BLOG
2020年01月01日 09時48分 JST | 更新 2020年01月01日 09時49分 JST

「難民選手団」を迎える2020年。母国の旗を揚げられない彼らのために、私たちができること

東京五輪に出場する「難民選手団」の選手たちは、勝っても母国の国旗はあがらない。それでも走る、泳ぐ、駆け抜ける。

(c)UNHCR/Benjamin Loyseau
2016年リオ大会で史上初めの難民選手団として、避難先の国から集まったアスリートたち。

あけましておめでとうございます。

遠い先のことだと思っていた「東京オリンピック・パラリンピック」がいよいよ今年の夏に開幕しますね。

世界各国から集まった代表選手たちが国旗を掲げて入場する7月24日の開会式。

入場行進は近代五輪発祥の地・ギリシャから始まりますが、その次に入場するのはどこのチームか、ご存知ですか?

実は、どこかの国ではなく、「難民選手団」のアスリートたちなのです。前回大会のリオ五輪に続き、2回目の出場を果たす彼らは、紛争や迫害などによって母国を追われた「難民」たちです。

「難民」として過酷な状況を生き抜き、安全を求めてたどり着いた国で日々トレーニングを続け、東京2020を目指す選手たちは、たとえ金メダルをとっても母国の国旗が掲げられることはありません。それでも走り、泳ぎ、駆け抜けます。スポーツが好きだから。母国の家族や友だちを勇気づけたいから。それぞれの理由を胸に…。

緒方貞子さんの遺志を継いで…。  

日本にやってくる難民選手団の勇姿を何としても見ていただきたかった方がいます。

2019年10月にお亡くなりになった緒方貞子さん。日本人初、そして女性で初の、国連難民高等弁務官(UNHCR)を務められました。「現場主義」を貫き、世界中を飛び回り、難民救済のために果敢に行動される姿が記憶に残っている方も少なくないと思います。

私が2019年6月、「国連UNHCR協会」の報道ディレクターに就任したのは、大学生の頃からの緒方さんへの強い憧れも大きな理由のひとつでした。緒方さんが上智大学で教鞭をとられていた頃に、彼女の講義を受けていたのです。

あいにく私が就任して以降に、直接お目にかかることはかないませんでしたが、緒方さんの遺志をきちんと引き継ぎ、この2020年を、日本人にとってまたとないチャンスにできるように頑張りたい、そう思っています。

(c)国連UNHCR協会/Mitsuru Yoshida

 

暗い、深い海。姉と二人で、船を押した。 

難民選手団として実際に東京2020に出場できる選手は、「世界難民の日」である6月20日前後に発表される予定です。

現在、多くの難民アスリートがそれぞれの避難先で東京を目指し日々練習に励んでいますが、その中の一人が前回リオにも出場したエチオピア出身のマラソン選手、ヨナス・キンド(39)。政府による弾圧に命の危機を感じた彼は、国を出ることを決意しました。今は避難先のルクセンブルクで日夜練習に励んでいます。

2019年9月、私たちはジュネーブで彼に会いました。彼は今大会への特別な思いをこんな風に語ってくれました。

「もしも自分が東京オリンピックにでて、無事ゴールできるならば、(裸足のランナーとして知られた)アベベに敬意を表して、最後の数キロは靴を脱いで走りたいです」

どんな辛いときも、ヨナスを支えたのは母国エチオピアのヒーローだったアベベ選手の存在でした。60年ローマ大会で裸足のまま走ってマラソン金メダルを獲得し、世界中を驚かせた「裸足の王者・アベベ選手」。そして、見事二連覇を果たした1964年大会の舞台・東京で、自分もアベベ選手のように走りたいという夢こそが、彼の生き抜く力の源だったのです。

出場が決まれば40歳のオリンピアンです。希望がわきますよね。

 

同じくリオ五輪経験者のシリア出身、ユスラ・マルディニ(21)―女子競泳100メートル自由形。ご存知のとおり、シリアは今、世界で一番たくさんの難民・国内避難民の出身国となっています。

