「何でも割り切ろうとするから苦しくなる」ミッツ・マングローブさん「差別」と「表現」を語る。

「保毛尾田保毛男」騒動について「差別を擁護した」との批判もあったミッツさん。改めて意見を聞いた。

「保毛尾田保毛男」騒動を覚えているだろうか?

とんねるずの石橋貴明さんが扮する昔のお笑いのキャラクターが放送され、ネットを中心に炎上騒動となり、フジテレビの社長が謝罪するに至った事件だ。

リバイバルとして登場したあのキャラを同性愛者に対する「差別的表現だ」と感じた人がいた。ハフポスト日本版もそう考え、当時、批判的に報じている。一方、批判に対し「お笑いがつまらなくなる」「同性愛者の総意ではない」などと、反発した人も多かった。

それぞれの意見の渦は加速して広がって行き、お互いに見ていない人も巻き込んだ人格攻撃、バッシングの応酬に…。

ミッツ・マングローブさん
ミッツ・マングローブさん
Jun Tsuboike / HuffPost Japan

ミッツ・マングローブさんは、「アイドル」についての週刊朝日での連載をまとめた著作『熱視線』(朝日新聞出版)でこの問題に、「斜め上」の視点から議論を投げかけた。

「あくまで、そういうホモもいるという一例ですが」と断った上で、「保毛尾田保毛男」は(同性愛者であることを自覚しつつあった)中学生の頃のミッツさんにとって、「アイドル」だったという。その理由は、陰口よりも、たとえ揶揄やからかいでも正面から「ホモ」と言われて立ち向かうほうが、自分にとっては好ましく思え、当時は「保毛男ちゃん」のように優雅に切り返そうと考えていたのだという。そのきっかけになったキャラクターだったそうだ。
そして、こう続けた。

『多様性への理解と配慮』なんて聞き分けの良さそうな言葉を軽々しく口にするのなら、普通じゃない人が隣にいる違和感を、自分なりに咀嚼する感性をもっと尊重し、磨かないと。

掲載された当時、「差別を擁護するのか」「強者の発想では」などの批判もあった。

しかし…。

「表現」の問題は、フジ社長による謝罪で一応は決着した。ただ、人間の心の中に巣食う「差別」問題が解消されたとは、確かに言い難いのかもしれない。
インタビューで尋ねると、ミッツさんは「物事が全てシンプルになりすぎているから」と改めてそう説明した。

傷ついた人もいるし、声をあげる自由はもちろんある。それで社会が前進したこともあると思う。

日本のLGBTはある部分でとっても生きやすく、住みやすくなったし、色々ありがたいなって思う。でも、何でも割り切ろうとするから、皆、窮屈になるし、苦しくなるし。その悪循環の空気はこの10年間ぐらいで、特に、深刻になりましたよね。

東日本大震災後、ずっと感じているんです。あの時に、「これが正義、これは正義じゃない」っていう風にジャッジする空気が日本の中にできてしまった。でも本当は、人間って割り切れないものじゃない?

井上陽水さんの『傘がない』っていう名曲がありますよね。若者が自殺して死んでいるけど、僕の問題は、君に会いたいのに傘がないんだって。そういうことですよ。人が苦しんでいることを慮るっていう気持ちは大事だし、無くしちゃいけないこと。

だけど、四六時中その人のことを考えていなきゃ『人間じゃない』みたいなことを言えちゃう人が今は多いわけじゃない? LGBTなんて、特にその矛盾との戦いをしてるんですよ。

ミッツ・マングローブさん
ミッツ・マングローブさん
Jun Tsuboike / HuffPost Japan

過去に出版された自伝で、ミッツさんは10代から、自分という存在自体が常に矛盾と葛藤の中にあったことを明かしている。現在の肩書はこうだ。「ドラァグクイーン、歌手、タレント。総じて『女装家』」。

ドラァグクイーンは、女性性を過剰に表現する。LGBTとくくられる人々の中に、一部で「ホモ」や「オカマ」という差別的な言葉をあえて自称することで、主体を自分たちに取り戻す試みもある。

