イギリスのジョンソン首相、新型コロナ感染から退院。問われる復帰後の指導力

新型コロナウイルスに感染した首相は、1週間にわたって入院生活を強いられ、そのうちの3晩を集中治療室(ICU)で過ごしていた。
イギリスのジョンソン首相
イギリスのジョンソン首相
Xinhua News Agency via Getty Images

気温が20度を超え、穏やかに晴れた4月12日日曜日の昼過ぎ、英政府の一斉メールが関係先に流れた。

〈首相は病院を退出し、チェッカーズ(首相別荘)で回復を期す。医療チームの助言に基づき、すぐには公務には復帰しない。自らが受けた素晴らしい治療に対し、首相はセントトーマス病院のみんなに感謝の意を表している〉

英首相ボリス・ジョンソンの退院を告げる声明だった。新型コロナウイルスに感染した首相は、1週間にわたって入院生活を強いられ、そのうちの3晩を集中治療室(ICU)で過ごしていた。

声明から間もなく、ジョンソン自身がビデオメッセージで国民に語りかけた。病院で治療にあたった1人ひとりの名前を挙げて謝意を述べるとともに、感染症との戦いに打ち勝つ意欲を示した。顔がやや細り、本格的な回復には至らない様子だが、明確で力のこもった語りぶりは普段通りである。

それまで、ジョンソンの言葉や行動は断片的にしか公表されず、入院の長期化もささやかれていただけに、その復活ぶりは国民に大きな希望と安堵感を与えた。この日は折しも復活祭の当日、4連休の真ん中に当たっていた。あまりにタイミングがいい。よみがえる姿を印象づけようと、この日の退院を演出したのかもしれない。

ただ、この間トップを欠いた英政権では、法的にも政治的にも「権力の空白」状態が生じていた。なぜこのような事態になったのか。市民と同様に権力者も感染症の脅威にさらされる現在、その過程と背景を検証することは、無駄にならないだろう。

EUに頼りたくない

1月31日、英国は欧州連合(EU)から離脱した。歴史的なその出来事を自ら実現させたジョンソンにとって、達成感に満ちた瞬間だったに違いない。

ただ、その後の英国のコロナ対策には、EU離脱が多少なりとも影響することになった。

『ロイター通信』が、英国の対応を詳細に検証した4月7日付の特別報告「ジョンソンはコロナについて科学者の意見を聴いたが、科学者たちの警鐘が遅かった」によると、2月13日から3月30日の間にEUがコロナ対策で開いた首脳級または閣僚級の会合を、英国はまだ参加資格があるにもかかわらず、8回にわたって欠席した。

理由は定かでないが、EUに頼りたくない意識があったと容易に想像できる。その結果、EUが合意した人工呼吸器の共同購入スキームへの参加を逃したという。英国はその後、人工呼吸器不足で悩むことになった。

同特別報告はまた、与党保守党の政治家らがコロナを、悪性のインフルエンザ程度に捉え、致死率の高さに対しても甘い認識しか抱いていなかった、と伝えている。コロナに対する危機感はこの頃、英国で全般的に強くなかったことがうかがえる。

首相のジョンソン自身も、危険への意識がさほど強くなかったと推測できる。

ジョンソンは2月27日深夜、英中部のケタリング総合病院の緊急病棟を訪問し、コロナ感染で入院している患者らと握手をした。そのことを、彼は3月3日の記者会見でこう語っていた。

「この間の夜、何人かのコロナ患者がいる病院に行って、みんなと握手をした。これからも握手はする。重要なのは手を洗うことだ」

彼は7日にも、イングランド女子ラグビー代表チームのイベントに出席し、選手らと平気で握手を交わした。

時期的に見ると、これらの握手が彼の感染に直接結びついたとは考えにくい。一般的に感染の経緯には偶然や不可避の要素も多く、本人の不注意が責められる筋合いのものではない。ただ、ジョンソンはこの頃まで、人々と緊密に接する政治スタイルの維持を、感染防止より重視していた、とうかがえる。