2015年、ユスラ(当時17歳)を含め20名ほどが乗ったボートが、ギリシャに向かう途中にエンジン故障で止まってしまいました。

このままではボートが浸水して全員死んでしまう。

水泳選手だった彼女は、同じく水泳選手だった姉と二人で海に飛び込み、ギリシャまで数時間、故障したボートを押して泳ぎ続けたのです。

暗くて、深い海。なんという勇気でしょう。彼女たちと、それに続いた他の乗客のがんばりで20人は無事、安全な地に逃れることができました。

こんな風に難民アスリートたち一人一人に、命をかけた壮絶な物語があります。彼らの人生に耳を傾けると、ホスト国である日本こそが温かく迎えてあげたいなと、と心から思えるのです。

それにしても彼らって、みんなすごく強い人たちなんです。考えてみれば、武力紛争や迫害を受けている状況下で、時には家族とも離れ、国境を越えて生き抜こうとするって、尋常じゃない精神力ですよね。

平和な国で生活していても心折れそうになることの多い私たちの方が、彼らと話せばむしろ力を与えてもらえる、なんてことも多い気がします。

 

全員が全員、難民を助けてなんて言わない。それでも…

そうはいっても、「難民と言われても、自分には関係ない遠い国の出来事」という反応もあると思います。 

難民たちがスマホを使っている姿がテレビのニュースで流れたとき、「何で難民なのにスマホ持っているの?」とクレームがきたことがあるそうです。難民の中には昨日まで、私たちと同じように会社で仕事をし、学校で学んでいた人たちも多いのです。自然災害によって家が住めなくなって、仮設住宅に身を寄せる私たち日本人と同じです。逃げるときにスマホを持っているし、避難した場所でも使いますよね。

国連UNHCR協会の報道ディレクターとして、先日もヨルダンにあるアズラック難民キャンプに行きましたが、難民自らが許可を得て仕入れたスマホショップがあって、スマホケースも充実していることに驚きました。

でも、それも現地で見ないとわからないこと。

そもそも日本は島国で、他の国と地続きで国境を接していません。

子どもの頃、同じ教室の中に当たり前のように移民や難民がいるという環境で育つというケースも少ないし、単純に難民という存在をよく知らない、という人も多いと思います。

こういう話をすると「自分の生活が大変なのに、難民なんて気にしていられない」という声もいただきます。もっともだし、正直、日本人全員が難民を助けなければいけないなんて私は思いません。

自分の生活がしんどい時は、そこにしっかり目を向けて自分のためにがんばる。あるいは、誰かのことを支援したいけれど、その気持ちが難民ではない他の対象に向く人もいるでしょう。

 

私の場合、たまたま報道の仕事に長く携わり、難民の子どもたちとの出会いがあったからこそ気持ちがここに向いているという側面も大きいですから。

 2020年、難民支援元年へ

これまで長く報道の仕事をしてきました。難民の取材を続ける中で、ただ「伝える」だけで、問題解決に関わることのできない自分をもどかしく思ったこともあります。そんな時、取材で訪れたパキスタンのアフガン難民キャンプでこう言われたことがあります。 

「伝えること自体が大切な支援なんだ。ここで起きていることを誰も知らなかったら、何も変わらないまま私たちは死んでしまう。世界中が知っている、世界中が注目している、それこそが私たちを救ってくれる」 

何もできないけど、でも「知っている」ことで多くの人を救うことができます。「知る」ことで、いくつかの行動が生まれれば、たくさんの夢を育てることができます。

 

緒方貞子さんは、私たちにこんな言葉を遺しました。

「文化、宗教、信念が異なろうと、大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっている」

2020年がはじまります。

東京オリンピック・パラリンピックのホスト国である日本は、世界中からたくさんのお客さまを迎える1年になりますが、その中に「難民選手団」もいます。

7月の開会式で、難民アスリートたちが入場してきたときに、日本の皆さんが「がんばれ!」と温かく、彼らの第2の故郷のようにエールを送っていただけたらこんなに嬉しいことはありません。

国連UNHCR協会はより難民について知り、理解を深めることができるイベントやライブなど、気軽に参加できる場所をたくさんつくっていきたいと計画しています。

2020年が皆様にとって素晴らしい一年になりますように。今年もよろしくお願いします。

 

(構成・編集:南 麻理江)

 

未来のアスリートを目指す難民の子どもたちにいま、教育というチャンスを。国連UNHCR協会の教育支援はこちらから

https://www.japanforunhcr.org/lp/education_crisis

https://www.japanforunhcr.org/cp/nagano