新型コロナ会見、映らなかった手話通訳士。耳が聴こえない、スマホのない母が直面する「情報格差」

危機や災害時に、耳の聴こえない人たちが直面する「情報格差」とは
新型コロナウイルス感染症に関する知事記者会見(令和2年3月25日)
新型コロナウイルス感染症に関する知事記者会見(令和2年3月25日)
YouTube/東京都

新型コロナウイルスに関するニュースを目にしない日がなくなった。テレビをつければ、世界や日本の深刻な状況が伝えられている。

そんな3月下旬、Twitterに流れてくる複数のろう者の投稿が目に入った。いずれも新型コロナウイルスの会見で「手話通訳士」の姿が映っていないことを嘆くものだ。投稿されている画像を確認してみると、たしかに手話通訳士が見切れており、肘だけしか映っていなかった。これではろう者に正確な情報が行き届かない。

これは、ろう者が直面する「情報格差」だ。

同時に、ぼくは、CODAとして生まれたにも関わらず、地方に暮らす両親の日常を支えることができていない無力さに哀しくなる。ぼくの両親は耳が聴こえず、遠く離れた東北の港町で生活している。

7日には首相が「緊急事態宣言」を発令した。しかし、両親はきっと、いまの日本になにが起こっているのか正確に把握できていないだろう。

それなのに、ぼくがいまできることは少ない。

2011年に発生した、東日本大震災の日もそうだった――。

「両親は死んでしまったかもしれない」と思った夜

両親が暮らす、東北にある海辺の街
両親が暮らす、東北にある海辺の街
Dai Igarashi

2011年3月11日、ぼくの生まれ故郷を震災が襲った。その頃、都内で働いていたぼくは、ラジオから流れてくるニュースを耳にして青ざめていた。

これまでに経験したことがないような揺れ、そして大きな津波がやってきた。
まさか海辺にあるぼくの街は、のみ込まれてしまったのだろうか。

両親の耳には避難警報が届かない。もしかしたら、どこに逃げればいいのかもわからないかもしれない。そんな状況で生きられるほど、彼らは強くない。

ぼくの両親は、死んでしまったかもしれない。

立っていられないほどの絶望感のなか、それでもぼくは父の携帯電話に電話をかけ続けた。もちろん一向につながらない。一縷の望みを託し、父にメールを送った。

「お父さん、大丈夫? お母さんと一緒に逃げられた? いま、どこにいるの?」

返信はなかった。

その日の業務は切り上げることになった。16時を過ぎた頃、周りの同僚たちが次々と帰宅するなか、ぼくは両親たちが避難できるであろう場所に電話をかけた。ぼくが通った小学校、中学校、近くにある大型施設。電話に出てくれた人に「両親を探しているんです」と事情を説明する。けれど、「とてもじゃないけど、いまは対応できないんです」と申し訳なさそうに謝られた。

やはり、もうダメかもしれない。

諦めたぼくは、吉祥寺にあった会社を出て、自宅までの道のりを8時間かけて歩いた。その間、後悔ばかりが頭をよぎった。

どうしてぼくは、両親の側にいなかったのだろう。どうしてぼくは、聴こえない彼らから逃げるように故郷を離れてしまったのだろう。どうしてぼくはいま、聴こえない父と母をそばで支えていないのだろう。

もし彼らが死んでしまったとしたら、ぼくが殺したも同然なんじゃないか。

夜遅くに帰宅し、テレビをつけてみると、真っ黒な津波が街をのみ込む映像が流れていた。あのなかに、両親がいるかもしれない。言葉にできないほどの恐怖に身体が震え、最悪の場面を想像しては吐き気がこみ上げてくる。

