仕事やお金、住む場所がない人には過酷すぎた年末年始。炊き出しの現場から

この年末年始は12月28日から1月5日までの9連休。仕事やお金、住む場所を失った人々にとっては過酷で、長すぎる連休だった。
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kuarmungadd via Getty Images

いよいよ2020年が始まった。いわゆる「オリンピックイヤー」の幕開けである。また、今年は私の「デビュー20周年」の年でもある。2000年に25歳で1冊目の本を出版して、はや20年。気がついたらそんなに時が経っていた。

が、そんなことで浮かれてなどいられない。新年早々、世界中の人が固唾を飲んでアメリカとイランの緊張関係を見つめている。まさかこんな事態が突然やってくるなんて。手に汗握る思いで見守ることしかできないのが歯がゆい。

もうひとつ、お正月でも浮かれ気分になれなかったのは、例年通りに年末、都内と横浜の炊き出し巡りをしてきたからだ。

これらは、役所が閉まって公的な支援が受けられなくなる年末年始、ホームレス状態の人や生活困窮者に食事をふるまったり、生活相談を受け付けたりする取り組みだ。特にこの年末年始は12月28日から1月5日までの9連休。旅行や帰省などの予定がある人には嬉しい長期休みだが、仕事やお金、住む場所を失った人々にとっては過酷すぎる連休である。その上、年末年始は仕事が途切れる時期でもある。日雇いの仕事がなくなったのでネットカフェで寝泊まりできていた人が路上に出るといったことも起きる。そのために毎年、ボランティアが食事を準備し、また医師や看護師、弁護士の人々も寒空のもと、健康相談や生活相談に乗るという取り組みが行われているのだ。

ということで、年末に回ったのは渋谷と池袋、横浜・寿町と山谷の炊き出しだ。また、今回初めて開催された「年越し大人食堂」にも大晦日の日に顔を出した。

「子ども食堂」ならぬ、大人のための食堂だ。そこではただで温かい食事が食べられる上、生活相談にも乗ってもらえる。また、今夜、行き場のない人には緊急宿泊費として一人一泊あたり3000円が支給される。

大晦日の夕方、この「年越し大人食堂」を訪れると、料理研究家の枝元なほみさんがキッチンに立って温かい料理を振る舞い、やってきた人が支援者に生活相談をする光景が広がっていた。支援者に話を聞くと、年越し派遣村の時と同じ構図で、年の瀬などに仕事を打ち切られて寮を追い出されて行き場がない、というケースが多いという。大晦日と1月4日に開催されたこの「年越し大人食堂」には、計102人がやってきた。そのうちの少なくない人が、年越し大人食堂がなかったら、年末年始の東京で行き倒れていてもおかしくなかった人たちだ。

年越し大人食堂以外にも、切実な状況の人が各地の越年現場には多く訪れていた。渋谷では、千葉から歩いてきたという人もいた。池袋の公園では、塩ちゃんこをかけたご飯に120人ほどが行列を作っていた。横浜・寿町の公園では年越しそば1200食が配られ、大晦日の夜は山谷で100人ほどが立ったまま年越しそばを食べた。

それぞれの現場で、いろんな話を聞いた。野宿が長い人もいれば、DVで逃げている女性もいた。失業から住まいを失い、そのまま野宿生活になったという女性がいれば、スーツ姿で炊き出しに並ぶ若者もいた。どの現場にも、仕事を失った人だけでなく、障害がある人、どうしても家に帰れない人、あまりにも家族や社会に手酷く傷つけられてきた人がいた。高齢なのに、日雇いの仕事をしながら寒い中野宿するおじいさんもいた。山谷では道端でシートにくるまって寝る人がいた。

そんな中、興味深かったのは、池袋で炊き出しをする「TENOHASI」の清野さんによる今回の越年の印象だ。清野さんは動画で、生活相談の人が多かったこと(その時点で28人ほど。炊き出しに並ぶだけでなく、生活相談ブースを訪れた人の数)に触れ、以下のように述べた。

「来た方の多くは路上生活ではなくて、日雇いの仕事とか飯場の仕事でつないできたんだけど、年末年始が長くて仕事が6日からでないと入れられないということで困窮して来られた方が非常に多くて、不安定就労の人たちがこれほど大変な目に遭っているということがよくわかりました。年代的にも若くて、30、40あたりのいわゆるロスジェネの世代が一番大きなボリュームを持っているというのが今年の特徴です」

ロスジェネ世代の多さは、私も現場で感じたことだ。そしてそれは今回の年末年始だけでなく、昨年も、その前もだった。が、その数が明らかに増えているのだ。

例えば11年前の年越し派遣村の際、20〜40代はかなり少数だった。が、15年、久々に年末年始の炊き出し現場を訪れてみると明らかに同世代が増えていて、そのことにまず驚かされた。以前は山谷などの日雇い労働者の問題だった「ホームレス化」が、如実に不安定就労の若い世代に起こり始めているのだと痛感した。そして15年の年末には、30代と40代の男性がシェルターに入るのに同行した。どちらも少し前から「初めての野宿生活」を経験しており、たまたま炊き出しを知って支援につながったという経緯だった。ちなみに彼らと街ですれ違ったとしても、誰も絶対に「ホームレス」とは気づかないはずだ。

