本当に必要なモノって意外と少ない。余計なモノに囲まれていた私が、軽自動車ハスラーで暮らしてみたら?

今の私は、”ミニマリスト”だ。なぜなら、バンライフをしていて、「家」は軽自動車ハスラー。積める荷物の量に限りがあるからだ。
車内にふとんを敷くとこんな感じ、座席の下も収納スペースになっている。
写真提供:菅原恵利
車内にふとんを敷くとこんな感じ、座席の下も収納スペースになっている。

みなさんは普段、どれくらいたくさんの“モノ”に囲まれて暮らしているだろうか? そして、それは本当にあなたにとって必要なモノなのだろうか?

かくいう今の私は、“ミニマリスト”だ。

とにかく「余計なモノは持たない」をテーマに、必要最低限の少ない荷物だけで身軽な暮らしをしている。私の荷物、を全部まとめてパッキングしたら、大きめのキャリーケース1つに集約されるほどコンパクトだ。

なぜなら、今私たちの「家」は軽自動車ハスラーで、積める荷物の量に限りがあるからだ。

余計なものにあふれた部屋で暮らしていた

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もちろん私にも「余計なモノ」ばかりと共存していた時期はあった。独身時代のある日のこと。一人暮らしの家に帰宅して、部屋に明かりが灯されたとき、そこには絶望的な景色、ある意味”絶景”が広がっていた。やんちゃな子犬が部屋で大暴れでもしたのかと思うくらい、とんでもない散らかり様だ。朝、髪の毛をふり乱しながら身支度をして家を出た痕跡がそこには残っていた。

よく”部屋の状態は心の状態”と言うけれど、まさに「その通り!」と、白目をむきながら答えざるを得ない。その頃の私は人生いろいろあって、心の中もぐちゃぐちゃだった。

押入れの中なんて、本当に必要なのかを考えることも放棄して、見なかったことにしたいモノの墓場のよう。

私は、呆然とした。これじゃ彼氏ができても、家に呼べん。どうにかしなくては、いつまでたっても婚期を逃しつづけそう。そろそろ、どうにかしなくては。

そんな不安を一つずつ取っぱらうために、私はそれから容赦なく「余計なモノ」を捨てていくことにしたのだ。

モノはモノに集まるから、できるだけ持たない

そこで、問題になるのは余計なモノって、一体なんだ?ということ。

読まなくてもわかる取扱説明書。服に付属でついてきたボタンは、取れてしまう頃にはその服も着ていないから、保管しておいても使わない。身の回りを見直してみると、意外と余計なモノにあふれている。

そもそも、モノって、持っていれば持っているほど「あれも、これも!」と欲しくなってしまう。モノは、モノに集まるのだ。

例えば、「ハーブティーを買ったら、おしゃれなティーセットが欲しくなった」とか、「カメラを買ったら、もっと他のレンズも揃えたくなった」とか、欲しいものが次々と現れて、止まらない物欲とともに、モノが雪だるま式に集まっていく。そして結局、「これ、あんまり使ってない。」という悲しい結末がやってくる。

だから、そもそもモノをあまり買わなくなった。買うモノが減れば自然と集まってくるモノも減ってくる。

もう一つ大事なのは、「実は要らなかったモノ」1つ1つとお別れすることだ。

その時に私がしているのが、「これは、買った時にテンションが上がったという以外の役目はなかった。だからあんまり必要じゃない。ありがとう、そしてさようなら。(ポイ)」というように、買った時の自分の気持ちと要らない理由ときちんと向き合って、心の中できちんとケリをつけること。私はこれを「ポイの儀式」と呼んでいる。

声に出さずに心の中で唱えるだけでもいいから「感謝」と「別れ」を告げて捨てると、心が整頓されていって心地よいので、ぜひやってみてほしい。

「ポイの儀式」の甲斐もあってか、車に乗って旅をする生活をすると決めてハスラーに初めて全荷物を積んだときも、何も問題なく、すっぽり収まってしまったほどだ。

手放すのが一番大変だったのは「本」

車内に取り付けたラック。車内の貴重な収納スペース
写真提供:菅原恵利
車内に取り付けたラック。車内の貴重な収納スペース

バンライフをはじめてから、ますます私の物欲は大人しくなった。

車という限られた空間の中で、私の相棒になってくれるモノの量は自然と限られてくる。もし余計なものをあれこれ積んでしまったら、私たちの住むハスラーは、「家」としても「車」としても機能してくれない。

