かつては「ネットカフェ」今は「道の駅の駐車場」 Nスペ「車中の人々」が示した“貧困難民”の滞留場所

今夜も駐車場の片隅で、人知れず、生きる人たちがいるーーー。日テレ系『ネットカフェ難民』と比較しながら、Nスペ『車中の人々』について、その意義と可能性について論評した。
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ianmcdonnell via Getty Images

衝撃的だった「車中の人々」

久しぶりに現在の日本社会の「貧困」の断面に切り込んだドキュメンタリーを見た。2月15日(土)に放送されたNHKスペシャル「車中の人々〜駐車場の片隅で〜」。

以下、番組の流れをふり返りながら、この番組が伝えた衝撃を見ていこう。

冒頭、氷点下の「道の駅」で情報を受けた取材班が雪の降り積もった駐車場で車を探す場面から始まる。「駐車場で暮らす親子がいる」。灯りを消した黒いワンボックスカーには「おばさんが運転席。後ろの座席におばあちゃんが乗っている」と目撃者が証言する。車中生活は3年になるという。

取材のきっかけは、2019年8月21日に上毛新聞に掲載された92歳の女性が車中で死亡したという事件だったという。記事は「3世代1年車上生活か」という見出しで家族3人が1年間も駐車場で生活していた実態の断片を伝えた。

こうした人々が他にもいるのではないかとNHKは全国の道の駅1160すべてを取材。事情があって長期間、車で生活する人たちが相当数に上ることがわかってきた。年齢層もバラバラで切実な声を拾っていた。

若い女性

「事情があって(会社の寮を)出なきゃいけなくて家がない」

20代の男性

「友だちゼロで彼女もいない。人間関係は難しい」

60代男性

「布団で死にたいね。やっぱ最後は・・・」

生きる場所が車しかない、と口々に語る人々。駐車場の片隅で起きている現実を追った。

道の駅の駐車場は24時間無料で開放されている。トイレ、売店などもあり、長期で滞在が可能な環境が整っている。日中は家族連れのマイカーやトラック運転手などで賑わう道の駅の駐車場だが、夜間になると車の台数は減っていく。ある道の駅を取材してみると、夜間でも10台ほどの「動かないで駐車したまま」の車が見てとれた。その大半が目張りなどをしてあって「異様な感じ」だったという。道の駅の職員によると、1年近く駐車場にいる車もあった。その中にいた男性はまさに典型的な人だった。

典型といえる「車中の人」、66歳の男性

7年前に妻に先立たれていた。トラック運転手として働いたが、再就職できずに行きづまったという。アパートの支払いが滞るようになり、「じゃあ、出るか」と車中泊を決意した。男性はカボチャやインゲンなどと一つひとつの支払いを細かく記録。車中生活で自らゼリーをつくるなどの倹約ぶりを示す。顔の部分にボカシが入っているものの几帳面な生活が伝わってきた。収入は年金が月10万円。アパート生活だと家賃(4万円)や光熱費(1.5万円)で支払い総額が月14万円になってしまい完全に赤字になるという。車中生活なら家賃と光熱費はかからないものの冷蔵庫がないために食費がかさんでいく。それで収支トントンでギリギリの生活を維持していた。番組では男性がつけた記録を元に具体的な数字で男性の収支状況を示していた。

NHKは放送内容の一部を「NEWS WEB」で公開している。上記の66歳の男性については車中の画像も見ることができる。

興味のある人はそちらで確認してもらいたい。 取材を始めておよそ2週間、群馬県内のある「道の駅」で66歳の男性に出会いました。軽乗用車の中で1年近く生活を続けているといいます。最初は取材を断られましたが、2週間通い、ようやく取材に応じてくれました。男性は、車の中を見せてくれました。

出典:NHK NEWS WEB 特集 ”車上生活”漂うわけは

頼ることができない生活保護

こうした差し迫った状態で日本社会に用意されている最終手段が「生活保護」という制度だ。「最後のセーフティーネット(安全網)」とも呼ばれる救済手段として機能するはずだ。ところがこの66歳の男性は生活保護も可能性を探ったものの断念した。以下のように証言する。

「知らない人は生活保護でも受ければいい」と簡単に言うけども、一回市役所に行って聞いたら「車を持っているんでしょ?それならだめですね」とぱっと切られて終わり。

私自身生活保護について何度か取材した経験でいえば、いかにもありがちな行政側の対応だ。乗用車はどんなに長期間乗ったものでボロボロであっても「金銭に替えうるもの」と見なされてしまう。そうした所有財産を売却して、それでも困窮した状態が続いていないと生活保護の申請行為さえ認めてもらえないケースが実際には少なくない。弁護士などの支援者が同行して本人の窮状を伝えることで認めてもらえるケースも例外としてはあるが、むしろほとんどの場合で「車を所有しているなら生活保護はだめ」という画一的で機械的な対応をする自治体が圧倒的に多いのが実態だ。

この番組では「車を手放したとしても、すぐに生活保護を受けられる保障はない」というナレーションが続く。生活保護行政の対応としては実態を反映した正確な説明だといえる。車を失うと明日寝る場所もなくなってしまうのではないか。そう考えて男性は車中生活を続けざるをえなかったという。