あの夜は一睡もできず、いつまで経っても鳴らない携帯電話を握りしめながら、繰り返し流れるテレビのニュースをぼんやりと見つめていた。

翌日の晩、携帯に届いた一通のメール

翌日は公衆電話から父の携帯電話に電話をかけてみた。誰が言ったのか、「公衆電話からだとつながりやすい」という不確かな情報を頼りに、万が一の奇跡にかけてみたのだ。

でも、聴こえてくるのは、回線が混雑しているという機械的なアナウンスのみ。電話がつながることはなかった。

ところが、その晩、メールが届いた。

「こっちは大丈夫。みんなで避難してるよ。大は大丈夫か?」

ディスプレイに映し出される短いメッセージを、何度も何度も確認した。父からだった。こんなときまでぼくのことを心配する父親の愛情に、より一層自分の無力さを感じた。

両親の無事は確認できたが、安心できるわけではない。大きな余震が続く恐れはあったし、食料だって確保しなければいけない状況だ。父によると電気も水道も使えないらしい。

避難先ではラジオでニュースが流れているらしいが、父と母は耳が聴こえない。必要な情報を得ることができない。

どうしたらいいんだろう。ぼくは必死になり、テレビで得た情報をメールに打ち込み、送信した。ろう者の彼らが文字情報を正確に理解するのが困難なことは知っていたが、当時のぼくにできることはそれしかなかったのだ。

ろう者は日本語が理解できないのか

この話を書くと、「え、ろう者って日本語が読めないの?」と思う人もいるかもしれない。CODAのぼくもたびたび訊かれる質問だ。

ぼくの両親、とくに先天的に聴こえない母は日本語がうまく理解できない。母はそんな自分のことを、「お母さん、バカだからね」と笑うことがあった。

でも、そうではない。手話を「第一言語」として学んできたろう者にとって、口語や文章の日本語は別の言語なのである。だから、ろう者のなかには、難しい言葉で書かれた日本語をうまく理解できない人がいる。それだけなのだ。

それは、日本語を第一言語として学んできた日本人が、英語をうまく理解できないことと似ているだろう。けれど、日本人に対して、「英語、理解できないの?」と嘲笑う人は少ない。それは、日本の第一言語は日本語で、英語は別の言語だと認識されているからだ。

ろう者の第一言語は手話。だから、日本語がわからないこともある。

ただそれだけなのに、手話に対する正しい理解が広がっていないために、ろう者は誤解を受けてしまうのだ。

震災の日、聴こえない両親を救った人たち

両親が暮らす海辺の街、現在の様子
両親が暮らす海辺の街、現在の様子
Dai Igarashi

東日本大震災の発生から2カ月後。

ぼくは復旧した東北新幹線に乗って、久しぶりに帰省した。最寄り駅に降り立つと、まだ震災の爪痕が残っていた。駅前に山のように積まれた瓦礫。泥を被り廃車になってしまったタクシーの列。それらを目にするたび、実家までの足取りが重くなる。

けれど、不幸中の幸いか、実家は無事だった。外壁にヒビが入り、倒れてしまった家財道具で内壁にも傷がついていたけれど、生活するには支障がない。久しぶりに帰省したぼくを、両親は笑顔で迎えてくれた。

ぼくはなにもできなかったことを謝罪し、それでも無事でいてくれたことを感謝した。でも、ふと疑問が湧く。震災発生当時、一体どのようにして避難したのか。

すると母がうれしそうに手を動かす。

「近所の人たちが助けてくれたんだよ」

よくよく聞いてみると、当日はこんなことがあったらしい。

大きな揺れが発生し、母は外に飛び出した。父はまだ勤務先にいる。一体なにが起きたのだろう。これからどうすればいいのだろう。なにもわからない。

すると、近所に住む女性のTさんが一目散に母のところへ駆けつけ、「逃げるよ」と手を引いたという。避難先は高台にある家。そこでTさんが、地震について教えてくれたそうだ。ちなみに、Tさんは手話ができない。それでも身振り手振りで一生懸命伝えようとしてくれた。母はその気持ちがうれしかったという。

