ベトナム映画『ソン・ランの響き』監督インタビュー。「恋愛映画の性別が問われない世界に」

2019年の夏、ベトナム行きの飛行機に乗り込んだ私はホーチミンの上空に着く頃には目玉が溶けるんじゃないかってぐらいに号泣していた。機内サービスで、映画『ソン・ランの響き』を見たからである。
『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
©2019 STUDIO68

レオン・レ監督『ソン・ランの響き』は、80年代のベトナムはサイゴン(現・ホーチミン)を舞台に2人の男性の恋愛を描いた映画だ。

各国の映画祭で絶賛され、「東京国際映画祭」東京ジェムストーン賞、「北京国際映画祭」最優秀新人監督賞、「ASEAN国際映画祭」脚本賞など、数々の賞を受賞している注目作である。

2019年の夏、ベトナム行きの飛行機に乗り込んだ私はホーチミンの上空に着く頃には目玉が溶けるんじゃないかってぐらいに号泣していた。

飛行機の機内サービスで、この『ソン・ランの響き』を見たからである。

異国情緒溢れるアイキャッチ画像に惹かれてついつい再生ボタンを押したが最後、この美しい悲恋の物語にどっぷりと惹きこまれ、空港についてもバカンス気分はどこへやら、2人の運命を想っておいおい泣き続けていた。

本作はそれぐらい人の心を揺さぶる映画である。

陰影際立つ1980年代のベトナムの街並みを背景に、借金取り立てのヤクザであるユンと、伝統芸能の役者リン・フンという対照的な人生を歩んできた美しい男性2人が織りなす魂の恋愛。作中で2人の関係の行く末を暗示するように上演される、ベトナムの伝統歌舞劇「カイルオン」の壮麗な舞台も美しい。

ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、宣伝では「男同士の恋愛を描いた映画」であることが強調されているものの、その描写は控えめだ。これだけ抑えた表現で「人が人を想う気持ち」を描けるのかと驚きもする。

本作について、自身もオープンリー・ゲイであるレオン・レ監督にインタビューした。

ボーイ・ミーツ・ボーイの物語だが、「LGBTQ映画」というくくりには疑問

レオン・レ監督(右)と俳優のリアン・ビン・ファットさん(左)
レオン・レ監督(右)と俳優のリアン・ビン・ファットさん(左)
©2019 STUDIO68

━━ベトナムでも、LGBTQに関しては人々の意識の変化が進んでいる一方で、まだまだ偏見があると思います。本作では男性同士の愛が描かれますが、配慮した点はありますか?

ベトナムでは現在、むしろLGBTQについてオープンに語られすぎていて、逆にやりすぎというか、ファッションの1つのように捉えられている面もあります。本当に同性愛者でなくても、わざとそのようにふるまう人さえいます。私はそれは美しいものではないと考えています。性のあり方についての問題は、単なるトレンドとしてではなく社会の中で長期的に議論される必要があると思いますので、この作品によって改めて見直してもらいたいという気持ちがあります。

ただ、私はこの映画を「LGBTQ映画」という枠組みの中で見て欲しくはないんですね。

というのも、この作品で描きたかったのは、体のふれあい、性愛ではない。他の角度から見れば、性別を越えた人間同士の魂のふれあいを描いています。ですから、普遍的な愛の話として、みんなに見てもらいたいのです。

ただ、前評判の段階で「男同士の関係を描いた映画」ということがやや強調されてしまったため、そうした評判を受けて見に来た人からは「がっかりした」「期待はずれ」という声を聞くこともあります。

━━なるほど。「LGBTQが主題の映画」だとは思われたくないということでしょうか。

そういう訳ではありませんが、たまたまこの2人は男性同士で、性別関係なく、愛情を持って接しているのなら、何よりも美しいものだと思うんですね。

LGBTQを扱った映画と聞くと、人々はセックスやヌードのシーンを思い浮かべてしまいますが、私の考えでは、そういうシーンがなくても、人間同士の愛は語れると思いますので、このような脚本にしました。本作では描かれていませんが、ユンとリン・フンは体の関係をもつ可能性がないわけではない。けれど、もしそうだったとしても、愛があれば性別は関係がないのではと思います。

80年代の「吸う空気まで政治」だった頃の雰囲気を再現したかった

『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
©2019 STUDIO68

━━ベトナム国内では、本作はどのように受け止められましたか?

驚いたのは、ベトナムの映画協会や国会や文化協会の評論家からも高い評価を得たことです。1980年代のベトナムは、政治についてとても敏感な時代です。この作品も当時の政治的背景をかなり盛り込んで作りました。にもかかわらず、批判的な意見や指摘もなく、真っ直ぐに受け取ってもらえたのがすごく嬉しかったです。

━━この映画に盛り込まれた政治に対する風刺・批評とはどのようなものですか?