その2日前の5日にはすでに、保健政務次官のナディン・ドリーズがコロナの症状を示し、5日後に感染が確認されていた。彼女はジョンソンとも頻繁に会っており、官邸での広がりが懸念された。にもかかわらず、英政界の意識は高まらなかった。

英国に訪れた「権力の空白」

3月23日、ジョンソンはビデオ声明で、不要不急の場合に外出を禁止する方針を打ち出した。しかし、人と人との間隔を気にかける意識は、当の政治家らの間で極めて薄かったと、『タイムズ』紙は伝えている。閣僚や議員や顧問たちは相変わらず、狭い部屋に何時間も閉じこもって政策を協議していた。首相を含めて十数人が1時間あまり缶詰め状態になった会議では、何人かが平気で咳を続けていたという。

従って、官邸がクラスター化しても不思議はなかった。首席特別顧問ドミニク・カミングズ、保健相マット・ハンコック、首席医療顧問クリス・ウィッティ、ジョンソンの婚約者で妊娠中のキャリー・シモンズが相次いで発症し、自主隔離を強いられた。ジョンソン自身の感染が確認されたのは26日で、咳や発熱が続くことから検査を受けたところ、陽性と診断された。

ジョンソンは、首相官邸のダウニング街10番地の隣に位置し、普段使われていない11番地で、自主隔離の生活に入った。食事はドアの前に置かれるようになった。

以後も、翌27日にビデオを通じて閣議を開くなど、ジョンソンは精力的な活動を続けた。

本来養生すべきこの時に無理をしたのがよくなかったのでは、との見方がある。閣僚の1人は『タイムズ』紙に、

「ボリスは自分が病気であることを認めたくなかった」

と語る。同紙によると、閣僚らは「首相は働き過ぎだ」との懸念を抱く一方で、「彼を気にかける人もいなかった」という。普段、ジョンソンの生活の面倒を見ていた唯一の人物は婚約者のシモンズだが、彼女自身が自主隔離となって自宅に戻ったため、ジョンソンは取り残される形になっていた。

4月2日、ジョンソンが戸口に姿を見せ、医療関係者に拍手を送る映像が、テレビで流された。普段の堂々とした態度はうかがえない。ぎこちない動作と弱々しい表情から、衰えぶりは明らかだった。『タイムズ』紙によると、この日すでに、官邸とテムズ川を挟んで反対側にあるセントトーマス病院に首相用のベッドが用意されていたという。

5日、ジョンソンは病院に移された。「緊急事態ではなく用心のため」と政府は説明したものの、その翌日にはICUに入ったため、重篤ではとの懸念が広がった。退院までの1週間、英国に訪れたのは「権力の空白」(『ガーディアン』紙)状態だった。

「誰も望んでいなかった」

英国で、首相が病気で指揮を執れなくなる事態は、これまでも何度かあった。

『デイリー・テレグラフ』紙のまとめによると、古くは第1次世界大戦末期の1918年、自由党出身の首相デイヴィッド・ロイド=ジョージが流行のスペイン風邪に罹患し、マンチェスターの医療施設に10日間入院した。生死が危ぶまれる状態だったが、病状は公に明らかにされなかった。

第2次世界大戦中には、時の首相ウィンストン・チャーチルが1943年、44年と2度肺炎で入院した。最初はごく簡単な情報だけ公表され、2度目は少数の取り巻きにだけ知らされた。チャーチルは戦後の第2次内閣時の53年にも夕食中に卒倒し、体の一部が麻痺したまま翌日閣議を開こうとしてさらに病状を悪化させたが、外部には「疲労」と説明された。

2003年、労働党の首相トニー・ブレアは胸の痛みと不整脈で病院に救急搬送された。大きな騒ぎにはならず、復帰まで外相のジャック・ストローが代理を務めた。

ただ今は、首相の病気を市民の目から隠しおおせる時代でもない。しかも、コロナ禍で難しいかじ取りが求められる折である。代理を設けるのは自然な対応だった。

英政府報道官によると、ジョンソンはICUに移る際、外相のドミニク・ラーブに「必要な場合」に代理を務めるよう、言い渡していた。これは賢明な判断だった。この指名がなかったら、政権は大いに混乱していた可能性がある。