けれど、手放すのに最も苦労したモノが「本」だった。もともと”紙の本”が好きで、指先でパラパラと紙をめくりながらお話を進んでいく感覚にこだわりを持っていた。お気に入りの本が本棚にギッシリと並んでいるのを眺めては、すべて読んで賢くなった自分を想像し、酔いしれていたのかもしれない。

だけど、バンライフをはじめるにあたって、本棚を背負って旅に出るわけにはいかなかった。1冊だってバッグに入れたら幅をとるし、結構重い。ふと読み返したくなる本、人生を変えたバイブル本、手にとるだけで想いにふけられる本、泣く泣く全てを手放してみることにした。

私の大切な本たちを査定してくれたブックオフのお兄さんに「この子たちをどうか…! どうかよろしくお願いします…!」と訴えたりしたら、怪しい人になってしまうから、心の中で念を送った。今思えば、それもそれで怖い。

それだけこだわりのあった本を手放して、その後、困ったことはあったか?と聞かれたら、ない。幸いにも、書店は日本全国どこにでもある。本が読みなくなったら本屋に行ってゆっくり過ごすし、読みたい本を買って読み終えたら売る。そうすることでまた、新しい本を携えるスペースが生まれる。

読書中、残しておきたいフレーズだけメモをとっておけば、1冊のノートを見返すだけでいい。古い本を抱え込まなくなってから、逆に良いサイクルが回っているように思う。古いコレクションを並べて喜んでいたのは、古い自分に固執していただけなのかもしれない。

オードリー・ヘプバーンの名言に学んだ

そして今の私の持っている冬服は、ユニクロで買ったウルトラライトダウン1着と、着回し4パターンのワードローブだけ。どれも小さく畳んでも、シワになりにくいものばかり。ちなみに下着も3セットだけ。皆さんは、どれくらいの洋服を持っているだろうか?

他にも、仕事に必要なPCまわりの機器とお風呂グッズ、調理道具(包丁にまな板、鍋とコンパクトなガスボンベ、ライスクッカー)とちょっとした日用品…。バンライフを送る私たち夫婦に必要なものは、それくらいだ。お風呂に使うバスタオルも場所をとるのでフェイスタオルに変えてみたら、それで十分だった。

それから、バンライフとともに、”ノーファンデ”ライフもスタートした。ファンデーションを塗らなくなると、肌も荷物も軽くなった。

私が普段使いしているメイク道具は、とても少ないと思う。アイブロー、眉マスカラ、アイシャドウ、ビューラー、マスカラ、リップがそれぞれ1点ずつ。もともと使っていたメイクポーチはスッカスカで、ダイエットに成功した人のジーパンのウエストみたいになっている。

「美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。」というのは、オードリー・ヘプバーンの名言だ。メイク道具を増やしたり、ネイルやマツエクで装飾したりする前に努力できるところがありそうだと、「美」についても見直すようになった。「違ったメイクで、違った私を楽しみたい」とメイクに凝っていた日々もあったけど、今は毎日旅で「違った土地を楽しむ」ようになってから、荷物もメイクも必要最低限を目指すようになった。とりあえず顔面は、夫の合格点さえもらえればそれでいい。

自分で把握できるモノだけで暮らす身軽さ

持たない暮らしをはじめて気づいたのは、「本当に必要なモノって意外と少ない」ということ。今自分は何を持っているのか?ちゃんと自分で把握できる分だけのモノと生きていくと、とっても身軽で心地いい。

こうして身軽になった私は、今、どうせお金を使うなら、「無形なモノ」(経験・体験)に使いたいと思っている。

いわゆる「有形なモノ」とは、いつか決別する日が来るかもしれない。だけど、「無形なモノ」は、未来の自分をつくる糧になるかもしれない。いつか着なくなるワンピースを買うよりも、できるだけ身につく・思い出になる「無形なモノ」にお金を払うことに比重を置いた方が、未来の自分はもっと”中身が詰まった人”に成長しているはずだ。

(編集:榊原すずみ