10年前、地方では40代の美は「罪」だった。病気と介護を支えた“私らしさ”

坂村かおるさんが「美魔女コンテスト」にこっそり応募した理由
坂村かおるさん
Yuko Kawashima
坂村かおるさん

「今も昔も、私にとってファッションやメイク、美容は自分のためにするものです」

そう語ったのは、53歳の「美魔女」坂村かおるさん。2019年末、「第10回 国民的美魔女コンテスト」でグランプリに輝いたその人だ。

美魔女とは、外見の若さや美しさだけではなく、年齢を重ねたからこそ得られた美しさや、人生の経験で培われた内面の輝きを持つ女性のことだ。

坂村さんは、2010年に第1回の同コンテストでファイナリストに選出。以来「TEAM美魔女」の一員として、モデルのほか女優やビューティー・アドバイザーとして活動してきた。

グランプリの受賞コメントで、坂村さんは「更年期障害」と「介護」の経験を口にした。

美魔女という言葉の一見華やかなイメージとは裏腹に、じつは他人の決めたルールに抵抗しつづけてきた坂村さん。

そもそも、なぜ坂村さんは美魔女になったのか。年を重ねながら、“自分らしさ”とどう向き合ったのか。

世間体に苦しんだ少女時代や、婦人科系の病気や介護の経験を通して見えてきた、自分らしい「美」について語ってもらった。

Yuko Kawashima

10年前、地方では40代の美は「罪」だった

――坂村さんが優勝した「第10回 国民的美魔女コンテスト」では、各回の“レジェンド”が参加者に名を連ねました。坂村さんは、第1回コンテスト(2010年)のファイナリストですが、まず美魔女コンテストに参加したそもそもの経緯について教えてください。

40歳になった頃、以前と同じようにおしゃれをすると「どこかに行くの?」と言われるようになったんですよ。

お友だちに美容のことを話しても、「誰が見てくれるの?」「お金をかけたってしょうがないじゃない」と言われてしまうようになって。

Yuko Kawashima

――変わらずおしゃれを楽しんでいるだけなのに、周囲からの視線が変わった、と。

私が生まれ育ち、今も住んでいる栃木県足利市は、田舎なんですね。当時、地元には40代、50代の女性が身ぎれいにすることを、どこか「罪」のように扱う雰囲気がありました。

私はおしゃれが好きだったので、地元ではちょっと変わった人と見られていたんですよ。

周りは、40代、50代は老後に向かって目立たずひっそりと過ごさなくてはいけない世代なんだと考えているようでした。世間体ですよね。

今も昔も、私にとってファッションやメイク、美容は自分のためにするものです。自分が好きだから、しているもの。

その意味で、40歳を過ぎて投げかけられた「誰に見せるの?」「どこに着ていくの?」という質問には、違和感もありました。

世間体に合わせる必要はないと思っていた高校時代

Yuko Kawashima

――10年前の地方では、こうした坂村さんの姿勢を貫くのは難しかったのでしょうか。

地元の栃木県足利市では、やはり女性は結婚して子どもを産んで一人前という考えが、まだまだ当たり前という感覚があるんだと思います。

例えば、私は未婚ですが、親戚で集まるとおばさんたちに必ず「結婚しないの?」と言われたりはしましたよ。

ただ、私の母がそういうのにこだわる人ではなかったんですよ。私自身も、引け目を感じたりしたことはありません。

――なぜですか?

たぶん、自分が周囲から理解されないことに慣れていたんだと思います。高校時代あたりから、自分の個性が強いことはわかっていたんです。

同調をよしとする社会で、私はおそらく浮いた存在でした。

Yuko Kawashima

でも、世間体みたいな誰かが決めたものに対して、同意できなければ、無理矢理に自分をはめ込むことはしなくていい。

自分一人ぐらい違っていたっていいんじゃないか、って考えていました。

人に強く主張をすることはありませんでしたし、周りに合わせて「そうだね」と言ってはいたんです。でも、心の中では「違う」と思って、ずっと自分らしい何かを探していました。

――学校でも、周囲と合わせることに違和感を抱いていたんですね。

10代後半のころ、ある大人にそのことを相談してみたら「君はおかしいよ」と言われて。以来、自分はおかしい人間で、人に思いを伝えるなんていけないことだと思い込むようになりました。

でも、20代の後半に、もう一度、別の大人に同じ相談をぶつけてみたんです。

そうしたら、「感受性が豊かなんだね。すばらしい。いろんなものに挑戦して、いろんな思いを伝えた方がいいよ」、と言ってくれて……! 自分のことをそんなふうに評価してくれる人がいて、ほんとうにうれしかった。

Yuko Kawashima

こんなに大人の一言によって人生が左右されるなら、私も悩んでいる若い子たちに伝えたいなと思うようになりました。

この言葉がなかったら、美魔女コンテストに出ようなんて思えなかったかもしれません。

――美魔女コンテストに応募しようと思ったのは、なぜですか?