ラーブは、チェコスロバキアからナチス支配を逃れたユダヤ系移住者の2世として、1974年に生まれた。少年時代に父を亡くし、苦学してケンブリッジ大学を出た。大学時代は空手部主将で、黒帯の実力だという。法律事務所や外務省に勤めた後、2010年に下院議員に当選した。

昨年7月にジョンソン政権が発足して外相に抜擢された際、副首相にあたる筆頭国務大臣を兼務していたため、首相代理指名は当然だった。ただ、彼が筆頭国務大臣となったのは、当時まだ行く末が不透明だったEUとの関係において強硬な離脱姿勢を示していたからだと言われている。

見た目は柔らかく、控えめそうな人物とうかがえる。実務的で、ジョンソンとは特に親しいわけでなく、あくまで職業上の関係だという。

筆者は今年1月、彼の記者会見に出席したが、小声で不明瞭なその発言内容は極めて慎重で、有り体にいうとつまらなかった。

英各紙は彼のしゃべりぶりを「ロボットみたい」「ささやいているよう」と揶揄しており、サービス精神旺盛なジョンソンとは対照的である。一方で秘めたる野心は強いといわれ、昨年6月の保守党党首選に立候補したが、5回あった議員投票のうち第2回投票で脱落した。

「首相代理のような地位を、彼は以前から望んでいた。ただ、このような時に彼がこの地位に就くのは、誰も望んでいなかった」

下院議員の1人は同紙にこう漏らした。閣僚として、ラーブは外相の前にEU離脱相を短期間務めたにとどまり、大物政治家とは言い難い。

閣内でジョンソンに匹敵する重量級と言えば、EU離脱運動を牽引したランカスター公領相兼内閣府担当相マイケル・ゴーヴである。ゴーヴでなくラーブが指名された理由について、『ガーディアン』紙は、

「ジョンソンは後継者でなく管理人を指名したことを、忘れてはならない」

と指摘した。ゴーヴ自身は家族の罹患によって自主隔離生活に入っており、現実的にも代理を務める態勢になかった。

「総辞職は避けられない」

政府高官が『デイリー・テレグラフ』紙に語ったところによると、不慮の事故で首相が欠けた場合の対応策を、英国は当然ながら用意していた。しかし、今回の事態は予想の範囲を超えていた。

「核攻撃やテロのたぐいに対する秘密計画を内閣府が策定しており、普通ならそこに対応を委ねるはずだ。問題は、一定の期間にわたって閣僚が1人ずつ抜けるような今の事態が、想定外だったこと。その結果、誰が何に責任を持つのかがわからなくなっている」

高官はこう語ったという。

ジョンソンに続いてラーブも病気になる場合も想定されており、「代理の代理」として財務相のリシ・スナックが指名された。『デイリー・テレグラフ』紙によると、それ以降の順位は内相プリティ・パテル、内閣府担当相ゴーヴと続くという。

もっとも、スナックは下院議員歴が5年に満たず、今年2月に前任の財務相サジド・ジャヴィドが官邸の首席特別顧問カミングズと衝突して辞任した後に、財務省首席政務次官から昇格したばかりである。閣内をまとめる実力があるとは誰も思っていない。

その次のパテルに至っては、本欄『「ハッタリ」「言いなり側近」「官僚質低下」で早くも綻び「英移民政策」』(2020年3月2日)で描いた通り、資質に疑問が持たれており、内務省内での信頼も失墜していた。

2月末には、事務次官のフィリップ・ラトナムが、「悪意のある攻撃を受けた」とパテルを名指しで批判しつつ辞任して裁判に訴える姿勢を見せ、それ以前の彼女のパワハラ疑惑も次第に明らかになった。3月以降、彼女は4月11日に記者会見に出るまでの数週間にわたって人前から姿を消した。会議への出席要請にも応じず、批判から逃げ回っているのではと噂された。