当時のベトナムは、戦争が終わったばかりで他国との関係を持ちえず、孤独で閉じ込められている感じでした。しかし、それは逆に言うと安全な場所、ベトナムという国は自分たちだけの場所だとも捉えられるということ。映画の中でもその要素を出しました。

また、主人公ユンの父親はカイルオンの伴奏者、母親は役者だったという設定です。戦後すぐの頃、人々は中国語で歌を歌うことがよくありましたが、ベトナム政府が芸能に携わる人たちに「中国の宣伝の歌詞を入れなければならない」と通達することがあったんです。ユンのお母さんはそれが嫌だったので、他国に移住してしまった。当時はたくさんの人々がベトナムを後にしていたんですね。現政府はそういった事実を公にはしたくないので、上映に影響が出るかと思いましたが、大丈夫でした。

また、子どもが壁に何かを書いているシーンでは、初めは「ホーおじさんの5つの教え」(※注)を書いている設定だったのですが、政府に上映申請した際、そのシーンは差し替えなければいけませんでした。

※ベトナム革命を指導した建国の父ホー・チ・ミンが提唱した5つの行動規範。「兄弟は喧嘩してはいけない」「友情は大切にしなさい」など。ベトナムにおける教育勅語のようなもので、ほとんどのベトナム人が小学校で教わる。

━━政治に関するメッセージは、監督にとって映画を撮る上で重要な要素ですか?

あの頃は、戦後すぐということもあり、政治と人々の生活を切り離すことができませんでした。食べているものにも、吸っている空気にすら政治が感じられた。

ただ、私が惹かれたのは80年代のベトナムの美しい風景です。残念ながら、当時の純粋な美しさは失われてしまったので、私は現在のベトナムについて描きたいとも語りたいとも思わないのです。

『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
©2019 STUDIO68

主役2人の人生と重なる、ベトナム民族楽器と伝統歌舞劇「カイルオン」

『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
©2019 STUDIO68

━━カイルオンについて、見た方からの反応はいかがでしたか?

特に海外の皆さんは、見た後にほぼ100%興味を持ってくださいました。私はカイルオンにとても愛情を感じています。それを知ってもらうことが映画を作った目的の1つです。皆さんに「他国同様、ベトナムにもこのような伝統文化、芸術があるのだ」と知ってもらえたらとても嬉しいです。

━━お気に入りのシーンはありますか?

深夜にユンのアパートで2人が歌うシーンです。ユンの弾くランヴェットというギターのような楽器に合わせて、リン・フンが生の歌声で感情を伝えたシーンです。お互いの心が最も触れ合った瞬間だと感じています。恋愛映画の場合、そのピークを表現するために、抱き合うとか、体のふれあいを描きますが、この作品ではこのシーンが同じような役割を果たしていると思います。

『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
©2019 STUDIO68

━━本作ではソン・ランなど、伝統的な楽器がとても重要なモチーフになっていますね。ただ実際に作品を見ると、ソン・ランは他の楽器と比べてサブ的に見えたのですが、あえてテーマにしたのはなぜでしょう。

確かに、ランヴェットなどカイルオンのメーンとなる楽器はありますが、ソン・ランはカイルオンの演奏の芯を保つ、支柱となるものです。これがなければ、他の奏者はいつ演奏が始まるのかさえわからず混乱してしまう、なくてはならない楽器なんですね。

それと同じで、ユンとリン・フンは、互いがなければ互いの人生が成り立たない。そういう意味です。リン・フンが、ユンにとってのソン・ランになっていた。またクライマックスのシーンでも、ソン・ランが2回鳴ります。カイルオンが終演する時にはソン・ランを2回鳴らすのですが、その音によって、ユンの人生とカイルオンの物語の中身が重なったことを意味しています。

『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
『ソン・ランの響き(原題:Song Lang)』
©2019 STUDIO68

━━冒頭でこの映画を「LGBTQ映画」のくくりには入れたくないとおっしゃいました。近年では『ムーンライト』や『君の名前で僕を呼んで』などLGBTQを扱った映画は世界的に増えているし、高い評価も得ています。監督自身はそうした流れについてはどう感じていますか?

同性愛についての映画は増えましたし、世界的には積極的に受け入れられています。見た人が結果的に面白いなと思ってくれたらそれでいいとは思いますが、じゃあ、もし見る前に宣伝やポスターで、ヌードやセックスのシーンがないと知ってもみんな見に行ったのか? というのは疑問です。私は、そういうシーンがなくても見られるものを作りたいので、そういう方向に進みたいと思います。

最近は男女の平等や性的指向、性自認ついて多くの人が語っています。ただ映画の場合、異性間においては誰も「男女の恋愛映画だ」とは言いませんが、それが同性間になると「ああこれはゲイ(もしくはレズビアン)の映画なんだな」と、登場人物の性別に(見る側も宣伝する側も)注目します。

もし本当に平等を目指すのなら「ゲイの映画だ」などとくくりに入れず、性別を問わず受け入れられる、見られるようになって欲しい。それこそが平等だと思います。

(編集:毛谷村真木

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