表現のこれから
2019年12月04日 07時46分 JST | 更新 2019年12月04日 07時53分 JST

「ピカソがああ描くなら、俺はどう描くか?」かつて“少女”を描いた会田誠さんが見る“日本”とは

会田誠さんは、“少女”は平成の日本を象徴する存在だった、と言う。「この時代、この国で描かれる絵として必然性があるのはどんな絵なのか。そういうことばかり考えて描いてきました」

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の炎上、それに引き続いて、現代アートをめぐって様々な“騒動”が起こっている。

自身が首相に扮して演説をするビデオ作品が「反日的だ」などと炎上した現代美術家の会田誠さんは「僕の作品は、作者の意図を考えることとセットで鑑賞して欲しい」と語る。

「作者の意図とセットで」とはどういう意味だろうか?

 ハフポスト日本版は11月、ショッキングなテーマや表現手法でたびたび論争を引き起こしてきた会田さんにインタビューを行った。後編は、少女をモチーフとした作品を描いた理由や「日本」という国に対する思いを聞いた。前編はこちら

AFP=時事
東京都現代美術館の企画展「子供展」で撤去の要請があった作品『檄』=2015年7月

「作品のメッセージ=自分のメッセージ」ではない

 会田さんの作品は、これまでにも数多くの論争を引き起こしてきた。

中でも、2015年に行われた東京都現代美術館の企画展「子供展」で、会田さんが家族との連名で発表した『檄』という作品が、美術館側から一時、作品を撤去するよう要請を受けた事件は記憶に新しい。『檄』は、毛筆で「もっと教師を増やせ」「教科書検定意味あんのかよ」などと書かれた大型の作品で、「子供には作品を見せられない」という声が寄せられた。

――「首相ビデオ」も「檄」もそうですが、作品が発するメッセージというのは、会田さん自身のメッセージであると考えてもいいんですか?

ええと、それは違います。

作品は、わざわざそれを作る、すごく人為的な行為。素直な詩人のようなものが僕にないだけかもしれないけれど、自分が感じた気持ちがそのまま作品になるとは思いません。

むしろ自分の内側から出てくるものを、いろいろ変形したりミックスしたりして、いじることが作品制作であり、そういう時にワクワクするんですよね。それこそ、作り手ならではの“嬉し汁”が脳から垂れてくるかんじです。

 

ーーこうした作品を通して会田さんが伝えたいメッセージというのは、どんなものなのでしょうか?

うーん、「この作品のメッセージは?」と聞かれて、喜んで答える作り手は少数派だと思うんですけど。

芸術作品というのは、あわよくばこの世に何かの影響を与えられたら…くらいの漠然としたもので、その影響はやっぱり間接的だし、比喩的で寓意的です。

「消費税を5%に戻せ」とかそういうメッセージは、わざわざアートを介さずとも、はっきりとした言葉で議論して訴えた方がいい。Twitterとか、選挙で1票投じるとか、政治家に立候補して主張するしかないんじゃないかと思いますけどね。

 

炎上しても「振り向かせたい」

ーーすると、作品は会田さんの内面の発露ではあるけれど、主義主張の発信ではないということでしょうか?

僕がやっている美術は、マルセル・デュシャン以降の20世紀から始まったコンセプトありきのアート。脳みそでつくるアートと言いますか、そっちの系譜でして、そこには現代美術特有のルールみたいなものがあります。

というのは、僕の作品は、まずは見てもらって、それを脳の中、思考の中でこねくり回してほしいんです。見るだけでなく、何でわざわざ作者はこんなものを描いたんだろうか、とか考えることとセットで鑑賞をよろしく、っていう…。

Kasane Nakamura
インタビューに応じる会田誠さん

僕は自分の作品でファンを作りたいわけじゃないんですよね。好きとか嫌いじゃなくて、見る人に「ふむふむ」と言ってほしいぐらい。それが、僕の理想のお客さんの反応なんです。

 

――結果として、意図と異なる見られ方をしたり炎上したりするのは、どう受け止めているんですか?