英国では、首相、財務相、外相、内相の4人が伝統的に内閣の要職と見なされてきた。しかし、ジョンソン以外の3人は重鎮と言い難く、統率力も期待できない。これは、昨年12月の総選挙で大勝したジョンソンがイエスマンばかり閣内に集めたからに他ならない。せめて、実力者のジャヴィドが辞任しなかったら、と思った人は少なくないだろう。

『ガーディアン』紙コラムニストのマーティン・ケトルは、

「指導者たる者は、ご機嫌取りばかりに囲まれてはならない。ジョンソンがやったのはそういうことだ」

普段政権寄りの『デイリー・テレグラフ』紙でさえ、

「現内閣は、経験不足が際立っている。首相の職務不能状態が長引くなら、総辞職は避けられない」

と論じている。

注目されたのは核兵器使用の権限

米国の憲法や法令は、大統領が職務不能に陥った場合に備えて、権限を移譲する順位を定めている。しかし、英憲法上にそのような規定はない。ラーブへの代理任命も、法的な根拠に基づいていたわけではなく、彼の権限についてもあいまいさがつきまとった。

ラーブは何ができて何ができないか。内閣府の指示書に基づいて可否が決められるが、それは非公開だという。英メディアによると、ラーブは閣議を主宰し、国家安全保障会議の議長として安全保障上の決定を下す権限を持つものの、閣僚の任免はできない。英首相は毎週女王に謁見しているが、その権限も委ねられなかった。

ラーブが代理となってまず注目されたのは、核兵器使用の権限だった。核攻撃が必要な事態になった場合、誰がそれを命令するのか。『BBC』の番組でこう問われた内閣府担当相のゴーヴは、

「精査された規約があるが、ここでは話せない」

と答えるにとどまった。実際には、公表できないものの手順は定められていると考えられる。

そのような理論上の問題にとどまらず、現実の政策決定も、以外に早く迫られることになった。外出禁止令の解除を巡ってである。

3月23日に不要不急の外出禁止令を出した際、ジョンソンは期限を3週間と定め、その後検討して可能なら緩和する、と表明していた。その3週間後が13日に迫っていた。このまま延長するか、緩めるか。

外出禁止令の扱いを巡っては、閣内で深刻な対立が続いていた。保健相のハンコックや内閣府担当相ゴーヴら医療関係者に人脈を持つ面々は延長を主張した。財務相のスナックをはじめ財界に近い人々は緩和を求めていた。

官邸を巻き込んだ閣内の対立は、ジョンソンの入院以前から深刻化していた。『サンデー・タイムズ』紙によると、外出禁止で立場を共有するハンコックとゴーヴも、人工呼吸器の購入問題を巡っては反目し合い、頻繁に衝突した。ハンコックに対しては、スタンドプレーに走りがちだとして、官邸のスタッフらも反発した。

ラーブが代理を務めるようになって、表面上はこれらの対立が収まったという。ここで自己を主張すると、後の評判に響くからだろう。もっとも、ラーブも重要な決断を下すことにはためらいがあったと考えられる。その結果、閣議で多くが気にしたのは「ジョンソンならどう判断するか」だったと、英各紙は伝えている。

結局外出禁止は延長され、次の週に閣僚が集まって方針を検討することになった。その頃にはジョンソンが回復し、指揮を執ると考えてのことだろう。ただ、ジョンソンが以前のように活発に動き回れるのか、14日現在不透明な面は少なくない。

前出の『ガーディアン』紙のケトルはこう綴る。

「英国は、他の国と同様に準備ができていなかった。その失敗の一因は、指導力にあった。もっとも、今回の感染症問題では、どんな国の指導者も失敗を犯した。大部分の国の指導者は、(ドナルド・)トランプよりもましだった」

ただ、英国も初動の遅れなどで、批判されるべき点は少なくない。首相退院の日、英国のコロナによる死者はとうとう1万人を超えた。

出口が見えない中で、復帰後のジョンソンの指導力が今後問われることになるだろう。


国末憲人 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長を経て、現在は朝日新聞ヨーロッパ総局長。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)など多数。新著に『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)がある。

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(2020年4月15日フォーサイトより転載)

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