キャリアを失うかも。でも私は一人出産に迷いはなかった。

フリーランスの私がキャリアを中断し、出産に踏み出せたワケ。
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2019年秋、恋人との間に子どもを授かりました。普通ならここで「結婚!」となるところでしょうが、結婚に対する私の考え方もあって、入籍も同居もせず、経済的にも頼らずに出産することに決めました

人生は「まさか」の連続と言います。いくら備えていても、予想外の大波小波は押し寄せてきます。変化は誰にだって起きますが、ただやはり、今の日本においては女性の方が変化を求められる機会が多いと私は思っています。

たとえば結婚。夫婦別姓が未だ認められない中、日本では女性の方が名字を変えざるを得ないケースが多いです。厚生労働省が発表した『平成28年度 人口動態統計特殊報告 「婚姻に関する統計」の概況』の中にある「婚姻後の夫妻の氏別にみた婚姻」を見ると、平成27年度の数字で、婚姻の総数635,156件に対し、 妻側の姓を選んだ婚姻は25,400件。わずか4%弱です。

夫婦別姓の是非を問いたいのではなく、事実として女性の方が姓を変えるケースが多い。これは経験してみないとわからないと思いますが、かなり面倒です。

銀行口座や免許証、パスポート、病院の診察券などは一切合切変えなければいけないですし、個人的に寂しいのは、過去の実績を検索しようとしても新しい姓名では検索に出てこずに、まるで自分の実績が消えたかのようになってしまうことです。社会的に公表された実績が多い人や、論文などを発表する研究者などはこの影響が甚大です。離婚も、姓名の問題だけ取れば同様のことが発生します。

■仕事を失う恐怖があっても、産むことを即決できた。

妊娠・出産ともなると、女性にかかる影響は多大です。私の妊娠判明の時に「そんなこともコントロール出来ないのか」と批判する方がいらっしゃいましたが、最低限の注意をしていても妊娠するときはしますし、妊娠したら、否応なしにホルモンのバランスが乱れ、身体は変化し、思考ですら変わっていきます。

喜びに満ちている一方で、当たり前に出来ていたことがどんどんできなくなる恐怖は、筆舌しつくし難いです。たとえば、とにかく眠いし疲れやすい。毎日終電で帰っても翌朝にはケロッとしていたのに、妊娠後は18時には眠くなって、家に帰るとそのまま倒れるように寝ています。仕事に回せる時間は明らかに減りました。

また、移動中もすぐに息が上がります。階段しかない駅の出口は地獄です。踊り場に出る度に立ち止まって深呼吸をしないと息が続きません。別におなかが大きくなってからの話ではありません。むしろ妊娠初期のほうが、私は眠さや疲れやすさを感じました。

あとは、物忘れが激しくなりました。いつも当たり前のように乗り換えている駅で、ふと出口がわからなくなったり、ミーティングの時間を勘違いしたり。

「妊娠は病気じゃないんだから大袈裟に言うな」という方もいらっしゃいますが、「コントロール出来ない不調が発生する」という意味では病気と同じだと思いますし、自分ひとりの問題ではなく、他人のいのちまで抱えているのです。そりゃあ大袈裟にもなります。

出産に至っては、いくら工夫しても確実に休みを取る必要がありますしで、産後はどれだけ協力的なパートナーがいたとしてもおっぱいを出せるのは私だけですし、自然と時間と体力と神経を持っていかれるでしょう。

このように、とにかく女性の人生は変化の連続です。そして、未知の変化というものはおめでたいことであっても恐怖を伴うものです。仕事や収入のことを考えると怖くて子どもを作る選択が出来ない、いざ妊娠しても産んで良いのか思い悩む、そんな女性も数多くいると思います。

妊娠判明当時はフリーランスのコンサルタントで、現在は一人会社の経営者である私の場合、産休・育休に入ったら代わりがいません。そしてそれは、即収入を失うことを意味します。また、キャリアの中断は順調なビジネスの成長に悪影響を及ぼす可能性もあります。それでも今回の妊娠については、わかった瞬間から一度も迷うことなく、「産もう」と決断できました。それは、私の過去の離婚経験から得た学びにあります。

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■変化に動じない、私なりの唯一の工夫。

最初の結婚が終わりを迎える頃、私はかなり束縛の多い生活をしていました。外出は制限され、食事は夫の口に合わないものは捨てられる、そんな暮らしから一転して、家を飛び出して一人暮らしを始めた日の朝。まだカーテンも付けられていないアパートの床に毛布だけ敷いて簀巻きのような状態から目が覚める。ダンボールの中からフライパンを引っ張り出し、最低限買い込んだ食料から生卵を取り出し、目玉焼きにして食パンに載せて、醤油を軽くかけて食べました。

(……ああ、自由なんだ。)

むしゃむしゃと口を動かしながら、ただ起きて、ただ好きなものを作って食べるという行為に、私はこれまで感じたことのない感動を覚えました。

(……好きなことが出来るってなんて尊いんだろう。でも、こんな時間はまたいつか無くなるかもしれない。また家族ができることもあるかもしれないし、病気になることもある。明日死んだっておかしくない。だからこれからは、好きなことを全力でやっていこう。)

あのときの自分を振り返ると、映画「タイタニック」のエンディングを思い出します。束縛ばかりの貴族の暮らしに辟易としていた主人公のローズはタイタニックの中でジャックと出会い恋に落ちるも、船は沈没してジャックは死亡。しかし彼女はめげません。貴族の暮らしを捨てて一般市民としてまったく別の暮らしを始めます。乗馬をしてみたり、小型操縦機を運転してみたり、それまでの束縛から自分を開放して、あらゆる挑戦に臨み、一生を終えます。

ローズがそうしたように、私もあらゆることに挑戦し始めました。バイクの免許を取ってみたり、パラグライダーに挑戦してみたり、国内47都道府県を旅行で踏破したり、海外にも随分行きました。仕事もがむしゃらにやりました。パートのときは、「正社員に負けない働きをしよう」と思い、正社員になってからは「経営者の目線で仕事をしよう」と思い、35歳で独立することが出来ました。

妊娠がわかった時に、たとえキャリアを中断することになっても産もうと思えた理由。それは、「この10年、やりたいことを思う存分やってきた」ということに尽きると思います。

「お酒はもう一生分飲んだ。旅もこの歳にしては随分行った。仕事も悔いなくやってきた。だからこの先の十数年を子ども中心で生きても良いんじゃないか。」そう思うと、あっさりと「よし、産むぞ!」と決断することが出来ました。

今ある自由が明日あるとは限りません。目の前の前にいる人が明日も元気とは限りません。自分の健康すら明日も当たり前とは限りません。

そんな時に、変化を受け入れて次の一歩を踏み出す秘訣は、シンプルですが「今を全力で生きる」しかないのだと思っています。

私は「わがまま」という言葉が好きです。一般的にはネガティブに捉えがちですが、「我が儘」つまり「わたし」の「まま」とも言えると思います。

今後しばらくは子ども中心の暮らしになると思いますが、そんな中でもとにかくやりたいことは実現に向けて全力投球で、たとえ後悔しそうになっても、「いや、そうは言っても、あの時自分は精一杯だったじゃない。」と思いながら生きていきたい。そう思います。

(文・落合絵美/編集・榊原すずみ