当時、読者モデルが流行りはじめた時期でした。一般の人が雑誌の誌面を飾るようになって、私も雑誌に載ってみたいと思うようになったんです。

写真1枚でもいい。雑誌に載ることができたら、一生の思い出になるだろう。

当時は、「冥土の土産に」ぐらいの切実な気持ちでした(笑)。

少しして、雑誌で第1回のコンテストが開かれることを知りました。唯一の条件は「35歳以上の大人の女性」のみ。

これに参加したら、撮影してもらった写真が雑誌に載るかもしれない。一度でもいいから、特別な思い出がほしい。ドキドキしながら、周りに内緒で応募しました。

――ファッション誌はよく読んでいたのでしょうか。

もともとファッション誌、美容誌はすごく好きでした。なかでも、初めて雑誌の『美STORY』(現在は『美ST』)を見たときは衝撃でしたね。

美しい同年代の女性たちの、生き生きとした姿があったんですから。

「同じ年なのに美しくしていていいなんて、うらやましい。東京の人っていいなあ」と心から思いました。

掲載されているメイクやファッションを見るだけで気持ちが高揚して、幸せな気持ちになりましたね。

コンプレックスは自分だけが持つ特別なもの

Yuko Kawashima

――美魔女コンテストに参加してみて、得たものを教えてください。

一つ目は、TEAM美魔女の一員として雑誌に出るお仕事をいただいたことで、「自分はきれいにしていていい」という理由ができたことですね。

周囲に対してもそう言えるし、何より自分にとっての安心材料になりました。

――二つ目はなんでしょうか。

二つ目は、コンプレックスを受け入れられるようになったこと。

私は小さいときから声が低くて、「男の子みたい」と冷やかされるのがいやだったんです。男の子扱いされるから、人前に出て話すのも嫌いで。

一度聞いたら忘れられないとも言われるのですが、自分では受け入れることが難しかったんですよね。

でも、コンテストの課題にあった、1分間の自己PRを考えていたときに気づいたんです。

他の方が持っていない、私だけのいいところってなんだろう? みんな美しくてスタイルがよくて頭もいい。私だけが持っている特別なもの……。

それは、この低い声だ、って。

人と違うからコンプレックスになるけれど、裏を返せば自分だけの特別な個性。

そう思えるようになって、自分の嫌いだったこの声に愛着が湧くようになりました。

Yuko Kawashima

「若く見えること=美」ではない

――この10年間、坂村さんご自身は「美」とどう向き合ってきましたか?

42歳でコンテストに応募したときから、ずっと「美しさとはなんだろう?」と自問してきました。なかなか答えが出ず、「美とは若く見えること」だと思って、美容に励んできたときもあったんです。

でも40代になると、体はだんだんと年老いていきますよね。シワも増えるし、シミも目立つようになっていく。

40代後半のとき、一度、そうした老いにあらがい続けることに疲れてしまったんです。

この先、老いる一方なのに若く見えるようにしなくてはならないなら、切ったり貼ったり縫ったりしなくちゃいけない。一体どこまでやらなければいけないのか……。

そんなふうに考えたこともありました。

Yuko Kawashima

――40代はさまざまな形で“老い”を感じる時期です。坂村さんには、どんな変化がありましたか?

40代後半のときに、子宮腺筋症を発症したんです。

その結果、毎月生理のたびにひどい出血と激しい痛みが悩まされるようになりました。症状が出るタイミングも、症状がどのぐらい出続けるかも読めないので、気分も落ち込んでしまって……。

医師に相談し、20代など若い方は手術で治療するらしいのですが、私の場合は年齢的にも薬で閉経に導こうということになりました。子宮腺筋症の症状は、閉経によって収まるからです。

――治療として閉経することになったのですね。

そうです。「閉経すると女性じゃなくなるみたいでさみしい」という声を聞いたこともありますが、そんな感情は選んでいられないぐらい、子宮腺筋症の症状がつらかった。

とはいえ閉経前後になると、子宮腺筋症の痛みがなくなる一方で、ホットフラッシュや動悸といった更年期障害の症状が出てくるようになりました。これは未だに続いています。

今は、ホルモン療法で治療していますが、完全にすっきり治る感覚はないですね。治療をやめてみたこともあるのですが、それはそれで症状がつらい。付き合っていくしかないですね。