以来、毎年現場に足を運んで、徐々に同世代が増えていることには気づいていた。

この年末、池袋の炊き出しに行く前、駅構内で声をかけた人も同世代か年下と思われた。駅の片隅で座り込む男性は、明らかに「ホームレス状態になりたて」に見えた。「路上脱出・生活SOSガイド」(住まいを失くしたり生活に困窮した際に使えるノウハウ満載の冊子、こちらから印刷もできます)があることを思い出し、同行していた山本太郎氏にその旨を告げると、山本氏は座り込む男性に声をかけ、その冊子を渡した。また、近くの公園で炊き出しをしていること、生活相談にも乗ってもらえることなども伝えると、男性は真剣な顔つきで一言一言を聞き漏らさぬようにし、冊子を握りしめて何度も頭を下げた。

政府は昨年、ロスジェネを「人生再設計第一世代」と名付け、このうちの30万人の正社員化を目指すと発表した。が、ロスジェネは不安定雇用の果てにじわじわとホームレス化を始めている。正社員化ももちろん必要だが、同時に必要なのは底上げだ。そしてそのためには、安定した雇用や使い勝手のいいセーフティネット、公的な住宅や家賃補助などの住宅政策が不可欠だ。と、もう十数年くらい、私だけでなく多くの人が言っているのだが、遅々として進んでいない。

そんな年末年始には、あまりにも痛ましい事件も起きた。

1月2日、生後間もない娘を放置して死なせたとして、31歳の女性が逮捕されたのだ。女性は12月28日に自宅で出産。29日と30日はパチンコ店とキャバクラのアルバイトを掛け持ちして長時間家を空けていたそうだ。妊婦健診も受けておらず、「金がなく、病院に行けなかった」と話しているという。

女性は保護責任者遺棄致死で逮捕され、実名報道されている。が、責められるべきは彼女だけなのだろうか? なぜ、命がけで自宅出産をしなければならないほどの状況になってしまったのか? なぜ、出産翌日からバイトを掛け持ちしなければならなかったのか? なぜ、妊娠させた男性の責任が問われることは一切ないのか? 生まれたばかりの赤ちゃんを置いて、働きに行かなければならなかった女性の気持ちを思うと胸が張り裂けそうになる。女性は赤ちゃんにベビー服を着せ、粉ミルクや哺乳瓶も買っていたという。

そして最大の大きな問いは、そこまでの状況で、なぜ、彼女は誰にも助けを求めなかったのか? ということだ。家族にも、友達にも、職場にも、公的機関にも。

だけど、もし、自分だったらと、自分がフリーターの時、彼女と同じような状況に陥っていたらと考えると、当時の私も誰にも相談できない気がするのだ。なぜなら、当時の私は日常的に怒られ、責められすぎていた。低賃金で誰かがやらなければならない仕事をしているのに、世間からはフリーターというだけで「いつまでそんな仕事してるんだ」「怠けている」「働く気がないに決まってる」と非難され、親からも周りからも「早くちゃんと生きろ」「だらしない」などとなじられまくっていた。バブル崩壊や就職氷河期というものがあって、正規の職が圧倒的になくてフリーターなのに、とにかく私ばかりが責められた。

そんな当時の私がもし、予期せぬ妊娠をしたとしたら。私は隠し通しただろう。絶対に、口が裂けても誰にも相談なんかしなかっただろう。誰も助けてくれないと思ってた。これは当時から、はっきりと思っていた。もし今、私が妊娠でもしてそれがバレようものなら、親も親戚も友人も世間も「なにバカなことやってるんだ!」と激怒し呆れ果て、もう生きていけないような暴言を浴びせるんだろうな、と。フリーターであることを怒られ、なじられ、非難される日々は、私から「困ったことがあったら人に相談する」という、おそらく生きていく上で一番くらいに大切なものを奪っていたのだ。人に相談するには、私は怒られすぎ、責められすぎ、説教されすぎていた。

だからこそ、相談できない人の気持ちもどこかわかる。そして今、生活困窮に陥りながらも決して助けを求めない人の気持ちもわかる。そんな人は時に「自己責任」と自ら口にすることもある。それはおそらく、怒られないための先回りした防衛だろう。だからこそ、思う。大変な状況にいる人を怒るのはやめようと。十分頑張って傷ついて、あと一回怒られたら心が折れて死んでしまうかもしれない人は、この国にたくさんいる。

さて、この年末年始、多くの人が支援につながった。しかし、東京都内だけでも、住まいがなくネットカフェに寝泊まりする人は1日あたり4000人と言われている。今年の年末は、寒空のもと、行くあてもなく震える人が一人でも減っていますように。年の初めにそう祈っている。

*本記事は2020年1月8日のマガジン9掲載記事『第508回:年末、越年現場を巡って。の巻(雨宮処凛)』より転載しました。

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