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2020年03月12日 12時04分 JST | 更新 2020年04月02日 13時02分 JST

平塚らいてうさんの言葉にいつも奮い立たされて……。25歳のフェミニストが思うこと

先人のフェミニスト達が声をあげ、力を尽くし、0から勝ち取ってくれたものがあるからこそ、私は女性を自認し、発言ができる。多くの女性が求めている「女性の権利」は、人として生きる上での「権利」なんです。

Chris Madden via Getty Images
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いつのまにか、私は女性になっていた

「元始、女性は太陽であった。」   ― 平塚らいてう女史

いつも私を奮い立たせてくれる言葉の一つです。

 

私は中高6年間の女子校生活を通じて、女性がリーダーになることが当たり前、力仕事でもなんでも協力して工夫してやることが当たり前、怒りを表に出すのも普通(もちろんそこからの仲直りは大事ですが)、と思って育ってきました。そのような環境では、“女性”という性別に生まれたことをさほど気にせず、私は私のままで過ごすことができていました。

そのため高校を卒業し、女性だけでない社会に出たときのカルチャーショックは大きかったです。多くの場面でリーダーになるのは男性。飲み会で食べ物など取り分けるのは女性。上から下まで見定められるような視線を浴びたことも数え切れません。自分の身体についてあからさまに性的な言葉をかけられます。

自分も社会に流されるまま、思春期にさほど気にしなかった性別を意識し、“女性”だと認識するようになったのだと思います。

セクハラワードを言われても聞かなかったふりをすることができるようになってしまった。痴漢にあっても何も言えなくなった。むしろ「何か言ったら学校に遅れてしまうから…」と自らなかったことにしてしまう……。男性に好かれる女性になろうと振る舞うこともできるようになってしまいました。自分のHP(ヒットポイント)はすり減っていけど、社会で生きていく上では仕方がないのだと思っていました。

25歳の私ですらこう思うのだから、先輩方の経験はどれほど大変な思いをしてきたことか……。そしてこれからもまだまだこんな社会で生きていくのかと思うと、心が氷水に浸かっていくかのような想いです。

 

私はフェミニストであることを隠したりしない

かく言う私は女性学やフェミニズムを学問として突き詰めたわけではありません。勉強もしたことないくせにと思う人もいるのかもしれないけれど、私はフェミニストです。自分がフェミニストであることを隠すことも、濁すことも、否定することもいたしません。

ナイジェリアの活動家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ女史のスピーチに出てくるフェミニストの定義は、シンプルで私にとてもしっくりくる内容です。

 

Feminist – A person who believes in social, political, and economic equality of the sexes.

フェミニスト:社会的、政治的、経済的な側面において男女平等の信念を持つ人

 

私は、性差による差別、性差に基づくハラスメントは無くすべきだと考えています。平等な社会になることを求めています。女性を縛ってきたさまざまな価値観から解放されるべきだと思っています。そんな社会で暮らしてみたいと願っています。そして、私たちより下の世代に、25歳の私がおかしいと感じるようなことを引き継いではいけないと感じています。

確かに、4年生大学の門戸は女性にも開かれ(女性受験者だけ入試の点数を減点されていたなど信じられないことが起きていますが)、新卒入社の段階では一般的に同一職種においては男女同一賃金となっており、(結婚や出産、出世の有無などライフイベントで後々男女の賃金に差がひらいていきますが)、公共の場での性暴力である痴漢から守られるために女性専用車両(女性同士がマウントを取り合う空間だと一部テレビで放送されたなんて話もありましたが)も用意されています。 

しかしそれは、先人のフェミニストたちが、声を上げ、尽力を惜しまず、時に同じ女性からも「なりたくなかったあれ」などと揶揄されながらも、0から作り上げたものです。そして波風から守り築き上げ、勝ち取ってきたものです。その恩恵を受けているからこそ、いま、私は自分を女性と自認し、女性として発言ができる。私だけではなく、多くの女性が、求めているのは「女性の権利」と評されるも、言ってみれば、それは「人権」なのです。人として生きる上での権利です。

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子どもを産み育てるライフプランに現実味がない

2020年の今を考えてみたいと思います。

婚姻制度を用いて結婚すれば「嫁」と言われ、多くの女性たちが自分がこれまで使ってきた名字を失います。女性がそのような慣習から解放されていると言えますでしょうか?

大慌てで退社して保育園のお迎えに走り、寝かしつけた後、夜遅くに仕事のメールを確認する生活を送っている、働くお母さんたちもたくさんいます。家事・育児を共に行う男性が増えてきているとはいえ、まだまだ「子どもは女性が育てるもの」「家事は女性がするもの」という価値観が完全に変わったと言えないのではないでしょうか?

 

仕事と子育てを両立され、「大変だよ~もうバタバタで!」「アウトソーシングしちゃったりもするよ!」と話す先輩や上司たちを見て、こんなすごいこと果たして自分にもできるんだろうかと思えてきます。不安も大きいですが、それ以前に保育園は見つけられるのかとか、お金のやりくりはどうしたらいいんだとか、不安になったとき誰に相談したらいいんだとか、わからないことだらけです。少子化が深刻な問題だと分かっていても、解決すべく企業や自治体が主体となって様々な努力がされているのは知っていても、いつか子どもを産み育ててみたいと思っても現実味を帯びたライフプランとは言い難いのです。

 

私も太陽であれますように

前は自分の性別や性別に求められる振る舞いなんて気にしなくてよかったのに、いつしか“女性”になってしまった私にできることは、

・リツイートでも、オンライン署名でも、デモへの参加でも、どんな形でも、おかしいことには声を上げること

・ハラスメントワードに「それ面白くないですよ」と言うこと(場がしけたとしても、そんな場より自分の気持ちの方が大事だ)

・ポジティブな発言や良い事例にはレスポンスすること

・嫌なことをなかったことにしないこと

・もっと怒ること

・おかしいと思ったことや経験を言語化する努力、議論する努力を続けること

・先人の、ほかの女性たちから、並々ならぬ努力を学ぶこと

・女性を応援すること

・女性の力になること(力を貸してもらうことの方が多いと思いますが)

そして、多様性の持てる力を信じ、フェミニストであり続けること。

 

平塚らいてう女史の言葉のように、いつだって、女性は熱を帯び、光を放ち、力強く、温かく、パワフルな、唯一無二の存在です。私も太陽であれますように。21世紀こそ、男女平等な社会で暮らすことができますように。女性をとりまく環境がもっともっとポジティブさ溢れるものになりますように。  

(文・ようみ/編集・榊原すずみ