ミッツさんも、現状をただ肯定しているというわけではないようだ。

多様性の時代、差別のない時代ですよって言われると『実際は、全然なんだけどなー』ってね。リボンつけてもらったぐらいで、『感謝しないとバチが当たるよ』って言われてるような心理になる。

恐れているのは、とんねるずの笑いを楽しんできた、マジョリティ側が「自分たちの自由が制限された」と感じ、「鬱屈したものが爆発する」可能性だ。

これはセクシュアリティの話だけじゃなくて。イギリスに住んでいた時、学校でも表面的にはみんな『差別なんてないですよ』っていう顔をして、さも仲良いように振る舞ってるんですよ。だけど裏では、黒人と白人がお互いに罵り合ってるの。それっていつか、臨界点が来ちゃうだろうなって思ってた。アメリカではもう来ていますよね。トランプ大統領を誕生させ、自分とは違う人への違和感や嫌悪感について『本音』を言ってもいいんだ。公然と差別をしてもいいんだ。っていう風潮にさせてしまって、明らかにそういう差別的言動も増えている。

マイノリティへの理解が広がるにつれ、それを快く思わないマジョリティ側の『本音』がもてはやされる風潮は、すでに日本社会にもじわじわと浸食している。私達は、こうした状況にどう立ち向かえばいいのだろうか。

理解をしてもらう…っていう言い方は嫌いだけど、私は正義を振りかざして狩るのは好きじゃない。誤解を解くために(マイノリティ側も)お互いに、ある程度は努力しないといけないと思ってる。

しかし、それが誰にでも受け入れられることではないだろう。傷つけられた側が譲歩するのはおかしいと考える人も多いだろう。被害を受けている側が、明るく振る舞って、「うまく対応する」ことが求められるのも、これまで繰り返されてきた暴力的な構図だ。

ミッツ・マングローブさん
ミッツ・マングローブさん
Jun Tsuboike / HuffPost Japan

『熱視線』で軸となった「アイドル」。

安室奈美恵さんを取り上げた回では、14歳で歌ったデビュー曲について言及している。

スーパーモンキーズのデビュー曲『ミスターU.S.A.』。ミッツさんは、沖縄女性と米兵との恋を通じて、戦後の沖縄が抱える葛藤や矛盾を描いたものだと解釈する。

『沖縄の戦後は遠い日のLove Affairにあらず、です。』

日本がすでにほとんど失ってしまったかもしれない「アイドル」という存在。それは、本来、舞台裏は絶対に見せないという様式美の世界だった。それは、今もてはやされる「本音」とは対極にある「建前」そのものだ。しかし、その美しさをミッツさんは讃える。

うちらもせっかく何時間もかけて化粧してきれいにしてるのに、『すっぴんを見せて』という要求が非常に多いんですよ。でもね、すっぴんって本当は、想像するから面白いんじゃないって。音楽だって、歌一曲聞かせてもダメ。こういうことが背景でこんなエピソードがあって、って、背景を全部説明しないとっていう時代になっていますよね。人間の、感じる能力がどんどん失われているんじゃないかしら。

ミッツ・マングローブさん
ミッツ・マングローブさん
Jun Tsuboike / HuffPost Japan

自分とは立場の違う人、マイノリティと呼ばれる人々。芸術の世界を通じて、好奇心や探究心を育てることによって、人間は「違和感を抱く相手」に対する想像力を養うことができるのかもしれない。

保毛尾田保毛男がテレビを賑わしていた当時から約30年後のいま。冒頭で書いたように、ハフポストは「差別」だと感じた。放映当時、学校の中で、クラスの誰かがネタにするのを、痛みを殺しながらじっと耐えていた人もいるだろう。

ミッツさんの本の帯には、「アイドル」であった石橋さんによる「ミッツ、だから大きくなったら何になりたいのよ?」という言葉が記されている。

これに私が言いたいことが凝縮されてるの。文章とか表現ってこれぐらい含みがあっていかようにも読み取れるもの。それを想像するのが楽しい。過去の自分に言ってるの?それとも、全然違うことなの?本当はどういう意味か、っていう答えなんて、ないんですよ。

熱視線
熱視線
Jun Tsuboike / HuffPost Japan
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