文字通り“さまよう”人

圧巻の場面がこの後に登場する。ある日の深夜。男性が「ガス欠だから」と燃料を買いに出かける。この日は2ヶ月に1度の年金支給日。近くのコンビニまで歩いて、そのATMの前で午前0時の年金の振り込みを待っていた。

手にした現金で5リットルのガソリンを購入。赤い容器に入れたガソリンを持って、1時間歩いて男性は車へと戻った。

久しぶりのエンジン音を聞いた男性は「ここには戻らないでどこかよそに行く。いくらなんでもずっと止まったままじゃ相当目立っていると思う」と、迷惑はかけたくないと車を発進させて道の駅を去り、夜の闇に消えていった。

何気ないシーンだが、ドキュメンタリー制作という観点でいうと非常にすぐれた映像だ。

こうした「車中の人たち」が「さまよい」「漂流する」姿をカメラで押さえている。人目を避けて移動を繰り返す車中生活者のリアリティーを冷静な形で映像として可視化させている。

全国にどのくらいいる?

こうして各地を転々とする「車中の人」は全国にどのくらいいるのか。NHKの調査で「やむをえない事情を抱えて車中生活をする人」が過去5年間に目撃された道の駅は全国1160カ所のうち29%に上ったという。

単身の男性が多い。だが中には女性、あるいは高齢の女性を抱える娘などもいる。夫婦や子ども連れもいた。

その中には単なる経済的な貧困だけでなく、社会問題が背景になったケースも目立つという。

認知症が背景も?

認知症の夫とともに車中生活を続けていた女性が夫の死後も車内で暮らしているケースも紹介された。アパート生活をしていたものの認知症だった夫の火の不始末が心配になって車中生活になった。介護施設などの選択肢はなかったのだという。

幼い子どもを抱えるケースも?

幼い子どもを連れて車中生活していた30代の女性。所持金も少なく当時1歳の子どもを抱えていたが、子どもが夜泣きするため、ネットカフェでの宿泊は断念したという。冬に駐車場の寒空で夜泣きする子どもをあやす日々だった。

自ら選択? 職場の問題?

人間関係のわずらわしさを逃れるために車中生活を選んだという人も番組には登場する。

熊本の駐車場にいた50代の元看護師の岡山さん夫婦のケース。理由を一言で説明するなら職場の人間関係という言葉になるのかもしれない。7歳年上の夫は職場である病院で比較的ベテランになっても仕事でなかなか結果を出せないことで精神的に追い詰められていった。妻によると夫は職場で次第に精神を病んでいったという。その末に人と深く関わらずに生きていける場所をと車中生活を選んだのだという。

かつては看護師長として部下からも信頼されていたのに、人員削減などで職場を追われ、病院を転々とする中で精神を病んでいったというから、この人の問題は本人ばかりを責められないケースだ。根っこに「職場」や「働き方」の問題が存在する事例とも考えられる。夫は次第にいろいろな職場で「お荷物」になっていることを自覚するようになっていった。今の生活を「人間関係がほとんどないのが一番気に入っている」と夫は話す。持病の糖尿病が年々悪化するなか「死ぬときは最終的には車の中で見つかってもそれもいいかな」と言う。どこか自暴自棄な言葉だ。

NPOなどでホームレスらの支援活動をする人たちも、こうした「車中の人々」の存在に戸惑いを隠せない。当の本人がどこまで支援を求めているのか、どこまで支援すべきなのかがわからないケースも多いからだ。

親の虐待も?

父親による虐待から逃れるために、車中生活を続けてきた若い男性が「食べるものがない」としてNPOに助けを求めてきた。痩せ細っていて死んでもおかしくない、とNPOでは感じたという。NHKが全国の警察に取材したところ、この5年間で全国では車中生活者の死亡が12件、確認されたという。

NPO側も支援を拒む人たちもいるので、そのまま亡くなってしまうケースも避けられない。

ドキュメンタリーの終盤で、車中生活を続ける佐藤叙之さんという81歳の男性が静岡県で見つかった。NPO側が粘り強く関わりを続けるなかで、高度成長期の時代に東京の高級ホテルで働いた経験もある人だとわかってきた。年齢を重ねると周囲との交流も途絶えがちになる。NPOや行政の力を借りて車中生活を止めて、半年ぶりに畳の上での生活を再開させることになった。

「私たちが出会った車中の人々。孤立、貧困、無関心・・・。車の中には社会が積み残してきたものが溜まり込んでいた。」

そんなナレーションでドキュメンタリーのラストシーンが始まった後で何人かの「車中の人」の声が続く。

60代女性

「リストラで家を失ったり仕事を失ったりして車があることでなんとか生活できる」

50代男性

「一日一日さまよっていた。次の日はどうなるか分からない。どこかでのたれ死ぬかもしれない」

30代男性

「どこにも行けないし、誰にも相談できなかった。正直、自分の気持ちもよくわからない。生きたいのか、生きたくないのか」

その後で番組を締めくくるナレーションは以下の言葉だった。

「今夜も駐車場の片隅で、人知れず、生きる人たちがいる。」

見ていて時折鳥肌が立つほど「これでもか」というほど現在の日本社会の現実が示されていた。

久しぶりにNHKが社会派のドキュメンタリーとして渾身の一球を放り込んだという実感がある。かつて2000年代以降にNHKが放送した「ワーキングプア」や「無縁社会」のシリーズにも匹敵するほどの大がかりなドキュメンタリーだった。