親の介護。寝たきりの父に優しくできなかった

Yuko Kawashima

――第10回コンテストの授賞式では、お父さまの介護についても話されていましたね。

1年半ほど前に父を見送りましたが、最期の半年ほどは母と2人で自宅介護をしていました。

長年に渡って介護をしている方がいらっしゃるので、半年ぐらいで大変だなんて申し訳ないんですが、それでも私にとっては大きな出来事でした。

突然の激しい胃痛や嘔吐から発覚した父の十二指腸がんは、見つかった時点ですでに治療が難しい状態でした。

ただ、残りの人生を少しでも楽しく過ごせるようにと、手術を受けることになったんです。

父の十二指腸はがんで何も通らないほどになっていました。そこでがんを摘出して、食べ物が通れるようにしよう、と。

食べ物が通るようになれば、固形物を食べられるようになります。ものを食べる楽しみは、生きる力につながりますからね。

そこから、寝たきりになった父の介護が始まりました。

Kaori Sasagawa

――突然、お父さまが寝たきりになり、坂村さんや家族も受け止めるのが大変だったのではないですか?

そうですね。家族という関係上、どうしても適切な距離を取ることができず、優しく接するのが難しい時期もありました。

よく覚えているのは、介護を初めてしばらくしたときのことです。

介護中は、便の漏れで寝具に汚れがつくことがよくありました。そのため、日に何度も汚れた寝具を取り替えたり、洗濯をしたりすることに。

慣れていない私たちは参ってしまって……。毎日のように「もうお父さんったら、こんなにベッドを汚して」と嘆いていたんですね。

でもある夕方、仕事帰りにやってきた介護職の姉が、汚れた寝具を見るなり父に「こんなに出たんだ! よかったねぇ、すっきりしたでしょう」と声をかけてあげたんですよ。

目が覚める思いでした。

だって、便がでたら普通はすっきりするじゃないですか。

Yuko Kawashima

同時に、すごいな、そんなふうに声をかけてあげないとだめだったんだ、とやっとわかったんです。毎日、父を責めていた自分が情けなくて。

姉のおかげで、見方を変えることが、父にとっても私たちにとっても幸せなんだと気づくことができた。半年間のなかで、とても特別な出来事でした。

――介護の日々は、きっと美容どころではなかったですよね。

たしかに、そのときは精一杯で自分のケアどころじゃなかったですね。美しくいよう、おしゃれでいようという心持ちにはなれなかった。

ただ、ミスコンテストのお手伝いをしている時期でもあったので、人前に出て恥ずかしくないようにはしようと考えてはいました。

結果的に、美容で自分を奮い立たせることになっていたのかもしれませんが……。

――婦人科系の病気や、親の介護を経験されて、なぜ再び「美」に向き合うことができたのですか?

「美しさとは何か」を考え続けた結果、「若く見えること=美」ではないと考えるようになったからです。

Yuko Kawashima

人が美しく感じるものって、バランスが整っているものだと私は思うんです。壁に掛かっている額でも、少し曲がっているだけで気になるけど、水平にかけられていると安心できる。そんな簡単なことなんですけど。

そこで、老いていく自分の体を受けいれ、バランスを整える努力をしようと決めました。

若く見えるようにするのではなく、メイクやファッションだけでなく、体のゆがみを取るなどしながら、年相応の美を表現していけばいい。

そう考えるようになったら肩の荷が下りて、また美への意欲が湧きました。自分らしい美しさを追求する道が見つかったんだと思います。

「年を取るのが怖くなくなりました」若い世代からの声

Yuko kawashima

――40代の美が「罪」とされた時代から約10年。社会ではどんな変化があったと感じていますか?

今、女性は40代になっても50代になっても美しいですよね。女性が自分のために美しさを磨いていいと思える時代になったのが、私にとっての一番大きい変化です。

もしかしたら、私たち美魔女の力もあったのかもしれません。驚いたのは、若い世代の方までもが「勇気をもらった」と言ってくださること。

「美魔女が出てきたことで、私たちは年を取ることが怖くなくなりました。私だって、まだまだチャレンジできるって思えるんです」って言ってくれたんです。

すごいことですよね。年を取ることが怖くないということは、生きることにポジティブでいられるということ。自分の可能性を信じて、まだまだ進めるということ。

今の私のコンセプトは「美しく老いる」です。

年を重ねてどんな変化かが訪れるかはわかりませんから、そのときどきの美しい在り方を常に模索していきたいと思っています。

Yuko Kawashima

(取材・文:有馬ゆえ 写真:川しまゆうこ 編集:笹川かおり)