それ(炎上)込みでやっているわけで、仕方がないといいますか…。

アートは、ともすると専門家や愛好家だけの閉じた世界のものになりがちで、僕は割とそれを寂しいと強く思っていました。僕が、明らかに刺激的で嫌われるような作品を作るのも、ちょっと強引な方法でもいいから(外の世界の人を)こっちを振り向かせたいから。

 

――炎上も想定内だったんですね。

落ち着いたアートファンだけじゃなく、普段アートに興味がない人も、なんなら怒りながらこっちに寄ってきてくれると、仕掛けた罠に獲物がかかったようで「よし!」と思ったりします。

あいちトリエンナーレの件は、ネットの力が鍵になって、これまでなら絶対に現代美術が届かないような人にも届いて、全国ニュースになりました。現代美術がNHKのトップニュースになることなんてなかったんじゃないかな。

マスコミから流れる情報がすべてだった20世紀は、現代美術はどこまでいってもマイナーな日陰者という諦めもあったから、今こうしてTwitterで自分の作品をご説明しているときなんて、嬉し汁が出てたりするんですよね。

(Photo credit should read TIMOTHY A. CLARY/AFP via Getty Images)
ニューヨークで2017年3月に開催された芸術祭「the Armory Show」に展示された「ジャンブル・オブ・100フラワーズ」。「百花繚乱」を直訳したもので、百輪の花(美少女)が乱れている情景が描写されている。

「少女」は平成の日本を表現するキーワードだった

1965年に新潟県で生まれ、1991年に東京藝術大学大学院を卒業した会田さん。

「少女」をモチーフとした作品も多く、「エログロ」「性差別的」と批判的に語られることも少なくない。

人は文字に欲情できるかというテーマで、「美少女」という文字の前で裸で自慰行為をする会田さん本人を後方から写した映像作品(『イデア、2000』)や、無数の裸の少女がミキサーの中に入れられて血まみれになっている作品(『ジューサーミキサー、2001』)などは性差別的だと批判された。

手足がなく血が滲んだ包帯と首輪を付けた裸の少女が描かれている『犬』シリーズは、2013年に森美術館で開かれた個展で「18禁エリア」に展示され、「児童ポルノだ」「女性の尊厳傷つける」などと市民団体から抗議されたこともある。

ーー会田さんの作品は「少女」をモチーフにしたものが多く、性差別的だと批判されることも多いですよね。女性からすると気持ちの良いものではない作品も多いのですが、なぜ「少女」をテーマに作品を作るんですか?

これは作品によって、意図もそれぞれ違いますけど…。少女(の作品)は90年代が多かったと思うんですよね。当時、コギャルとか援助交際とかいうワードがありましたけど、“日本”を表現するのに、少女がなんというか、合っていた時代だったと思うんですよね。

今は、少女で何か作品を作りたいとはあまり思わないんですけど。それは日本社会の変化かもしれないし、僕自身の年齢もあるかもしれない。

 

ーー変化、とはどういうことですか?

日本の少女に、かつてほど突出した存在感を感じないんですよ。むしろ、なぜあの頃、あれほど存在感があったのかはちょっと詳しくは分からないけど、世代の変化や、経済的なこともあったと思うんですけどね。

僕自身の感性で語るなら、僕の父と母は、日本が戦争に負けた時に18歳と15歳ぐらいだったんです。父親は三島由紀夫と同じくらいの世代なんですけど、人格が形成される時期に軍国時代を過ごし、敗戦後にアメリカから持ち込まれた「戦後民主主義万歳」というかんじになった人たちでした。

Kasane Nakamura
インタビューに応じる会田誠さん

結果どうなったかというと、僕から見るに、父親はとにかく弱かったんですよね。男性的な、いわゆるマッチョな男性性みたいなものを表に出すことを自ら禁じているような。実際弱々しい、インテリ左翼でしたし。

父親は極端だったとは思うけれど、でも、高度経済成長期を支えたエコノミックアニマルと呼ばれた日本のサラリーマンたちもやはり、ある意味でオス性、男性性を去勢されたような、一つの形態としてのエコノミックアニマルだったと思うんです。

 

「戦後の弱い男から生まれたのが、オタクやロリコン」

ーーエコノミックアニマル化した男性と、少女が日本の象徴的存在だったということはどう繋がるんでしょう?