数時間後、父とも合流できた。Tさんが、帰宅するであろう父に向けて、玄関に手紙を貼り付けていてくれたのだ。

「○○さんの自宅に、奥さんと一緒に避難しています」

聴覚障害者は、緊急事態に情報をうまく受け取れないことがある。それを知っていたTさんは、母のもとに駆けつけ、機転を効かせて避難場所のメモを父に残し、ぼくの両親を救ってくれたのだ。

母の話を聞いて、ぼくはTさんのもとを訪れた。うまく言葉にできるかわからなかったけれど、感謝の気持ちを伝えなければいけないと思った。

でも、お礼を伝えようと涙があふれてくる。感謝の気持ちを伝えようとすると、それ以上になにもできなかった自分を責める涙がこみ上げてきた。

Tさんは、やさしくぼくの肩を抱いた。

「いいの。困っているときはお互いさまでしょう? 大ちゃんのお母さんとお父さんが聴こえないことは知ってるんだから、おばさんなりにできることをしただけなんだよ」

災害時にろう者が直面する「情報格差」は、このとき、心やさしい他者によって埋められたのだ。

新型コロナ会見、ろう者にも伝える工夫を

ろう者のなかには、新型コロナウイルスが猛威を振るう状況を、うまく理解できていない人たちがいる。震災から9年が経ち、ネット環境は格段に進歩したかもしれない。それでも、いまだにろう者と聴者との間には情報格差があると思う。それは危機に直面したときに浮き彫りとなる。

手話通訳士のいない会見は、ろう者に伝えるつもりがないことを意味する。その背景にあるのは「テロップなどが表示された日本語があれば、ろう者にも伝わる」という間違った認識だろう。

政府や自治体には、多様な人たちに伝える努力が必要だ。

ここ数日のろう者や声をあげた人たちの訴えを受けてか、東京都がライブ配信をする「東京都新型コロナウイルス感染症 最新情報」では、都知事の横に立つ手話通訳士の姿がしっかり映るようになった。

「令和2年4月8日 東京都新型コロナウイルス感染症最新情報」ライブ会見する小池百合子都知事と手話通訳士
「令和2年4月8日 東京都新型コロナウイルス感染症最新情報」ライブ会見する小池百合子都知事と手話通訳士
YouTube/東京都

情報格差を埋めるため、世界は少しずつ前進しているのかもしれない。「緊急事態宣言」の首相会見にも手話通訳士はいた。ただスマホで観られる動画配信では、手話通訳士が映っていないメディアもあった。

聴者とろう者の情報格差は、聴者がほんの少しやさしさを持ち寄るだけで大きく変わるのではないだろうか。聴こえない人たちのことを正しく理解し、歩み寄る。それだけで、大きな溝は埋められるのだ。あの日、ぼくの両親を助けてくれたTさんのように。

母がスマホを持とうとしなかった理由

ちなみに、震災以降、ぼくは母にスマホを持つように勧めているのだが、彼女は決して首を縦に振らない。

「どうしてそんなにスマホが嫌なの?」

一度訊いたことがある。すると母は哀しそうに手を動かした。

「余計にさみしくなるから」

聴こえないうえに、日本語をうまく理解できない母にとっては、メールで想いを伝えることも困難だろう。そうなると、スマホを使いこなせない自分に苛立ち、余計にぼくとの間にコミュニケーションの壁を感じてしまうというのだ。なるほど、それも一理あるかもしれない。

しかし、いまはFaceTimeやLINEなどのビデオ通話機能もある。メールや通話をしなくてもいい。顔を見ながらコミュニケーションを図る手段があるのだ。これなら、遠方にいても、お互いに手話で会話ができる。

これまでは母の気持ちを尊重してきたけれど、新型コロナウイルスが落ち着き、帰省できるようになったら、真っ先にスマホをプレゼントしようと思う。

いまだ無力なぼくにも、できることがある。まずは母の「情報格差」を埋めながら、少しずつろう者の声をすくい上げていきたい。

五十嵐 大
フリーランスのライター・編集者。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。

(編集:笹川かおり)

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