「不要不急」や趣味が、人生のどこかで仕事になることもある

タピオカブームや、台湾!女子旅!みたいなムーブメントが来るなんて1ミリも想像できなかったあの頃。一体なぜ突然この話を書きたくなったかというと、いま世間を賑わせている「不要不急」という言葉について考えていたからだ。
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(文:田中 伶)

スティーブ・ジョブズが ”Connect the dots.” という言葉を残した2005年、19歳の私はマニアックなブログを始めていた。当時、台湾で流行っていた音楽(Chinese-Pops)の歌詞を自分なりに日本語和訳して、あれこれ考察をまじえながら独り言を綴ったブログ。

タピオカブームや、台湾!女子旅!みたいなムーブメントが来るなんて1ミリも想像できなかったあの頃。C-POPなんて「ナニソレ?」という感じで、K-POPなら分かるけど、という友人がかろうじているぐらいだった。そんな中、一人でコツコツと大好きな台湾のアーティストたちの歌詞を翻訳しながら、歌詞の意味を知るからこそ理解できる曲の魅力やロマンチックな中国語の単語に悶えたりしていた。それが誰のためになるとか何かを生み出すとかは大して考えない密かな趣味。蘋果公主(りんごひめ)という痛すぎるハンドルネームで活動していた、平たく言うと、まあまあの黒歴史だ。

黒歴史ながら、コツコツ300曲ぐらい翻訳しているうちに、読者の方からリクエストが届いたり、C-POPを愛する人のためのオフ会が開けるような雰囲気になってきた。大学の卒業論文で「C-POPの歌詞から学ぶ台湾人の恋愛観」みたいなふざけたテーマに取り組んだわけだけれど、歌詞の日本語訳について検索しても自分のブログばかりがヒットして欲しい情報になかなかたどり着かないぐらいだった。いつかC-POPの魅力を知る人が日本にも増えて、韓国アーティストさながら日本でデビューする台湾アイドルも出てくるはず、と淡い期待を抱きながら、大学を卒業してからも細々と更新を続ける。しかし一向に、待てど暮らせど、C-POPブームがやってこないことに気がつく(遅)。

そして、このままじゃいかんと、台湾情報メディア「Howto Taiwan」を2016年に立ち上げた。これまでのようにC-POPについて熱烈発信するのではなく、まだ知られていない台湾のトレンドや魅力を日本人の女性目線で紹介して、これまでの台湾の古いイメージ(小籠包!激安マッサージ!変身写真!みたいなもの)を更新しようという想いで始めたメディア。まずはそもそもの台湾好きを増やすことこそが、その先の「台湾エンタメ好き」を増やす手立てなのでは? というのが、私を含めた運営メンバーの見解だった。

LCCの台頭やSNSの充実なども後押しして、有り難いことにじわじわと日本に ”台湾ブーム” の前兆らしきものがやってくる。Howto Taiwan としての活動も広がるなかで、一度置いてきた「C-POP」も、不思議な風に乗って、私のもとに舞い戻った。

それが、台湾の若者たちを中心に人気を集めるバンド、宇宙人(Cosmos People)の楽曲の日本語訳だった。夢にまで見た、スーパースペシャルハッピー案件だ。

非公式にやっていた活動が、公式になる瞬間は尊い。YouTubeで公開された公式のミュージックビデオの上に、私が翻訳した文字が踊る。ああ、こんな日が来るんだよってことをりんごひめ時代の私に伝えられたら…! と、涙が出るほど感動した。

これが、私の人生で初めての「Connect the dots」の体験になる。

趣味でやっていたことが仕事につながった、という意味はもちろんある。だけどそれ以上に ”コネクト” を感じたのは、そんな私の中の大事件をSNSで書いたときにフォロワーの方から寄せられた沢山のコメントやメッセージだった。

そのメッセージの多くが「え!伶さんって、あのりんごひめさんだったんですか!?」というものだったのだ。正直、本当に驚いた。りんごひめという存在を覚えていてくれたことはもちろんのこと(笑)、当時の読者たちと月日を経て別の場所で再会をしたこと。

「あのブログでカラオケの練習していました」とか「学生時代によく読んでました!」とか「当時はC-POPが語れる友人がいなかったので、ブログの更新を楽しみにしていました」とか。懐かしさが溢れるメッセージを見て本当に嬉しくなった。みんなそれぞれに年をとったり、当時好きだった中国語とは関係のない仕事をしたりしながらも、だけど心のどこかで台湾への想いを抱いたりしながら過ごしていたのだ。長い月日を経て、思いもよらぬかたちで訪れた再会はただただ感慨深かったし「Howto Taiwan」をやっていて良かったと思える瞬間でもあった。

さて。一体なぜ突然この話を書きたくなったかというと、いま世間を賑わせている「不要不急」という言葉について考えていたからだ。

数日前に発令された「不要不急の外出を避けよ」という要請に、朝から夫と、数年に一度しか会えない友人との食事は?仕事で人前に立つ予定があるので行っておきたい美容室の予定は?なにをもって不要不急というのか?と、ああでもないこうでもないと話していた。「不要不急」に対しての、“必要至急”。まあそんな予定が入ることはそうそう無いんだけれど。

それにしても私は「不要不急」から生まれたものこそ、長い人生のどこかで芽生える種になり得るのでは?と思わずにはいられない。誰のためでもなく自分が好きでやっていたこと、夢中になっていたもの、お金をもらわなくても良いからやりたいと思えること… ”別にいま急いでやらなきゃいけないってわけじゃないんだけれど” というものにこそ、チャンスがあるような気がするのだ。どうだろう?

図らずも舞い降りた、おうち時間。自分にとっての「不要不急」と「必要至急」を仕分けることで、見えてくることもあるかもしれない。お家に閉じこもって、子供と知育菓子でも作ろうかと計画する週末は、そんなことを考えていた。

*本記事は田中伶さんのnote「不要不急と、 Connect the dots.」より転載しました

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