僕は、日本の戦後の特徴は、まず男が弱くなったという点にあると思っています。

女性側から見ると当然、日本の男女平等はまだまだ遅れているでしょうが、戦後、実は男は弱くならざるを得なかった。それでマッチョなオスや右翼みたいなのが“端っこ”になったんだと思います。

そういう弱い父親から生まれたのが、僕の世代。かなり雑な言い方になりますが、これがオタク世代というものです。ある種ロリコン的な一面もある。

女性は、70年代後半には「翔んでる女」(自由を謳歌する女性の意)なんて言葉も流行ったし、80年代には男女雇用機会均等法とかも出てきて、その辺りからコギャルまで一連のつながりがあると思うんですよね。

そういうのを、なんとなく僕も感じていたのだと思います。とはいえ、ずばりそれに類した少女の作品と言うと、『切腹女子高生』ぐらいしかないんですけど。

Marie Minami
アトリエの片隅に置かれた箱には、会田さんの初期の作品「ミュータント花子」が入っていた。

 「ピカソがああ描くなら、俺はどう描くか?」

――やっぱりそういう風に背景を知ると、個人的には不快に感じていた作品の見え方も変わるような気がします。制作段階では、コンセプトをそこまで言語化していないんですよね?

まあ、そうですね。でも、例えばピカソみたいな人を思い浮かべて、ピカソの40年後に僕がいて、「さあ、日本でどんな絵を描くんだ?」ということは考えます。自分とピカソは全然違うキャラクターと人生観だから、あっちがああ描くなら俺はどう描くっていうようなことを…。

この時代、この国で描かれる絵として必然性があるのはどんな絵なのか。僕はほとんどそういうことばかり考えて描いてきました。それが現代美術というものなのかなと。

 

ーーでは、令和を迎え、2020年を控えた今の会田さんの関心はどこにあるんですか?

相変わらず、やっぱり日本という国の変化には興味があります。変化といっても、かなりネガティブなイメージ。「沈みゆく日本」「墜ちていく日本」の記録みたいなものでしょうか。

作品を通じて、日本がまた盛り返す秘訣をみんなに教える、みたいなものにはならないと思いますけど…。作品でそんなことは無理ですしね。

アジアの中で必死に「西洋化」してきた、そのメッキが剥がれてきた今の日本を記録する感じのことをやるんじゃないですかね、来年とか。

まぁ自分はもともと保守主義だったし、別に嘆いているわけではないですよ。

 

――なるほど。(記事前編で)さっきパスされた、会田さんは「保守」なのか「リベラル」なのかという質問ですが、「どっちつかず」ということなんでしょうか?二元論で語るべきではないと思いますが、敢えて質問させてください。

ええ、まあそれでいいと思います。僕の中のこの分裂は、僕の一生をかけた分裂なんですよ。

父親はさっきも言ったように無名の社会学者でソフト左翼。母親は、今の言葉で言えばフェミニストでした。

あの時代の女性には珍しく、国立大学に進学し、僕を産むまでは中学校の理科教師をやってたんですけどね。「社会貢献したいのに、家庭に閉じこもることなどできない」みたいなかんじで、ボランティア活動みたいなことばかりやっていて。髪型もショートカットで、化粧っ気もなかった。

僕が若い頃に「保守」「右翼」だと言っていたのは明らかに父親への反抗でしたし、フェミニストが怒るような作品をわざわざ作ったのも母親への反発みたいなものがあるのも明らかです。

何か特別な確執があったわけではないんですよ、もっと表面に見えない深い部分の話で…。でも、年を取ると、結局「かえるの子はかえる」みたいな現象も起きていて。

「右」なのか「左」なのか。今となっては、というよりだいぶ前から、ややこしいんですよ…。

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ハフポスト日本版は「 #表現のこれから 」という特集を通じて、ニュース記事、アート、広告、SNSなど「表現すること」の素晴らしさや難しさ、ネット時代の言論について考えています。記事一覧はこちらです。