の両方のメディアがフェイクニュースを生成していたが、左派メディアでは事実誤認を駆逐し、軌道修正をしようとする動きが出る一方で、右派メディアはフェイクニュースをさらに拡大させていく特徴があった。

例えば、右派ブロガーがツイッターを使って不特定多数に情報を拡散し、影響力を持つ別の人がフェイスブックで紹介する。こうして同じエコシステムの中で同一のフェイクニュースやヘイトスピーチが「際限なく増幅」されてしまうのだという。

ファリス氏や共同執筆者が出した結論は、既存メディアにも厳しいものだった。

「ネットに蔓延するフェイクニュースは実はそれほど大きな問題ではなく、それよりもむしろ、既存のメディアが間違った情報を垂れ流してしまっていることの方がもっと恐ろしいのではないか」。

両論併記の罠

既存メディアが抱える問題点の1つとして、ファリス氏は「両論併記」に関連する問題を挙げた。ある意見とそれと対立する意見を同時に出す手法である。

松本氏はここで、映画「否定と肯定」を想起する。

米国の歴史学者デボラ・E・リップシュタット氏は、1993年、「ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ」を出版したが、本の中でその論を否定された英歴史著述家デービッド・アーヴィング氏がリップシュタット氏を名誉棄損で訴えた。映画は両者の法廷での争いをドラマ化した作品だ。

松本氏は、「ホロコーストはなかった」という主張は「荒唐無稽のデマ」だが、もし「メディアが否定論者の意見にも同等のスペースを割いて歴史的事実と併記して紹介するとすれば、『否定論もまともに扱われるのに値する』との誤解と錯覚を読者や視聴者に与えてしまう」危険性を指摘する。

この論争自体は極端な例ではあるとしても、「悪意や政治的意図を秘めた人々が、歴史に対して巧妙なやり方で異議申し立てを企ててきた場合に起こる恐ろしさを、私たちは何度でも認識し直しておく必要があるだろう」。情報を少しずつ変えたり、わざと間違って引用するなどして情報を「大胆に」書き換え、「結論を都合のよい方向にもっていく」歴史修正主義者的な言説は「今や日本でもごく当たり前にみられるといえるからだ」。

ファクトを積みあげた沖縄の作品を制作した、映画監督

松本氏は米国で研究者のインタビューを重ねながら、その一方で日本でジャーナリズムに日々関わる人々や学者にも話を聞いた。

例えば、メディアアクティビストの津田大介氏、社会学者見田宗介氏、スマートニュースのフェローである藤村厚夫氏、スマートニュースメディア研究所の瀬尾傑所長などの所見がおさめられている。

ここでは、ドキュメンタリー映画の監督、大矢英代氏のジャーナリズム観を紹介してみたい。

大矢氏は琉球朝日放送勤務後、カリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム大学院で調査報道を学んだ。現在、カリフォルニア在住。「『国家と暴力』という重いテーマに正面から向き合う気鋭のジャーナリスト」で、昨年、初監督作品の「沖縄スパイ戦史」が第92回キネマ旬報文化映画第1位を含む、数々の賞を受賞した。

沖縄で取材を行ってきた大矢氏は、このように述べている。「沖縄を見つめるほどに、日本という国の姿が鏡ように見えてきました」。それは「主権なき国、米国の属国としての沖縄の姿」だった。

日米のジャーナリズムの違いについて、大矢氏はあくまで「主観」であるという前置きをしながら、「ジャーナリストたちの意識の違い」を挙げた。米国のジャーナリストは「会社のためではなく、言論の自由、人権、市民の命を守るためにペンやカメラを持つ」。

言論の自由を保障する合衆国憲法修正第1条を基盤として、「『報道は権力を監視するのが使命だ』という理念をジャーナリストたちが認識し、共有している」という。背景には「権利と自由を勝ち取ってきた長く、苦しい、市民の闘い」があり、「そういう意味では、日本にはまだ『市民のためのジャーナリズム』は確立されていないのではないでしょうか」と問いかける。

日本国内で唯一、言論の自由を勝ち取った経験を持っているのが、「地上戦と米国施政政権下を経験した沖縄だと思います」。

調査報道は組織でなくても、できる

本書の最終章は、スロージャーナリズムを取り上げた。

スロージャーナリズムの1つとして位置付けられる、調査報道。松本氏によると、必ずしも大人数のチームが必要というわけではない。「問題意識とその問題に迫る力量のある記者やデスク(報道最前線の司令塔)がそこ(現場)にいるかどうか」がすべての出発点だからだ。

松本氏自身に、スロージャーナリズム・調査報道の統括経験がある。

2001年9月11日、米国大規模テロが発生し、大量の情報があふれ出た。その中から「事件の本質につながるデータとファクトを洗い出し、時間をかけて徹底的に検証する『スロージャーナリズム=検証ジャーナリズム』」が、報道の本筋になるべきと考えた松本氏は、米国各地で取材を行い、「米国にとって正義とは何か」を問い続けた。

その1つの帰結が、2010年、イラク戦争の影響や課題を検証するためにイラク、米国、英国、ドイツ、フランスに出かけて取材した後にまとめた「55人が語るイラク戦争 9・11後の世界を生きる」(岩波書店)だ。

2007年から08年にかけては、朝日新聞での長期連載「新聞と戦争」企画で統括デスクとして、メディアの責任を徹底検証した。「この連載は歴史をフィールドにした調査報道だ」と取材班に伝えたという。

事実を積み上げて、「今」を綴る。本書はフェイクニュースについての本であると同時に、ジャーナリズムについての本でもある。

トランプ大統領のフェイクニュース発言、米国の右派メディアの拡大、日本のフェイクニュースや調査報道の行方について考えてみたい方に格好の書である。

この記事は2019年11月19日小林恭子の英国メディア・ウオッチ『書評「ディープフェイクと闘う『スロージャーナリズム』の時代」 フェイクニュース対抗策の最前線を追う』より転載しました。