日本社会の「貧困」という社会問題をこれほど力が込めて取材した作品は本当に久しぶりだと思う。

以下、十数年前に私自身がかかわって放送した日本テレビ系の「ネットカフェ難民」とも比較しつつ、NHKの「車中の人々」についてその意義と可能性について論評したい。

「ネットカフェ難民」との類似性

今回の取材対象になったのは「行き場を失った」「漂流する」「家をもたない人々」である。2006年〜9年頃にはそうした人々はネットカフェに滞留するようになっていた。時間制で料金を取られるネットカフェは「お泊まり料金」等の割引き価格もあって、シャワー室が付いている施設も増えたことで若干窮屈さはあるもののビジネスホテルの半分以下の価格で一晩を過ごすことができるようになった。そこに貧困層が寝泊まりするようになった。2006年の朝日新聞の報道や2007年の日本テレビのドキュメンタリー番組の報道でその実態が少しずつ明るみになった。

私自身もドキュメンタリー番組のタイトルとして「ネットカフェ難民」と名付け、貧困層の人たちの中で一定の人たちがこうした「経済的な貧困」「不安定な仕事」「親からの虐待」「身寄りやコミュニティとの縁が切れた社会からの孤立」「生活保護にも頼れないセーフティーネットからの漏れ」「自暴自棄」「精神的な病気」などの状況が「折り重なって」いることを取材で実感した。

一定の貧困層が「ネットカフェ」に滞在することは社会の共通認識となり、「ネットカフェ難民」という造語も新語流行語大賞のトップ10にも選ばれて一般的に通用する言葉になった。今回の「車中の人々」も新たな貧困状態の現れ方として同様の広がりがあるものだと感じる。

他方で、「ネットカフェ難民」の放送後には当時ホームレスの支援活動をしている人々から言われた言葉がある。

「『ネットカフェ難民』が急に生まれて出てきたわけではない。行き場を失った人々は昔からいる。路上や公園での野宿の人たちがそうした人たちだ。ネットカフェという現代風の施設を使っているだけでホームレスであることに変わりない。それは形を変えたホームレスなのだ」

客観的に見れば確かにそういう面もある。メディアで人々に注目してもらうためには「これは新しい現象だ」と強調する必要があるからだ。

本質的には大きく変わっていない点も実は多い。今回の「車上の人々」も、経済的な貧困、福祉制度の脆弱さや利用の困難さ、あるいは虐待やDVなどによる家族からの支援を受けられないなど、「ワーキングプア」「無縁社会」「ネットカフェ難民」などのキャンペーン報道で指摘された問題も背景としては見え隠れしている。道の駅の施設の全国的な整備が進んだことで、そうした場所の駐車場が、貧困層や行き場を失った人たちの「滞留場所」になっている面がある。

ただ、中身の酒は同じようなものであっても酒袋を一新させて「貧困」「無縁」など社会に根深い問題について放送を続けていくことはジャーナリズムとしての意味はすごく大きい。今回の「車中の人々」は車社会が進んだ現代日本にとっては象徴的な切り口だ。NHKのスタッフがそれまで社会が気がつかなかったいいところに着眼した好企画だと感じる。

「ワーキングプア」「無縁社会」の中核メンバーも

こうした骨太の調査報道型のドキュメンタリーを「チーム」で取材してまとめることができるのがNHKという組織のすごさだと思う。

番組のエンドクレジットを見ると、制作統括の最後に板倉弘政という名前がある。かつて「ワーキングプア」「無縁社会」の取材で活躍した社会部の記者である。そうした人がかかわることでこうしたテーマが若い世代に引き継がれていくことがNHKの強みなのだろう。

続編が見たい、そして映画にも

ぜひ続編を見せてほしい。そう思うし、おそらく制作側もすでに計画していることだろう。

たが、それだけでない。これは映画のテーマにもなりうるのではないか。

たとえば、カンヌ映画祭やアカデミー賞など主な賞を総なめした「パラサイト〜半地下の家族〜」。韓国社会において「半地下」に住む貧困層の実態を映し出して格差や貧困をモチーフにした映画をつくった。「車中の人々」も日本社会が積み残したものがたまりこんだ現状なのだとすれば、これをテーマにする映画が出来てもおかしくはない。

「パラサイト」や「万引き家族」に限らないが、いい映画は深刻な社会問題への深い考察や取材の末に出来上がることも少なくない。

今回の「車中の人々」からそんなリアリティーある映画まで夢想するのは考えすぎだろうか。

(2020年02月16日ヤフー個人より転載)

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